2015年8月4日08時31分
霊長類学、通称「サル学」の第一人者の京大名誉教授、河合雅雄さん(91)。「サル学を志したのは、戦争を起こす人間への怒りから」という河合さんは、集団的自衛権の行使容認と安全保障法制をめぐる国会の動きを「今一番気になるニュース」と話す。戦後70年。戦争当時を兵庫で過ごした河合さんに、体験と思いを聞いた。
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――戦時体験で特に印象に残っていることは
軍事教練が嫌だった。1941(昭和16)年に鳳鳴中学(現県立篠山鳳鳴高校)を卒業したが、4、5年生のときには三八式歩兵銃を担がされた。学校に200丁くらいはあったかな。これが重くて、担ぐと肩に食い込む。夏には1週間の合宿があって、京都の福知山にあった練兵場まで歩かされた。銃を担いで、峠を越えて延々歩いた。しんどかった。
――どんな訓練を
まず、銃を抱えたままの匍匐(ほふく)前進。ひじは地面にこすれて傷だらけ。的に向けて実弾も撃った。上手な友人は的の真ん中に当てたが、私の弾はどこにいったかわからない。「弾痕不明」と教官に怒られた。中学生が実弾で訓練なんて、外国人が見たら驚いたでしょう。
――戦地へは
行かなかった。太平洋戦争が始まり、私は新潟高校(現新潟大学)に入学したが、間もなく結核が悪化して篠山に帰った。徴兵検査を受けたときも微熱が続き、「第三乙」(種)の判定。戦争中、療養で寝ているのはつらかった。友人はようけ戦地で死んだ。自分だけ何も出来ないことが申し訳なかった。
弟の隼雄は家でよく「天皇制はおかしい」とか「日本は負ける」とか言っていた。私は「外では言うたらあかん。近くに憲兵が住んどる」といつも叱っていた。親類が多くていとこが40人ほどいたが、うち6人が戦地で亡くなった。軍医だった兄は終戦から1年半後に南方から帰ったが、栄養失調で歩くのがやっと。心身ともに疲れ果てたのか何もしゃべらなかった。戦争ほど残酷なものはない。亡くなった人だけでなく、周りの人の悲しみも計り知れない。戦争だけは絶対に起こしてはいけない。
――戦争はその後の人生にどう影響したか
人間はどうしてこんな戦争を起こすのか。人間とは何なのか。人類の進化の歴史の中からその答えを探ろうと、京大でサルを研究した。動物の社会には同じ種族や仲間を傷つけないという原則があるが、ライオン、ハイエナなど集団をつくる一部の肉食獣と、霊長類の一部には例外があった。霊長類の人間には、善の性質と欲望から仲間を傷つける悪の性質の両方があり、悪の性質を抑える知恵を生み出して進化してきた。だから、欲望からの悪をいかに抑えていくかが問題なのだと思う。
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