久しぶりに三浦半島に行った。
以前は頻繁に潜りに行っていた三浦半島。葉山付近から南部にかけては、軒並み潜り歩いた。千葉から一番近いダイビングポイントとなったのが三浦半島だ。日本中の多くの人たちから「千葉は周りを海に囲まれているから、どこでも潜れて良いね!」と、言われる度に、「まぁ〜...」と、かわしてきたきたけど、千葉は生漁としての商いが強く、特に磯周りの素潜り漁が盛んなため、観光地化することを望まない風土があり、観光客やレジャー客を受け入れ辛い土地柄だ。それだけに、伊豆半島などで盛んに誘致した観光化が遅れ、今でも昔同様の風土が変わらずに続いている。
これは重要なことであり、不要なことでもある。考え方を検討しなければならないことだが、今という現状から過去を振り返ると、「変えないことが重要」でもあるが、今から未来(子孫の時代)を考えると「変えることが重要」であるともいえる。
千葉も最近では遅ればせながら、観光地化に向けての取り組みが盛んになったものの、それは一部だけであり、他の地方には及ばないのが現状だ。(森田知事も頭のてっぺんから声を荒げて奮闘しているね。皆で応援しよう!)
それに対して、三浦半島の観光化は歴史がある。そもそも、この地が観光化された理由として、”東京から一番近いリゾート”という認識の高さが首都圏の人たちから指示されていることだと思う。
しかぁ〜し!何といっても、この地の観光化に一番貢献したのは、源頼朝だ。頼朝はこの地を度々訪れている。日本統一を果たした武者が選んだ、”幕府から一番近い憩いの場所”だったのだろう。
これを機に、一般人からも人気を博したのだ。ちなみに、この地の「城ケ島」を命名したのも頼朝という説があるほどだ。
そうそう、今日は歴史の話しではなく、ダイビングに行った?のだから、海の話しをしよう!そもそも、この地はダイビングに開放された場所ではなかった。それまで半島の北西部に潜っていた頃、この近隣の地を守る三カ所の漁協が合併するという情報から、その代表を務めることになった組合長に直接お会いして、ダイビングの話しを持ちかけたところ、組合長が新たな取り組みとして許可が下りたことがきっかけで、この地にダイビングが根付いたのだ。その歴史も今となっては古い話だね。
いやぁ〜、この日は猛暑だった! だけど、漁協の脇の日陰は風が通り、早朝は涼しかった。けどぉ〜、そこに昔の侍?八十歳を超える漁師(現役)が近づいて来て、懐かしい昔話を始めた。ところが、昔の話を知っている俺を同業者(漁師)、同年輩?と間違えて、ノリノリで話をするのょ〜!、俺も、止めればいいのに、その頃の話を返したもんだから、盛り上がる!盛り上がる! 気がついたら、メンバーは出船!!
その後も、漁師は二人三人と増え続け、ダイビング中は話で終わってしまった。だって、懐かしい組合長の話しや、以前に行われれていた”サンマ漁”や”サバ船”を知っている人は、地元衆でも少ないというのだから、それを知っている俺を漁師と思ったのは仕方のないことだ。まして、個人の名前を出されて知っているのだだから、盛り上がるに決まっているよね。懐かし〜〜〜けど、けっこう疲れた。暑さは大したことなかったけど、お爺ちゃんの熱気が暑かったよ。
そんでもって、皆が帰ってきた後は、タイトルの通り、”YAKITORI”だ!これは遊びじゃない。Production study!なんて立派なものではないものの、真剣なテストだったことは間違いない!
来る9/13(日)(9/6から13に変更になりました!)に行われる、世界最大級(言ったもん勝ち)のイベントMarché de la merに出店する「世界一の焼き鳥」を作るための研究だったのだ!
それが、この写真。
今までも度々行ってきた焼き鳥なので、得意な料理であることは誰もが認識してチャレンジしたものの、売り物として完成度を高めようとすると難題が山積となった。「食べられれば良い」ではなく、「食べた人に感動を与えよう!」というのだから、素人では無理だ。その目的を達成するための「焼き鳥専用調理台」”世界の〇立”に作ってもらった。これだけでも凄いことだよね。
そして、焼けたのがこれ。
持っている限りのノウハウを駆使して、試行錯誤の結果出来上がった焼き鳥は、作り手が感動したほどの「世界一の焼き鳥」が最後の最後に完成した。
この瞬間に「世界の山ちゃん」を超えた「世界の〇べちゃん」が誕生した
これで、今回参加したメンバーの職を失った後の将来が決まったようなものだ!と、心の中でニヤケながら、「もし、そうなったら、たくさん食べさせてもらおう」と考えていた女性参加者も居たと思う。考え方の基本が「損&得」だからね?嘘だよ!それは俺のことだ。
なんて大笑いしながら過ごした「焼き鳥実験研究冒険未知との遭遇ツアー」は、無事に終了した。
のだがぁ〜...これが本番に通用するのか?は、定かではない。
もイッチョ!練習すっぺかぁ?
愚羅地蔵尊仁より
2015年07月28日
Purpose=YAKITORI
posted by 愚羅地蔵尊仁 at 08:00| 日記
2015年07月27日
Summer memory
25日は隅田川花火大会が開催された。
生まれ故郷の夜空一面に夢の花が満開に咲いた。
目と鼻の先に見えるのが東京スカイツリーだ。日頃多くの人にもてはやされている東京スカイツリーも、この日ばかりは主役を奪われてしまう。
だが、今年は少し様子が違っていた。花火に合わせて、瞬時に照明が変わり、驚くほどのタイミングで美しさを表現していた。
日本一の花火にも負けないくらい鮮やかな雅を放つ東京スカイツリーに目が釘付けとなってしまった。
是非、来年の隅田川花火大会当日の東京スカイツリーに注目してほしい。
これで、東京タワーに勝ったね!
愚羅地蔵尊仁より
生まれ故郷の夜空一面に夢の花が満開に咲いた。
目と鼻の先に見えるのが東京スカイツリーだ。日頃多くの人にもてはやされている東京スカイツリーも、この日ばかりは主役を奪われてしまう。
だが、今年は少し様子が違っていた。花火に合わせて、瞬時に照明が変わり、驚くほどのタイミングで美しさを表現していた。
日本一の花火にも負けないくらい鮮やかな雅を放つ東京スカイツリーに目が釘付けとなってしまった。
是非、来年の隅田川花火大会当日の東京スカイツリーに注目してほしい。
これで、東京タワーに勝ったね!
愚羅地蔵尊仁より
posted by 愚羅地蔵尊仁 at 07:32| 日記
2015年07月26日
Happy smile
この笑顔があるから頑張れる。毎年恒例のGarden BBQは、ヨロンカルビと塩鶏で決まり!!
そして、今回の40周年記念を、島の皆さんから祝ってもらい、代表でお母さんがとっても貴重な、今は無き幻の与論焼きをプレゼントしてくれた。
この島の思い出は無数にあるものの、この、与論焼きには特別な思いがある。初代の大先生には特にお世話になった。今でも忘れない。その与論焼きは継承されずに閉釜となってしまったため、今では幻の陶芸品となってしまった。
お母さんが閉窯となるとき、最後の与論焼きを預かっていたという。その茶碗を記念にプレゼントしてくれたのだ。何と貴重な思い出の詰まった与論焼きと再び出会えるとは、夢にも想像していなかったので、本当にビックリした。
この愛情は一生忘れることは出来ない。そこに一緒に居ることが出来た皆にも感謝したい。
愚羅地蔵尊仁より
そして、今回の40周年記念を、島の皆さんから祝ってもらい、代表でお母さんがとっても貴重な、今は無き幻の与論焼きをプレゼントしてくれた。
この島の思い出は無数にあるものの、この、与論焼きには特別な思いがある。初代の大先生には特にお世話になった。今でも忘れない。その与論焼きは継承されずに閉釜となってしまったため、今では幻の陶芸品となってしまった。
お母さんが閉窯となるとき、最後の与論焼きを預かっていたという。その茶碗を記念にプレゼントしてくれたのだ。何と貴重な思い出の詰まった与論焼きと再び出会えるとは、夢にも想像していなかったので、本当にビックリした。
この愛情は一生忘れることは出来ない。そこに一緒に居ることが出来た皆にも感謝したい。
愚羅地蔵尊仁より
posted by 愚羅地蔵尊仁 at 18:47| 日記