生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!ありがとうございます。
きょうの司会は清水ミチコさんです。
清水⇒よろしくお願いします。
伊藤雄彦アナウンサーです。
よろしくお願いします。
さあ、きょうは久しぶりの生放送です。
早速きょうのゲストをご紹介しましょう、俳優の藤本隆宏さんです。
どうぞ。
よろしくお願いします。
藤本⇒よろしくお願いします。
さすが元オリンピック競泳選手というだけあって胸板が厚いですね。
すらっとしていて本当にかっこいい藤本さんですが藤本さん、最近ご出演のドラマといったら皆さん記憶に新しいですね「花子とアン」。
優しい編集長。
その印象がありましたが、そんな藤本さん、今夜スタートのドラマにご出演です。
全然変わった雰囲気です。
本当ですね。
BS時代劇「一路」にご出演です。
りりしいですね。
決まっていますよ。
本当。
てれてますね。
ちょっと緊張気味とおっしゃっていましたもんね。
緊張なさってるんですか?はい、こういうのは苦手なので。
緊張した藤本さんもすてき、という方もたくさんいらっしゃるかもしれません。
アスリートとしてオリンピック選手として活躍していた藤本さん、そして俳優としても活躍されている藤本さんに、きょうはぐぐっと迫っていきます。
質問、メッセージお待ちしています。
ではスタジオのお席のほうへお願いいたします。
本日のゲストは俳優の藤本隆宏さんです、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
2010年以来2回目のスタジオパークのご出演ですね。
そうですね。
生放送は、「ひるブラ」という生放送もされていますけれどもどうですか。
せりふが決まっていればしゃべることはできるんですけれどもフリーでトークするのはすごく苦手で緊張しています。
声がもう小さいですよね。
藤本さんのプロフィールを早速紹介します。
まずはオリンピック選手アスリートとしての藤本さんにぐぐっと迫っていきます。
藤本隆宏さんは1970年、福岡県生まれ。
2つ年上の兄と2人兄弟でした。
お母さんきれい。
6歳のとき、お兄さんと一緒に行った水泳に熱中して地元のプールで泳ぐ毎日を送っていました。
水泳のどこにはまったんですかね。
宗像市という、今回世界遺産に登録にされた隠岐島のあるところなんですけれどもそこで育ったんですけれどもスポーツ施設がなくて手作りでビニールハウスを改造してプールを造ってくださる方がいてそこにほとんどの子が水泳を習いに行ったというのがきっかけです。
それは小学校の1年生のときです。
6歳のときですね。
ビニールハウスが出発だったんだ。
どうして水泳にはまったんですか。
体を動かすのが好きだったんですね。
もともと兄がやっていたということがあって始めたんですけれども。
そして高校時代は1日2万5000mも泳いでいた藤本さん。
いちばん泳いでいた時代ですね。
大体ふだんは1万8000とか2万はたまにですね。
中学時代から注目を集め始め18歳のとき400m個人メドレーで日本選手権優勝。
さらに同じ年ソウルオリンピックに出場。
かっけえ!りりしい。
18歳ですか。
もてたでしょう?優しくない感じですね。
いやいや、かっこいい。
女子からも男子からももてそうです。
両方からね。
18歳での出場は当時の日本男子競泳史上最年少という記録でした。
選手団の中でもいちばん最年少でした。
自分でもびっくりしましたでしょう?初めての国際大会がオリンピックだったので、もう何も分からず出場させていただいて終わったという感じでしたね。
すごい華やかですね。
初めての世界大会がオリンピックですもんね。
覚えてます?ソウルオリンピック。
覚えてます。
開会式にも出させていただいて緊張ですね。
こういう場所があるんだ。
こういう試合があるんだとそこで初めて知った感じでオリンピックという名前だけは知っていましたけれども。
急に行けるようになったという感じで。
でもオリンピックに行くのは大変じゃないですか。
持っていますね、運。
本当にコーチに恵まれたんです。
たまたま一緒に練習をやっていたおがたしげおさんという日本記録を持ってらっしゃった方が外国から帰ってきて練習相手に選ばれたんです。
そのうちに自分もできるようになったということで環境に恵まれていました。
