NHKアーカイブス「だから僕らは甲子園をめざす〜高校野球100年と日本人〜」 2015.08.02


(歓声)
白球に懸ける夏
(実況)今日タイムリーヒットを放ってる宇都宮。
初球からいった!ショートだ!一塁へ!アウト!スリーアウト!試合終了!
(実況)レフトへ!下がって見送る見送る!
繰り広げられてきた数々の名勝負
(実況)前橋育英初出場で初優勝!
高校野球はいつの時代も日本人を夢中にさせてきました。
その歴史が今年で100年を迎えます

100年の長きにわたり続いてきた球児たちの熱いドラマ
(実況)三振!早稲田実業…。
そのドラマに酔いしれてきた私たち
NHKでは高校野球の魅力に迫るさまざまな番組をこれまで制作してきました
(一同)バンザ〜イ!アメリカから輸入された野球も野球道として受け止められ練習場は神聖な道場と見なされた。
武道は遊戯を楽しむ事を極度に否定する。
技術の錬磨と同時にあるいはそれ以上に精神の鍛錬を要求する。
彼らは何をつかみ取るのか
俺ははっきり言って元気だけでキャプテンになって2年生にも迷惑かけっ放しで1年生にはこれといった技術指導もできなくて本当に悪いんだけど俺が残したいのは元気だから。
そして控えの選手たちから見た甲子園とは
浜田君が背番号15番をもらったというので近所のお得意さんが次々にお祝いに駆けつけました。
野球部に入って3年間初めて手にした背番号15。
それがレギュラーの番号ではなくても浜田家にとっては近年にない快挙です。
球児たちを駆り立て見る者を熱狂させ続けて1世紀
甲子園はなぜ私たちを引き付けるのか。
その秘密に迫ります
こんにちは。
全国高校野球選手権大会夏の甲子園が間もなく始まります。
毎年この季節全国のファンをくぎづけにしてきた甲子園なんですが今年は節目の年大会が始まってから100年を迎えます。
そこで今日はなぜ甲子園は私たちを引き付け100年間変わらず人気を保ち続けてきたのかを見てまいります。
ではゲストの方ご紹介致しましょう。
毎年甲子園に足を運ぶほど高校野球が大好きというタレントの井森美幸さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
そしてスポーツジャーナリストの二宮清純さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
井森さんはなぜそんな熱烈な高校野球ファンになったんですか?えっとですね子どもの頃からよくは見てたんですよ。
でも本当にここ数年です8年ぐらい前からダイジェスト番組をよく見るようになってそこからもうどっぷりはまり始めてもう夏は大忙しですね。
で特にやっぱりこう球児だけじゃなくて例えばプラカードを持って開会式で入場行進する時の女子高生にもドラマがあったりする訳です。
あのプラカードを持つためにも。
でそのほかにもやっぱり女子マネージャーであったりとか本当に陰で支えてる父兄の方であるとか控えの選手であるとかそういうところにちょっとこう何て言うのか心引かれるといいますか…はい。
表に出る試合だけではないドラマ…。
そうなんですよ。
最近はもう親目線で見ちゃってるとこがあるんですけどはい。
本当にでも気持ちは球児と変わらずに熱い気持ちで今日も頑張りたいと思います。
よろしくお願い致します。
はいお願いしま〜す。
二宮さん野球といいますとプロ野球はあり都市対抗もありあと大リーグもありいろいろありますけどその中で高校野球にしかない魅力ってやっぱりありますよね?大きく分けて3つあるんじゃないかなと思うんですけどね。
まず1つは4,000校近くが参加してね約2か月間のねこのトーナメントですよね。
1校残して全て負けるんですよね。
まあこのねやはりだいご味ありますよね。
そして2つ目がねやっぱり郷土性と言いましょうかやはり都道府県意識を背景にしたですね「おらが町のチーム頑張れ」ってこれありますよね。
3つ目はね偶発性と言いましょうかね。
私たち予想しててもね予想を超える試合が多いんですよ。
つまりね試合を通して選手が成長していくんですよね。
そこから思いも寄らないヒーローが出てくるというねこの辺りも甲子園の魅力の一つかなと思いますね。
では早速高校野球100年の歴史を振り返ってまいりましょう。
まずは30年前に放送された番組「熱球の讃歌高校野球70年」を下敷きに貴重な記録映像やその後の名場面などを加えて短くまとめておりますのでご覧下さい。
