ファミリーヒストリー「中山エミリ〜ルーツは地中海・マルタ島 日本への帰化〜」 2015.07.31


地中海に浮かぶ…中世に建てられた石造りの町並みが世界遺産になっています。
かつてイギリス領だったこのマルタ島から今から119年前の明治29年日本にやって来たこの男性。
その後英語教師を務め天皇から勲章をもらっています。
実はある女優の曽祖父に当たるのです。
飛行機にひかれちゃいますね。
デビューは16歳。
明るいキャラクターで一躍人気を博します。
そんなエミリさんは曽祖父についてほとんど知りません。
エミリさんはイギリス人の曽祖父の影響をだけ受けています。
現在妊娠中のエミリさん。
自分のルーツを知っておきたいと思うようになりました。
番組ではエミリさんに代わり家族の歴史を追いました。
地中海マルタ島。
教会に掲げられた宗教画。
そこには曽祖父の一族が描かれていました。
名門の家に生まれながら単身日本に渡った曽祖父。
その遺品がマルタの親戚の家に保管されていました。
近代化にひた走る日本。
曽祖父は若者の教育に情熱をささげます。
そして…当時36歳のイギリス人が出会ったのは16歳の美しい女性でした。
えっ?やがて家族は戦争に飲み込まれていきます。
敵国の人間として白い目を向けられました。
そこで決断したある選択。
「帰化の件許可セリ」。
そして祖父が夢を求めて向かった満州。
しかし引き揚げ直前に味わった厳しい現実。
この日中山エミリさんは家族のルーツと初めて向き合う事になります。
はいおじゃまします。
中山エミリさんは自分のルーツについて聞いた事がほとんどありません。
長年親戚と疎遠だったため聞く機会がありませんでした。
曽祖父について知っている事もごく僅かです。
曽祖父の写真もこの一枚しか見た事がありません。
日本にやって来たイギリス人の曽祖父ロジャージュリアスイングロット。
その人生をたどります。
地中海に浮かぶ島国マルタ共和国。
東京23区の半分ほどの面積で人口は42万。
中世の要塞都市バレッタ市街など3つの世界遺産があります。
人口の90%以上がカトリック教徒です。
地元の人に「イングロット」という姓を知っているか尋ねてみました。
通りの名前にまでなっているイングロット家。
一体どんな一族だったのでしょうか?手がかりを求め向かったのは地元のコスピークア教区教会。
ここには中世の頃からこの教会で洗礼を受けた100万人以上の名前が残されています。
ロジャーイングロットを探してもらいました。
ロジャーは1871年5月6日に洗礼を受け父が医者だった事が記されていました。
教会の正面に飾られた絵。
聖母マリア受胎の絵。
実はイングロット家の人たちがモデルになっています。
マリアの顔のモデルはロジャーの兄の妻。
天使もイングロット家の子供たちでした。
そしてある親戚が見つかりました。
日本で言えば日銀。
ロジャーの兄ジャンイングロットのひ孫です。
ロジャーが日本に行っていた事は知っていました。
ボニーチさんがイングロット家の歴史を教えてくれました。
イングロット家は17世紀までイギリスの地方都市ノリッジで暮らしていました。
それが18世紀初頭マルタにやって来ます。
そんなイングロット家でエミリさんの曽祖父ロジャーは12人きょうだいの末っ子として育ちます。
140年前の選挙名簿が見つかりました。
ロジャーの父ポールイングロットの名前がありました。
オラトリオ通り39番地。
かつてロジャーの家族が暮らしていた家です。
あっ39です。
これですね。
Hello!現在の住人が家の中を案内してくれました。
19世紀初頭に建てられたこの建物は第2次世界大戦で一部被害を受けましたが改修を重ね200年以上使われています。
屋上に上がると…目の前に現れるのがマルタの港です。
そして1769年に創立された…ここにロジャーの在学証明書が残されていました。
当時マルタには多くの外国人がやって来て世界各地の話を耳にします。
1869年スエズ運河が開通するとヨーロッパとアジアを結ぶ航路の寄港地になりました。
