ファミリーヒストリー「又吉直樹〜ハワイに渡った祖父の軌跡〜」 2015.07.31


では又吉さん最初のひと言何かご感想お願いします。
いやあの〜ほんとすごいびっくりしたんですけどとにかくうれしいです。
ありがとうございます。
芥川は恐らく僕みたいな髪形のやつ嫌いやと思うんです。
今までどおり芸人とりあえず100でやってでそれ以外の時間で書くというのをずっとやってきたんでその何やろ姿勢みたいなもんは崩さんようにしようと思ってます。
(セミの声)
(祖母)御飯ど〜。
は〜い。
たくさん食べてよ。
うん?
(虫の飛ぶ音)
(虫の飛ぶ音)直樹この家に来る虫はねおじいちゃんさ。
直樹が帰ってきたからおじいちゃんが見に来たわけさ。
(又吉直樹)英語が話せたとか…。
「何で英語しゃべれたん?」という素朴な疑問を投げかけたら「いやハワイに住んでたから」みたいな…。
「へぇ〜」って思いながら「おじいちゃんすごいな」という尊敬の…。
会うた記憶はないんですけど…。
恐らくですけどこんな…。
どういう人やったのか僕と似てる部分とかあったりすんのかなみたいな…。
なんかどっか似てるとこあったらいいなと思って。
番組では又吉直樹に代わり祖父宝善の人生をたどりました。
浮かび上がってきたのはこれまで誰も分からなかったハワイでの宝善の足取り。
やっとつかんだコックの仕事。
差別や偏見にさらされながらも仲間と助け合い懸命に生きてきました。
戦争の直前沖縄に帰った祖父宝善。
防衛隊として向かった伊江島での壮絶な戦い。
生きるか死ぬかの瀬戸際で命を救ったのはハワイでの経験でした。
祖父又吉宝善が人生を懸けて守ったものとは?貧乏している絞ってでも助けてくれました。
祖父の事を知る日がやって来ました。
訪れたのは又吉宝善が暮らした家。
確かに。
返す言葉がないです。
迎えてくれたのは直樹のおじおば。
又吉宝善の子供たち。
すごく緊張してます。
全く一緒。
ねえ。
楽しみやな。
子供の頃からずっと不思議だった祖父。
(祖母)直樹は宝善の生まれ変わりかもね。
お笑い芸人又吉直樹のルーツが今明らかになります。
又吉直樹さんが生まれ育った町です。
どうぞ。
(取材者)こんにちは。
みよ子さんは奄美大島已敏さんは沖縄の出身です。
二人は大阪で出会い結婚。
3人の子供に恵まれました。
直樹さんは末っ子の長男坊です。
1980年に生まれた直樹さん。
孫の誕生を祖父又吉宝善はとても喜びました。
こう。
似てへん?
(取材者)あ〜似てますね。
(取材者)見た目はどんな人ですか?おやじそっくりやんか思った。
宝善の写真を見せてもらいました。
写真は晩年のものしか残っていません。
自分の事をあまり語りたがらなかった宝善。
息子の已敏さんにとってもいまだに不思議な存在です。
1907年又吉宝善は父寳藏母マカの次男として生まれました。
しかし宝善が生まれた時そばに父親の姿はありませんでした。
宝善の父寳藏はどこにいたのか?外務省の古い史料の中にその手がかりがありました。
「海外旅券下付表」。
海外に渡る人々の旅券の交付日行き先が記されています。
又吉宝善が生まれる前の年1906年の記録の中に又吉寳藏の名前がありました。
行き先はハワイ。
貧しい暮らしから抜け出すための出稼ぎでした。
家族離れ離れの暮らし。
宝善は母マカの手で育てられました。
そして1924年16歳の時ハワイにいる父を頼って海を渡ります。
戦前に沖縄からハワイに渡った移民はおよそ2万人。
今も多くの子孫が暮らしています。
沖縄出身の日系人が集まる…ここで沖縄系移民の家系図作りに取り組んでいる人たちがいます。
メンバーは沖縄出身の二世三世です。
ハワイに着いた宝善が最初に向かった場所が分かりました。
ハワイ島のヒロ。
当時ここにはさとうきびの大きなプランテーションがありました。
父寳藏がここで働いていたのです。
しかし待っていたのは過酷な労働でした。
安い賃金に劣悪な労働環境。
そこに差別も加わりました。
特に沖縄からの移民は言葉や文化の違いから日系人の間でも差別されました。
過酷な労働差別や偏見にさらされながらハワイで宝善はどうやって生きてきたのか?ホノルルの図書館に所蔵されている住所録の中に名前を見つける事ができました。
「又吉宝善コック」。
プランテーションから飛び出してやって来たホノルルの町。
宝善はあるレストランで働き始めます。
店のオーナーは6歳上の兄寳傳。