大正4年8月18日。
夏の大会は全国中等学校優勝野球大会として始まりました。
大阪の豊中球場には全国73校の中から予選を勝ち抜いた10校が出場。
鳥取中学の鹿田投手が歴史的な第1球を投げました。
初の大優勝旗は延長13回の末秋田中学を2対1で破った京都二中が見事手にしました。
こちらはNHKに保存された最も古い高校野球の映像。
甲子園球場完成から5年後の昭和4年
スタジアムを覆い尽くす超満員の観客。
熱狂は既にこのころから始まっていました
昭和8年第19回大会準決勝は高校野球史に残るゲームとなりました。
中京商業対明石中学。
両校の投手の投げ合いでゲームは長い延長戦に突入します
当時のスコアボードは16回まで。
17回から急きょ付け足されたスコアボードにも0が並んでいきます。
砂糖水をなめレモンをかじり両校ナインはなんと4時間55分を戦い抜きました。
この中京と明石の試合から25年後の昭和33年。
選手の過労を避けるため延長戦は18回までと決められました。
昭和28年夏の甲子園。
テレビ中継がスタート。
高校野球熱は球場の外にも広がっていきます
大会を祝って新聞社の飛行機が低空を飛び全国から選ばれた精鋭23校堂々の入場であります。
街頭テレビには人だかりが。
日本中で多くの人が熱い戦いにくぎづけになりました
昭和44年51回大会の決勝戦。
4度目の優勝を狙う松山商業。
これに対して三沢高校は東北勢初の全国制覇を目指してぶつかりました。
昭和40年代の名勝負。
三沢太田。
松山商業井上。
一歩も譲らぬ投手戦は0対0の延長戦へ。
最大の山場は15回の裏にやって来ました
ワンナウト満塁。
三沢サヨナラのチャンス
ツーアウト。
しかし依然一打出ればサヨナラ
あ〜負けんかったいうあれがあってですねほいでその時は誰かれとなくみんなくしゃくしゃに泣いてたと思いますよね。
井上太田両投手の息詰まる投げ合い。
4時間17分の戦いは結局延長18回0対0。
史上初めての決勝戦引き分け再試合となりました。
(試合終了のサイレン)三沢太田の投げた球数262。
松山商業の井上232球。
満員のスタンドは惜しみない拍手を送ります。
(実況)0対0引き分け再試合。
54年の高校野球史上初めての事であります。
木製のバットより打球の飛距離が飛躍的に伸びる事から高校野球を大きく変えるきっかけになりました
下手するとバントしたのが内野ゴロになるというような事もありうるという事は考えられますね。
昭和50年代。
その金属バットを生かした学校が現れます
パワー野球で知られる池田高校…徹底した攻撃重視の野球は守備を中心としたそれまでの高校野球の常識を覆してしまいました。
強い上半身の力で金属バットを操るやまびこ打線は容赦なく相手投手に襲いかかります。
蔦監督率いる池田高校は春夏合わせて優勝3回準優勝2回の成績を残しました。
同じ頃甲子園史上最高といわれる名勝負も生まれました。
昭和54年春の優勝校箕島と星稜との3回戦。
1対1のまま延長戦での勝負となります。
12回表
(実況)延長戦に入って応援団の声もかれてきたでしょう。
セカンドゴロ…お〜っとセカンド抜かれた!セカンドランナー三塁を回る。
ホームイン!2対1!
(実況)星稜高校リード。
しかしその裏
(実況)カーブです。
大きい!レフトバック!入るか!?入った!同点!同点ホームランです!嶋田レフトへ同点ホームラン!箕島高校追いつきました!
18回の表
(実況)打球は右。
入りました。
三塁ランナーホームイン!3対2。
星稜均衡を破りました!
星稜勝利目前となった18回裏
(実況)打ち上げた。
加藤。
おっと!
(実況)打った。
大きい!ず〜っとバック!入るか!?ホームランです。
同点ホームラン!またツーアウトから同点!森川のホームラン!もうここまで来ました。
18回ワンナウトランナー一塁。
(実況)ストレートのフォアボールです。
(実況)ワンナウトランナー一塁二塁。
(実況)打った。
左中間の当たり!セカンドランナー三塁を回る!三塁を回った!バックホームの送球は駄目!サヨナラ勝ち!箕島高校4対3!延長18回の裏!
再試合直前18回の激闘を制したのは箕島でした。
数々のスター選手も甲子園人気を盛り上げました。
昭和の終わりに登場したのがPL学園桑田清原のKKコンビです
(実況)三振!試合終了!松坂投げ抜きました!
