NHKアーカイブス「すべては乱歩から始まった〜日本ミステリーの父 没後50年」 2015.08.01


世界的なアニメーション作家宮崎駿監督が館主を務める美術館です。
ここで今宮崎監督の発案である企画展が開かれています
展示されているのは大きな時計を載せた奇妙な建物
監督が愛した作家の小説をモチーフにしています
その本を書いた作家とは…日本ミステリーの父江戸川乱歩です

今年没後50年を迎える江戸川乱歩。
日本のミステリーの礎を築いた巨匠です。
その作品は現在でも多くのファンを魅了しています
暗号や巧妙なトリック名探偵の活躍そしてラストのどんでん返し。
乱歩の作品にはミステリーの魅力がぎっしり詰まっています
NHKには江戸川乱歩の足跡を乱歩が生きた時代の映像や残された本人の肉声などからたどった番組があります
乱歩は当時最新の流行を作品に取り入れ大衆が求める娯楽作品を次々と発表するようになります。
「屋根裏の散歩者」では天井の節穴から毒薬をたらして殺人を犯すというトリックが使われています。
乱歩さんがこの天井を開けてのぞいてはったような事を聞いてるんですけれども。
あの節穴からピストルを撃ったらどうなるかと。
屋根裏からピストルを撃ったらどうなるかというような事を考えてたらねそれがピストルがだんだん毒薬に変わったという事でね。
一方で乱歩は数々の探偵小説賞を創設するなど後進の育成にも力を尽くしました
探偵小説に生涯をささげた江戸川乱歩。
乱歩が育て花開いた日本ミステリーの魅力に迫ります
こんにちは。
江戸川乱歩といいますと子どもの頃に読んだ「怪人二十面相」など私たちにとりましては懐かしいミステリー作家です。
その乱歩が亡くなって今月でちょうど50年になります。
今日は本格ミステリー作家としてまたミステリーを広めた功労者としての乱歩の功績を見てまいります。
ではゲストの方ご紹介致しましょう。
ミステリー作家の綾行人さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
大変な夜型でいらっしゃるそうですけれどね。
そうです。
乱歩さんと同じです。
今日は時差を調整してお越し頂きました。
そしてアイドルグループカントリー・ガールズのももちこと嗣永桃子さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いしま〜す。
嗣永さんは大のミステリーファン。
中でも綾さんのファンで…。
そうなんです。
だから今日はこうやってお会いできてすごく光栄です。
ありがとうございます。
早速ですが綾さんの乱歩との出会いというのはいつどのようなものだったんでしょうか?あの〜強烈な原体験としてあるんですけれども小学校4年生の3学期だったと思うんですが「少年探偵団」でした。
「妖怪博士」という本だったんですけれども。
こんなに面白いものが世の中にあるのかぐらいの興奮を覚えた記憶がありますね。
それで読みあさりましてその後1年ぐらいしてもう自分はこれを書く人になるんだというふうに思ったぐらいでした。
それぐらいの影響が…。
だから江戸川乱歩はやっぱりルーツですね。
で嗣永さんはミステリー作家の作品の解説を書くくらいのミステリーファンだというふうに伺っていますが…。
そうなんです。
江戸川乱歩は読んでいました?もうそんくらいミステリー好きって公言しているにもかかわらず実は見た事がなくて。
もちろん名前は存じ上げてはいたんですけれどもなくて。
でもこれを機にですねデビュー作の「二銭銅貨」見まして…。
読んだんですね?「すご〜い!」ってなりました。
詳しい感想は後ほどゆっくり伺いますけれども…。
今じゃ駄目ですか?ひと言だけ聞かせて頂けます?う〜んすばらしかったです。
はい後でゆっくり伺いますので。
では早速番組をご覧頂きましょう。
怪奇趣味の作品でエログロナンセンスの時代に一世を風靡したあの男。
かと思えば緻密なトリックを駆使した論理的な探偵小説で世間を驚かせたあの男。
男の名は江戸川乱歩。
日本のミステリーを確立させた作家です。
乱歩が登場した大正時代の末近代化の中で都市には人口が集中します。
大衆は時代の主役となり昭和を迎えると大衆向けのさまざまな娯楽が登場しました。
そんな大正から昭和にかけてミステリーを通して乱歩は時代のトップランナーへと躍り出ます。
乱歩は当時最新の流行を作品に取り入れ大衆が求める娯楽作品を次々と発表するようになります。
ところが大衆は次第に乱歩の虚像を作り上げます。
猟奇的な殺人事件が起こると乱歩の作品のせいにする報道が続発。
乱歩は打ちひしがれます。
更に日本が日中戦争その後の太平洋戦争に突入すると乱歩は検閲により作品の削除を繰り返し命じられました。
やがてミステリーは全滅してしまいます。
そして迎えた戦後。
「なんとかしてミステリーを復活させたい」。
乱歩は戦後初となるミステリー専門誌の出版に協力。
新人の発掘や出版プロデュースでミステリー界の復興に全力を尽くします。
「その時歴史が動いた」。
今日はミステリーを通して大衆と向かい続けた江戸川乱歩。
その時代との格闘の日々を描きます。
ここは東京・池袋。
すぐ真ん前がですね立教大学の教室です。
