スタジオパークからこんにちは 渡辺えり 2015.08.03


調べに対し社長は、容疑を否認しているということです。
生字幕放送でお伝えします高畑⇒すごい盛り上がり、ようこそようこそ。
伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!その大助さんその大助さんきょうも暑い中、たくさんありがとうございます。
お客様いっぱい。
ありがとうございます。
高畑淳子さんです。
よろしくお願いします。
早速きょうのゲストをご紹介します。
女優で劇作家、演出家の渡辺えりさんです。
渡辺⇒よろしくお願いします。
ようこそ。
夏らしい、涼しい風がきたようですよ。
本当に涼しいですね。
渡辺えりさんですがあしたから始まるプレミアムよるドラマ「オンナミチ」にご出演です。
おもしろいですよ。
見たんですけど、笑って泣けておもしろいドラマですね。
BSプレミアムであすスタートです。
ドラマのお話はもちろんですがなんと渡辺さん、ことし還暦をお迎えになって。
おめでとうございます。
私も還暦なんです。
去年ですけれども。
還暦を迎えていろんなことをされているということでその辺のお話も伺います。
よろしくお願いします。
渡辺えりさんへの質問メッセージ、お待ちしています。
渡辺さんスタジオのお席のほうへお願いします。
どうぞ。
よろしくお願いします。
改めてご紹介します。
女優で劇作家、演出家の渡辺えりさんです。
渡辺です、よろしくお願いします。
すごい、肩書がたくさんあって。
60でどれか1つをやらなきゃと思っても病気ですね。
いろいろやっていないと生きていられないようなそういう病気もあるんですよね。
いろいろなことをやっていないとだめみたいな?やっていないと気が狂いそうになるみたいなね。
多動性みたいなところもあるんですけどもね。
頼まれるのでやろうと思いますよ。
頼まれないで自分でいろいろやっているのは、さみしいというところありますけれども人に頼まれるのが大好きなんですよ。
にこにこ笑うでしょう頼むときは。
断ったときは暗い顔になりますよね。
あの笑顔が好きで引き受けてしまうんです。
今回引き受けてくださったNHKのドラマが「オンナミチ」。
おもしろいです。
おもしろいしじーんとくる。
20年後のオバちゃんになった自分が目の前に現れて20年後の自分からアドバイスを受けて、人生のやり直しをする。
片瀬那奈さんと渡辺えりさんは同一人物です。
左側が20年たつと…。
なるはずは、ないんですよ。
鼻の高さが全然違った。
横顔だと鼻がないということにこのたび気が付いたんです。
大変なことがあったら変わるかもしれませんよ。
すごい片瀬さんは鼻が高いわけですよ。
足りないかもしれないですけどシュールでファンタジーなところがおもしろいです。
ドラマの原作が漫画でございまして。
片瀬さんそっくりね。
北沢バンビさんが原作です。
アラサー女性の人生の選択をテーマにリアルな実態が描かれていて注目されています。
漫画だと…。
これは似ていませんけどね。
似ているかな、体形とか身長も20cmぐらい違います。
年を取ると縮むのよ。
毎年、人間ドックに行ってなんで縮んでいるのと背伸びしたりしませんか?なぜか、どんどん縮んでいきます。
このぐらい縮むのはリアルですね。
ただ鼻の高さだけです。
目とかは似ているんですよ。
なんとなく雰囲気が見ていると似てくるんですよ。
もともと顔は鼻以外は似ているんです。
どんなドラマなのかダイジェストでご覧いただきます。
主人公、山口梨花。
大好きな音楽の仕事まっしぐらかと思いきや…。
寂しさを紛らわすために誕生日を昔の男とつい過ごしてしまったり…。
残業か、大変だな。
誰のせいでこうなってんだよ!もんもんと過ごす毎日。
そんな、ある日。
おい!こんな時間まで何してるんや!だ、だ、誰?私は、あんた。
山口梨花52歳。