(実況)三振!早稲田実業初優勝。
汗と涙の歴史を刻んできた甲子園球場。
今年も新たなドラマが生まれようとしています
高校野球100年の歴史を駆け足でご覧頂きましたが二宮さんはどのシーンが印象に残りましたか?全部ね本当に今見てもこう胸が熱くなりますね。
私出身が愛媛だったもんですからねやっぱ昭和44年夏の松山商業対三沢高校。
井上投手と太田投手の投げ合いですよ。
多分あれ応援してたのは…松山商業ですね地元の人ぐらいでねあとやっぱり太田選手のファンが多かったんじゃないかなと思うんですよね。
後で聞いたら太田選手はね「青森県太田幸司様でファンレター届いた」って言ってましたよ。
それくらいの人気だったんですよね。
初代甲子園のヒーローじゃないですかね。
私もその時代子ども心に覚えていますけれどあんまりテレビを見ない女の子たちもそれから母親たちも見てましたよね。
そうですね。
もう本当に食い入るように見たといいますかねラジオにかじりつきテレビにかじりつき。
うちの田舎ではね本当に大通りは猫と犬しか歩いてなかったですね。
あっみんなテレビ見てるから。
はいそうです。
へえ〜。
そんな記憶ありますね。
私はやっぱり世代で言ったらKKコンビと同じ世代なんですけど本当に1年生の時から活躍してて「わ〜すごいな」ってテレビでも見てましたし。
あとはやっぱりおととし2年前になるんですけども私地元は群馬県なんですけども前橋育英高校が準々決勝で常総学院と当たったんですね。
その試合を初めて生で甲子園で見たんですよ。
9回裏2対0で負けてたんですよ。
ツーアウトランナーなしっていう場面で私スタンドから見てた時に次が最後のバッターになっちゃうんじゃないかなっていう思いで見てたらなんとその子が打ったのがセカンドゴロだったんです。
で「あ〜試合終了。
ウ〜ってサイレンが鳴ってもう終わりだ」と思ったんですよ。
そしたらセカンドの選手がエラーしちゃったんですよ。
でそこからヒットが出て2対2に同点に追いついて10回裏でサヨナラで勝ったっていうゲームを見に行ったんですね。
本当に感動して。
あの9回裏諦めてたの恐らく私だけじゃなかったかなと思ったんですよ。
何が起こるか分からない。
諦めちゃいけないんだっていうのを本当に肌で感じた試合だったんですよ。
初めて行ったのがそれですからね。
もう衝撃的で。
語りますね。
本当にもうね…。
熱かったですね。
すばらしい。
いやもうあんなね熱い夏あったのかなと思って。
そこで二宮さんのおっしゃってた野球の…高校野球だけにある偶発性であったり…。
そうですね。
本当にいろんなハプニングもありながらねそれをどう乗り越えていくかっていうね。
今前橋育英の話が出ましたけどね僕は監督さんにインタビューした事があるんですよね。
あのチーム守備がよかったですよね。
ええ。
練習を見てたらですね普通ねノック打ってエラーしたら「もう一球もう一回」ってやるじゃないですか。
やらないんですよ。
もう次の事を考えろと。
エラーはしかたがないと。
そのあとの事を考えろと。
人生にももう一回はないんだと。
これすばらしい教育だなと思って見てましたね。
エラーはしょうがないと。
後悔するんじゃなくて次の事を考えようと。
これは本当にグラウンドを通しての教育だと思いましたね。
さあここで一つデータをご覧頂きたいんですが夏の甲子園の入場者の数の推移です。
1958年から去年のものまであるんですけれども当初大体40万ぐらいだったのが80年ごろに倍。
80万を超えるようになりましてその後現在に至るまで…若干の上下はありますけれどもね一貫して80万ぐらいを保っているという事なんですが。
もう本当に人気が高止まりしてますよね。
まあこれは目盛りを見ていったらなるほどなと。
この年にはこういう選手がいたなっていうのが分かるんですけども。
例えば98年にですね一回底打ってですね一回天井に行ってますよね。
この98年っていうのは松坂投手ですよね。
(森田井森)あ〜。
まさに松坂フィーバーの年ですよね。
ですからやはりスターが出てきたりヒーローが出てきたりあるいは名勝負が相次ぐとですね必然的にやっぱり途中から行こうというねベストフォーから行こうベストエイトから行こうっていうお客さんが増えてるっていう結果になってるんじゃないかと…。
ギュッと上がったこういうとこに表れていると。
それにしてもこれだけの数の方が自分で足を運んで甲子園に行こうと思う訳ですよね。
やっぱりあの臨場感っていうのが何事にも変えられないんですよ。
例えば甲子園の決勝が終わると昔は赤トンボがよく舞ってたんですよね。
「あ甲子園が終わった。
寂しいな。
夏も終わるな」みたいなね。
ですから甲子園っていうのは日本人にとって俳句の季語みたいになっていますよね。
風物詩でもありますよね。
そういうまた日本人のメンタリティーに合致したという面もあるんじゃないかなと思いますよ。
なるほど。
さてNHKでは長い放送の歴史の中で高校野球をさまざまな角度で捉えた番組を制作しています。
今度はその中から2本見て頂きたいと思います。
1本目は…そしてもう一本は…ご覧下さい。

昭和37年に放送された「9人と群衆」。