私は今江戸川乱歩の自宅の庭に立っております。
「その時歴史が動いた」今日の主人公は江戸川乱歩。
日本のミステリーのジャンルを確立した人物でございます。
彼は本名は平井太郎といいましたが番組では分かりやすさ第一という事で最初から江戸川乱歩と呼ばせて頂きます。
さて私の後ろのこの土蔵ですけれどもこの中には乱歩が集めたたくさんの本があるという事でございまして早速中をのぞいてみる事に致しましょう。
いや〜土蔵の中ですからひんやりしますね。
そしてとっても懐かしい昔のにおいがします。
本のにおいですね。
ご覧のように天井から床まで段がしつらえてあってしかもどの段もぎっしり詰まっております。
ここは「太平記」だとか「俳聖芭蕉」だとかあるいは「浄瑠璃の研究」だとかと「江戸文学の研究」だとかこういうまあ日本物ですね。
カメラさん正面見えますでしょうか?「犯罪捜査」であるとかねそれから「犯罪心理学」「実験心理学」「犯罪と刑罰」といったような種類の本がここにズラッと並んでおります。
向こう側には海外物がございましたし。
江戸川乱歩は博覧強記の人とこういわれておりますがそのまあいわば頭脳の部分がここだったという事が言えるのかもしれません。
今日の「その時」は昭和22年1947年の6月21日。
探偵作家クラブ設立の日と致しました。
これは後の日本推理作家協会の前身ともいえる団体でございます。
乱歩は戦争で火が消えてしまったその探偵小説これをなんとか復活させたいというふうに思いました。
この探偵作家クラブはですねそのための人材育成と交流の拠点ともいうべき場所でございます。
日本のいわゆるミステリーというジャンルを確立した江戸川乱歩。
その作家江戸川乱歩誕生のいきさつ辺りから今日は番組を起こしていきたいと思います。
江戸川乱歩が少年時代を過ごしたのは明治30年代。
新聞が発行部数を伸ばす中人々が文学に親しめる場として新聞小説が脚光を浴びていました。
9歳の頃乱歩は母親から新聞小説を読み聞かせてもらっていたといいます。
これが文学への興味を抱くきっかけとなりました。
そして中学1年の頃。
乱歩は後の作風に影響を与える不思議な体験をしています。
憂鬱な気分になり部屋を閉めて閉じこもっていた時の事。
雨戸に開いた節穴から一筋の光がさし込んでいました。
光の筋に近寄ってレンズを使って遊んでいた乱歩はふと天井に目をやります。
すると何かうすぼんやりした巨大なものが天井にもやもやと動いていたのです。
大学生となった乱歩はその人生を左右する運命的な本と出会います。
それはアメリカ人作家エドガー・アラン・ポーがその70年前に書いた作品「黄金虫」でした。
「黄金虫」は世界で初めて暗号を登場させた探偵小説です。
トリックを論理的に解読するというストーリーの魅力に乱歩はたちまちとりこになります。
ポーを生んだアメリカはこのころ第一次世界大戦の好景気を経て世界に先駆けて大衆文化が花開いていました。
ショービジネスや自家用車の普及など大衆の憧れが次々に形となって実現します。
「大衆文化の国アメリカに渡りたい」。
21歳の時乱歩はアメリカで探偵作家になるという夢を抱きます。
乱歩自身が自らの人生を年代別に記録したスクラップブック…ここにはアメリカ行きを夢みて書いた英文の履歴書が残されています。
乱歩はアメリカ渡航の動機についてこう記しています。
結局渡航費用を作れずに夢はついえ乱歩は大阪の貿易会社に就職します。
しかし乱歩は1年もたたずに貿易会社を辞めてしまいます。
その後も造船所勤務から新聞社の広告取り。
はたまた古本屋の経営やラーメンの屋台を引いたりと実に20近くもの職業を転々としながら作品を発表する機会を探していました。
そんな折の大正11年。
探偵小説を特集した本が日本で出版されます。
雑誌「新青年」増刊号です。
しかしその内容は海外の作品の翻訳物ばかり。
国産の創作はほとんどありませんでした。
まだ書き手が育っていなかったのです。
この時の気持ちを語った乱歩の肉声が残されています。
乱歩はがぜん創作意欲をかきたてられます。
この年27歳の夏。
失業中だった乱歩はかねてから温めていたアイデアを基に僅か数日で作品を書き上げました。
大正12年4月。
その処女作「二銭銅貨」が雑誌「新青年」に掲載されました。
この時初めて江戸川乱歩というペンネームを使用。
憧れの作家エドガー・アラン・ポーにちなんだ名前でした。
この作品は2人の青年が二銭銅貨に隠された暗号を巡って知恵比べをする物語です。
例えばこれ。
これは暗号で書かれた一つの文章です。
しかしご覧のようにここには「南無阿弥陀仏」の6文字しか使われていません。
さあ6つの組み合わせで出来るものは何か?青年は考えたあげく点字に思い至ります。
点字は6つの点から成り立っているからです。
例えば「カキクケコ」は点字ではこのように表記されます。
今暗号のこの3文字を点字の配列に従って並べてみましょう。
するとこれは点字の「コ」に相当します。
こうして暗号を変換してゆくとさっきの暗号は「五軒町正直堂から玩具の札を受け取れ」という文章に見事解読されるのです。
乱歩独自の暗号とその頭脳的な分析。
本格的な探偵小説の登場に世間は驚かされます。
「真の外国の作品にも劣らない純然たる創作が生まれた」。