親戚のマリアンヌさんは母親からロジャーの事を伝え聞いています。
当時ロジャーは相次いで父と母を亡くしました。
そしてマルタを離れる事を決心します。
1896年ロジャーはマルタを後にします。
スエズ運河を通りおよそ1か月後。
船を乗り換えるためインドのボンベイに立ち寄ります。
そこでこんな話を聞きました。
「日本に行けば英語教師の仕事がある」。
時は日清戦争の2年後。
大国清を破った小さな島国日本の名が世界にとどろいていました。
横浜港に到着します。
ロジャーこの時25歳でした。
ふ〜ん。
は〜っ…。
明治29年日本にやって来た…築地のカトリック教会を通じて英語教師の仕事を探します。
するとある人物がロジャーに直接会いに来ました。
この時の事をロジャーの長男の息子で孫の登摩が記しています。
「上京していた加納鹿児島県知事と知合った」。
開校したばかりの…後の鹿児島大学の英語教師になってほしいとの申し出でした。
英語教育の歴史に詳しい…東京国立公文書館にロジャーの採用記録が残されていました。
文部大臣西園寺公望総理大臣伊藤博文の名が記されています。
ロジャーは好待遇で迎え入れられました。
ラフカディオハーン…明治30年ロジャーは鹿児島に赴任します。
鹿児島県立図書館に残された「郷土人系」。
鹿児島とゆかりのある偉人をまとめた本です。
当時のロジャーが語った言葉が書かれていました。
「世界に誇るわが英国艦隊を敗退させた薩摩人をひと目拝見したい」。
1863年文久3年の薩英戦争でイギリス海軍は薩摩藩の激しい攻撃を受け撤退を余儀なくされています。
祖父ロジャーの英語の授業のやり方について伝え聞いています。
それでもロジャーは日本の学生の向学心の高さに驚かされます。
ロジャーは日本が気に入ります。
当時和服姿で記念写真も撮っています。
あっという間に4年が過ぎました。
その後ロジャーは一旦マルタに帰国します。
実はこれには理由がありました。
「いずれ日本に永住すべくこのあたりで身辺整理をするために一応帰国を考えた」。
明治35年ロジャーは再び日本にやって来ます。
そして英語教師の職に就きます。
岡山の関西中学や岡山商業学校で教壇に立ちました。
岡山に来て数年がたったある日。
ロジャーは教会である女性に一目ぼれします。
まだあどけなさが残る美しい女性でした。
中山安乃16歳。
エミリさんの曽祖母に当たる女性です。
曽祖母安乃とはどんな女性だったのでしょうか?戸籍によると中山家が暮らしていたのは島根県松江市。
中山家の本家は現在保育園を経営しています。
ごめん下さいどうも。
そしていとこの…2人は安乃の妹ハルノの孫です。
晩年の安乃には何度か会った事があるといいます。
私の祖母と安乃さんと並んでいる写真でございますね。
今回の取材で見つかった若い頃の写真を見せると…。
えっ?大正12年に書かれた中山家の記録が見つかりました。
松江の郷土資料館の学芸員西島さんに見てもらいました。
(西島)そして禄を三百石を賜りと書いています。
それが江戸時代の初め中山家は武士をやめ塩問屋になっています。
そんな家に生まれた安乃。
小学校を卒業すると親元を離れ岡山の女学校に入学します。
(扉が開く音)するとそこで運命の出会いが訪れます。
英語教師をしているイギリス紳士。
ロジャーイングロットでした。
一目ぼれしたロジャーから熱烈に求婚されます。
そんなロジャーの情熱に安乃もひかれていきました。
そして結婚の許しを請うため松江の実家に向かいました。
何考えてるんだ!お前は自分の言ってる事が分かってるのか!当時珍しかった国際結婚。
安乃は親の反対を押し切りロジャーと結婚します。
その時の結婚証明書が教会に残されていました。
20歳の年の差でした。
すごい…!始まった結婚生活。
ロジャーは片言の日本語で意思の疎通を図りました。
晩年の2人を覚えています。
安乃が書いたレシピが孫の渡辺さんの家で見つかりました。
今から100年以上前明治40年ごろ書かれたものです。
見ますとこの…安乃はロジャーのため神戸のホテルからシェフを呼び寄せ洋食の作り方を教わりました。
