なんだかヘンなのが判っていても、どうしても「まさきさん」になってしまう。
きみは、ぼくより、ずっと年下なのだから日本語の慣習に照らして「まさき」と呼べばよさそうなものだけど。
まさきさんは、二十歳でしょう?
20歳の頃、ぼくは太陽を見つめる人のように暮らしていた。
半分盲目だった、という意味ね。
ぼく自身よりも、ぼくを生きさせているエネルギーのほうが勝っているような居心地のわるい毎日だった。
朝、目が覚めると、連合王国の、取り澄ました人間ばかりが住んでいる嫌味な大学町を、あてもなくほっつき歩いたものだった。
ほんとうは、町の角角に火をつけて歩きたかったんだよ。
ぼくはあれほど自分の恋人や友達や、大学の皮肉屋で愉快な教師たちですら愛していたのに、世界が嫌いだった。
心から、途方もなく、嫌いだった。
すべてが滅びてしまえばいいとおもっていた。
いま考えても、なぜだか判らないけど。
世界が憎いというより、自分が、この人間を睥睨するような、得意になった、
「輝かしい世界」に住んでいる事実が耐えられなかったのだとおもいます。
ぼくをこの世界に耐えさせたものは海だった。
父親が持っているボートのうち、ぼくは、海面を滑るように走る、フランス人たちがデザインした、31フィートのスループが好きで、連合王国の冬、ニュージーランドの夏のマリーナに着くと、待ちかねたように海へでていった。
きみは、海に出たことがあるかい?
陸地が見えているうちは、おかの上にいるのと変わらない。
素晴らしいのは陸地がみえなくなって、太陽や星のほかは方角のあてがなくなって、ただGPSだけを頼りに帆走しだしてからで、そこではきみはひとりぼっちで、晴れた昼間ならば、ただ太陽だけがきみの顔見知りになる。
小さなイルカたちがきみのボートに伴走する。
まるでヴァイニルかプラスティックで出来ているような光沢の黒い背の、
シャチの家族がきみのボートの前を横切っていく。
いちばん怖いのは鯨で、あの神秘的な、どんなに鈍感な人間でもaweを感じるような、鯨たちの息づかいが聞こえてくると、きみに出来ることは、どうか、不意に海上に現れて、このボートを転覆させないでください、と神に祈ることだけになる。
いまぼくは「神」と書いて、きみが知っているように、ぼくは世界を説明する仮定として、もう神様を捨ててしまったのをきみは知っているから、笑うだろうけど、でも神様はぼくの母語にもぐりこんでいて、至るところで顔をだす。
日常からはみだしたものを見ると、「おお、神様」と呟いてしまう(^^;
夜には、ぼくはキャビンの屋根の上に寝転がって、まるで夜をくもらせる天上の煙のような満点の星をみるだろう。
きみが住む日本ならば南の空にみえるはずの「天の川」は、ニュージーランドでは、きみの真上にみえて、夜の空を引き裂くように闇を横断している。
寝転がって、その神様がつくったショーでもあるようなミルキーウエイを見ていると、海にたったひとりのときは、きっと泣いてしまうんだよ。
感傷的になるのではなくて、情緒ですらなくて、きみはなんだか自動的に泣いてしまう。
甲板の指示灯を消して、まっすぐに腕をのばすと闇のなかに、すっと自分の手のひらが消えてしまうような濃い闇のなかで、きみはひとりぼっちで、
いつでも自然に殺される準備ができて、でも、そのとききみは、この世界を愛しはじめるに違いない。
…
正直に述べて、さっきから、舵輪をしばりながらフラスクに口をつけて水のように飲んでいたウイスキーのせいもあるのだけど。
きみは、なんだかびっくりするような感情の、高い崖の上から流れ落ちる水のような世界への愛のなかで、びっしょり濡れて、もし陸の上でそんなことが起こったら、恥ずかしくて二度と町を歩けなくなる激しさで、泣きだしてしまうだろう。
数日の航海が終わって、マリーナにもどって、まるで何事もなかった人のように、きみは舫いにボートをしばって、クルマに向かって歩いていく。
きみは世界と和解して、もう少し生きてみてもいいとおもっている。
この世界は醜悪で、きみが世界をもう少しだけいい場所にするために試みることの、たったひとつさえうまくいきはしない。
敗北につぐ敗北だとおもう。
敗北につぐ敗北!
どんなときでも賢人たちは、あらわれて、なぜきみがダメなのかを説明するだろう。
もっと効率よく世界をよくするためには、どうすればいいかを教えてくれるだろう。
でも、そんなことは、ほんとうは、どうでもいいんだよ。
きみが、この世界を生きていくことは、陸地のみえない海を航行することに限りなく似ている。
頼りにしているのはGPSだけど、それもダメになってしまえば昔ながらの羅針盤に頼るしかない。
自分を包みとって消化してしまいそうな闇のなかを滑るように移動している。
やがて仲間たちがみえてくる。
水平線に太陽の光があらわれると、まるで、それは奇蹟のようです。
ほんとうに夜明けがくるなんて、神様の悪い冗談のようだ、ときみは考える。
そして、きみが信じても信じなくても、やがて空はあかるんで、輝く午後があらわれる。
そして、きみは太陽になる
誰かに見つかって損なうことがないように隠しておいた自分が顔を出す感じがしました。
勇気が出ます。
できることをやろうと思い続けていられそうです。