20年後の未来からやって来たんや!未来の私?いくら時間がたっても私がこうなるか?じゃ、結婚はいくつにする?死ぬまでせえへん。
死ぬときは誰とも疎遠になってさみしかった。
ガーン!いいことが1つもない人生じゃない!助けたる!後悔ばかりの人生を変えるためにやって来たという未来の自分のおせっかいによって梨花の奮闘が始まります。
辛抱や、辛抱!イケメンに善人なし!こんなええ男、なかなかおらんで。
は?きのうと言っていること180度違うよ。
32歳女の人生の岐路に立つ梨花。
未来の自分からのアドバイスで果たして幸せになれるのか。
やったるで!絶対見たいよね。
本当におもしろいドラマで。
芝居になりそうなね。
お芝居になってもおもしろいですよ。
えりさんが書いたんじゃないですか?うちの作品の感じと似ていますけれどもね。
関西弁の指導者が、照明係の人が唯一関西人がいていつも聞いていたんですよ。
これでいいんですか?と。
私は山形だから。
40歳になってからいって10年間だからあんまり流ちょうでもだめだという設定なんです。
なんちゃって大阪弁がいいんですね。
それが大変だったのと、このとき減量していたんですよ。
コンサートのために。
5kg減量してすごく気をつけて見ると痩せていくんです。
それもお楽しみなんです。
最初のころと最後では5kg違うというところが。
あれからさあれって分かる?魚がいるところ。
水槽から私が顔出しているシーンがあるんですけど、すごい美人なの、自分が。
恐ろしいぐらいの美人で痩せて。
そういうところを見逃さないでほしいです。
いいように変わっていくんですよね、人生も。
お互いに影響し合うんですよね。
実際どうですか?同一人物である片瀬さんと演技をしましたが真面目な方で弱音を吐かないんですよ。
朝5時から夜中の2時までハードな撮影の中で全く苦しいとか言わないんです。
みんな私も愚痴をこぼさずこの私が、最初から最後まで文句言わずにやりきりました。
そんな方いるんですね。
この世の中に2人はいるんですよ。
あまり大変で、コンサートをやりながら、これをやっていましたから、家に帰って、3時ごろ号泣して泣くときに自分が言ったせりふ諦めちゃだめだ諦め続けた人生がどうなるのかと自分の言ったせりふを自分に言って奮い立たせて撮影現場に向かいましたね。
60年間でそれをやったのは初めてです。
自分が言ったせりふに励まされて乗り切ったというのは。
名言がいっぱいあるんですよね。
オバちゃんいいこと言うんですよ。
ドラマの見どころの1つ山口梨花の名言集まとめました。
大切な恋は人生、何度もあるもんやないで。
身も心も焦がすようなほんまの恋が人生の中で何度もあると思うのは若さのうぬぼれや。
今回は大人の女にならなきゃあかん。
大人の女。
せや。
大人の女はな不倫のうわさは勲章だと思ってじたばたしたら、あかん。
うちはお父さんに親孝行できへんかったこと後悔しとるわ。
親孝行は、自分も親も命あってこそや。
ほんとだわ。
ぐっとくる、せりふが。
えりさんが言うとまた重みが増す。
本当にそのとおりだなと思って。
同世代ですから。
ちょっと今、親とけんかをしているから。
早く仲直りをしてください。
そのときにはいないんです。
どっちかが死んだらどうするの?今の感覚で、すぐに電話する。
自分が悪くなくてもすぐに親には謝ってください先に逝ってしまうんですから、こっちが先かもしれないんですけれども。
あと恋愛も、そこでやっぱり結婚すべき、迷わずにあのとき、23歳のときに結婚すればと私も思いましたからね。
ご結婚は円満じゃないですか。
40で結婚しても子どもとかできませんから私は親にまだ早すぎるというふうに反対されて23歳から24歳のときに、結婚しようと思って電話したら親が早すぎると反対されて、その人と8年間つきあったけれども分かれました。
そのときに結婚をしていれば別れたとしても子どもはいますから。
だから高畑さんが羨ましいよ。