それは乱歩が探偵作家クラブを設立する24年前の事でした。
ゲストのご紹介です。
作家の森村誠一さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
森村さんは「高層の死角」でこの江戸川乱歩賞をお取りになった。
このおうちにもいらした事が…。
受賞したあとにですね。
もう乱歩さんはお亡くなりになりましたけどねその時はご子息に。
あ〜そうですか。
懐かしいこの部屋でひとつ今日はよろしくお願い致します。
日本にいわゆるミステリーのジャンルが入ってきたと。
これは明治時代という事ですが。
しかしいずれもこれは海外の作家の翻訳物が多かったという事ですね。
ほとんど…ほとんどというか全部ですね。
日本ではそういう探偵小説というものはなかったですね。
やっぱり探偵小説というものに強く魅せられてアメリカの…特にアメリカですね。
それで向こうの探偵小説の…アメリカへ行こうと思ったけれども結局渡航できないで「それじゃあ俺が書こう」というような意識になってそして自分自身でメイド・イン・ジャパンの探偵小説を書き始めたという。
これが乱歩の原点源流ですね。
なるほどね。
彼の新しさというのはどの辺にあるとお考えになりますか?読者にカルチャーショックを与えますね。
「こんなに面白い読み物があるのだろうか」と。
何が面白いかというとですね知恵比べができる訳ですよ。
読者が参加する訳です。
それで読者が参加して読者が犯人を当てる事ができる。
こういう面白みというのは実にその…圧倒的多数の読者層をね獲得した訳です。
でそれがまたそれに続く吉川英治などの有力な作家が歴史小説を書く。
ますます大衆文芸が盛んになる。
そういう大衆文芸のですね交流のきっかけまあ引き金ですねそして引き金になりそれから先駆的な指導者開拓者になったのが乱歩ですね。
なるほどね。
いわゆるこのミステリーというですね新しいジャンルをひっ提げて日本の小説界に登場した江戸川乱歩でありますが彼はその後もですね時代の空気を読んであるいは大衆のニーズに非常に敏感に応えるそういう作品を次々と発表するのでございます。
「二銭銅貨」発表のあと乱歩は大正14〜15年の2年間で実に短編28本長編4本を世に送り出しました。
大正14年1月に発表した「D坂の殺人事件」という作品では乱歩は探偵小説界に新しいヒーローを登場させました。
どちら様で?ああ明智君じゃないか!名探偵明智小五郎です。
8月発表の「屋根裏の散歩者」では明智小五郎が推理と心理的駆け引きで密室殺人の犯人を追い詰めていきます。
犯人がアパートの屋根裏に入り込み他人の生活をのぞき見するという人間の隠れた欲望をかきたてる内容が評判を呼びました。
物語では天井の節穴から毒薬をたらして殺人を犯すというトリックが使われています。
しかしこれは乱歩の全くの妄想で生まれた訳ではありませんでした。
大正14年に乱歩が住んでいた家が現在でも残っています。
家の2階が乱歩の書斎として使われていました。
このお部屋で乱歩さんが書斎に使っておられて。
この部屋で「屋根裏の散歩者」をはじめ初期の作品が書かれたのです。
乱歩さんがこの天井を開けてのぞいてはったような事を聞いてるんですけれども。
「屋根裏の散歩者」を書くにあたって乱歩は床の間の天井を外して実際に屋根裏を観察したと記録されています。
人間心理に迫るサスペンスと卓越した犯罪トリックは好奇心旺盛な乱歩の日常の観察力から生まれたものでした。
(乱歩)あれ上がれるんですね僕知らなかったけどね。
押し入れの中の天井のとこやってると動くんだよ。
あの節穴からピストルを撃ったらどうなるかと屋根裏からピストルを撃ったらどうなるかというような事を考えていたらそれがピストルがだんだん毒薬に変わったという事でねそれでまあそれを書いた訳ですがね。
乱歩が次々と作品を生み出した大正末から昭和初期。
それは東京をはじめとする都市でハイカラでモダンな大衆文化が花開いた時代でした。
女性店員のサービスを売り物とする洋風酒場カフェ。
舞台で歌や踊りを演じるレビューなど娯楽の場が急増します。
街には洋装断髪姿のモダンガールも登場。
昭和初めの都会には大衆の活気が満ちあふれていました。
刺激に飽き足らない大衆はやがてふだんの生活にないもの珍しいものをもてはやすようになります。
珍しいものは猟奇と呼ばれました。
中でもエロチックなものやグロテスクなものはエログロナンセンスと呼ばれ流行します。
そうした中昭和4年乱歩は短編小説「芋虫」を発表。
この作品はトリックも推理もなくある夫婦の異様な心理が克明に描写されています。
戦争で手足を全て失った軍人の夫とその妻。
夫はただ燃えるようなまなざしで妻を見つめます。
そのまなざしによって感情を高ぶらせる妻。
「芋虫」の猟奇的な内容は世間にセンセーショナルな話題を巻き起こしました。
この作品によって乱歩はエログロの時代を代表する作家と見なされるようになりました。
また同じ頃乱歩は100万人以上の読者がいる大衆雑誌を長編発表の舞台にし始めます。
ここでは雑誌に合わせてより読者の好みに沿った作品を書き始めました。
「黒蜥蜴」はその代表的な作品です。
蜥蜴の入れ墨をした女盗賊黒蜥蜴。
