ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 85 ひとりでも生きられるを読んで 秋元才加
ナツイチの最後は、才加にしよう。
才加、卒業おめでとう。
私は、AKBが一定のクオリティを保てたひとつの理由は、才加のおかげだと思っている。
ただ、私の想像では、たかみなが絶対的な総監督であることや、当初は1期2期の確執があったこともあり、たかみながAKB全体、グループ全体を見渡せる立場であるのに対して、才加はあくまでチームKのキャプテンという位置からの、発言・行動に狭められてしまったところがあると思っている。
もし、才加が一期生であれば、才加が総監督となり、AKBとしてもグループ全体としても、もっと違うものになっていたと想像する。
ただ、そちらの方が良かったかどうかは、いろんな要素が変わってくるからなんとも言えない。
違っただろう、と言えるだけである。
そんな才加に対して、私は思い出が2つある。
ひとつは、一昨年の12月。
伊達娘がどうもスランプでおかしい、ファンレターに問題点を書いても反応が悪い、なんとかできないかなあと思って、私はちょうど悩んでいた。
握手会の日、才加の握手券を1枚だけ持っていて、なにを話そうか考えていると、才加と伊達娘はRESET公演で関係もできたことだし、才加に伊達娘のことを言ってみればいいのでは!とふと閃いた。
そして、10秒で会話できる内容を何度も何度もアタマの中でシミュレーションして、本番に臨んだ。日立製作所を懲戒解雇される時よりも緊張した。
いざ握手になると、掴みのところでの才加の食いつきが想像以上に良く、10秒で伊達娘のファンであることを説明しただけで終わってしまった。
その後で、あまりに後味が悪かったので、言おうとしていたことを2枚くらいに纏めてファンレターに書いた。
もうひとつは、昨年の2月か3月頃だろうか。
チームK公演の終わりの挨拶で、佐江が、若手が頑張っていることを熱く語った。
その時の才加はあまりアクションがなかった、てか、いなかったのかな。
その次の公演で、才加もやはり熱く語ったのであるが、その内容が、私がファンレターなりGoogle+なりで言っていることばかりだったのだ。
才加は私のファンレターを明らかに意識しており、ファンレターの内容が読みたいだろうと勝手に解釈して、これまで伊達娘ら研究生宛に書いた中で、キャプテンとしても読んで欲しいことを、A4で三十数枚集めた。
当然普通の封筒には入らないので、A4サイズの封筒に入れて、それを才加に送ったのである。
そういえば、私はたまたま震災前に福島第一原発に入ったことがあり、そのときもらった、福島第一原発のいいことばかり書いた紹介用パンフレットをいくつか持っていた。
人間の過ちの記録として、伊達娘にあげようと思ったのであるが、当時伊達娘はまだ研究生で、ファンレター以外出せなかった。
そこで、プレゼントを出せる正規で適任者をアレコレ考えて、才加宛てに出した。
そんなこともあった。
あのときはどうして才加宛に出したんだっけ?理解してくれていると思ったからか?
さて、才加の感想文であるが、"怖い" "出来ない" "わからない" と、後ろ向きな言葉を多用し、さらに "気がした" と、歯切れの悪い言葉で結んでいる。
どうも、
"ひとりでも生きられる"
という、この本の結論に対して、才加は納得していないのだと思う。
その思いが、ネガティブな語尾となって現れているのだ。
これまでの才加のハッキリ言えないシャイなところを考えても、断言していいと思う。
特に、
"私はまだ傷付くのが怖い。
情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。"
このネガティブな2行こそに、才加の切実な思いが詰まっていると思う。
その思いの真相を突くために、さらに突っ込んで考えると、
"私はまだ傷付くのが怖い。"
傷付きたくない人間がこんなことは書かない。
傷付きたくない人間は、自分が怖れるようなことには言及さえしないのである。
才加は、それでも傷付きたい、けれどもどこか怖い、と言っているのである。
まるで、エッチ初体験を怖がる女性そのものである。(私も実体験ではなく書物などからの知識であるがw)
同じように、情熱を持って愛にぶつかりたい、とも言っているのである。
才加の、樹木希林のような女優になりたいという夢、そのために、DiVAをはじめ、これまで同様の活動を続けていくという宣言は、私には生ぬるく受け取れるし、必ずしも本心からではないと思う。
私は昨年初から、もっと大きく出て、才加の少々ワイルドな顔形は海外でこそ評価される。だからハリウッド女優を目指せよ、と言っているのだが・・・
才加も、乙女チックなところもあるんだし、私なんかが言うよりも、誰かもっと強力に後押ししてくれる人がいればいいのに、と思っている。
才加に向けて、「ハリウッド女優を目指せよ」と、傷付けてしまうほど真剣に、情熱を持って愛をぶつける人がいればいいのに、と思う。
それはもちろん無責任な応援ではいけない。「僕も仕事を辞めてでも一緒に行こう。お金もないけど、なんとかなるだろう。」と言い切れるくらいの真剣さが欲しい。
そして、この感想文で煮え切らない才加には、さらにもう一言付け加えたい。
「ひとりでも生きられるかも知れない。けれども、一緒に生きよう。」
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ひとりでも生きられるを読んで 秋元才加
http://kansoubun.shueisha.co.jp/akimoto_sayaka/
この本を今の私の年齢で読ませて頂けた事を有難く思う。
色々な愛の形があり、人生を生きる為のヒントが沢山ちりばめられていた。
「人は別れるために出逢う」
文字だけを見ると、出逢う前から別れを意識しながら人と出逢うのか…と少し寂しく思う人も居るはずだ。
それは、違う。この言葉は、愛が無くては生きていけないが、滅びることのない愛もまた存在しない。
しかし、滅びる約束があるからこそ一日一日をより大切に愛を大事にしながら生きていこうと教えてくれているのだ。
沢山の経験と恋愛を経て、幸せと喜びを感じ、時には傷付きたいと思った。
傷付くのは、相手ときちんと向き合っているからだと思うから。
私はまだ傷付くのが怖い。
情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。
どんな結果であっても、一つ一つを自分の養分に出来るような、そんな女性でありたい。
その上で、愛される事で見つけられる自分の中の女を、自分で馬鹿だなあと少しあきれつつも思う存分味わいたい。
どんな愛の形だとしても、正しい答えなんて誰にもわからない。
解っている事は、「人間だから。」
そう思えたら、もっと素直に情熱を持って生きていける気がした。
そして、肉体的、精神的にも自立して生きていけたらと思った。
沢山の出逢いや別れを繰り返し、愛し愛され、何万の人と交わっていく中で、人の温かさ、生の喜び、悲しみ、人間のあわれと愛しさを学ぶ。それらを理解するという事が、本当の意味での、ひとりでも生きられるという私のこれからに繋がっていく気がした。
「ひとりでも生きられる」
著者:瀬戸内寂聴
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