私は、うちの教員のお父さんだったりしてかたいから結婚する人じゃないとエッチなんかしたらいけないと育ったんです。
襲われそうになったときに結婚してもらえるんですかと聞いてみんなに引かれたというのがあるから、そのときに戻って今やるんだと。
ダイレクトに。
でもそういうふうに言いたいと。
高畑さんはやっちゃって子どもがいっぱいいて。
私はそういうことになった人とは結婚しなきゃいけないと思って何回もばってんがついているんですよ。
戻したいけど、戻せないことがいっぱいあるんです。
視聴者の皆さんにも聞いてみましょう。
20年前の自分に戻ってアドバイスをしたいか。
dボタンですぐに聞けるんですよ。
アドバイスをしたいと思われる方は青ボタンです。
過去を振り返らないと思う方は赤ボタン。
過去を振り返らないというのはいいかもしれないけどあのとき劇作家協会の会長とけんかするなとかねかっとなったり酔っ払って殴り合ったりするなとか過去に注意することはいっぱいありますよ。
そうすればもっと出世したはずだという。
女性というのはまだ男女同権じゃないから日本は。
いろいろあるわけですよ。
私が都合が悪いことは全部忘れることにしているんですよ。
恥ずかしくてそうじゃないと生きていけない。
昔に戻ってこれは言いたいというのはないんですか。
ありすぎて、もう戻れない。
今は仕事も充実して、お子さんもみんなデビューなさって幸せだと思いますよ。
私はいろいろ闘ってあれは正義だと思っていてもその結果、この人じゃないですけれども、子どももいない、旦那さんもいない孤独だからこうしたほうがいいと過去に言いに行く、その設定自体が痛みを伴うというか笑えるんだけど悲しいんです。
だから全世界の女性に対する応援歌。
つまり独身女性で、働く女性に言っているような気がしますよ。
自分もそういう痛みを持っているので言えたしやれた役だなと思っています。
台本を読んだときに私は泣きましたもの。
今でも女性は仕事の中で苦しんでいるんだなというのが分かったしやっぱり働く女性を応援してくれるシステムが、なかなかこの国では作られていないじゃないですか。
なんだかんだ言っても男性中心ですから。
それで悩んでいる女性はたくさんいて負けるなと言いたいです。
頑張りましょうと手を取り合ってね。
一方で自分の過去をさかのぼって過去を変えてしまうと今の自分を否定しまうような感じにはならないですか。
この人は自分が消えていいと思って、自分を犠牲にして変えようとして来たんです。
52歳の山口梨花はこの世に存在しないんですよ。
変えたので。
自分でちゃんと選んだんですよ32歳の梨花は。
変えることによって、オバちゃんは世の中に存在しなくなるから最後に…ああ!危ないよ、本当に!今、何があったのかな?やばいよ、これは本当に。
リアリティーがあると思います。
皆さんはどう思っているのか。
見てみましょう。
アドバイスしたい方が多いですね。
それでも過去は振り返らないが半分ぐらいいます。
でもアドバイスできないんだよ。
できないけど自分自身じゃなくて今の若い人たちに自分の子どもとか、自分だけではなく血のつながりのない、今生きている人たちに助言することはできますから例えば平和な世の中をずっと続けさせるというのも私たちのやることじゃないですか。
後悔してアドバイスしたいという人のほうがそういうことをやってくれるような気がします。
過去を振り返らないと助言をしないということになるじゃないですか。
また同じ過ちを繰り返すということになっちゃうから自分ができなかったこと自分の後輩たちに伝えていくそれは大事なことだと思います。
そう思ってやりました。
それをユーモアがあって笑えるように作品としては作っています。
自分だけじゃなく、もっと普遍的な一般的な頑張っている後輩たちの応援歌として言っているという感じで私は言いましたね。
応援歌と今おっしゃいましたがそのドラマいよいよ、あしたスタートです。
皆さん、ぜひ楽しんでいただきたいと思います。