日本人が野球に取りつかれるその背景を探る中で高校野球人気の秘密に当時の独自の視点で迫りました
野球に限った事ではないが日本人のスポーツ観の根底には勝負の意識が大きく横たわっている。
これはまかり間違えば命を失う武道に根ざしていると言えよう。
武道は常に真剣勝負を前提としているのである。
武道は遊戯を楽しむ事を極度に否定する。
技術の錬磨と同時にあるいはそれ以上に精神の鍛錬を要求する。
アメリカから輸入された野球も野球道として受け止められ練習場は神聖な道場と見なされた。
それだけに練習も猛烈を極める。
真剣勝負は技だけでは決まらない。
勝負は気力のいかんに左右されるところが多い。
その気力を苦しい練習から体得させようというのである。
1,000本ノックとか素手でボールを捕らせるというのはもう昔語りになったようだが真夏の炎天下長時間の練習は若い肉体にもかなりの負担だろう。
しかしこの修業に耐え抜く事は彼らに与えられた課題なのである。
年に一度のハレの大会ともなると勝負の色彩は更にその鮮やかさを増す。
予選から本大会と険しい道を勝ち進んでようやく迎えた決勝戦にはちょうど出陣の気構えにも似た悲壮感さえ漂う。
彼らは石にかじりついても負けられない。
(掛け声)勝負への執着はスタンドにもあふれている。
そしてますます多くの犠牲を選手に要求しいやが上にも選手たちを勝負に駆り立てる。
しかもこの勝負は単なる勝ち負けにはとどまらない。
彼らのプレーの一つ一つに母校の名誉郷土の栄光が懸けられているのである。
ある人はこんな説明をしている。
「日本人がスポーツをこのようにして楽しむのは徳川幕府に原因がある。
徳川幕府は政権を維持するために各藩を互いに反目させ敵視させた。
そして300年の月日をかけて個人個人の中に根強い敵がい心を育て上げたのだ」。
幕府300年の歴史が勝負の重視と郷土意識をもたらしたというこの説の当否は別としても確かにスポーツというにはあまりに厳しい空気がここにはみなぎっているようだ。
しかし熱狂した郷土愛は決して彼らをそのままに放ってはおかない。
(一同)バンザ〜イ!泥と汗ににじんだユニホームを迎える涙と歓声。
(拍手)偶像のように祭り上げられた彼らは郷土に名誉をもたらした功労者として市民からたたえられるのだ。
武道に通じる勝負中心の日本人のスポーツ心理と封建制につながる郷土意識。
これは確かに今日の野球の人気を支える要素には違いない。
しかしそれだけではなぜ特に野球というものが現代人の心の奥底にまで食い込んでいるのかという謎は解けない。
俺すげえ楽しかった。
先生に会えてすげえうれしかった。
ありがとう。
今の君たちのな思いっていうのはいろいろあると思う。
やり残した事ももしかしたらあると思う。
だけどもよこっからの…こっからのスタートというものも大事にして。
高校野球はたった一校の優勝校を除くと実に4,000校近くの学校が負けて全てを終えます。
そこに何があるのか。
敗戦校ばかりを徹底取材しました
神奈川県立茅ヶ崎北陵高校です。
シード校の厚い壁の前に2回戦で敗退しました。
新監督を迎えユニホームも新調。
部員41人が一丸となった夏が終わりました。
野球の結果は…お前らず〜っとこの1年間…このあとの生涯をね頑張ってやってほしいと思います。
1〜2年生は…3年生がこの1年間やってきた事をこれからは花開かせるために頑張ってほしいと思うよね。
そうする事が3年生に対しての報いじゃないかなって思うよ。
頑張ってほしい。
3年生から何かあれば。
俺ははっきり言って元気だけでキャプテンになって2年生にも迷惑かけっ放しで1年生にはこれといった技術指導もできなくて本当に悪いんだけど俺が残したいのは元気だから。
俺の元気だけは何て言うのかなこれからも残してってほしい。
うまくないやつでも元気出せば絶対試合出れるから。
まあ何て言うのかな人数少なくていろんなとこまで目が行かなかったんだけど本当1〜2年生どうもありがとうございました。
まあ俺は一人っ子なんで弟が20〜30人できたと思ってすごいうれしかったです。
本当ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(泣き声)拍手してやれよ。
ありがとうございました。
(拍手)
(声援)
(歓声)
(試合終了のサイレン)
(高橋)やっぱ楽しくやってこれたしそれで途中でいろんな事あったけど絶対試合終わったあと涙流すなんて考えてなかったし。
ここまでやってこれたのもみんなが周りの人が陰で支えてくれてたから3年間最後まで野球やってこれた事にみんな感謝して3年間真っ黒なユニホーム掃除してくれたお母さん。
家帰って心から「ありがとう」ってひと言みんな言えるように。
ここで涙流していってもいいから帰りの電車の中じゃ笑えるように。
3年間楽しかったです。
どうもありがとうございました。
(拍手)
(声援)マジよろしく〜。
ま来年頑張るからよろしく。
・マジ弁当は?・弁当?弁当持参。
持参?OKOK。
おい。
何だ負けたような気がしないじゃない。
また明日やるのか?おい。
そんな感じだな。
いつも言ってるようにだなお金がたくさんあっても…。
