日銀は31日、2005年1~6月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。当時は当座預金残高を30兆~35兆円程度にする量的緩和政策を実施しており、金融不安が和らぐなかで資金供給量の減額の是非を巡って政策委員が対立していたことが明らかになった。金融市場の反応を推測しながらの緊迫したやり取りは大規模な金融緩和後の出口戦略の難しさを鮮明に映している。
「金融政策の正常化に向けた第一歩を踏み出すことが重要だ」。論戦の口火を切ったのは福間年勝委員(肩書は当時、以下同じ)だった。同年4月にペイオフ(預金などの払戻保証額を元本1千万円とその利息までにする措置)が解禁され、金融環境は平時に戻りつつあった。福間委員は4月5~6日の会合で、残高目標の3兆円程度の引き下げを提案した。
福間委員の提案は否決されたが、4月28日の会合では水野温氏委員が同調する。福間案に賛成票を投じたうえで、量的緩和が「景気を押し上げる効果がどれほどあったのか」と述べ、量的緩和に対する政策委員の考えにズレがあったことも浮き彫りになった。
日本経済が踊り場から「脱却したといえない」(武藤敏郎副総裁)なかで、緩和縮小案は他の委員の強い反発を招いた。須田美矢子委員は「市場がかなり神経質な地合いにある」と指摘。岩田一政副総裁は「タイミングを間違えると破滅的なシナリオになる可能性がある」と警告した。
ただ金融不安の後退で金融機関の資金需要が落ち、日銀が大量の資金供給を続けることは難しくなっていた。最終的には5月19~20日の会合で、残高目標を維持したままで目標を一時的に割り込むことを認める折衷案が可決された。福井俊彦総裁は「今日の合意の中に何かひもが付いているということではやはりいけない」と述べ、量的緩和解除への流れが強まることにクギを刺した。
日銀、福間年勝、水野温氏、須田美矢子、武藤敏郎、岩田一政、福井俊彦