今度は高畑さんに渡辺さんにぐぐっと迫っていただきます。
プロフィール紹介です。
渡辺えりさんは1955年、山形市のご出身。
幼いころからご両親やおばあさんが民話や童話を、たくさん読み聞かせてくれたことがきっかけで物語を作ることが大好きな少女へと成長していきます。
美男美女ですね。
両親ね、こんな若くて今はもう年を取りましたけれども。
いい写真ね。
小学校に上がったころいじめに遭い、登校拒否に。
太っていてね。
四角い顔していますけれども。
しかし、そこから立ち直るきっかけとなったのが演劇でした。
犬のお母さんをやったんですよ。
とにかく体が大きかったので小学校ときはお母さんかおばあさんの役しかやっていなかったんです。
いじめられていたけれど集めて演劇をやってお客様たちがお笑いをしているそれがとてもいい気持ちで。
全く差別のないみんな平等で楽しめる世界があるんだなということでそれで作文に書いたんですよこういうことをやっていきたいと。
小学校2年生のときですね。
その後、演劇が大好きになった渡辺さん。
初めて自作、演出、主演を務めたのは小学校5年生のとき。
それは「光る黄金の入れ歯」という作品でミステリーなんです。
おばあさんが入れ歯をつぼの中に入れておいたら盗まれちゃって11人の孫の中の誰かが盗ったんだということで、犯人を捜すミステリーなんですよ。
それを私とあいだちかこちゃんという同級生で共作で作ったら評判がよくて主人公のおばあさん役を私がやったんです。
体が大きかったのであのクラスだけ先生が出ていてずるいと言われたんです。
でも先生じゃなくこれは中学校1年生のときに「帰ってきた転校生」で私が書いたやつをやったんです。
全員で出て。
セットはクラスの自画像を描いてセットにして、私は山奥からやって来た転校生の役でした。
「風の又三郎」みたいなものをモチーフにしたようなものですね。
宮澤賢治の。
演劇部ですか?中学は演劇部がなかったんです。
合唱クラブの部長だったんです。
いろんなコンテストで指揮をやっていたんですけど演劇は、高校のときからです。
1973年、高校卒業と同時に山形から上京し演劇を専門に学ぶため舞台芸術学院に入学。
ここから本格的な演劇人生がスタートします。
これはもう卒業間近で。
専修かな。
舞台芸術学院は2年間なんですけど、みんなで集まって自主的に作ることができたんです。
18年ぶりに専修科ができたんです。
そのメンバーでもたいまさこさんもそうですね。
眼鏡を掛けている方がいますね。
これがえりさんですよ。
桃井かおりさんじゃないですよ。
よく間違えられました。
そして学校を卒業後23歳のときに学生時代の同期たちとともに劇団を立ち上げ20年間主宰します。
これが劇団300
(さんじゅうまる)ですね。
劇団200
(にじゅうまる)から劇団300に変えたのは、1年間だけで、お金がなくて空中分解するとおっしゃって、美輪明宏さんに言われたんですね。
それで劇団300に変えてそれから20年間です。
アパートで共同炊事共同トイレのやつに11年間住んでいたんです。
三十いくつまで、自分のうちで風呂に入ったことがなかったんですよ。
このあと33歳ぐらいで自分ちのお風呂に入ったとき、これが幸せというものだと思いました。
午前2時に入ってだって昔11時ぐらいで銭湯は終わりだったんですよ。
だから1か月か2か月お風呂に入らないのは、昔は当たり前だったんです。
4時からしかやっていないから体を台所で洗いましたよね。
でも共同炊事ですから洗えなかったんです。
山形出身で色白だったから入らなくて済んだんです。
自分たちで全部昔は衣装は自分で出す。
自分でお金を出してやるから某デパートのローンですね。
最初に月賦をやったNHKでは言えないですけれども、まるなんとか。
そこで5年月賦、2年月賦でかつらや衣装を買っていた。
毎月3000円ずつまだですかと電話が来てブラックリストに入られたり懐かしいですよ。
この間も買いましたけれども。