いいか?俺みたいに金がたくさんあってもね高校野球は2度できないんだよ2度は。
いいか?高校野球は一度しかないの。
来年はできないんだよ。
な?いいか?まあこんなにねあの〜何て言うのかな明るいような…明るいなまあ内心はどうか分かんないけどこういう気持ちでいてくれるっていうのは監督としてね非常にうれしいんだよ。
と同時にねお前たちにご苦労さんっていう言葉よりもむしろ監督自身の気持ちとしてはありがとうと言いたいの。
俺も今日まで戦う前にまでひょっとしたら甲子園行けるかなと。
そう思ってやってきた。
よくやったんだ。
ちょっと悔いは残りますけども。
とんでもないです。
ありがとうございました。
来年もまたね。
だけどね息子も最後はあんだけ素直になったのはやっぱり野球があればこそでね。
そうです。
そう思ってます。
だからこれからもねその野球の気持ちを忘れないで…。
さっき言っといたの。
親孝行しろよって。
そしたら自分で言ってんの。
大変ね3年間迷惑をかけっ放しで申し訳ありませんでしたって言ってた。
これはうれしい言葉でね。
この野郎監督の野郎なんて言われてもしょうがないような感じだったけどまあ本当にね…。
いやでもね金とか何とかで代えられないいい思い出残してくれて…。
う〜ん何かグ〜ッと…。
来ますねえ。
何かもう恐らくこのVTRを何度見ても込み上げてきますよね。
何でしょうねあの涙の中にいろんな…まあ悔し涙もあるけれど私何かだんだん思ったのがありがとうの涙もあるんだなって思いましたね。
いろんな種類としょっぱかったりねいろんな涙の味ありますけど本当に時代の移り変わりとともに野球って変わってきたと思うんですけどでも何か選手とか監督っていうグラウンドに立つ人の気持ちって恐らく100年前と変わってないんじゃないかなって思いながら見させてもらってました。
その辺りなんですけれども二宮さん今からもう50年以上前昭和37年の番組を最初にご覧頂きましたけれども野球道というような言葉も出てきて…。
アメリカからやって来たベースボールと日本の野球とやっぱり精神性という意味では決定的に違いがありますよね。
基本的にスポーツはやっぱり本当は楽しむものなんですよね。
ところがやっぱりいろいろ…かつては野球害毒論なんてのもあった訳ですけれどもどうやって野球というスポーツが市民権を得るために…っていう事でねやはりその教育だとか武道っていう事をね持ち出した面はあろうかと思うんですよね。
最近になってまたですねいろんな見直しもあって例えばかつてはね水を飲んじゃいけないなんていうね水を飲む事自体が禁じられてたような学校もたくさんありますよ。
このようにやはりその時代背景社会背景とね決して高校野球は無縁ではないという事は言えると思いますね。
時代は変わっても変わらない高校野球ならではのいわゆるその精神面それからその気力であったりまたいろいろな行い振る舞いであったりそういったものっていうのは今に引き継がれてるものもあるんじゃないでしょうかね。
そうですね。
僕はやっぱり原点だと思うんですよね。
何が高校野球面白いかといってねやっぱり選手たちがね無心でボール追っかけてる姿なんですよね。
最近多少メディアも過剰気味でね「汗と涙の甲子園」とかね「汚れなき白球」とかねあまりね過剰に美化する必要もないんですよね。
その原点そのものがねやっぱり一番高校野球の魅力であってねやっぱりそこを確認するっていう作業が一番大事じゃないかなと思いますね。
もう一つですね郷土意識郷土性ですね。
そうですね。
やはり甲子園のねスタンドに行きますとね方言が聞こえるんですよ。
これがすごいね楽しみでね。
例えば高度成長期1960年代70年代あの〜私は四国ですけれどもねやはりその…首都圏あるいは関西地方にね働きに行く人が多かった訳ですよね。
そこでやはり住んでるのは都会だけれども郷土のね思い忘れたくないと。
愛郷心といいましょうかね。
そういう人たちがやっぱり甲子園に集まってきてねあの方言を聞いてね何かこう安心するというかね。
何か一つのそういう儀式だったような気はしますね。
今もそれ残ってると思いますね。
東京で一人で仕事して頑張ってても何かどこかちょっと孤独だなって思う時もある訳じゃないですか。
それで例えば甲子園に行って野球見た時に地元の人とかあっこの人群馬の人なんだとか群馬から来たんだって思うと何かこう家族に近いような親戚に会ったような感じですごくほっとできるというか…。
何かこうふるさとスイッチが入るみたいな感じですよね。
オンになるみたいな。
点数入ると「ハ〜イ!」とかやったりとか。
その…すごい一体感がありますね。
まあしかし先ほどご覧頂きましたのはとにかく高校野球は1校を除いて全て負けで終わるという大会なんですよね。
特に負けたチームで監督がね部員を励ましてるところありますけどもそれも何て言うんでしょうねふだんすごく鬼の形相で練習をしている監督が流す涙っていうのを見るとやっぱり選手たちっていうのは日頃練習では「何だよ監督」って思うところもあると思うんですよね。
でもあの涙を見た時に何か全部が浄化されたりするんじゃないかなと思いますね。
あまりこういうトーナメントっていうのは世界に例を見ないと思うんですよね。