宝石を盗み美女を誘拐しようとする黒蜥蜴が明智小五郎に一騎打ちを挑みます。
繰り広げられるアクション。
そして黒蜥蜴のエロチシズム。
乱歩は読者の憧れをかきたてて娯楽性の高い作品を完成させました。
しかしこうした作品は大衆からの予想外の反応を乱歩にもたらします。
昭和5年11月の新聞記事です。
「乱歩は真っ暗な蔵の中で血のような真っ赤な電球をつけ執筆し生首を装飾品にしている」。
昭和7年にバラバラ殺人事件が起きると「犯人は江戸川乱歩である」という投書までが新聞社に送りつけられました。
過熱する報道。
勝手に作り上げられていく自らの虚像。
乱歩はそんな大衆に次第に嫌気がさしていきます。
「貼雑年譜」には皮肉を込めて次のように記されています。
「大いに調子を下げ大いに虚名を売りし年」。
乱歩はやがて執筆をやめてしまいます。
乱歩は一人日本各地を放浪しながら葛藤し続けていました。
昭和10年。
執筆が途絶えがちだった乱歩のもとに雑誌「少年倶楽部」から少年向けの作品を書いてほしいという依頼が舞い込みます。
「少年倶楽部」は「のらくろ」や吉川英治の読み物が掲載された当時の日本を代表する少年雑誌でした。
少年向けに探偵小説が書けるのか。
乱歩は最初は戸惑いますが新境地のつもりでやってみようとついには執筆を承諾しました。
昭和11年1月。
「怪人二十面相」の連載が始まるとたちまち読者を引き付けます。
「その頃東京中の町という町家という家では2人以上の人間が顔を合わせさえすればまるでお天気の挨拶でもするように『怪人二十面相』の噂をしていました」。
神出鬼没変装の名人怪人二十面相。
この二十面相の悪だくみに名探偵明智小五郎が推理で立ち向かいます。
そして何よりも子どもたちの憧れとなった助手の小林少年と少年探偵団。
二十面相と少年探偵団の手に汗握る対決に子どもたちは熱狂しました。
しかし明くる年昭和12年に日中戦争が勃発すると乱歩の執筆活動に影を落とし始めます。
探偵小説は犯罪を誘発する反体制的なもので文学ではないと警察当局から見なされたのです。
検閲は次第に厳しさを増します。
「芋虫」の発行禁止に始まり昭和16年太平洋戦争が始まると探偵物から怪奇物少年物に至るまで乱歩の全ての作品が絶版にさせられました。
貼雑年譜には「探偵小説は全滅」と記されています。
乱歩は執筆活動をやめてしまいました。
それは乱歩が探偵作家クラブを設立する6年前の事でした。
大衆が望む娯楽作品を次から次へと発表していった江戸川乱歩でありますが次第にその大衆がですね乱歩の虚像を勝手に作り出していった。
その大衆に嫌気がさしたという事が一つ。
それからそういう大衆に迎合する作品を書いているという自分に対する嫌気が一つ。
という事で彼は筆を置くんですね。
しかしやがて彼にも転機がやってまいります。
それは戦後の復興でございました。
戦後の復興の中でものを作るという創作活動から彼のまなざしはミステリー作家を育てるんだという人材育成の方に移っていくのでございます。
そして皆さんいよいよ今日の「その時」がやってまいります。
昭和20年8月15日。
日本は終戦を迎えます。
戦時中蓄えの尽きた乱歩は再就職のために福島に疎開していました。
もはや作家をやめる覚悟だったともいわれています。
しかし日本が終戦を迎えると乱歩の気持ちに変化が生じます。
これなんですよ。
この時の心境をうかがわせる書簡が乱歩の孫平井憲太郎さんのもとに保管されていました。
それは就職の斡旋をしてくれた知人への断りの手紙でした。
これが日付が8月17日かな?戦争が終わった翌々日でしょうか。
一度は再就職を決意した乱歩ですが戦争が終わるとその僅か2日後に考えを180度転換させたのです。
(乱歩)天皇さまの放送があってねで放送があってまあ2〜3日はね東京からみんな地方に逃げてきましたよ。
何されるか分からんというんで占領軍にね。
昭和20年11月。
乱歩は疎開先の福島から帰京しました。
仲間には病死や戦死した者も多く探偵小説界はまさにゼロからのスタートでした。
しかし戦後の大衆は活字に飢えていました。
終戦後8か月間でなんと434誌もの雑誌が創刊復刊されました。
こうした雑誌創刊のブームの中で昭和21年4月雑誌「宝石」が刊行されます。
これは雑誌出版の経験がなかった出版社に乱歩が助言を与えて出来た本格的な探偵小説専門誌でした。
「宝石」は乱歩に小説の執筆を依頼しましたが乱歩はそれを断っています。
「自分は作品以外の事で貢献したい」。
乱歩が選んだのは探偵小説界を後ろから支えるプロデューサーの役割でした。
「宝石」創刊号には乱歩の旧友である横溝正史の「本陣殺人事件」も掲載されました。
この作品は戦後初の本格探偵小説として注目を集めました。
乱歩はこの作品を惜しみなく称賛します。
「小説を書く事よりもほかに自分がすべき事がある」。
乱歩はそう考えていました。
探偵小説界を復活させ一旦途切れた大衆との関係を取り戻す。
そのためには新しい組織を作って探偵小説の普及と新しい人材育成を図る事が重要だ。
昭和22年3月30日。
友人の横溝正史に宛てた手紙です。
「在京作家はしばしば顔を合わせるので事を進めています」。
そして…探偵作家クラブが設立されます。
会長江戸川乱歩のもと探偵作家新聞記者雑誌の編集者など100人余りが参加しました。