大きな転機が訪れたのは28歳のとき。
演劇界の芥川賞とも呼ばれる岸田國士戯曲賞を受賞し劇作家としての注目が高まります。
耳なし豚という役をやったものですから、ゲネプロで、しかもかつらが取れている写真です。
もっときれいなんですよ本来は。
ジュリーの写真がはってあって。
押し入れが必ずあっていろんなものが出てくるんですよね。
劇作家として、ここで一躍注目を浴びますよね。
さらにこの年、山形を舞台にしたNHKの連続テレビ小説「おしん」でテレビドラマにも初出演。
それがきっかけで全国の顔となります。
田中裕子さんをいじめて乙羽信子さんに謝ったんです。
年齢とともに変わっていますよね。
「蛍の光」がスタジオで流れて花束を1回もらったんですよ。
そのあと電話がきてやっぱり出ることになったといって2人で、お伊勢参りの帰りにおしんさんのうちに行ってあのときは悪かったっすといって10ページああいう事情があったんだと話すんですよ。
よどみなく言ったときに拍手してください偉いねと言われたのに感動しましたね。
歯には何がついているんですか。
たばこの銀紙です。
私がおもちゃみたいになっちゃって、何でもやるからこれつけろ、あれつけろとスタッフがおもしろがってやって。
これが似合う人はなかなかいないですよ。
ヘアメークの人がこれをつけるからと全部スタッフにつけられたんですよ。
昔こういう歯の人いましたよね。
これは28歳のとき。
今はNHKで同じスタジオなので「あまちゃん」のときに懐かしくて泣きそうになっちゃった。
昔、5000円ずつお金をもらったのよ。
銀行みたいなところがあってはんこを押してそこで滞納していた家賃を払いましたから3か月分の。
だからNHKさまさまですよ。
その後もずっと舞台演劇を中心にドラマ、映画などでも活躍。
現在は演劇塾を主宰し後進の育成にも大いに力を入れています。
お稽古の写真ですね。
渡辺流演劇塾というやつで3年目なんですけれどもね。
ご自宅?公共のところをお借りしているんですけれども、8月19日に発表会がありまして、鈴なりで。
「夜の間で」という私が25歳のときに書いた作品を塾生たちが選んでね。
A班B班と分かれてね。
若い人の指導も大変じゃないですか。
今の若い人たち純粋な人が多いんですけれども、自分から何かやるというのを強く主張する人が昔と違っていないのでやる気があるけれどもなかなか表に出ないところがあってそれを頑張ってと励ましながらやる。
ただまじめで飲まず食わずでやるんです。
「夜の影」の再演のときですね。
この写真は私が何歳のときなんだろう。
それを塾生は今稽古をしているんですよ。
25歳のときに脚本を書いたんですね。
この写真は再演のときです。
今まで手がけた作品を一部ですけれども、スタジオに持ってきていただきました。
緑の脚本が今、写真の緑色「夜の影」ですね。
50作くらいじゃないですかね頼まれたのも入れたら。
53作ぐらいだと思います。
12月に「ガーデン」という43歳のときに書いたもの還暦記念ということで特別にやるんですけれどもね。
今もペンで書くんですか。
今はパソコンになりましたイラク戦争のときにパソコンでやらざるをえなくなって。
9999円して、この雑誌自体もう買えないんですよ。
だからきょう持ってきたんです。
1万円するんですよ今買おうと思ったらなくて。
たくさん脚本を手がけてらっしゃいますけれどもタイトルがおもしろいね。
「ゲゲゲのげ」とか。
タイトルは凝りましたね。
ぱっと見て、なんだろうと思って見たくなるようなものをすごく考えて昔のコピーライターみたいなものですね。
「光る黄金の入れ歯」とかも。
小学校5年生のときね。
すごいセンスです。
見たくなるような感じで考えました。
脚本書くときに何か基準とかあるんですか?客や役者を思い浮かべたりとか。
劇団ですからずっとあて書きです。
もたいまさこだったらもたいまさこ用に書くというね。
その役者じゃないとできないようなものをあてて書きます。