1校除いたら全部敗者になる訳ですからね。
まあ確かに光と影っていうのはね何の世界でもありますけどね。
逆に言えばみんなが敗北を通して何かを勉強する訳ですよね。
ですから僕はあんまり教育教育という言い方は好きではないんですけれどもねやっぱり敗れた人間の方が人に優しくなれたりするかもしれませんしね。
何かやっぱりそういう事でねきっと学ぶべき点っていうのは多々あるんだろうと思いますね。
今度最後にご覧頂きますのはその当時ベンチに入れるギリギリのナンバーだった背番号15番の選手に焦点を当てたものです。
ご覧頂きましょう。
今年のうちの15番はキャプテンをやっております。
決断力判断力を要求されるサードコーチャーもやっております。
チームにとっても監督にとっても貴重な片腕でありますしまた大事な戦力になっております。
今年の15番はムードメーカーでチーム一の張り切り坊やです。
ベンチ内でも全く声が絶えない子で全員にハッパをかける元気者であります。
うちの15番はレフトで6番バッターです。
まあただ一人の2年生ですが新チームの中心打者として期待しております。
地方大会で最大の激戦地区といわれるのが四国の高知大会です。
名門高知商業の野球部は部員が90人近い大所帯。
左端を走っているマネージャーで3年生の浜田浩資君も15番候補の一人です。
これからが大事ねん。
ほかの方に気持ちが向くような事のないようになひとつ野球一筋で…。
待ちに待ったメンバー発表の時が来ました。
登録メンバーを発表する。
それと一緒に背番号配るけんな。
1番中山。
はい。
2番岡村。
はい。
9番中村。
はい。
はい。
浜田君3年間の野球生活の中でやっと手にした背番号15番。
甲子園まで勝ち進めばベンチ入りできる価値ある背番号です。
高知商業として恥ずかしゅうないようにしっかり胸を張って。
県大会を制するのは甲子園で勝ち抜くより難しいといわれる強豪ぞろいの高知。
監督の指導もご覧のとおり。
考え方間違うとるやお前!
(2人)はい!それを直してこい!
(2人)はい!ばかたれが。
トロトロトロトロしおったらこら!勝てやせんじゃないか!何やそのボール。
アウトにならんわこら〜!どうしたの?ボールが当たって…。
どこに当たったの?お前ちゃんとならしちょけや〜。
危ないろうが。
何考えて練習しよん。
大会前やぞ。
15番目の選手といっても浜田君はマネージャー。
選手たちを陰で支えるのが役目です。
浜田君の家は高知市内で16年続いている魚屋さんです。
浜田君が背番号15番をもらったというので近所のお得意さんが次々にお祝いに駆けつけました。
その夜母親の鶴子さんは背番号を我が子のユニホームに心を込めて縫い付けました。
野球部に入って3年間初めて手にした背番号15。
それがレギュラーの番号ではなくても浜田家にとっては近年にない快挙です。
(アナウンス)「次は伊野商業前伊野商業前」。
春のセンバツで優勝し夏も甲子園出場を狙う伊野商業は高知商にとって最大のライバル校です。
「背番号15。
それは僕が高校に入学して初めてもらった背番号です。
1年の時の新人戦。
秋の四国地区大会。
それから何と言っても忘れられないのが初めての春の選抜大会。
15番の背番号をつけ先輩たちの一番後ろから緊張して入場行進した甲子園。
そしていきなり優勝。
数々の思い出のある背番号15。
最後となる今年の夏の大会で背番号15を更に一生忘れる事のできない背番号にします」。
片岡君は2年生の有望株で監督も彼の将来性には大きな期待をかけています。
代打の切り札としての活躍を胸に秘め連日素振りを欠かしません。
決勝の舞台はプロ野球西武のキャンプ地でおなじみの高知県営春野球場です。
試合は1対0と伊野商がリードして8回まで進みます。
8回裏高知商が猛反撃を見せます。
高知商はこの回一挙に5点を入れ伊野商を逆転しました。
9回表伊野商最後の攻撃。
ここで片岡君にピンチヒッターの大役が回ってきました。
浜田君3年間の努力が実り念願の甲子園の土を踏める事になりました。
ありがとうございます。
もうみんなのおかげで…。
もう…。
今まで足をやった時にも何べんかやめる言うた時にやめなかってよかったです。
もう皆さんのおかげで…。
もうよかった。
こればうれしい事ないです。
(一同)わ〜っしょい。
わ〜っしょい。
わ〜っしょい。
お〜!地方大会で優勝し甲子園出場が決まった翌日。
高知商では浜田君にとってとてもショックな発表がありました。
1番中山。
2番岡村。
3番楠。
4番松岡。
5番小松。
6番川村。
7番森。
8番田島。
9番中村。
10番中山マサユキ。
11番岡崎。
12番筒井。
13番ナカノ。
14番岡林。
当初はねどうしても浜田を連れていって一緒にベンチの中へ入れてですね試合をしようと思うとったんですけど戦力的に余裕がなくなりましてね。
浜田については今度はスタンドからねベンチの中におるつもりで試合をしてほしいと。
甲子園ベンチ入りの夢を絶たれ悔しさをこらえる浜田君。
僕なんかがベンチ入るよりか一人でも多く選手の人が入って一生懸命プレーしてもらった方が僕も気が楽ですしその方が高知商業の野球部のためにもいいと思うので別に何とも思わないです。