そして89年に日本記録を樹立。
92年に出場したバルセロナオリンピックでは400m個人メドレーで日本人初の決勝進出を果たします。
それでは、そのときの映像をご覧ください。
いちばん手前が藤本さんです。
最初頑張りすぎたんです。
頭の中に金メダルしかなくて。
行くしかないと。
最初はいい感じなんですけれども結局、かなり開かれて最後は。
最後は自由形、クロールですね。
8位だったんですけれども今まで予選と決勝を泳いで決勝が遅いということはなかったんですけれども、このとき初めて決勝が遅くて悔しさしかなかったですね。
出るからにはと思っていましたよね。
金メダルを取ろうと。
2度目でしたし。
でも8位入賞ですよ。
すごいことですよ。
そうですね。
このとき初めて400m個人メドレーで日本人が初めて決勝に進出ということだったんですよね。
その記録だけでもすごいですよね。
そんなことないです。
当時すごいという感じになったんじゃないですか、入賞して。
でも岩崎恭子さんとかその前のオリンピックは鈴木大地さんが金メダルを取っていらっしゃるので決勝に残るだけでは、と自分では思っています。
このときですね、岩崎恭子さんが金メダルを取ったのは。
同じ日なんです。
そうなんですか。
タイミングが。
私は新聞の後ろのほうに3行ぐらい出たくらいで。
そこと比べるとあれですけれどもね。
違うストーリーもありますからね。
その経験があって今につながっているので本当に貴重な経験をさせていただいたと思っています。
オリンピックだと、練習とかも。
先ほども2万5000mとかありましたけれども、厳しい練習だったんじゃないですか?でも泳がないと、才能がない人は練習をしていかなければいけないのでとにかく練習だけは誰にも負けないようにと思ってやっていました。
才能がないといってもオリンピックに行けちゃうわけですよ。
逆に才能かなと思いますけど、そうじゃないんですか?オリンピックに出る人はやっぱり出るだけではと行っていなければ思うかもしれませんけれども1回経験しているので次はさらに上を目指さなければいけないとイメージトレーニングをして、それで人生を生きてきたんですよね。
メダル以外考えられなかったのでなので、このあとも水泳を続けたという。
そうだったんですね。
やっぱり自分に課していくものも大きくなってくるんですね。
練習は自分からすすんで積んでいくという感じで、練習の虫という感じだったんですか?とは言われていましたけれどもやらないと記録は伸びないですから。
そんな競泳選手時代、水泳1本という感じでしょうね。
水泳しかやらない。
まあまあ、そうですね。
そんな藤本さんの、唯一息抜きというか楽しみが競泳選手時代あったそうです。
ここでクイズです。
藤本さんの水泳以外の楽しみ唯一の息抜きはいったい何だったのか、皆さんお考えください。
カメと話す、あるかも。
癒やされたいですもん。
ギターで、音楽でね。
将棋も集中して、というのもありますよね。
3つの中からお考えください。
メールが届いています。
三重県の中学生の方からです。
こんにちは、藤本さんは覚えていないかもしれませんが去年、私が通っている三重県の中学校に講演に来てくれたことがありました。
はい。
そのときから私は藤本さんのすばらしいことばに感動してとても好きになりました。
ありがとうございます。
みんなも講演が終わったあとにすごかったね、とかめっちゃ感動したねとか言っていました。
藤本さんの話で学校中がとても盛り上がっていましたと届いています。
うれしいですね、覚えています。
講演というのは俳優なのでしないんですけれども知り合いの方に3回頼まれてもう、これは断れないなと思って引き受けたんですけれども。
聞きたいと思いますよ中学生の皆さん。
でも、そうやって中学生の子にそう言ってもらえるのはすごくうれしいですね。
感動したと。
俺はね、という感じじゃないから皆さんも感動するんじゃないですか?とんでもないです。
腰が低いわ。
とんでもない。
続いて兵庫県のこちらも10代の女性の方からです。
「坂の上の雲」で力強くも物腰柔らかな広瀬武夫を演じられているのを見て感動しました。
あとで元オリンピアンと知って驚きはしましたが少し納得もしました。
「平清盛」でも演じられていましたが勇猛果敢な武士の役は本当にぴったりだなと思います。