一足早くハワイに来ていた兄が小さなレストランを営んでいました。
兄を頼ってホノルルに出てきた宝善。
英語が話せなかった宝善にできる仕事は皿洗いでした。
料理の腕を磨きながら英語も学びました。
今もホノルルには昔の雰囲気を残している沖縄系のレストランがいくつもあります。
宝善と同じように沖縄系のレストランで働いていたハワード高良さんとジーン金城さんです。
二人は沖縄出身の日系三世です。
貧しい暮らしの中で頼りとなったのは仲間そして家族でした。
当時沖縄からの移民には銀行がなかなかお金を貸してくれませんでした。
まとまったお金が必要な時には仲間同士で僅かなお金を持ち寄り工面しました。
宝善はこの町で仲間と助け合いながらハワイで生き抜くすべを身につけたのです。
実はそのころ宝善はハワイに小さな家族を持っていました。
聞いたのはおじいちゃんは実はバツイチやって僕のおばあちゃんと結婚する前にアメリカ人の人と結婚してアメリカ人の子供がおるというのは聞いたんですよ。
はい。
(取材者)どんどんミステリアスに…。
そうなんですよ。
「ほんまなん?」っていう…。
しかしその事を示す記録はどこにも見つかりませんでした。
ただひとつだけ確かな事があります。
それは子供がいた事。
名前はエミ子。
又吉宝善の最初の子供です。
沖縄の又吉家に生前宝善が記した直筆のメモが残っていました。
(浩美)何て読むんだろう。
(浩美)うちの屋号ですよね。
小さい時にいつも位牌の後ろの方に父が隠してあるのは知ってたんですよ。
いつもお仏壇掃除する時にこれがあったので。
位牌の後ろに大切にしまってあったメモ。
中には亡くなった家族の名前命日法事を行った日付が書かれています。
その中に「又吉エミ子」という名がありました。
昭和8年5月15日死去。
2歳でした。
そしてその5年後兄又吉寳傳も35歳の若さでこの世を去ります。
初めての子供そして頼りにしていた兄。
宝善は大切な家族を相次いで失いました。
兄の死後宝善は新たな仕事を求めてマウイ島に渡ります。
日系移民が経営する有名なパン屋がありました。
地元の人にパン屋の場所を案内してもらいました。
パン屋は町の外れにありました。
名前は「ナシワベーカリー」。
当時この辺りでパンが買えるお店はここだけでした。
店ではパンだけでなくアップルパイやまんじゅうも売っていました。
ここで住み込みでパンを作っていたという宝善。
今回の取材で沖縄の家族も見た事がない当時の写真が見つかりました。
パン作りの合間に撮られた写真。
写真の左端機械にもたれかかっている男性。
宝善はこのパン屋で働いた3年間稼いだお金をほとんど使わずにため込んでいました。
それには訳がありました。
「沖縄に帰る」。
そう決めていたのです。
娘を亡くし兄をも亡くした今ハワイにとどまる理由はありませんでした。
1941年5月22日宝善は17年間過ごしたハワイを後にします。
又吉宝善33歳。
真珠湾攻撃のおよそ半年前の事でした。
33歳。
直樹と一緒だ。
ハハハ…!あの写真32歳…。
すご〜い!見た事なかった?いや初めて!感激。
すごい!すごいね〜。
この格好この印象ね全然私聞いてもないし見てもないし。
今これ見て本当に感動的。
もう本当にかわいい…。
結構いい暮らしはしてたんだね。
たくましい。
でもこの耳とこの鼻と眉の感じ…。
こっちのへこんだ所ね目の下のへこんだ所。
初めて見た。
あの白髪しか見た事ないから。
この写真はなんかうれしいな。
一生見られへんかった写真やもんな。
ハワイにほんまにおったかどうかも半信半疑やったんですけど。
話でしか聞いてないから実際におったんやなあという。
なんかでもああいう記録でも宝善という名前が見れるとなんかすごいうれしいですね。
「宝善コック」とかね。
「やっぱりコックしてたんだ」って今確信持てましたからね。
皿洗いという情報もあったけどね。
(笑い声)1941年12月8日日本軍の奇襲によりハワイの港が炎に包まれました。
真珠湾攻撃です。
太平洋戦争が始まりました。
そのころ又吉宝善はふるさと汀間に帰っていました。
沖縄に戻って2年。
36歳の時宝善に結婚の話が舞い込みます。
相手は近くの集落に暮らす13歳年下の娘でした。
93歳です。
又吉家に嫁に来て70年。
孫は18人ひ孫は13人います。
(浩美)直樹が描いたおじいちゃんって。
(浩美)似てる?お母さんから見て似ている?
