歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
今回はいよいよ戦国時代。
戦国大名というとみんなは誰の事を思い浮かべますか?う〜ん…私は…ああ上杉謙信さんね。
私は武田信玄とかが思い浮かびました。
武田信玄そこに来ますか。
私は…。
館長…戦国大名ってどういう人の事ですか?そこから来ますか!戦国大名というのは戦国時代に独立して自分の領地を支配した大名主の事ですね。
なるほど!じゃあ私は…織田信長来ましたか!私織田信長3回やってます長編で。
信長といいますと天下統一を果たそうとしたけれどもそれを目前に…。
(込山)館長?あっ。
信長は次の回でやるんでした。
(笑い声)今回は戦国大名の出現からです。
では早速今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…戦国大名たちが出現した時代です。
日本の歴史を大きく動かした戦い応仁の乱。
京都を舞台におよそ11年続いた戦い。
一体なぜ応仁の乱は始まり長きにわたって続いたのでしょうか。
そしてその戦いの結果は何をもたらしたのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…日本の歴史の一大転換点に迫ります。
戦国時代とても楽しみです。
まずちょっと確認しますけれどもそのころ幕府はどこにあったんでしたっけ?室町時代だから京都ですよね。
やりますね〜。
ところが幕府のある京都で大きな戦いが起こるんです。
応仁の乱といいますが知ってますか?聞いた事はありますけどどんな戦いでしたっけ。
そうなんですよね。
実は応仁の乱といわれても意外と難しい事件なんですよね。
じゃあ学びましょう。
それでは早速「三つの要」その一。
応仁の乱そのきっかけは将軍家の跡継ぎを巡る争いでした。
室町幕府八代将軍足利義政は子供に恵まれず将軍の跡継ぎを弟の足利義視と決めていました。
しかし弟を跡継ぎと定めた翌年義政と妻の日野富子との間に男の子が生まれます。
足利義尚です。
義政から次期将軍として定められた義視と息子を跡継ぎにしたい妻富子。
将軍家の跡継ぎの座を巡って義視と富子は激しく対立していきます。
一方このころ幕府の実権を握らんと有力守護大名の細川勝元と山名持豊が争っていました。
細川方は義視を山名方は富子・義尚を支援。
更に畠山氏などの跡継ぎを巡る対立も結び付き細川方と山名方2つの勢力が東西に分かれて京都の町なかに陣取りました。
そして1467年戦いが始まりました。
応仁の乱です。
近畿周辺の守護大名たちがそれぞれの側に加勢していきました。
京の都は20万以上の武士がひしめいたといわれています。
大名たちは陣地から敵を追い出そうと盛んに火を放ちます。
更に軽装で機動力に富んだよう兵足軽がそれぞれの陣営に加わり略奪や放火を繰り返しお寺や神社などにも被害が広がっていきます。
更に大名たちは地方における敵の領国に対しても攻撃を行っていきます。
長く続く戦乱の中それぞれの陣営の大将山名持豊と細川勝元が相次いで死亡。
そして1477年ついに勝敗がつかないまま応仁の乱は終わりました。
京の都は荒れ果てこの乱を平定できなかった将軍や幕府の権威は失墜してしまいます。
応仁の乱を境に時代は乱世戦国時代へと入っていきます。
11年も続いて京都の町のほとんどが焼けてしまったんですね。
そうなんですよ。
争いが延々と続いたのに決着もつかなかった。
何だかむなしくなりますよね。
そこで…1467年と覚えておきましょう。
戦いを収める事ができなかったから幕府も将軍も威張れなくなっちゃったんですね。
そうなんです。
これを見てみましょう。
京都の室町幕府は以前学んだようにこうなってました。
有力な守護大名の連立政権のような形で成り立っていましたね。
ですが応仁の乱によって将軍の権威が失墜してしまいます。
え〜。
そうですよね。
この守護大名たちはそれぞればらばらに自分の身は自分の力で守らなければならないというふうになってしまった訳ですね。
そして世の中は群雄割拠というふうになっていくんです。
ではその様子見てみよう。
「三つの要」その二。