西洋料理の歴史に詳しい佐藤月彦さんにレシピにあった「はとのパイ」を再現してもらいました。
「鳩三羽ハム三キレバター十匁」。
「ふくれるねり物をかぶせて一時と十五分やくベシ」。
多分…どっか外に食べに行かないと食べられない料理だと思います。
その後ロジャーは英語教師としての高い実力が認められ鹿児島奈良など各地の学校に招かれました。
昭和2年にはそれまでの功績が評価され勲章が授与されます。
こちらの…。
(取材者)ロジャーさんがもらったもの…?そうですそうです。
初めて日本にやって来てから30年余りが過ぎていました。
そして昭和4年。
ロジャーは京都舞鶴にやって来ました。
海軍機関学校の英語講師として招かれたのです。
ロジャーの写真が残されていました。
こちらにイングロット教官がいます。
軍艦などのエンジニアとなる学生たちに英語を教えました。
当時学生たちが学んでいたのは欧米の造船学。
そのため英語で書かれた教科書を読み解く力が必要だったのです。
更にロジャーは英語だけでなく食事のマナーやスピーチの方法なども教えました。
海軍機関学校では10年間教壇に立ち続けました。
この事が高く評価されロジャーは昭和14年2回目の勲章をもらう事になったのです。
ロジャーと安乃の間には4人の子供が生まれます。
子供たちは皆イギリス国籍でした。
大正4年三男として生まれたのがジョージ。
後のエミリさんの祖父です。
ロジャーは自分の子供たちの英語教育にも熱心でした。
しかし三男のジョージだけはなぜか身が入りません。
ほとんど英語をしゃべろうとしませんでした。
見た目を気にしていたジョージは「外国人」と呼ばれないよう日本人の友達を作ろうと必死でした。
ジョージの長男でエミリさんの父重治さんが当時の事を聞いています。
ジョージが通っていた舞鶴中学時代の親友松本孝吉。
その長男の一寛さんがこんな事を伝え聞いています。
笑い話なんですけど…。
舞鶴中学を卒業した昭和10年ジョージは…現在の早稲田大学の理工学部です。
日中戦争が始まると日本の中国進出に反発する欧米諸国との対立が深まります。
すると国内で「反英運動」が巻き起こります。
そんなある日ジョージは道を歩いていると石を投げつけられました。
「敵国人は出ていけ」。
更に特高に尾行されスパイの疑いもかけられます。
「日本で生まれ育ち日本しか知らない自分がなぜ」。
父や兄たちもまた「敵国人」と呼ばれ苦しい立場に立たされていました。
そして昭和15年一家は決断します。
イギリス国籍を捨て日本に帰化する事にしたのです。
姓は母安乃の「中山」。
ジョージをこの漢字表記にしました。
間もなく太平洋戦争が開戦。
昭和17年早稲田大学を卒業した烝治はある会社に就職を決めます。
中国東北部旧満州の電話やラジオなど通信を管轄する国策会社でエンジニアとして働く事にしました。
ここを選んだのにはある理由がありました。
やって来たのは満州国の首都新京。
街には中国人や日本人の他にロシア人も暮らしていました。
満州電電の本社は街の中心部にありました。
現在も残る当時の建物。
満州の電話や電報の普及を進めラジオ放送も担っていました。
当時アナウンサーだったのが烝治の早稲田大学の先輩でもある…烝治はエンジニアとして電波塔の建設や保守を担当します。
そのころ山形から働きに来ていた大澤八重子と出会い結婚します。
エミリさんの祖母です。
しかし昭和20年8月9日ソ連軍の侵攻により満州の日本人たちは大混乱に陥ります。
そして終戦。
そんなさなかの昭和20年9月長男重治が生まれます。
エミリさんの父です。
烝治は妻と乳飲み子を抱え引き揚げ船が出るのを待つしかありませんでした。
そして昭和21年2月。
ついに引き揚げ船が出るとの情報が入ります。
新京からおよそ550キロ離れた葫蘆島まで列車で向かう事になりました。
当時中国国内では内戦が始まり移動には大きな危険が伴いました。
まだ1歳にも満たない重治を無事に連れて帰る事ができるのか。
その時の緊迫した状況を重治さんは母から聞いています。
「家族3人で絶対帰ってみせる」。
無蓋車で途中何度も停車しながら引き揚げ船の待つ港葫蘆島に向かいます。
無事到着した葫蘆島は日本人でごった返していました。
ところが乗船の手続きをしようとしたその時。
烝治だけ乗船を拒まれます。
戦後烝治と会社の同僚だった片寄さん夫妻がこの時の事を聞いています。
妻八重子が烝治を自分の夫で間違いなく日本人だと主張し間一髪で乗船を許されたのです。
親子3人はようやく佐世保にたどりつく事ができました。
その後家族は東京で暮らし始めます。
烝治は銀座にあった電気機器の会社に就職しました。
工場などの漏電を探知する機械の開発に携わります。
当時の同僚片寄さんは黙々と働く烝治の姿を覚えています。
日本で生まれ育ったにもかかわらず見た目ゆえに日本人として扱われなかった烝治。
自分の生い立ちやイングロット家について話す事はありませんでした。
しかしそんな烝治が1つだけこだわっていた事があります。
それは常にダブルのスーツを着る事でした。
昭和53年烝治が63歳の時孫のエミリが生まれます。
そしてエミリは16歳で芸能界にデビュー。
最初の仕事は雑誌のグラビアでした。
だからそういうそのなんて言うんですか…ところがその1か月後烝治は突然自宅で倒れ静かに息を引き取りました。
79年の波乱に満ちた人生でした。
エミリさんの曽祖父ロジャーイングロットのふるさとマルタ島。
住宅街の一角にある墓地に日本とのつながりを示すある墓碑があります。
大正7年に建てられた旧日本海軍戦没者の墓。
第1次世界大戦の時日本海軍はマルタ島沖でオーストリア軍の潜水艦の攻撃を受け日本兵59人が戦死しました。
そして墓碑が建てられて13年後の…日本海軍の軍人たちが献花のためマルタを訪れました。
その時の貴重な映像です。
実はこの一行の中には舞鶴の海軍機関学校でロジャーに英語を教わった若き士官たちが含まれていました。
彼らはこの時世話になったロジャーの実家に挨拶をしたいと町じゅうを探し回りました。
その時の事が今もマルタの親戚の間で語り継がれています。
昭和25年ロジャーは戦争中に疎開し移り住んでいた山口で78年の生涯を閉じます。
明治35年に再び日本にやって来てから48年間マルタ島に帰る事はありませんでした。
マルタ島の親戚の家。
ここに日本から届けられたロジャーの遺品が残されています。
昭和14年日本で長年英語教育に貢献し勲章を授与された時の賞状です。
ロジャーの日本での功績は今も語り継がれています。
ロジャーのひ孫であるエミリさんの写真を見てもらいました。
そしてマルタ中央銀行の総裁で親戚のヨセフボニーチさん。
ああこれ?どうぞ。
中山エミリさんの「ファミリーヒストリー」。
そこにはマルタから遠く離れた日本で力強く生き抜いた家族の歴史がありました。
男の子だったらじゃあ「ロジャー」にします。
男の子だったらロジャー君候補に入れておこうかなと。
2015/07/31(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「中山エミリ〜ルーツは地中海・マルタ島 日本への帰化〜」[字]

エミリさんの曽祖父は、イギリス領マルタから明治時代に来日した。しかし、そのルーツや人生についてほとんど分からなかった。世界史の中で強く生きる家族の姿が明らかに。

詳細情報
番組内容
エミリさんの曽祖父は明治時代、イギリス領マルタから日本にやってきた。しかし、そのルーツや人生は、謎に包まれていた。明らかになるのは、マルタで有力な一族だった曽祖父の家柄。さらに、日本で英語教師として情熱を捧げた日々や、20歳年下の日本人女性を妻に迎え、家族を築いていく姿だった。そして、戦争に巻き込まれる中、家族は日本人に帰化する決断をする。初めて知る家族の真実に、エミリさんは涙を流した。
出演者
【出演】中山エミリ,【語り】谷原章介,細谷みこ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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