だからなかなか、別の人で再演というのは難しいんですけれどもメンバーが演劇をやめたりするでしょう。
そうすると若い人たちがやることができるようになっているのであて書きしたけれどもそれが普遍的なものになることがありますね。
だって25歳の役というのそれがなんだかできない年になりますよね。
おやりになったらおもしろいと思いますよ。
芝居ならではのうそというのがありますよね。
森光子さんとか杉村春子さんとかが二十歳の役をやっていてその年になったら私もできるなという形になりますよね。
それが舞台のおもしろいところかもしれない。
アップにならないからね。
遠目だからね。
見ている人は二十歳だと思って見ている。
そういうふうに見えますよね。
12月に中学生のセーラー服を着た役をやりますよね。
大真面目に。
あれが泣けるんですよね。
何でですかね。
いろんな思い出とともに人生がよみがえってきて。
セーラー服を着るべき年代じゃない人が着ているということが泣けるんですよね。
複雑ですね。
頑張ってやっていこうと思います。
女優でも活躍していますし劇作家、演出家としても活躍されています。
女優をやっているときに演出家の目線が出てきたりとかはありますか。
それが全く。
女優で頼まれたときはそのときだけを考えるんです。
人に、ああしろこうしろは言わないんですか。
言わないです。
全然ないです。
えりさんが一度お芝居を見にいらしたときに私の嫌いな男の子、俳優がいたんですよ。
お客さんとしてきていてえりさんが、ちょっとあんた分かってる?って言っていたんですよ。
すごくうれしかったそれがお客さんで来たときですよ。
それは演出家として見ていたということですよね?私も本当に言いたかったんですけれども言えなかったところを言ってくれてうれしかったの。
演劇はみんなのものだこんなことをやったら演劇の神様が許さないと思っていたから昔はね、そういうことを言うのが使命だと思っていたの。
でも60歳を過ぎたらそんなこと言ってはいけないと思いますね。
それぞれ思いは違うわけですしいろんな人がいるわけだから。
そんなこと言っても憎まれるだけでいいことはないと思います。
我慢するの?我慢…またそういうことを言うの。
私は我慢できずに言っちゃうの。
女優さんが言っちゃうのはいいんですよ。
だって女優さんが言ってるってだって私は作・演出してるから重くなっちゃうんですよ。
軽く言ったつもりでも。
だから本当に気をつけないとすごい嫌がられるというかさそこはうまく、まあうまくというか大人になって幼児性が強くて、正直者なんですよ。
若いときは、それが利点で進んでくることができるんだけど年を取るとそれがしゃれじゃなく冗談じゃなくなっちゃってだからここからは我慢したり包容力を出さなきゃいけないとすごく反省して私成長してますよ60になって。
遅いかもしれないけれどもそうだなと気が付いたこといっぱいありますよ。
60というお話がありましたけれどもことし還暦を迎えられて。
お写真も用意しています。
お祝いのときの写真です。
ご自宅かな?これね、違うんですよ。
たまたまアグー豚という沖縄のねあたし1月5日って1人で迎えたんですよ。
1月5日が誕生日なんですけれども、沖縄に行って辺野古基地を見たかったんで沖縄に行ったんです。
1人で行って某番組の人たちと偶然そこで会ってアグー豚、ごちそうになったんです。
某タレントさんから。
それがうまかったんで、送ってアグー豚の会をやったときの写真なんです。
お友達が集まって篠井英介さんとか。
この写真のこちら側にいるんですけれどもね。
シャンパンを某テレビ局のバラエティーのプロデューサーが送ってくださったんです。
ややこしいですね。
それがすごくうまかったんですけれどもこの写真になっちゃったのねなぜかね。
還暦のお祝いでね。
還暦の記念のコンサートもされたんですよね。
歌ね、いいんですよね。
ドラマの間にずっと練習をして。
ドラマがあってね中村獅童さんの結婚式に出られなかったんですけれどもね仕事で。
結婚式に着ようと思ったドレスをBSプレミアムのドラマで着ましたよ。
全く同じ。
「オンナミチ」で。
思い出した。
それもお楽しみですね。
自前ですから自前を着て出ているというね。
コンサートを行われたんですよね。
よくなさっていますよね。
年に2回とか3回ね。
記念コンサートのもようがあります。
♪「幸せ探してきたけれど」♪「空に満月光るだけ」♪「あなた私を好きかしら」♪「死んでもいいとおっしゃって」♪「ありがとうありがとう」♪「そのひと言を言いたかった」♪「ありがとうありがとう」♪「ラララララララララ」歌詞は?全部、私です。
周りの人への感謝という意味がこの「ありがとう」にはあるんですか。
勘三郎さんが還暦を前にして亡くなって親しかったのでね。
親友の中井由美子さんという人もがんで亡くなってみんな、還暦前に亡くなって電話しようと思った人がいないという長年、何十年の関係で分かっているということがあるでしょう。
もう私のことを分かっている人がいないわけですよ、演劇のこととか何で苦労していたとかこれから話そうと思っていた人がいなくなってしまってやりたいことがいっぱいあっただろうに突然いなくなるわけですよね。
自分は生かされているとこれは何か意味があるなとだから感謝今生きて応援してくれた人たちの感謝もあるけれども亡くなった人に対して、実はありがとうと言っているんです。
勘三郎さんって、ありがとうとよく言ってくれたんです何でもね。
でも私は山形市出身で引っ込み思案だから人にありがとうと恥ずかしくて言えるタイプじゃなかった。
思っているんだけれどもありがとうと言えない。
ストレートにありがとうと言う感じじゃなかったの勘三郎さんという人は、どんな人でもありがとうね、って本当にありがとうと言う人だったんです。
それが遺言だと思って私の親友もありがとうとよく言う人で私の記事も読んで手紙を書いてくれたり勘三郎さんも生番組で出ているとあの衣装よかったねとかあんなこと言っちゃだめだよとすぐ電話をくれる人だったんですよ。
それがもうないわけでしょうそういうことを自分がやらなければいけない。
本当にありがとうという思いを込めて、亡くなった人たちに対しても、ありがとうを今応援してくれている自分を理解してくれている人たちにもありがとうという意味で「ありがとう」を作ったんです。
感謝の意味というのもあると思いますけれどもコンサート東北でも、舞台もやられているんですね、コンサートとともに。
ありがとうという思いを込めてね。
東北が震災のあと仮設のままの人もいるし問題は何が解決していないということもあってだけど都会にいるとオリンピックも始まるしいろんなことで浮きたっていますよね。
忘れがちになります。
それが東北人としてもライフワークにして何かあったら東北、被災地に届けようという思いがありますね。
被災地の方からもらったものをきょう持ってきていただきました。
去年、南相馬で「天使猫−宮澤賢治の生き方−」という宮澤賢治の物語を舞台で回ったんですよ。
伊達の、放射能の原発で住めなくなって仮設にいる方たちが手作りでこれを作って届けてくれたんですよ。
遠いところまで車で来ていただいて。
東北の人ってこちらから何かやろうと思っても必ず愛情の形を、このような形でお返ししてくれるんですよ。
それが本当に東北の人たちの特性といいますか温かみ。
こういうのを贈ってくださる全部手作りですよ。
折り鶴で花を表現しているんですよね。
一つ一つ。
本当にこれは泣きましたね。
感動しちゃってこちら一生懸命やるんですけれどもそれに対してお返しのようなことをこのような形で心を込めて作ってくださっている。
その思いに励まされてやっぱり頑張ろうという気になるんですよね。
だから人間、持ちつ持たれつだと思うんです。
お互いを大事にしてお互い頑張って支え合って頑張っていこうというふうに思います。