応仁の乱のあとそれまでの秩序が乱れ新しいタイプの領主が現れます。
戦国大名です。
それまでの…しかし幕府の権威がなくなると…戦国大名たちはさまざまな形で生まれてきました。
その成り立ちは大きく分けて3通りあります。
守護大名がそのまま戦国大名へとなっていった者。
例えば…守護大名の家臣である守護代がのし上がっていった者。
更に各地の有力武士国人たちが同盟を結びその中から頭角を現していった者。
戦国大名は自分たちの領地を広げるためほかの戦国大名との戦いを繰り広げました。
合戦です。
戦国時代の合戦の中で最も有名なものの一つが武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦でした。
長野県北部にある川中島。
千曲川と犀川が合流する三角地帯です。
上杉謙信と武田信玄はこの地で1553〜1564年までに5回にわたって戦いました。
2人が争う事になったのは信玄が領地を広げるため信濃国に勢力を伸ばしてきた事が原因です。
信玄は川中島近辺までを支配下に治め更に謙信の領地に迫りました。
こうした信玄の動きに対して北信濃の国人たちが謙信に助けを求め謙信はこれに応えます。
激しかった時には一日の戦闘で両軍合わせて8,000人ともいわれる死者を出し戦国時代最大級の合戦となりました。
また戦いのさなか武田軍の本陣に攻め込んだ謙信が信玄に斬りつけ信玄が軍配で受け止めたというエピソードが伝わっています。
しかし2人の合戦はついに勝敗がつく事はありませんでした。
戦国大名たちはおよそ100年にわたって日本全国で戦い続けました。
守護大名というのは室町幕府から任命された大名。
戦国大名というのは幕府と関係なく実力で大名になった人たちでした。
実力さえあれば大名になる事ができる時代になったという事です。
じゃあ実力が全てという事ですか?そうなんです。
これを見て下さい。
これ「剋」という字は「負かす」「制する」という意味なんですが下の者が上に者に打ち勝つという意味なんですよ。
頑張って下の人が上に行けるって私たちの総選挙みたいですね。
(向井地土保)確かに〜。
あらっ下剋上。
へえ〜あなたたちの総選挙っていうのも考えてみれば大変な話ですね。
(笑い声)でも平和的な下剋上ですねある意味ね。
でも館長。
戦国大名たちが戦ったのは自分の領地を広げるためだけだったんですか?ちょっと自分勝手だと思います。
ああ〜。
戦国大名が戦ったのはどうもそれだけではなかったようです。
ちょっとこれを見て下さい。
戦国大名たちが戦った理由1つ目は新たな領地を得てそれを家臣たちに恩賞として与えるためなんですね。
2つ目は戦いに次ぐ戦いという状態にする事で家臣たちに下剋上する暇を与えないためです。
3つ目は経済的な理由なんですね。
領地を広げ農地が増えれば年貢が増える。
ほかにも港を手に入れれば交易も盛んにできる。
そうすれば経済が潤います。
これも大切な理由でした。
何か経営者みたいな立場でもあったんですね。
そうなんですね。
そこで戦国大名たちは自分たちの領地をより魅力的にしようと町づくりに励んでいきます。
「三つの要」その三。
戦国時代戦国大名たちは自分たちの領地を発展させるために町づくりを進めました。
戦国大名の居城を中心として町が生まれました。
これは現在の神奈川県小田原市にあった小田原城の当時の様子です。
城の周りに家臣や商工業者たちを集め更に鍛冶や大工など重要な職業の人々を住まわせ次第に大きな都市へとなっていきます。
小田原市には現在でも大工町や代官町という名前が残り当時の面影を残しています。
また水陸交通の発達によって港町や宿場町も栄え流通の拠点として発展していきました。
これは当時の港町堺の様子を描いたものです。
堺は日本各地だけではなく中国明との貿易の港となるなど外国からも人や商品が往来し日本有数の港町として栄えました。
またお寺や神社に多くの人が参詣した事から大きなお寺や神社の周囲に町が発達しました。
伊勢神宮の門前町には今も日本全国から多くの人が訪れ連日のようににぎわいを見せています。
室町時代から戦国時代にかけて全国各地にこのようにさまざまな町が現れそれぞれの地域で都市として発達していきました。