あとで知る方もね多いかもしれませんね。
それはうれしいですよね。
昔は水泳をやめて演劇の世界に入ったときは水泳選手がやっているんだ、と言われたんですけれども最近は、それが逆になっているのでうれしいです。
頑張ったかいがありますね。
そんな藤本さん、競泳選手時代唯一の心の支えというか息抜きになっていたことは何なのか。
視聴者の皆さんの答えです。
きっ抗していますね。
カメと話すが1位ですね。
ギターを弾くがちょっとだけ少なくて、最後が将棋ですね。
お答えは?あの、恥ずかしいんですけれども兄がギターをやっていたのでギターをちょっと弾いていました。
2番目ですけれども多くの方が正解、ギターを弾く、ですね。
カメじゃないんですか?そうですね、息抜きにギターをちょっとやっていて音楽が好きだったので水泳を一日2万mとか泳ぐと指がふやけるんですよ。
Fとか弾いてもなかなかできずにそれで断念しました。
ふやけるんですか。
指先が硬くないとギターはね、フレットでやるときはね。
それを乗り越えて、練習すればよかったんですけれども水泳も忙しくなりましたし。
真面目。
そこは断念して水泳に戻って。
でも唯一の癒やしはやっぱり音楽だったので音楽で、試合で泳ぐ前も音楽を聴いていましたし。
寝る前も聴いていましたし。
水泳と音楽で。
どんな音楽を聴いていたんですか。
はやりのものですか?聴いていたのは小田和正さんとかクラプトンも聴いていました。
MTV世代だったのでブリティッシュロックアメリカのポップスなども弾いていました。
めっちゃ弾けるじゃないですか。
聴くのがそうだったんです。
弾くのはポロンポロンという感じです。
では今度は俳優として活躍する藤本さんのプロフィール後半です。
バルセロナオリンピックのあとオーストラリアへ3年間水泳留学をしていた藤本さんは偶然見た舞台「レ・ミゼラブル」に感動し舞台俳優を目指すことを決めました。
強烈な体験だったんですね。
次のことを考え始めた時期だったのでミュージカルを見て、あと日本に帰ってきても見たんですけれどもああ、こんな世界があるんだと。
広がったんですね。
私もあれを見て感動してマグカップを買ったことを思い出しました。
清水さんはマグカップ止まりだったんですね。
ミュージカル女優にはならなかったんですね。
藤本さんはひらけたんですね。
でも水泳も続けていたんですね。
続けていました。
3回目のオリンピックを目指す途中で劇団四季のオーディションを受けたんです。
高校大学と学業だったんですけれども、それがなくなったので学校に行くような感じで。
当時、所沢にいたんですけれども横浜のあざみ野でジャズの練習をしてレッスンを受けて六本木でバレエのレッスンを受けてという生活をしていました。
アトランタの代表選手に選ばれなかったことをきっかけに水泳引退を決意。
俳優一筋となった藤本さん。
4年間在籍した劇団四季を退団したあとも「レディ・ゾロ」など多くの舞台に出演し舞台俳優として注目を集めました。
その後テレビの世界に活動の場を広げ2009年にはスペシャルドラマ「坂の上の雲」でドラマ初出演。
日露戦争に従軍した軍人広瀬武夫役。
本木雅弘さん演じる主人公の親友という大役でした。
藤本さんが印象に残っているというシーンをご覧ください。
俺にしかできん役目があるはずじゃ。
その役目を見つけるのが参謀のお前の仕事じゃ。
生還を望むべくもない作戦でもかまわんち。
広瀬さん。
アシは士官であろうが下士官であろうが生還できないような作戦ははじめから立てません。
目指すんは全員生還です。
全員生還できる作戦などありえんち。
必ずお前たちを連れて帰っち。
うわっ!小池!よろしい!分かった。
分かっちょんけん、もう騒ぐな。
しっかりこげ。
しっかりこげ。
恐ることはない。
恐ることない。
俺ん顔を見て、しっかりこげ!そ〜れ!そ〜れ!なんでこんなにうまいんだというくらい本当に。
スタッフの皆さんによく撮っていただいてあとキャストの皆さんと。
またまた本当ですか何言って。
そうなんです、はい。
小さいころちょっと好きだったんですか?お芝居することとか。
お城とかが好きでだからNHKの大河ドラマとか見ていて、かっこいいなと思っていた部分もありますし広瀬さんは、あれです高山市に何年かいっていた時代があって。
私の地元のよくご存じで。
勉強しました。