乱歩はこのクラブを拠点にして活動を始めます。
昭和22年11月から乱歩は…精力的に講演や座談会を行いました。
また探偵作家クラブ賞を設けます。
山田風太郎や高木彬光といった新人たちを見いだして発表の場を与えました。
「宝石」は創刊時の5万部から2年後には数十万部へと着実に部数を伸ばし次第に大衆に探偵小説が浸透していきました。
そして昭和29年。
還暦祝の時には私財100万円を寄贈して…書き下ろし長編の顕彰も始めました。
昭和32年。
車椅子の女流作家仁木悦子が江戸川乱歩賞に入選。
受賞作は十数万部という当時破格のベストセラーを記録します。
明くる昭和33年には松本清張の「点と線」が出版されます。
「社会派ミステリー」という言葉も生まれ日本に空前のミステリーブームが巻き起こりました。
常に大衆文化に愛情を注ぎ探偵小説の地位向上を目指した江戸川乱歩。
乱歩のまいた種がミステリーという文芸の一ジャンルの確立へ大きく実っていったのです。
今日の「その時」をですね森村さんはどう歴史を動かしたんだとお思いでしょうか?江戸川乱歩は戦後は自身の創作活動よりは業界全体それから後進の育成というものに全勢力を注いだとそういう感じがします。
要するに乱歩によってですね推理小説が花を開く訳ですが作家というとね大体孤独な作業に見られるんですね。
物は一人で書くと。
で実際はそうではなくて小説というものはですね商店街に似てるんですよ。
個性ある商店が群がって魅力的な商店街を形成するとお客が集まる。
つまり読者が集まる。
だから江戸川乱歩がいる横溝正史高木彬光山田風太郎とこういったそうそうたる商店が個性ある商店が群がって灯がにぎやかになるとお客が来るというそういう現象があります。
乱歩はその辺にいち早くもう気が付いていましてね小説というものは一人でやったって復興は無理だと。
だから大勢の探偵作家仲間を呼び集めてそしてもう一度全滅した探偵小説界を復興させようと探偵小説のルネサンスに注いだと。
それでですねミステリーというのはこれは民主主義の社会でないと成熟しないんですよ。
発達しないんです。
それは民主主義の社会というのは基本的人権が尊重されますからねその点で独裁国家のように怪しき人間を引っ張ってきて拷問にかけて白状させて一件落着ではミステリーは成長しない。
そこで民主主義社会の成熟度を計る。
あるいは今日の社会の文化的成熟度を示す非常にいいインデックスがミステリーなんですよ。
いかなる文芸ジャンルよりもミステリーがその国でどの程度発展しているかというのは基本的人権がどの程度保障されているか。
そして基本的人権を保障する社会がどの程度に成熟しているかと。
その指数になる訳ですね。
なるほどね。
そういう意味で今日我々がミステリー全盛時代を謳歌していられるのはまさに江戸川乱歩を源流にしているとそう言えると思います。
なるほどね。
どうもありがとうございました。
戦後江戸川乱歩はむしろ創作活動よりははっきりとプロデューサー的な立場にスタンスを置いた訳でございますがしかしだからといって創作活動が全くされなかったという訳ではない。
ここで戦後の創作活動にまつわる話などをご紹介しながら今日はお別れをしたいというふうに思います。
今夜もご覧頂きありがとうございました。
乱歩は撮影が趣味でした。
戦前から戦後晩年にかけて多くのフィルムを回しています。
フィルムにはひょうきんな人柄の乱歩の素顔が映し出されています。
乱歩は昭和40年7月に70歳でこの世を去ります。
戦後は大人向け小説は僅かしか書かなかった乱歩ですがその死の3年前まで書き続けた作品があります。
それは少年探偵団シリーズでした。
昭和24年に少年誌に再開された連載はその後14年間続きました。
少年探偵団の七つ道具の一つBDバッジと少年探偵手帳。
これらは戦後の子どもたちの憧れの的でした。
乱歩は少年探偵団シリーズの魅力をこう述べています。
乱歩が作り出した二十面相の謎。
それを知恵を絞って解こうとする子どもたち。
子どもたちをも夢中にさせたこのミステリーの魅力は今も多くの人々の心を引き付けてやまないのです。
乱歩がミステリー作家としての原点だとおっしゃる綾さんは今のこの番組どういうふうにご覧になりましたか?感動してしまいますね。
特にラストのね「少年探偵団」を最後まで書き続けた…。
まさに僕はそれをリアルタイムではなかったけれども子どもの時に読んで書き始めて乱歩のようなミステリー作家になりたいと思ったんですよ。
推理作家である。
今風だとミステリー作家であるという事にすごい喜びと誇りを持ってるっていうのはやっぱり幼少期の乱歩体験をずっと持ち続けているというかそれが自分の中に生き続けているんだなっていう事を今の番組とかを見ると実感しますね。
ところで嗣永さんは乱歩のデビュー作の「二銭銅貨」読んだんですよね。
しっかり読みました。
どうでしたか?まずそもそも日本にあるミステリーの一番のご先祖様な訳じゃないですか。
慎重に読まなきゃっていう…。
慎重ですか。
慎重に読まなきゃっていう使命感に駆られながら読んだんですけど…。
ちょっと緊張しながら…。
ちょっと震えながら読んだんですけど…。
書かれた背景って時代が大正時代じゃないですか。
ぴんと来ないとこがやっぱりあったでしょ。
そうお金を盗まれちゃうっていうお話だったんですけどその盗まれた額が5万円って書いてあって「わざわざ犯罪を犯してまでも5万円?」っていう感じで…。
でもその5万円の価値が多分今の5万円と当時の5万円とじゃ違うんだなって…。
そうですね。
90年以上も前ですからね。
だからそこにはすごくジェネレーションギャップを感じて…。
当時は本当に…。
今ってあらゆるところでミステリーがあるじゃないですか。
けども当時はなかったですねそんなにね。
そんな中で暗号を論理的に解くっていうそういう小説を書かれたってのは大きいと思うんですね。
何か試されてますよね読者が。
だから当時のデビューした頃の乱歩っていうのはすごく欧米流の理知的な小説を目指したというところがありますね。
急にね点字なんて誰も思いつかないですよね。
でも悔しかったです。
「あ〜点字か!」と思って。
今まで嗣永さんが読んでらっしゃったミステリーとはまた随分違いありましたでしょ。
違いますね。
何て言うか…私は綾さんの小説とかも結構何作も読ませて頂いてるんですけどこう…壮大というかもうどんがらがっしゃんみたいな感じではなくて…。
どんがらがっしゃん…。
いい意味でですよもちろん。
どんがらがっしゃんみたいな感じじゃなくて何かすっと入り込めるっていうか短編だったし本当に…私難しい言葉とかよく分からないんですけどさらっと読めてすごく楽しかったです。
短編ですからね。
それで日常の話で始まりますからねちょっとニュアンスが違うかもしれないけど…。
その嗣永さんが大好きな綾さんの作品ですねこれはどういうところが魅力ですか?これはですね私は…館シリーズを何作も出されていると思うんですけどそのほぼ全部読ませて頂いていて特に「十角館の殺人」っていう本があるんですけどページを1枚ぺらってめくった瞬間に「やられた〜!」っていうあの驚き。
はい。
今そういうふうにしてあります。
今のは。
ですごくびっくりしまして。
どんがらがっしゃんですか。
どんがらがっしゃんなんですよ。
どんがらがっしゃんされて。
でそもそも私はミステリーにはまって意表をついたというかとにかくびっくり本当どんがらがっしゃんみたいな感じの小説が読みたいんですっていうふうにお願いしたらミステリー好きの方から何作かお薦めして頂いて。
だからそもそも絶対にびっくりするトリックだったりがあるっていう前提で読んだんですけどそれでも更にそれを超えるびっくりさがあってもうとりこになってしまいまして…。
ありがとうございます。
いいえどういたしまして。
まさにねらいどおりというところですか?そうですね。
僕割とそういった結末の意外性っていうんですかねどんでん返しの部分が自分がそういうの好きだったもんですからやっぱり読者にもそういうのをもたらしたいと思って書いてるので本望でございます。
やられましたねあれ。
綾さんの館シリーズっていうのは新本格というふうにいわれますよね。
そもそも本格ミステリーというのはどういうふうに定義されてるんですか?大ざっぱに言ってしまうと何らかの魅力的な謎があってそれがさまざまな手がかりとか伏線とかを踏まえながら論理的に解決される。
そこで読者に満足と驚きを与えるっていうそういう構造を持つ小説。
それを核心とするような小説の事を本格ミステリーとか本格探偵小説とか呼んでいいんじゃないかなと思います。
それを主眼とするものですね。
今私たちが読む日本の小説といいますとその本格ミステリーをはじめ本当にさまざまなジャンルに広がりを見せていますよね。
日本のミステリーがどのような経過をたどって現在のように花開いたのか貴重な記録映像などを基にまとめてみましたのでご覧下さい。
江戸川乱歩以降の日本ミステリーはどのように発展したのか。
この人に話を聞きました
やっぱり乱歩さんの活躍がなければ今の現代日本ミステリーのこの活況というか…はなかったんじゃないかと思いますね。
乱歩が顧問を務めたワセダミステリクラブ出身でテレビや雑誌などさまざまな媒体で評論を発表しています。
高度経済成長が始まった昭和30年代。
それまでになかった新しい推理小説が誕生します。
松本清張の「点と線」です。
東京駅のホームを舞台に仕掛けられたトリックに刑事が挑むリアリティーを重視した作品。
この新しいミステリー小説は社会派ミステリーと呼ばれました
乱歩が創設した日本推理作家協会賞を受賞して以降ミステリー作品を次々と発表した松本清張。
その後一大ブームを巻き起こします
やっぱり社会派ミステリーというのは戦争が終わって時代が安定して高度成長が始まってそうすると戦争時代の闇であるとか高度成長から生じたひずみみたいなねいろんな社会問題が生じ始めますけれどもそういうものを取り込んでしかもリアリスティックなタッチで書かれた作品でありますけれども汚職であるとか貧困の問題であるとか戦争の影であるとかといったそういうテーマを盛り込んでそれをベースにした犯罪が組み立てられていくと。
そういうところが社会派ミステリーの読みどころになったかと思います。
NHKのラジオ番組に出演した江戸川乱歩が松本清張について語った肉声が残っています
1980年代になると社会派ミステリーに対する新しい動きが生まれてきます
81年に島田荘司が「占星術殺人事件」でデビュー。
名探偵が数々のトリックを解いていくという本来の探偵小説に立ち返ったものでした。
更に87年当時大学院生だった綾行人が「十角館の殺人」を発表。
謎解きとどんでん返しが魅力の作品です
その後立て続けに発表された作品は新本格と呼ばれ新たなミステリーブームを巻き起こしました
一時期いわゆる本格推理小説とか本格ミステリーと呼ばれるものが駆逐された時代があったんですよね。
ところがやっぱりみんな最初原点っていうのは「シャーロック・ホームズ」であり江戸川乱歩でありエラリー・クイーンでありそういったものから入っていてで同時代のものを読もうとした時にないと。
書かれていない。
という結構びっくりするような思いにみんなとらわれたんですね。
綾さんたちの新本格っていうのはひと言で言うと古典の復興。
その古典の復興というのはディクスン・カーであるとかエラリー・クイーンであるとかアガサ・クリスティーであるとかっていう海外の本格ミステリーの古典的な世界を復活させるというのがベースにありましてそこに現代的ないろんな奇想を混ぜ込んだりとかもちろんリアルな設定も入れ込んだりして自分たちの独自の世界を築き上げたっていうのが新本格の世界だと思うんですね。
90年代に入ると日本のミステリーは多彩なジャンルを取り入れた時代を迎えます
今日本で活躍するミステリー作家は700人を超え百花りょう乱の時代となっています
やっぱ出版不況といわれてる中で文芸の中でやっぱりミステリーが引っ張ってくれている感じですね。
ミステリーっていう分野がもしなくなったらすごく書店にとっては打撃大きいですね。
こうした多様化もジャンルにとらわれずいい作品を次々と雑誌などに推薦した乱歩の姿勢にその源流があると香山さんは言います
乱歩さん自身は本格ミステリーであるとか幻想小説であるとかちょっとホラー的なものであるとかそういうものを得意にされた作家ですけれども自分では全く書かない例えば大藪春彦さんの「野獣死すべし」なんていうデビュー作ありましたけれどもこれを世に送る後押しみたいなものもされてるんですね。
だからそれなんか自分では好みではないんだけれどもミステリーのサブジャンルいろんな広がりを持つほかの作風も積極的に評価してそれを前面に押し出したと。
乱歩が育てた日本ミステリー。
今も発展を続けています
乱歩さんが残してくれた一番大きなものっていうのは読者側がミステリーってのはこうやって楽しむんだっていう楽しみ方を教えてくれた事じゃないかと思うんですよ。
面白ければいいんじゃないかみたいな…。
ちょっとぶっちゃけて言いますとそういう事になっちゃいますけれどもそういう何て言うか懐の深さ広がり方みたいなものというのをやっぱり教えてくれた事が一番大きいんじゃないかと思いますね。
日本ミステリーがどのような道のりをたどってきたのかお若い頃の綾さんにもご出演を…。
ちょっと生意気ですね。
そうですか?言い過ぎてる部分があったんだと反省しております。
その道のりをですねこちら簡単にまとめました。
この最初ですねここまさに乱歩さんのスタート地点。
はいそうですね。
「本格ミステリー」。
本格ミステリーを目指して乱歩さんも書き始めた。
けれども理想とする非常に純粋な純粋推理小説純粋探偵小説とかねいろんな言い方がされてますけれどもそういったものからは外れた本格じゃないものという意味で変格っていう言い方をするんですね。
変化の「変」に…。
「格」ですね?変格ミステリーっていうものが混在して興隆していたっていう感じですね。
そして高度経済成長期の時には社会派ミステリー。
松本清張さんの社会派ミステリーが出てきてそして生まれたのが綾さんであったり島田荘司さんであったり…。
そうですね島田さんが僕よりも何年か先に出られまして僕はそれを読んでこれが読みたかったって思って後を追っかけた感じなんですけれども…。
新本格もそうですしそのすぐ後になりますと…。
そうですねこのころから非常に…。
ええさまざまなジャンルが…。
ええ健全な多様化が起こってる気がしますね。
いろんなものが書かれてそれぞれにいい作品が書かれ続けているという状況だと思いますが。
それもスタートもともとはやはりここからず〜っとたどってきた道のりな訳ですよね。
すごいですね。
香山さんもおっしゃってましたけど乱歩が自分の好みだけでは語らなかったんですね。
好みだけで俺はこれ嫌いだからとかいうふうなところではもちろんそういう話もしつつ自分の好みはさておきこれはすばらしいっていうふうな評価のしかたをしていろんな新人作家を引き上げてっていうプロデュースして盛り上げていったっていうふうなところはすごく大きいと思いますね。
そうですね。
しかし乱歩はどうして創作活動以外の事にそれだけ情熱を注いだんでしょうね。
気になりますよね。
だって自分に置き換えてみると私今アイドル活動してます。
自分を差し置いてほかのアイドルのよさを広めて全体引き上げるって事ですよね。
なかなかっていうか絶対できないですよそんなの。
やっぱ私は自分自分自分っていう性格なのでみんなを盛り上げたい。
そのために自分が積極的に活動したいってなかなか思ってても行動に移せなかったりとかすると思うんですよ自分に置き換えると。
なぜできるんですかね。
それはけどやっぱり探偵小説今の言葉で言うとミステリーというジャンル本当に好きなんだと思います。
ももちも本当に好きですよそれは。
いやももちも今のところを極めていったらその域に達するかもしれないですよ。
アイドル界の乱歩みたいな。
あ〜そこ欲しい。
そのポジション。
いやまあけど乱歩さんもそこまで行き着くには随分時間かかってるしその間に全滅したりもしてますからね。
やっぱ今思うんですけどその経験が大きかったと思いますね。
だからちゃんと発展させなければっていうねえ〜なったと思います。
けどミステリーは本当今ももちが言ってくれたけどもちろん作家は自分で書いて自分のものが一番だって思って書いてる我の強い連中なんですよ。
けれどもそれとは別にこのミステリー界全体をみんなで盛り上げようねっていう雰囲気が今でもあるんですね脈々と。
それはほかの文学ジャンルと比べてみてもすごく鮮明にあるんですよ。
だからミステリー界は仲いいねとかいいねとかいうふうに言われる事もあったりするぐらい。
それとやっぱりね乱歩以来の伝統といいますか遺志をみんなが受け継いでるんだと思いますね。
もしかしたら乱歩のDNAが何か時空を超えて残ってんのかな。
まあ作品を通して多分そういったものを受け継いだんだと思いますけれどもそれは僕だけじゃなくって本当日本のミステリー作家はそういう感じの人が多いんです。
全ては乱歩さんの存在から流れが生まれたんだなっていうのがよく分かりますね。
最後にですねこちらをご覧頂きたいと思います。
乱歩がよく色紙に書いていた言葉だという事なんですが「うつし世はゆめよるの夢こそまこと」。
有名な言葉ですね。
どういう意味ですか?「うつし世」って分かりますね?一切分かんないですよ。
「うつし世」っていうのは現世ですね。
現世。
現世と書いてここには現実の現っていう漢字が入るんですけどもこの世とか現実世界それは夢であると。
夢のようなものだと。
そして夜に見る夢こそ本当まこと…真実であるというふうに直訳といいますか…。
でも普通に考えたら逆ですよね。
だって今これが夢のはずないじゃないですか。
そうそうそう。
なんだけれども乱歩にとってはこうであるっていうような事を常に色紙に書いておられた。
好きな言葉だったようで。
いろんな解釈ができるんですけどもね。
もちろんリアルである事とかっていうのは大切なんだけれども何をもってリアルというのかっていうねそういった事を考えてる時にあんまり現実のあれこれにとらわれたリアルっていうのは描いてても面白くないといいますかね。
だから夜に見る夢にこそつまり人間の想像の翼を羽ばたかせたその世界にこそ真実を見いだしたいみたいなそういうふうな解釈をしてるんですけれども。
今日は乱歩からバトンを渡されたお一人である綾さんの非常に熱い面を拝見したような気がするんですが…。
ちょっとももちに乗せられて…。
これからまだまだ読んでみたいミステリーあるんじゃないかと思いますけどどんなもの読んでみたいですか?そうですね。
やっぱジャンル問わず私たちの世代ってちょうど活字に慣れていないというか文章自体に若干の拒絶反応じゃないですけどそういう世代…そういう人が多いんですね同世代に。
でも私はミステリー小説に出会って本が好きになって文章を読む事とか自分の思いを文字にする事って楽しいなっていうのを発見できたんですね。
なのでそういうミステリーとの出会いで私の人生観って言ったらちょっと大きいですけど変わった部分もあるのでももちでも読める楽しいと思えるものなので是非気軽な気持ちで今後ミステリー小説をいろんな人に読んで頂きたいなっていう思いは今日のお話を聞いて強く思いました。
ありがとうございます。
いい事言いましたね私今。
アイドル界の方もね普及を…。
はい。
普及委員という事で。
頑張ります。
まだこれからどういう作品が読めるのか楽しみにしています。
ドキドキです。
もうちょっと頑張ります僕も。
今日はどうもありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
2015/08/01(土) 16:00〜17:10
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「すべては乱歩から始まった〜日本ミステリーの父 没後50年」[字]

没後50年を迎えたミステリーの巨匠江戸川乱歩。数々の本格探偵小説を生み出す一方で、ミステリーの地位向上に尽力した。乱歩が生み育てた“日本ミステリー”の魅力に迫る

詳細情報
番組内容
大正から戦後にかけて活躍したミステリーの巨匠、江戸川乱歩。先月28日に没後50年を迎えた。暗号やトリック、どんでん返しなどが盛り込まれた本格ミステリーの原点とも言える様々な作品を生み出す一方で、江戸川乱歩賞を創設するなどミステリーの地位向上に尽力、現在のミステリー黄金時代の源流を作った功労者でもある。乱歩の足跡をたどった番組を紹介、また乱歩が生み育てた“日本ミステリー”のその後も取材、魅力に迫る

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