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 日本の転換点になった出来事は何か。この質問へのあなたの答えは何ですか? 政治、経済、はたまたスポーツ……。アンケートに寄せられた回答からは、みなさんが戦後の社会の変わり目を考えるときに、二つの大きく異なるイメージでとらえていることが浮かび上がります。各界で活躍するみなさんの回答とともに探ります。

■今も昔も戦争の「影」

 「戦後日本の転換点はいつか」を尋ねたアンケートには140件の回答が寄せられました。1946年の日本国憲法の公布や51年のサンフランシスコ講和条約、そして同年の日米安全保障条約締結……。敗戦から新しい国家の「かたち」を生み出す過程で節目となった出来事を転換点とする回答が多いのが特徴です。憲法については「新しい平和=民主国家のスタートライン」(男性70歳以上)、日米安保は「軍事費が軽減」でき「経済発展に邁進(まいしん)できた」(男性70歳以上)。戦争の「影」から抜け出す転換点ととらえています。

 加えて、目を引くのが2012年の第2次安倍政権の発足以降の集団的自衛権の行使容認や、現在参議院で議論されている安保法制の整備を転換点と考える回答です。つまり、「いま」を戦後社会の転換点とみるこうした人たちは「戦争が非常に現実味を帯びてきた」(50代男性)など、次の戦争の「影」を転換点から読み取っているようです。

 この70年間は「戦争をしなかった」「戦争がなかった」と言われます。ですが、回答を読むと、70年たった今なお、私たちの社会と戦争のイメージは強く結びついているように読めます。

■好景気の興奮と憧れ

 経済的な転換点で目立ったのは、1964年の東京五輪に象徴される高度経済成長と、バブル崩壊です。体験や実感に裏打ちされた回答が多く寄せられました。

 「体育館に集合、皆で見つめた開会式は感動でした」。60代の男性は東京五輪をそう振り返ります。テレビ映像に興奮した体験を思い出しながら、五輪を「世界に敗戦からの復興を知らしめた」決定的な転機と考えます。

 50代の男性は、五輪に先立って同年開通した東海道新幹線を「経済発展の巨大バズーカ」と表現。今も新幹線に「頼もしさ」のようなものを感じるそうです。

 自分は体験していない出来事を「転換点」と考えた人もいました。戦後は経済とともに「成長してきた」とし、転換点をバブル崩壊と答えた10代の女性は、親や学校の先生から聞くバブル時代の「豪華さ」を「時々羨(うらや)ましく思う」といいます。投稿の最後には、こんな実感も。「楽しかったんだろうなあ」

 国の「かたち」を根本的に変えてしまう戦争への不安と、社会をがらりと変える経済のパワーへの憧れ。戦後の社会像はこの二つで形づくられているように思います。(高久潤)

●マサチューセッツ工科大名誉教授(歴史学) ジョン・ダワーさん 手ひどい敗戦を経験した直後の「再出発」 私の著書「敗北を抱きしめて」は、この時期の日本人について書いている。当初考えていた「再出発(スターティング・オーバー)」という書名は、「離婚女性のマニュアルのようだ」と出版社から却下された。だが、この言葉こそ、この時期の日本にふさわしい。日本はなぜ間違えたのか。日本とアジアに多くの犠牲者を出した国を、どう作り直すか。多くの国民が真剣に考えた。悲惨な戦争が終わり、疲れ果てた大衆は、弾力性をもって生き生きと自分たちの生を取り戻し、やり直そうと試みた。戦後日本が達成したことは、驚嘆に値する。

●東大カブリ数物連携宇宙研究機構機構長(素粒子物理) 村山斉さん 1949年、湯川秀樹さんのノーベル物理学賞受賞 日本という国に国民が自信をなくしていた中、「世界に認められる仕事が出来る」という気持ちがよみがえった契機だった。2012年に発見されたヒッグス粒子の働きで、電子は原子の中にとどまれる。その力を「湯川力」と呼ぶ。私の最新の論文も「湯川粒子」と謎の物質ダークマターとの関連を示したものだ。素粒子物理学の研究者で「ユカワ」という言葉を聞いたことがない人はいない。日本が基礎科学を生み出す国であるのは広く認識されている。湯川さんのノーベル賞受賞は、日本人の強みが世界的に認められた転換点でもあった。