初めてのドラマ出演で主人公の親友という大役でしたけどいかがでしたか?先ほどのオリンピックと同じ本当に何も分からない状態で出させていただいてでも本木さんの親友役ということで本木さんに引っ張っていただいたんですよお芝居を。
何年間もやってらっしゃる方に見えましたよ。
ありがとうございます。
その後も大河ドラマ「平清盛」連続テレビ小説「花子とアン」など多くの作品に出演。
来年の大河ドラマ「真田丸」への出演も決まっています。
もう決まっているんですか。
すごい。
ありがたいです。
ありがとうございます。
俳優としても活躍されています。
2度もオリンピックに出てそれから俳優への転身。
すごい。
タレントさんになる方は結構いらっしゃいますけれどもね。
俳優一筋でというのはね。
オリンピックの会場で泳いでいる自分の姿と舞台に立っている自分の姿が重なったといいますか水泳も自分のためにやるのもそうなんですけれども応援してくださる方のためにやっていることってかなりウエイトを占めると思うんですよ。
そのお客様の姿つまり劇場に見に来て舞台を見て泣いたり笑ったり拍手してくださる姿。
そしてオリンピックを見てくださる方、その姿が重なってオリンピックはだめだったのでこちらのほうでかなえたいと思って演劇のほうに入ったんですけれどもそんなに甘い世界ではなくて。
喜ばせるというのが好きなんですね、もともと人を。
ライブ感というか、そういうのがすごく好きなんです。
でも水泳一筋だったのに俳優という仕事ミュージカルという仕事最初は大変じゃなかったですか?何も分からないじゃないですか。
そうですね。
でも水泳は、やれば、ある程度のところまでいけるということを教えていただいたのでだからどんな世界でも一生懸命努力すれば、夢に近づくことができるのかなと思ってそれを信じて俳優の世界もやって。
また出演依頼がこれを見た人から殺到しますね。
なんか、そんな気がします。
うまく転身できたという感じですか。
今となってみればですけれども当時は7、8年、せりふがなかったので。
せりふがない役ですね。
皆さん経験することですけれども。
オリンピック選手だと注目されますけれども、あえてそれを出さずにということだったんですね。
はい。
あえてそれを言わないようにしていました。
どこまでもかっこいいですね。
ストイック。
そして今も俳優として活躍されていますが劇団四季はそのあと辞められてほかの舞台にも出られるようになります。
そのとき大きな転機になった作品があるそうです俳優としてです。
その作品は?辞めたあとに有馬稲子さんの事務所にお世話になってその事務所に水谷八重子さんがいらっしゃってずっとミュージカルの世界がほとんどだったんですけれども日本の新派という日本人が日本人の役をやるという難しさに衝撃を受けたという作品があって水谷さんと出会えたのが大きかったです。
「大つごもり」という舞台ですね樋口一葉の原作で。
水谷八重子さんがプロデューサーでありしかも演じてらっしゃるということで藤本さんが演じているのは明治の資産家の役。
石之助という役でした。
違った役柄ですね、今までと。
舞台の様子があります。
水谷八重子さんのナレーション、朗読で物語が進んでいくんですね。
そういうのがあるんだ。
水谷さんが樋口一葉になって進めていくというものですね。
左側が藤本さんですね。
資産家役ということですけれども役柄的には?品川の坊っちゃん役で。
最後に奉公人の女性がいるんですけれどもその女性を最後助けるという役だったんですね。
座り方1つから教えていただきましたよ。
角度があってとか少しクロスをさせてとかそこから教えていただきました。
すごく勉強になりました。
水谷千重子ではなくて水谷八重子さんですね。
音をすごく大事にされていて現代のことばと明治のことばでは昔から受け継がれている日本語の美しい音色を大切にされていて、ことばは上がったりするのではなく基本的に下がるんです。
最後は、語尾が下がるんです。
こまやかに。
間の取り方だったりそういうことを教えていただきました。
いい方に巡り会えましたね。
ミュージカルとは全く違った新しい舞台の世界を知ることになったんですね。
当時、水谷八重子さんが藤本さんのことをどう見ていたのかお話を聞いてまいりました。
こんにちは。
水谷八重子でございます。
なんでもかんでも自分で一生懸命なの。
一生懸命に練習しすぎちゃうから今度、人とかみ合うというのがすごく難しいことになるんです。
