旧日本軍にいた韓国人 映像で慰安婦や軍事裁判を証言
【ソウル聯合ニュース】韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が3日、太平洋戦争中に旧日本軍の軍務に就いていた韓国人の生前のインタビュー映像を公開した。この韓国人は、旧日本軍の朝鮮人慰安婦や日本敗戦後の軍事裁判の経験について証言している。
遺族会によると、ソン・ボクソプさん(1916年生まれ、故人)は強制徴用から逃れようと1940年代初めに旧日本軍の軍属となり、インドネシアで捕虜の監視や補給などにあたった。1945年の終戦後はスマトラ島のパレンバンにできた自治組織「朝鮮人会」の監察役を担ったが、翌年2月に連合軍に逮捕され、7月にシンガポールで英国による軍事裁判の法廷に立たされた。
◇「朝鮮人慰安婦がいない所はなかった」
遺族会が今回公開したのは1990年代初めに撮影されたインタビュー映像の一部だ。この中でソンさんは「当時パレンバンにいた旧日本軍慰安婦は『第1明月館』『第2明月館』の二つに分かれていた。スマトラでもシンガポールでも、近くに朝鮮人慰安婦がいない所はなかった」と話した。名月館の運営者は韓国人の兄弟で、旧日本軍に協力して慰安婦を管理することで庇護(ひご)を受けていた。この兄弟は日本敗戦後、朝鮮人会に入れず、むちで打たれたという話を聞いたという。
ソンさんは1992年に韓国の地方紙に対し、スマトラで朝鮮人会の幹部だったころに人員を把握するために書きとめていた61人の女性の名簿を公開し、これら女性は全員、旧日本軍の慰安婦だったと証言している。
ソンさんが連合軍に連れて行かれたのは朝鮮人会に入ってから1カ月後のことだったため、元慰安婦のその後については知らない。
◇元英国人捕虜の証言のおかげで九死に一生
旧日本軍の軍務に就いた朝鮮人はBC級戦犯として東南アジア各地で連合軍による軍事裁判を受けるケースが多かった。
ソンさんもシンガポールでの裁判で死刑を宣告されそうになり、思わず当時監視を担当していた英国人捕虜を呼んでほしいと頼んだ。ソンさんは捕虜だった中佐に人道的に接しようと努め、たばこやコーヒーをひそかに差し入れるうちに親交を深めた。知らせを受けた中佐がアフリカから飛んできて証言した結果、ソンさんは無罪を言い渡された。この裁判で無罪となった朝鮮半島出身者はソンさんを含め2人だけだったという。
しかし、ソンさんはその後もオランダやインドネシアによる軍事裁判の法廷に立たされ、戦犯として扱われた。1947年5月にようやく長崎・佐世保に移され、釜山経由で故郷の全羅南道に戻ることができた。
ソンさんは命の危機にさらされたこうした経験に対し、日本は十分に補償すべきだと訴えた。
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