「選手入場〜」。
8月8日開会式。
浜田君の姿はスタンドに。
替わって新しい15番2年生の小笠原安成君が入場行進の列にいました。
3年間の最後の大会で甲子園にみんなと一緒に来れて本当によかったと思います。
一生の思い出になる…思いですし。
(取材者)やっぱり一緒に歩きたかったんじゃないんか?でもスタンドでも一緒ですからね。
感激は忘れない…。
宣誓!僕たちは第67回全国高等学校野球選手権大会に参加した全国3,791校の仲間たちの代表としてここ甲子園にやって来ました。
日頃から鍛えた練習の成果をこのグラウンドに思い切ってぶつけ正々堂々最後まで試合する事を誓います。
順調に勝ち進んできた高知商この日は3回戦。
対戦相手は同じ四国愛媛の川之江高校です。
今日ほんで今日勝ったらベストエイトで国体も行けるしよ。
頑張ってやってくれよ。
はい。
行ってこいや。
2対2のまま延長戦になったこの試合。
高知商は11回裏にノーアウト満塁のチャンスをつかみました。
ここで浜田君に替わってベンチ入りした小笠原君に打順が回ります。
この当たりがサヨナラヒットになりました。
(歓声)もう無我夢中で思いっきりやって…。
浜田さんも喜んでくれると思います。
アイスクリームいかがですか〜。
アイスクリームいかがですか〜。
アイスクリームいかがですか〜。
大阪PL学園の背番号15番は2年生でレギュラーの今岡友通君。
背番号何番だからっていう事は別に考えないですね。
試合出て自分の精いっぱいの力が出せたらいいなというそういう感じですけど。
やっぱり3年生の方に迷惑かけないように自分で努力していって3年生の役に立てるように頑張っていきたいですね。
いいっすか?PLと準々決勝で顔を合わせる事になった高知商。
事実上の決勝戦といわれる試合ですがナインはあまり緊張していないようです。
スタンドで応援する浜田君も自分なりに打倒PLの秘策を練ります。
高知商は2回ランナーを二塁に置いて6番の川村選手が打席に入ります。
レフトへの見事なツーランホームランで高知商2点を先取しました。
3回に4点を入れて逆転したPL5回の攻撃。
4番の清原選手です。
(歓声)6番はピッチャーの桑田選手。
強打のPLの前に高知商は6対3で敗れました。
浜田君の高校3年間の野球生活もこのスタンドで終止符を打ちました。
PLの15番今岡君は1回戦でノーヒット。
それ以降出番はありません。
三塁守ってるから5番つけたかったです。
だけど外された時もあったしスタンドから応援した月もあったし今考えてみたら一番いい背番号だなと思います。
予選でもずっと出してもらえてなかったので一回ぐらい出してもらえると思ってたけど出れんで…悔しいです。
15番でもベンチに入った人数には変わりないんですからそれには大きな価値があると思います。
やっぱり入れない人もいますからこれでも入れたっていうのはやっぱ監督さんとかに感謝したいと思います。
甲子園から地元高知に帰った浜田君はグラウンドでの熱い思いを胸に早くも新しい旅立ちの準備に入りました。
野球から板前さんのユニホームに着替えて。
もっと大きい帽子ないか?これ小さい事ないか?この帽子あなた。
浜田君ここでも当分は下積みの15番の生活が続きそうですね。
やっぱし3年間やってきて最後の夏に甲子園出れてほんまにうれしかったと思います。
でベンチじゃなくてスタンドから応援したんですけど僕も自分なりに精いっぱい自分がプレーしてるように応援してスタンドのみんなも本当に自分がプレーしているみたいに応援して負けてみんなで泣いて本当にいい思い出になったし卒業しても社会に出てもこの3年間の苦しかった事うれしかった事を思い出しながら一生懸命やっていきたいと思います。
この番組の主人公だった浜田さん今48歳になられたんですけれども高校卒業したあとに大阪で板前の修業を続けて12年前に念願のふるさとに料理屋さんを開かれてお客さんがね常連さんが当時の監督さんですとかチームメートなんだそうでね。
皆さんで草野球をされたり…。
あっ続いてるんですね。
ええ。
へえ〜やっぱり何か仲間っていいですよね。
あの〜暑くてねまあ寒い日もそうですけど苦しい練習を一緒に過ごした訳じゃないですか。
だから絆が深いからず〜っとおつきあいも続くんでしょうね。
そうですね。
それと短い間に選手が急速に変わるのも高校野球の面白さだというお話がありましたけど今の短いシーンだけでも浜田さんもそうですしそれから15番甲子園に託された後輩の小笠原選手ですか何かこう日を追うにつれて選手たちの顔も変わっていってるような…。
そうですね。
これもよくね監督さんが言う言葉ですけどねいやうちの誰々はね甲子園で成長したっていう選手がねいるんですよね。
本当に大舞台でね「水を得た魚」みたいになってね僕らが見ててもね「あれ?前の試合と全然違うぞ」っていうねそういう選手がいるんですよ。
つまりね本当にあの大舞台に行けばね何か不思議な力をスタンドが与えるんじゃないかなと思うんですよね。
これ本当にねなかなかうまく説明できないんですけどもねよく神が降りてくるとかね…いう言い方しか僕なんかできませんけれどもね本当に急速に成長しますね。
しかも短期間でね。
これは驚きますね。