だから、もっといいかげんにやりなさいよ。
もっと自由に、いいかげんにやりなさいよということばかりを言ってたと思います。
お稽古しないで、ってお願いしたぐらいです。
はい、はい、って。
ああ、この返事してるうちは練習するな、また帰って。
そう思いながら、一生懸命そこをどうにか崩そう崩そうと思っていました。
テレビにお出になるようになってからしばらく拝見しなかったうちにひゅっとテレビをつけたらお父さん役で出てらしたの。
そのときに、あっ、変わった。
これ、練習じゃないな。
藤本さんがそこまでいろんなことの経験を積んでらした何かが出ているのかそれともこの役が合っているのか。
とっても練習した藤本さんじゃなかった。
それがとってもすてきに思えて思わず電話しちゃいましたけど。
ありがとうございます!ありがとうございます!って。
やっぱり昔の藤本さんと変わってませんでした。
ありがとうございます。
いやあ、うれしいですね。
まさかいただけると思わなかったので何か汗をかきました。
かえって選手と違って練習しすぎるのも。
コミュニケーションを取らないといけない1人ではいけない世界なのででも、ある程度のレベルにいくまで練習も大事なのでそのバランスですよね。
それがある日、取れたのをご覧になって、喜んでいらっしゃいましたね。
あるとき水谷さんの舞台をやって2、3年後に、時代劇をやらせていただくチャンスがあって水谷さんにそのときにメールを送ったんです。
おかげで所作やことばづかいなど勉強になって役に立っていますとそうしたら返事が返ってきてそんな甘い世界ではありません2、3年で習得できるものではありませんと返ってきてそういうこといただけるのはありがたいですね。
そして今もご活躍になっている藤本さんですが今夜スタートのNHKのドラマにご出演です。
それがBS時代劇「一路」。
浅田次郎原作の作品で父の死をきっかけに、19歳の主人公が参勤交代を任されます。
それが小野寺一路。
永山絢斗さんが演じます。
参勤交代の道中でいろんな物語が繰り広げられます。
藤本さんも参勤交代に随行していきます。
頼りないお殿様を渡辺大さん演じます。
父の死で、急きょ江戸から国元に戻ってきた小野寺一路。
しかし彼を待っていたのは思いもしなかった大役でした。
父・弥九郎の後継として江戸参府を立派に成し遂げよ。
あの…。
私が、でございますか?ほかに誰がおるというのじゃ?参勤交代を取りしきることになった一路は蔵役の佐久間勘十郎を訪ねます。
ここならば参勤交代の覚書が収められていないかと。
覚書?そんなものはここにはない。
そうですか。
作法が記してあるものを探しておりました。
出立まで、あと5日であろう。
それなのに作法を知らぬと申すか。
それにつきましては返すことばもありませぬ。
役立たずが!申し訳、ございませぬ。
佐久間は、参勤交代について全く知らない一路に厳しいことばを投げかけます。
わしが代わりたいくらいじゃ!さっさと腹を切れ。
それがお家のため。
一路を突き放した佐久間でしたが。
佐久間殿!きりっとせんかお主ら!お主ら、蒔坂家家臣であろう!かたじけない。
佐久間が加わりようやく動きだした参勤交代。
しかし、彼らの前にはさらなる試練が待ち受けているのです。
おもしろい。
今初めて見て。
おもしろそうですね。
藤本さん演じる佐久間蔵役という仕事をやっているわけですが役柄的にはどういう感じですか?小野寺一路がお父様が亡くなって参勤交代を任されていくんですがそのときに仲間に入ってくれないかと頼まれるんです。
蔵役なので。
蔵をまず燃やされてしまったんですね。
役人に対して憎んでいまして、最初は断るんですけれどもこの夢がかなわないのであれば私は腹を切ると一路が言うんですがその気持ちに心動かされて参加することになるんです。
頑固者な感じですよね。
とても難しそうな。
かなり怒っていますね、いつも。
怒っている感じで現場ではいるんですか。
なるべくほかの俳優さんとは距離を取るようにして先頭を自分が通っていかないといけないので会話することなく常に怒っている役ですね。
ご自身はいつもはそんなに短気ではないですよね。
作品によって変わってくると思います。
そんな藤本さん役柄的には参勤交代の行列の先頭、しかもよろい姿で引っ張っていくという役柄です。
よろいとかも着てみてどうですか。