(浩美)耳はよく似てるね。
結婚して1年がたったころ二人の間に子供が生まれます。
男の子でした。
待望の長男。
宝定と名付けました。
しかし息子宝定が生まれて僅か3か月後の1945年3月宝善は召集されます。
アメリカ軍の上陸に備え17歳から45歳までの男子が防衛隊としてかき集められたのです。
又吉宝善37歳でした。
防衛隊行く時さお母さんに何か言ってた?うん。
子供の事。
子供の事なんて言ってたの?向かったのは沖縄本島の西に浮かぶ伊江島。
島の外れに石碑が建てられています。
「第五〇二特設警備工兵隊」。
又吉宝善が配属された部隊です。
宝善は島の各地につくられた地下壕に身を隠しアメリカ軍の攻撃に備えました。
(砲撃音)戦力に勝るアメリカ軍に対し防衛隊には竹槍や手榴弾しかありませんでした。
目の前で仲間たちが次々と死んでいきました。
宝善の頭に生まれたばかりの息子の顔がよぎりました。
「生きたい」。
しかし追い詰められ集団自決する人たちさえいたのです。
投降か?死か?その時英語の話し声が聞こえてきました。
壕の前で叫ぶアメリカ兵。
仲間たちはおびえていました。
しかし宝善にはそれが投降の呼びかけと分かりました。
そして壕の外へ出ます。
同じ伊江島で助かった…当時小学生だった満英さんが投降する様子がアメリカ兵によって撮影されていました。
そして戦争が終わりました。
生きて家族のもとに帰ってきた宝善。
しかし悲しい現実が待っていました。
家族の命日が書かれた宝善のメモです。
この中に長男宝定の名前があります。
1945年旧暦5月28日死亡。
又吉宝定1歳。
耳の辺りにできたおできが化膿し終戦間際に亡くなりました。
最愛の息子をみとる事もできなかった宝善。
言葉がありませんでした。
聞きたかったですね。
戦後アメリカの占領下に置かれた沖縄。
基地周辺の町はアメリカ兵でにぎわいました。
英語が話せる人には条件の良い仕事が回ってきました。
ハワイ帰りの宝善もまたその経験を生かし基地の中でコックとして働きました。
一人家族と離れての暮らし。
1946年5月そんな宝善のもとにうれしい知らせが届きます。
長女初美さんが生まれたのです。
又吉宝善38歳でした。
娘の誕生を機に宝善は基地の仕事を辞め家族のもとへと帰ります。
その後宝善が汀間を離れる事はありませんでした。
特技の英語を生かした仕事を辞めて宝善が選んだのは農業。
暮らしは貧しくても家族と一番長くいられる仕事でした。
ここでね特にさとうきび。
でこの辺は米だったかな?米とかさとうきびとか。
戦後宝善と千代の間には娘5人息子2人が生まれました。
7人の子供たちを育てるために必死で働いた宝善。
貧しい暮らしの中にも幸せがありました。
でもこう見とるとなんか…なんて言うの50〜60年前に宝善が作業やってるのちょっと浮かべると駄目だね。
じ〜んときますよ。
「ここでやっとったんだ」って感じで。
これは生前宝善が農作業の事を記していた手帳です。
1月2月になるとたくさんの人の名前が…。
さとうきびの刈り取りを手伝ってくれた人たちです。
助けてくれた人のために自分も懸命に働く。
大変な収穫をみんなで乗り切りました。
ハワイ時代沖縄出身の人たちに助けられた日々を生涯忘れる事はありませんでした。
そんな宝善の姿は今も汀間の人々の記憶の中に残っています。
とにかく貧しかった。
両方ともね。
(取材者)一緒に頑張ってきた?そう。
だけど又吉宝善さんにはねだいぶ助けられましたよ。
貧乏している絞ってでも助けてくれました。
こんだけです。
1981年12月17日又吉宝善は家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
これよこれ。