やっぱり背番号もらっていない選手の分まで背番号もらってる選手って頑張ろうとするんですよね。
あいつの分まで頑張ろうとか俺がこれもらっていいのかなって思う選手もいると思うんですよね。
もしかしたらあいつの方が上じゃないかなとか。
そんなふうに選手間の中での葛藤であったりそこに例えばねたみだったりひがみだったりとかいろんな気持ちが少し交錯する事もあると思うんですね。
でもそれを乗り越えた時によしやってやるぞっていう時に人間として野球人として成長させてくれる過程ももしかしたらあるのかなって気もしますね。
そういう選手たちの間のドラマも含めて一体どれだけのドラマが積み重ねられてきたかって改めて思うんですけれどもこれから高校野球どんな事期待してらっしゃいますか?そうですね。
やっぱり私たくさんの人に球場に見に行ってほしいんですねできれば。
…っていうのは選手のですね手を抜かない全力の姿勢を見るとそこから何か感じ取るものがあると思うんですね。
でとかく例えば40代半ばとかなったりすると少しこう…会社での居場所に疑問を感じたりとかやりがいをね見失ったりとかする方もいると思うんですね。
特に何か元気をね失いそうだなっていう人には本当見て元気をもらえたりとかまだまだやれる事があるとか居場所が見つかったりとかもするんですよ。
だから是非本当に見に行ってほしいんですね。
100年間高校野球は続いてきたって何なんだろうっていうふうに私もすごく思ってたんですけどもこの全力プレーをする球児のこの全力プレーに感動する観客がいる訳ですよね。
だからそう思うと球児が全力プレーをしたのがリレーとなってたすきとなって次の世代にバトンタッチしていくっていうのが長く愛されてきた理由なのかななんて思って…感じるので是非このバットなのかバトンなのか分かりませんけどこのたすきを次世代に渡してってほしいなと思いますね。
そうですね。
やっぱり高校野球って一番のすばらしさって素材のよさなんですよね。
誰も演出家いない訳ですよね。
よく筋書きないドラマなんていいますけどねスポーツなんてもともと筋書きがない訳ですよね。
とりわけ高校野球って本当何が起こるか分からなくってですね。
地方球場でね時々見る事があるんですけどね何かこう野球の原点を感じるんですよね。
本当に白球の中にねいろんなものが詰まっていてね多分本当の主役は白球じゃないかなっていうね。
本当に急に雨が降ってきたりですよで急にね風が吹いてきたり本当に誰も予想しない事が起きる訳ですよね。
その中で対応していかなければいけない訳で先ほど言いましたけども1校除いては全て負ける訳ですよね。
そこにやっぱり何かをくみ取れっていうのは非常に残酷かもしれないけれどまあきっと人生もそんないい事ばっかりじゃないんだと。
悪い事の方が多いんだっていうね。
何かやっぱりそういうね高校野球見る事によってね気持ちが浄化される面っていうのもなくはないですよね。
そうしますとこの先のそうした白球のドラマっていうののまた新しい歴史を刻んでいく事になる訳ですよね。
そうですね。
本当100年といわず200年300年ずっと続いてもらいたいですけどもね。
やはり高校野球ってのは社会性時代性を映してる鏡であってねそことは無縁ではないと思うんですよね。
ですから本当に高校野球を今楽しめる環境っていうものがねこれはきっとすばらしい事であってね。
私は妙に脚色したり美化する事なくですね本当にみんながね素直にその素材を楽しんでいく。
これがやっぱり後にねバトンを渡せるっていいますかね時代を築いていけるね一番大きな鍵じゃないかなと思いますね。
今日は本当にどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/08/02(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「だから僕らは甲子園をめざす〜高校野球100年と日本人〜」[字]

高校野球は今年で100年。なぜそれほど私たちを引きつけるのか。敗者や控え選手などNHKがこれまで様々な角度から高校野球の魅力に迫ってきた番組からその答えに迫る。

詳細情報
番組内容
まもなく始まる夏の甲子園。1915年大阪豊中グラウンドで産声をあげた高校野球の歴史は今年で100年。去年も大会入場者数が80万人を越えるなど、依然高い人気を保っている。なぜ甲子園はそれほど私たちを引きつけるのか。高校野球人気の背景を独自の視点で考察した昭和37年の「現代の記録」、敗者ばかり取材した平成5年の「クローズアップ現代」など、様々な角度から高校野球の魅力を取り上げた番組からその答えに迫る。
出演者
【出演】スポーツジャーナリスト…二宮清純,井森美幸,【キャスター】森田美由紀

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
スポーツ – 野球
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:26683(0x683B)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: