日韓条約と竹島問題


 昭和40(1965)年の日韓条約は、日韓基本関係条約と四協定(漁業、請求権および経済協力、在日韓国人の法的地位、文化財および文化協力)、そして「紛争解決に関する交換公文」からなり、現在の日韓関係の基礎となる重要な条約である。

 日韓条約のうち竹島問題に関するのは「両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって解決を図るものとする」という「紛争解決に関する交換公文」である。

 同3月30日に椎名悦三郎外相は、竹島問題については「竹島問題を解決する的確なる方法を決めるということ以外にはないのでございまして、今日の場合においては、この目途をつけるということによって一括解決を図りたいと、かように考えております」と国会で答弁した。
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日韓条約調印式で韓国の李東元外務部長官(右から2人目)に続き金東祚特命全権大使と握手する佐藤栄作総理大臣(左から2人目)。顔をそむける佐藤総理の表情が、交渉での日本側の苦い思いを示すようだ=昭和40年6月22日、総理大臣官邸
 竹島問題は日韓会談の議題ではないとする韓国の強硬な態度の前に、日本は「竹島問題の解決なくして国交正常化なし」という姿勢から後退。しかも、竹島問題を「解決」するという約束が「解決の目途」をつけることへと変わっていたのである。  

 日本が「解決の目途」としようとした交換公文の作成は、日韓条約が調印される同6月22日の5日前から行われた。日本側原案では「紛争」は竹島問題を含むと明記していた。しかし、韓国はこれに反対して日本が譲歩し、交換公文の文言からは竹島問題の表記は消えた。

 さらに、6月22日の調印45分前の午後4時15分に始まった佐藤栄作首相と李東元外務部長官の会談で李長官は、「両国間の紛争」を「両国間に生じる紛争」として「紛争」が竹島問題を除いたものを意味するよう要求した。佐藤首相は「今までの日本側の案ですら、自分の予想を超えた譲歩であるので、自分としては不満であるが、大局的見地からこれを承認することにした実情であるので、これ以上の譲歩は不可能である」と述べて拒絶した。

 それでもなお、李長官は「帰国後、本件了解には竹島が含まれないとの趣旨を言明することがあっても日本側からは直ちに反論を行わないでほしい(我々の命にかかわる)」「もっとも、日本で後日、国会で竹島を含む旨の発言を差し控えることまでお願いするつもりはない」と懇請し、佐藤首相も了承した。

 8月9日の韓国国会で李長官は、交換公文に「独島問題が包含されていないことは椎名外相また日本の佐藤首相も了解した」と、佐藤首相の了承とはまったく異なる発言をした。佐藤首相も椎名外相も当然この発言を否定した。

 こうして、日本は竹島不法占拠を解消できなかった。日本政府は交換公文の「紛争」は竹島問題を指すと説明したが、韓国政府は「紛争」とは竹島問題ではない、すなわち日韓間に領土問題は存在しないと強弁して竹島の不法占拠を続けている。

 議事録に残る、日韓会談で日本が韓国に示した多くの配慮と譲歩は問題解決に役立ったとは思われない。

 なお、日韓条約締結時に竹島問題を棚上げするため「竹島密約」があったという説がある(ロー・ダニエル『竹島密約』平成20年)。

 「竹島、独島問題は、解決せざるをもって解決したとみなす。したがって条約では触れない」。すなわち「(イ)両国とも自国の領土であることを認め、同時にそれに反論することに異論はない…略…(ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない(二)この合意は以後も引き継いでいく」というものである。

 密約の存在を日本政府は否定しているが、もし事実ならば、条約締結後に竹島の不法占拠を強化して「現状を維持」していない韓国は約束を反故にしているのであるから、国際信義にもとるものである。

 国際法上、紛争発生(竹島問題ならば昭和27年)後に、当事国が自国の立場を強化するためにことさら執った措置は、領有権の判定に際しての証拠にならないことも知っておきたい。