70年前、昭和天皇が国民に終戦を告げたラジオの「玉音放送」を、宮内庁が録音原盤から再生し、公表した。

 放送を境に、それぞれの戦後史が動き出した。当時を生きた人もそうでない人も耳を傾け、あの戦争から学ぶべきことに思いをめぐらせたい。

 「玉音」という響きすら、若い世代にはなじみがないかもしれない。明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」とし、天皇は神格化されていた。当時の国民は、この放送で初めて、昭和天皇の声を聞いた。

 人々はラジオの前に集合し、起立して耳をそばだてたが、雑音が多いうえ難解な漢文体で、内容が分からなかった人が少なくなかった。敗戦がおおむね静かに受け入れられたのは、話の内容より、天皇がじかに語ったという事実だったと、のちに社会心理学者は分析している。

 当時の様子を、多くの人が書き残している。敗戦のショック、厳しい生活からの解放、今後の苦難への不安など、わき起こった感情は一様ではない。

 昭和天皇が読み上げたのは「終戦の詔書」だ。前日の閣議などで、表現をめぐり激しい議論があったとされている。

 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の部分がよく引用されるが、全文を通して見聞きした人は少なかったのではないか。

 詔書には、敗戦、降伏といった表現はない。軍人、官僚、国民はそれぞれ最善を尽くしたと評価する一方、それでも戦局は好転せず、原爆投下が追い打ちとなってポツダム宣言の受諾に至ったと経緯を説明する。

 戦争は国内外のおびただしい人命を奪い、あらゆる不条理を強いたが、なぜこんなことに、という疑問には答えていない。国策の誤りをめぐる責任の所在のあいまいさや歴史認識の曲折は、現在に至るまでこの国が向き合わざるを得ない課題だ。

 公開は、天皇が今年の年頭所感で「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに言及したことを改めて思い起こさせる。一人ひとりが向き合っていくことだ。

 終戦を決めた御前会議が開かれた防空壕(ごう)の現況写真も公開されたが、激しい劣化ぶりだ。皇居の吹上御苑の中にあるが、長年にわたって雨水や泥が入り込み、壁や床が腐食している。

 宮内庁は今後も特に保存措置はとらない考えというが、現代史が切り替わった場面の一つである。後世の人たちが訪ねられるよう、当時の様子を再現し、保存すべきではないか。