痴呆症や認知症が進むと、老人は夜になると目の色が変わります。
昼と夜が逆になり、あるはずのないモノが存在するようになるのです。
叔母が認知症を患っていたときは、毎夜、私の家では祭りが執り行われていました。祭りと言っても、楽しいモノばかりではありません。
叔母は骨粗しょう症のせいで、腰骨の骨折が慢性化していました。本来なら何らかの処置をするべきところでしたが、腎臓が悪いために何の処置もできず、ベッドから下りることも、歩くことも這うこともできませんでした。
手術をすれば間違いなく、腎臓透析が必要となり、腎臓透析よりは腰の骨が砕かれた状態のほうが、まだましだと言うのです。
何年もそういう生活が続き、やがて認知症を患い、それがどんどん進行していったのです。何の知識もなかった私はどんな対応策も取らず、ずるずると地獄のような毎日に、引きずられていきました。
もちろん本人も地獄です。でも私も地獄でした。
「認知症と悪魔と、夜中にかかってきた、病院からの電話」の続きですが、この記事だけでも完結しているので、問題はありません。
叔母は昼間はずっと寝ていました。大人しいもんです。ところが夜になると起きだして、枕をわきに挟んで、まるで太鼓でも叩くような調子で私を呼ぶのです。
「兄さん、兄さん、怒ってるね、怒ってるね」などと言いながら、私を囃し立てます。いくら言っても騒ぐのをやめません。言えば言うほど、お祭りはエスカレートしてしまいます。
私は叔母のそばに、朝まで付き添うしか仕方ありませんでした。近所迷惑どころの騒ぎではなかったのですが、幸い、私の家は隣との距離があったので助かりました。
「兄さん、兄さん」叔母は祭りの最中、私のことをそう呼びます。
蛍光灯の黄色い灯りの下で、私と叔母と、心配した長女がどうしようもなく悲しい祭りに興じるわけです。今では叔母も長女もこの世にはいませんが、私はあの当時のことを死ぬまで忘れることはないでしょう。
若い頃は冗談ばかりで生きてきたように思います。
今までの人生には楽しいこともたくさんあって、ときたま訪れる悲しみに傷ついたつもりで黄昏るのが関の山でした。
けれどもあのときの祭りには、まったく救いはありませんでした。
苦しくて悲しくてどうしようもなくて、内臓が千切れるほど腹に力をいれたとしても、その悲しみを和らげる手段にはなりませんでした。
どんなにお金があったとしても、認知症の介護から完全に逃れる術はあり得ません。心の片隅に残っている肉親への愛情が、体中をむしばむがん細胞のようになって、患者や介護者の一番、柔らかい部分を、とことんまで苦しめるのです。
長女はいったいあの光景を、どんな風に記憶にとどめたのでしょうか。今となっては聞きようもありません。
私にとっては未来永劫、あの場面は悪夢です。蛍光灯の灯りの下で、私を呼ぶ叔母の姿が生々しく記憶に残っています。声までが執拗に、私の神経をなぶるのです。
「兄さん、兄さん」
あれは運命だったのかと、ときおり私は自問自答しますが、そうではなくて、私の無知がもたらした不幸だったのかもしれないと、今では思っています。
痴呆症や認知症の初期症状は人によってさまざまです。
私の叔母の場合は「家の中にネコがおる」と言い出して、それから頻繁に幻覚を見るようになりました。
実はあのころが、ターニングポイントだったのかもしれません。あれ以前に何らかの処置をするべきだったと、今では後悔しています。
認知症の身内を介護する場合はおそらく、たいていの人が想像するよりも、もっと過酷で、予想もしない場面に日々遭遇することになるでしょう。
介護士に世話を任せればよいと、思っていませんか? 施設に入居さえすれば、それで身内は介護から解放されると軽く考えたりはしていませんか?
訪問介護で介護士の世話を受けて問題ないような老人は、痴呆症や認知症の初期段階の患者さんです。身内の人でも、それほど苦労もなく介護ができるでしょう。
問題は症状が進行してきたときに起こるのです。
それでは看護施設はどうでしょうか?
こちらも初期段階の比較的軽い痴呆症や認知症の患者さんなら、世話をしてくれる施設はたくさんあります。ただし家で手におえないような症状が出てきた患者さんの場合(徘徊や攻撃性)当たり前のことですが、家庭で面倒見きれないものが、施設だからと言って大人しくなるわけではないのです。
入所当初の誓約書のたぐいにも、他の利用者さんの迷惑になるような行為があった場合は、すみやかに退去するようにとの文言が必ずあるはずで「もう面倒見きれません」と言われるのは確実です。
しかしこれはあくまでも、体に異常がない認知症の患者さんの場合です。
介護施設に入居していても、体に異常が出てくれば、施設を追い出されて病院へ入院する必要に迫られます。
私の叔母は腎臓を患っていたために、老人施設では治療を受けられませんでした。だから普通の病院へ入院する必要があったのです。
ところが普通の病院では、認知症の患者を介護しながら治療する、なんていう離れ業をこなしてくれるようなところは皆無です。端から「認知症患者さんの入院はお断り」という看板を出しているところもあるのが現状でした。
ただでさえ人手不足の看護師さんです。ひと時も目を離すことができない認知症の患者さんの世話を、介護にはほとんど素人の看護師さんが対応すること自体、無理があると言われれば返す言葉もありません。
実際に私の叔母は、何度も病院を追い出されそうになりました。
痴呆症や認知症が重度まで進むと、自分の家で、しかも身内が、いつ終わるともわからない介護と、必死な思いで向き合うしか、道は残されていないのです。
一つあるとすれば、精神病院へ入院させることでしょうか。
私も切羽詰まって一度、考えたことがあります。しかしながら窓に鉄格子の入った部屋に、大事な身内を閉じ込めることに抵抗を感じない人はいないでしょう。私の叔母のように他の臓器も患っている場合は、それも難しいかもしれませんが――。
とにかく底なし沼です。
テレビでよく見かける、痴呆症の可愛いお年寄りなんていうのは、認知症がそこまで進んでいない患者さんか、もしくはシナリオライターの妄想でしかありませんので、どうにかなるなんて安易に考えては絶対にいけません。
痴呆症や認知症が進んでしまった場合、決してどうにもならないのです。
ただしアルツハイマー型認知症なら、現在は薬で予防することが可能です。
予防することによって、発症を遅らせることができるというのは、まさしく朗報です。発症してしまうと、直す方法は現段階ではありません。だからこそ、早めに病院へ通う決心をぜひ、するべきです。
ある程度の年齢になったら病院で認知症の検査と、予防を行うことが、辛い辛い毎日を回避する唯一の手段だと言えます。
五年間、発症を遅らせることができれば、かなりの人が認知症を経験せずに安らかな眠りにつけると言われています。
決して後手に回らないことが、認知症に対するときの対処法です。
幻覚を見るようになってからでは、もう遅いのです。
くれぐれも後悔しないように、早めの対策を考えてください。
私のように、死ぬまで悪夢にうなされるような人生を送らないために、細心の注意を払うことをおすすめします。
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