(向井地)全国にはたくさんの城下町がありますがこの時代に出来たものが多いんですね。
そうなんですね。
このころに日本各地でいろんな経緯で町が誕生していったんですね。
私戦国時代って戦ってばっかりだと思ってました。
町をつくるっていう事も戦国大名の大切な役割だったんですね。
そうなんですよ。
やっぱり戦ってばかりいるんじゃ御飯食べられませんからね。
あ〜。
どうやったら経済が活性化するかっていう事も考えていたようですね。
(3人)う〜ん。
我が女学館の特別講師本郷先生です。
(一同)よろしくお願いします。
先ほど城下町や門前町などの成り立ちを勉強しましたけど戦国時代の名残って結構あるんですね。
ええ。
今でもあるんですよ。
小京都って聞いた事ありませんか?ちょっと聞いた事あります。
名前は。
その小京都っていうのは戦国大名が自分の領国に京都と同じように作ろうというふうに思って作った町。
それが小京都って今言われてるんですよ。
応仁の乱が…戦いが終わって国へ帰った人たちが京都ってこんなすてきなとこよっていうんで作ったって事ですか。
そうなんです。
要するに京都の栄華京都のすばらしさそれを我が国にも作ろうそういう事で戦国大名が作るんですね。
僕らは今京都っていうと歴史的建造物古い建物だと思うでしょ?でもその当時の人は一番新しい建物。
そうなんです。
そこが一番大事なんですよ。
だから当時の人たちからすると一番新しい何て言うんだろうな…流行の最先端それが小京都なんです。
そうか。
新しい町作りをする時ってその時に一番はやってるものを見てあれと同じものを作ろうと思って…。
あんな巨大なものはできないけどそれに似たものを作るって事。
そういう事ですね。
僕は本当に面白いなと思うのは鉄道に乗って駅に降りるじゃないですか地方の都市に。
そうすると駅前に戦国大名の銅像がど〜んって建ってる。
そういうのよくあるんですよ。
一番有名なのだと山梨の…。
武田信玄像。
武田信玄さんが駅の前にいます。
(本郷)地元の方にね例えば「武田信玄」なんて言ったら怒られちゃうんですよ。
信玄さんとか信玄公と言わないと。
町の英雄。
そうなんですよね。
自分の町の顔みたいな…。
(本郷)そう。
顔ですね本当に。
考えてみると随分ひどい事されてると思うんですよ。
税金をごっそり取られたり。
だけどそういう事じゃなくて俺たちの町のリーダー俺たちの町の英雄そんな感じで捉えてるんですね。
(3人)へえ〜。
だからそういう人たちがいた中で今度は織田信長さんとか豊臣秀吉さんがまとめていこうとして国になっていくんですね。
それって次回じゃないですか?先走っちゃいました。
すいません。
ちょっとこれからが楽しみになってきましたね。
将軍家の跡継ぎ争いなどをきっかけにして…その結果…応仁の乱のあと新しいタイプの領主戦国大名が現れた。
ほかの戦国大名と戦いを繰り広げながら互いの領地を奪い合った。
戦国時代は城下町港町門前町など現在にもつながる都市が各地で発展していった。
2015/07/31(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「戦国大名」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
今回の舞台は室町時代後期。1467年に始まった応仁の乱は京都を焼き払いながらも結局勝敗がつかないまま終息した。将軍の権威は失墜し、室町幕府は有名無実化した。これを境に各地に新しいタイプの領主「戦国大名」が出現する。彼らは幕府の権威に頼ることなく、実力で領国を支配した。中には下克上によって大名となり、合戦によって領国を広げる者もいた。日本がどのようにして戦国時代となったのか、その過程を見つめる。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】東京大学史学編纂所教授…本郷和人,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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