千代さんの一番お気に入りの写真。
それは大阪の已敏さんの家に行った時二人で写した写真でした。
「お父さんと一緒にいてどんな人だった?」って。
ハワイ行って戦争も行って…。
見てたらやっぱりちょっと想像を絶するというか…。
生きててくれてよかったなって本当に思いますね。
本当生きる事も大変やった時代なんやなって見てて思いましたね。
でもみんなにおじいちゃんが好かれてるのを見るとすごいうれしいですけどね。
優しい人やったんやと思って。
いや〜本当感動。
(初美)いたらもっとよかったなと思いますね。
もうあっち行って聞くさ。
(笑い声)細かい事はね。
聞いてから直樹に連絡するよね。
おばさんなんかが早いから。
(初美)喜んでるよ。
ありがとうね直樹。
いろいろ分かってよかったなあ。
実は直樹さんは一度だけ祖父宝善に会った事があります。
その時宝善は病に伏せっていました。
(みよ子)あの時は1歳と何か月かだったんよ。
だからその時に直樹を見て脚をさすってたんですよ直樹の。
宝善が亡くなったのはその4か月後の事でした。
(取材者)お父さん今直樹君を見たらなんて言いますかね?まあ…見せたかった…。
満月の夜又吉家にエイサーがやって来ました。
今宵はお盆の最終日ウークイ。
汀間では地元のエイサーが各家を回ります。
お盆に帰ってきたご先祖様と最後の夜。
家族が集まりにぎやかに過ごします。
千代さんも御機嫌です。
最後は家族みんなでご先祖様を送り出します。
おじい帰るってよ。
今日はどうもごくろうさん。
ありがとうございました。
又吉宝善がハワイから帰ってきて72年。
家族はこんなに増えました。
今年は宝善の三十三回忌。
年末にはまた家族が集まります。
そして直樹さんは宝善の墓へ。
似てるとこあったらいいなと思ってて…。
でもいろんな人に優しかったとか言われてたじゃないですか。
そうありたいなとは思ってるんで。
これから似せていこうかなとは思います。
ふだんは神様やったけど酒飲んだら鬼やったみたいな。
それ聞いたら僕自分のおやじの事思い出して。
僕おやじともよく似てると言われるんで。
それもまた悪口言うなとかみんな言うてましたけど僕からしたらほっとする話というか…。
すごい人間的な…。
そうやったんやとうれしかったですけどね。
フフフ。
なめる程度でええ。
すごい強い酒ですね。
こればっかり飲んでた。
より…より一層家族を大事にしようと思いました。
あとまあおばあちゃんにも言われてるのですがいつか結婚をできたらいいなと思います。
2015/07/31(金) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「又吉直樹〜ハワイに渡った祖父の軌跡〜」[字][再]

祖父・宝善は戦前、ハワイに渡っていた。戦争直前、故郷・沖縄に戻ったが、詳しい話をしないまま亡くなった。祖父はハワイで何をしていたのか。その謎が、明らかになる。

詳細情報
番組内容
芥川賞受賞の芸人、又吉直樹。ルーツに原点を見つめる。2013年11月放送のアンコール。祖父・宝善は戦前、ハワイに渡っていた。戦争直前、故郷・沖縄に戻ったが、当時の話をしないまま亡くなる。ハワイで何をしていたのか。家族にとって、ずっと謎だった。取材を通じて、当時の仕事が判明、これまで無かった若い頃の写真も見つかった。さらに戦争中、祖父がとった行動が、多くの命を救っていた。祖父の生き様が浮かび上がる。
出演者
【出演】又吉直樹,【語り】余貴美子,大江戸よし々

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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