かなり暑くてかつらをつけて衣装を着るまで1時間半ぐらいかかるんですよ。
後ろに内山君と武蔵さんが写っていますけど、それに比べるとかなり暑いのでしかも重いので。
お二人は足も出ていますね。
ロケ期間が6月7月暑くなるときで確かにいちばん派手で重そうですね。
陣羽織を着て、そういうことをやらせていただきました。
現場でよろいを着ていますがそんな藤本さんの体にあることが起こったそうです。
いったいどんなことが起こったんでしょうか。
お考えください。
メールをご紹介します。
大阪府の方からです。
藤本隆宏さん、こんにちは。
久しぶりの時代劇にわくわくしています。
藤本さんは胸板が厚くよい体格でいらっしゃるのでとびきりの侍ぶりを楽しみにしています。
ハートマーク。
胸板にぐぐっと。
ちょっと分からないですけれどもしょっちゅう言われるでしょ。
そんなに大きくないんですよ。
横が少なくて縦にあるのでそう言われてるのかもしれません。
神奈川県の方からです。
女性の方です。
「坂の上の雲」で大ファンになりました。
「ガラスの家」では藤本さんの味方で見始めたのですが話に引き込まれるにつれて、どんどん憎らしく見えたのも印象的でした。
トーク番組では藤本さんの人柄にほれぼれします。
「一路」楽しみにしていますといただきました。
「ガラスの家」で官僚役で奥様が井川遥さんで息子さんが。
永山君なんですよ。
今回は部下というか。
お兄さんが斎藤工君で取り合ったんですけれども奥さんを。
唯一仲のいい息子だったんですけどこの作品では常に衝突をしているという。
そこも見どころの1つかなと思います。
かつての息子とお父さんという関係とはまた違うんですね。
そうですね。
現場では、よろい姿の藤本さんいったい体にどんなことが起こったのか視聴者の皆さんの答えです。
いちばん多いのが真ん中。
3000近くあります。
汗でよろいが変色。
その次に多いのが記憶がなくなった。
いちばん少ないのが脱水症状です。
藤本さん答えは?どれも正解なんですけど初めての経験だったのが記憶がなくなったというか朝から夜までずっと撮影をやってそれがすごい暑い日で夕方ぐらいにきょうは何やったのかな?朝撮ったシーンのところが全く思い出せなくなってみんなすごく心配して。
でも自分では平気だったんですよ。
でも皆さんに助けていただかなかったら倒れていたのかなと。
記憶がなくなるぐらい。
熱中症、脱水症状になっていたのかもしれませんね。
そうかもしれないですね。
経験がないのでよく分からないんですけれども。
水をたっぷり浴びていましたよね。
はい。
水泳でね。
逆に記憶がなくなるぐらい集中していたということなんですか?そうなのかもしれません。
やっぱり役者さんの仕事は大変ですね。
いやいやスタッフさんのほうが大変です。
私たちより何時間も前に来て役者の方はそのあと1時間か2時間ぐらいあとに来ますからね。
何時間も前からスタッフさんはスタンバってるのでそんなこと言ってられないです。
記憶がなくなるぐらいの思いで挑まれているドラマは今夜スタートです。
見てください。
もう1つ、藤本さんご出演のドラマがあります。
放送90年ドラマ「経世済民の男高橋是清」の回にご出演です。
演じる役は?前田正名さんという役です。
高橋是清が留学をしたり経営に関することや経済に関するアドバイスをするんですけれども先輩役です。
それでは藤本さん、俳優として活躍されていますが実は水泳も欠かさずやってらっしゃるそうですね。
水泳は水泳でも指導してらっしゃるそうです。
時間があるときだけですけれども。
スイミングスクールで教えてらっしゃる。
どこまでも優しいですね。
そんなことないです。
指導の様子を取材しています。
本当に水泳の先生という感じで出席を取って。
好きに泳いでらっしゃるんじゃないんだ。
一応、先生をやっています。
でも自分のほうが癒やされるんですよね。
自分が小さいころの姿と重なったりしますか?そうですね。
始めたころは水に入るのが楽しかったので。
生徒さんたちに泳ぐ楽しみとか。
そうですね。
上達していく姿が見られるのは本当に幸せですよね、教えていて。
優しくて、プールもうまくてかっこいい先生。
プールがもっと上手になれそうでした。
かっこよかった。
知らない。
見たことない。
正直ですね。
子どもって残酷、見たことないって。
どのぐらいのペースでやってらっしゃるんですか、先生は。