1人じゃ絶対に人間は生きていけないと思うんです。
本当だ。
肉親だけじゃなくて血のつながりとか関係ないと思う。
支え合う精神的にもですけれどもそれがこれから大事だなと思ってそれをいつも教えてくださるんですよ、被災地の方が。
土をいじって暮らしていた方が土をいじれなくなってらっしゃいますよね。
80代のおばあさんが泣きながら私に言ってくれました。
土で育ってきて、土が命だ。
日本の政策もあって農業の家の人たちは土いじりをずっとやってこざるをえなかった。
それを触ってはいけないと言われたときにそのときの気持ちが分かりますか?と言われました。
めどもつかない、放射能がどれくらい浸透しているのか分からない。
でもそこで暮らしていかなければいけないでも帰ることもできない。
帰ることがいいことか悪いことかもはっきりしない。
政治的な思わくばかりでそこに躍らされざるをえないそういう人たちがいるんだということを忘れないでほしい、ということがありますね。
本当になんとかならないかな。
渡辺さんは、ふるさとでそういうことを発信していこうと思うんですね。
そうです。
あと私は人を笑わせるのが好きなんでそういうことを言いたいけれども笑ってもらえないと嫌なんです。
人が苦しんでいる顔がいちばん嫌いなのでとにかく被災地の方たちも含めて笑顔になるようなことを笑ったり泣いたり、感情を出すことがいちばん人間にとっても体にいいのでそういうことができることを続けていきたいんですよ。
最初ほら、親のためとか親が喜ぶようにとか思ったけれども親も高齢で介護施設に行ったりしているので親のためとかじゃなくてみんなのためにやりたい。
偽善者っぽいけどね。
いえいえ、私たちの仕事はそうですよ、それで成り立つんですよ。
それがないと自分も生きていけないんですよ。
孤独すぎて。
被災なさった方も違う形で命を断つ方がいらっしゃるでしょう。
自殺する方が多いんですそれがさみしいということじゃないですか。
つらいだから精神的なつながり私たちがいるということを思っていてほしいなというのは強く思いますね。
今そう思って活動されているんですよね。
最後に視聴者の方から届いたメッセージなどをご紹介したいと思います。
山形県の方からです。
50代の方です。
郷土のスター、渡辺えりさん。
お待ちしてました。
「おしん」のころからのファンです。
最近では「あまちゃん」の弥生さん再放送を何度も見て今やってますね。
魂すっぽろげでます。
どんな意味だったかな。
たますぽろぎという岩手弁ですね。
久慈のことばですね。
お会いしたことがあります。
肌がつやつやで露天風呂にオーラがたっていましたということです。
300円で入ることができるんです、うちの実家の近くの温泉。
みんなでのぼせるまで入るんですよ。
山形はいい温泉がありますよ。
石川県の方はえりさんの演技に対する真摯な思い感動しています。
パワフルな面と繊細な面を持ち合わせるそれが元気に演技に出ていると思います。
これからも、いろんな役に挑戦してください。
東京都の方はえりさんの話を聞いているとへこんでいても元気になります。
演劇やお話を若い世代につなげていくメッセージをこれからも発信してください。
ほかにも山形のえりさんの妹だという方からも2015/08/03(月) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 渡辺えり[字][双]

若い頃の自分に助言!? 還暦からのチャレンジ ゲスト:渡辺えり 司会:伊藤雄彦アナ、高畑淳子

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】渡辺えり,【司会】高畑淳子,伊藤雄彦

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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