●諏訪中央病院名誉院長の鎌田實(みのる)さん 1961年に確立した国民皆保険体制 「保険証」があれば、庶民でもきちんと医療を受けられるようになった。日本の宝物だ。私の母は慢性的な心不全だった。我が家は貧しく、父は、入院している母のためいつも夜遅くまで働いていた。皆保険体制が確立した後、母は手術を受けることができ、元気になった。

 母親が受けた外科手術は医療体制が確立していなかった頃は庶民にとって、とてつもないことだった。国民皆保険で救われた人はたくさんいただろう。この体制のおかげで、日本は長寿国になれたのではないだろうか。私が医師になった理由の一つに、世界に類を見ない国民皆保険体制を守りたいという思いがあった。

●女優・ライフコーディネーター 浜美枝さん 64年の東海道新幹線開通 ビジネス、観光、ライフスタイルは大きく変化しました。旅が日常の私にとっても、その恩恵は計り知れません。けれどそれを機に、日本の風景は変わりました。行く先々で目にしたのは、茅葺(かやぶ)きの家が無残に倒され、新建材の家に建てかえられていく姿でした。しかし、半世紀がたった今、人々は日本の暮らしの美を、風土に息づいた家や懐かしい景観を、改めて求め始めています。

 東京オリンピックというエポックを控え、これから日本はまた変わっていくのでしょう。慎重に丁寧に、何事も進めていってほしいと願わずにいられません。失われたものを取り戻す難しさと大変さを、私たちは身をもって経験したのですから。

●元グーグル日本法人社長 村上憲郎さん 池田内閣の所得倍増計画のただ中で実施された64年の東京五輪 地方の労働力が五輪準備に象徴される首都圏の経済発展に吸収される中、その仕送りを受ける地方都市の留守家庭にも、「三種の神器」のテレビが一気に普及した。人気番組は米国製のドラマ。米国の流行歌も「夢であいましょう」「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒットパレード」といった番組で紹介されていた。高校3年生であった私は20年前まで日本が米国を相手に戦争していたなんて全く感じることなく、大学入試を半年後に控え、「でも五輪中継は見なければならない」と言い訳しながら、舟木一夫の「高校三年生」を甘酸っぱい気持ちで口ずさんでいた。

●慶応大教授(財政学) 土居丈朗さん 財政健全化の目標達成年次や主要経費の量的縮減目標が規定された財政構造改革法の停止(1998年) 石油ショック以降、不景気になる度に景気対策として赤字国債を増発しながら財政出動がなされた。財政悪化に懸念が生じると、財政再建に取り組む内閣が現れた。橋本内閣の下で制定された財政構造改革法では、法律の条文に財政健全化の数値目標も明記した。しかし、97年の金融危機で、結局同法は停止された。法律に明記しても覆されるのなら、どんな方法でなら覆さずに初心貫徹できるのか。同法停止によってもはや、わが国では財政健全化の達成を信頼できる形で示す方法はなくなってしまったのかもしれない。

●映画監督・作家 森達也さん このままなら2015年の国会。そしてその起点は1995年の地下鉄サリン事件 地下鉄サリン事件によって他者に対する不安と恐怖を激しく刺激された日本社会は、集団化のスイッチを入れた。集団は全員で同じ動きをしたくなる。つまり同調圧力が強くなる。集団は集団内に異物を探す。探して排斥したくなる。さらに集団は号令が欲しくなる。管理統制への希求だ。そして外部の敵を強引に可視化したくなる。号令を発する為政者は可視化された敵を叩(たた)けと宣言する。東日本大震災によってさらに背中を押された集団化は、安全保障法制によって最終形を迎えようとしている。ならば日本は2015年、戦後の歴史にピリオドを打つ。

◆いただいた回答を短縮しました。全文は朝日新聞デジタルのフォーラムページに掲載しているか、近く掲載します。

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 「日本の『戦後』」のアンケートを朝日新聞デジタルのフォーラムページ(http://t.asahi.com/forum別ウインドウで開きます)で実施中です。ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするへ。