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魔法の接続詞
2005/10/22 16:23

死者を讃える資格者いない
無職 加藤 敦美(京都市西京区 76歳)


 死者は、死者をして死なしめよ。
 前の戦争で死ななかった者に死者を語る権利はない。

 まして死者を裏切って米国の「手先」となり、国民を犠牲にして保身をはかる者が、どうして死者を讃えられるのか。

 戦前戦中の日本は、天皇が神であり、国民全員が生命をささげて「神の国」を完結すべきだとされた時代であった。
 海軍飛行余暇練習生(予科練)であった私も含めて、誰が降伏することなど思ったか。

 「自分は生き延びて死者を賛美する」などと考えた人はいなかったはずだ。
 だからこそ現代の日本に、死者を讃える資格のある者などいないのである。

 死を免れた者たちが許されるのは、多くの人々の命を奪った侵略戦争とファシズムの元を断つために生きることだけである。
 憲法9条が存続してきたのも、死者からの許しがそこにしかなかったからである。

 中国および韓国の反対があってもなくても、首相の靖国神社参拝は許されないのである。

(2005年10月22日大阪)


なかなか勢いのある断言型の投稿がやってまいりました。
論理的に不整合な面は勢いでカバーです。

ひとまず、死んでいない人間が死者について語る権利がないと言う根拠が判りません。
その論理がまかり通るなら、宇宙人によるアブダクティーについて論じるならば宇宙人に誘拐されてないといけませんし、ニュータイプについて語るならばファンネルくらいは操れないと話にならなくなります。

もし、何かを語る上での必要条件がそれだとすると、日本中のSF系の即売会はどえらいことになってしまうでしょう。
会場中を駆け巡るサイコフレームの光。お互いの手術跡を見せ合うマニアたち。誰かが下品なギャグを言おうものなら、怪しげなボタンを押して地下へと放り出す顔色が悪い主催者に、3分間だけ巨大化する観衆。会場を仕切る壁はモノリスで覆いつくされ、骨を投げる度に進化していくオタクたち。

この世の地獄絵図です。

戦時中「自分は生き延びて死者を賛美する」と考えた人間がいないからといって、どうして現代の日本に死者を讃える資格のある者がいなくなるのでしょう。不思議さ大爆発です。

それならば同様に、戦時中には「自分は生き延びて侵略戦争とファシズムの元を断つ」と考えていた人間もいないわけですから、過去の日本を糾弾できる資格のある人間も存在しなくなってしまいます。

また、9条のみが死者からの許しを得たので、9条は今日まで存続できたのだと断言するなど、死者を語る権利のない<前の戦争で死ななかった者>であるのに、死者の弁を語る権利を投稿者は有しているみたいですね。
それとも、実は前の戦争で投稿者は亡くなっていたというオチですか?

そもそも、死者は自分たちが侵略戦争とファシズムに片棒を担いで死んだと、後世に残して欲しいと真剣に考えているのかはなはだ疑問です。

普通の感覚を持っているのであれば、自分の死くらいは称えて欲しい願うのが人間ですが、何ゆえ英霊たちは自分たちの生き様を卑下したがるのでしょう?

ほんと朝日の声にある「だからこそ」や「だからといって」という接続詞は、次にどのような論理でも紡ぐことの出来る魔法の接続詞ですよね。

しっかし、<死者を裏切って米国の「手先」となり、国民を犠牲にして保身をはかる者が、どうして死者を讃えられるのか>との主張からすると、 頭の中が大東亜共栄圏な上に反米思想で、国民の安全のためならば不審船にミサイルを全弾命中させるような極右首相ならば、靖国神社に参拝しても良い事になってしまうのですが、そういう解釈で良いのでしょうか?

カテゴリ:微妙な投稿

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