月に4、5回ですね、行けても。
そんなにですか。
べったりではなく、1、2、3時間です。
子どもさんだけじゃなくいろんな年代の方も。
マスターズの方だったり障害を持っている方とか。
お坊さんとしゃべっているみたいです、なんか。
姿勢が、ちゃんとしています。
ちゃんと生きようというね。
悟りの世界ですね。
水につかる喜びというのは競泳選手とは違う喜びを感じてらっしゃるんですか、今は。
今、緊張して聞こえなかったです。
すいません違うことを考えていました。
競泳選手のときと水に入る感覚とはだいぶ変わってきているのかなと。
それは全然違いますね。
楽しめるようになってきたというかでもやっぱり水が好きなんだなと改めて。
癒やしの時間にもなっているという。
すごいですね、ビニールプールから大きくなった少年がこうやってね。
オリンピックに行って、そうしてまたね。
水泳を教えています。
それこそオリンピック選手が出てくるかもしれないですね。
この人生、ドラマになりそうですね。
有馬稲子さんが、事務所にいて木原光知子さんに手紙を書いてくださってそして今があるんです。
たくさんの方に助けていただいています。
少しお時間をいただきまして総合テレビ、このあとの番組をラジオテレビ欄からご紹介します。
夜10時歴史のお話です。
「ファミリーヒストリー」。
中山エミリさんのルーツについて。
ひいおじいさんがマルタ共和国ご出身です。
どんな歴史があったんでしょうか。
10時55分は「ドキュメント72時間」。
田んぼの中の古いホテルに男の人たちが集まっている。
古い自動販売機があったりゲームがあったりして、楽しんでいるホテルがあるそうです。
こちらもご覧ください。
おしまいに視聴者の皆さんから届いた質問、メッセージにお答えいただきます。
神奈川県の方からです。
藤本さん、質問です。
中2の息子は水泳が苦手です。
特に息継ぎが苦手らしく水泳の授業を25m息継ぎなしでクロールで飛ばします。
スピードだけはあります。
息継ぎをするとおぼれていますが何かいいアドバイスはありますか。
吸うことよりも吐くことを大事にしたほうがいいのかなと思います。
息をたくさん吸って、肺が浮き輪なので吸えば吸うほど浮くんですけどその前に吐いてあげることのほうが。
そうすると自然に空気が入ってきます。
メッセージもたくさん届いています。
トーク番組では初めて拝見させていただきました。
俳優さん、なんてたくましい男らしい方と見ていたんですがやはりスポーツマンだったんですね。
もの静かなお話をされている姿を見て、ますますファンになりました、応援しています。
東京都の方からです60代主婦の方です。
先生のご活躍にただただうれしく思います。
来月は久しぶりのライブ。
俳優だけでなく歌い手としてももっとご活躍されて、いいですね。
歌も歌っているんですね。
ピアノは弾けないんですけど歌もちょっと始めようかなと来月の頭に仲間と一緒に。
お忙しくされていてうれしい反面なかなかプールにいらしていただけないのがとても残念です。
たまには練習にいらしてください生徒さんですね。
福岡県の60代男性の方です。
「坂の上の雲」以来、藤本さんの地元、福岡から応援しています。
藤本さんに刺激を受けてしばらく中断していた水泳を去年から再開し毎週3000mから4000m泳いでいます。
今後はタイムに関係なく個人メドレーができることを目標にしています。
京都府の方からです。
「一路」の撮影では大変お世話になりました。
藤本さんのお芝居に対する情熱真面目さ、何よりも、謙虚な姿勢に心打たれました。
2か月に及ぶ撮影お疲れさまでした。
2015/07/31(金) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 藤本隆宏[字][双]
五輪選手から俳優へ! 時代劇「一路」で奮闘中!ゲスト:藤本隆宏 司会:伊藤雄彦アナ、清水ミチコ
詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】藤本隆宏,【司会】清水ミチコ,伊藤雄彦
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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