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江戸情緒が残る東京・谷中 幽霊で町おこし

Wedge 7月31日(金)12時11分配信

三遊亭圓朝の「幽霊画」コレクションにほれ込んだ、寿司屋の店主。
「町おこしになる」と、所蔵していた全生庵の住職に働きかけて「谷中圓朝まつり」が始まった。
「まつり」の形や規模は毎年姿を変えながらも30年にわたって続いている。

殺処分“ゼロ”で町おこし 「いのちをいつくしむ」高原

 夏の夕暮れと言えば幽霊である。生ぬるい風が首元を通り過ぎたかと思うと、街路のしだれ柳の葉をかすかに揺らしていく。たしかそこに人影が、と見ても誰もいない。何やら背筋がゾクッとする。

 そんな幽霊との出会いを求めてたくさんの人が谷中(やなか)にやってくる。東京の下町情緒を今も色濃く残す町だ。

 江戸から明治にかけて活躍した名人落語家の三遊亭圓朝は幽霊が登場する怪談噺を得意とした。圓朝自身が創作した『怪談牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵(かさねがふち)』といった怪談噺は今も多くの人を震え上がらせる。その圓朝が谷中に眠っている。

 墓所のある全生庵は山岡鉄舟が幕末・維新の国事に殉じた人々の菩提を弔うために1883年(明治16年)に建立した臨済宗の寺。首相だった中曽根康弘氏など政治家や大企業の経営者など著名人が参禅に訪れる所として知られる。最近では、安倍晋三首相が、病気で一度政権の座を降りた失意の時代に坐禅に通ったことで、一段と有名になった。

 その全生庵には圓朝が遺した幽霊画50幅が所蔵されている。もともと圓朝がコレクションとして集めていたもので、没後に全生庵に寄贈された。中には円山応挙の筆と伝えられるものから、柴田是真、伊藤晴雨、鰭崎英朋といった明治時代の画家によるものまで、様々な構図の幽霊画が収められている。これだけまとまった幽霊画のコレクションは他に例を見ないという。

幽霊画にほれ込んだ寿司屋

 そうした幽霊画が、圓朝の命日である8月11日を中心とする毎年8月の1カ月間、「谷中圓朝まつり」と銘打って全生庵で一般公開される。平井正修住職による法要のあと、落語も奉納される。それをお目当てに全国から、落語好きや美術愛好家だけでなく、幽霊見たさの人たちが集まってくるのだ。

 8月に圓朝のコレクションが一般公開されるようになったのは31年前に遡る。

 当時、全生庵が保管する幽霊画は誰に見せるわけでもなく、夏に本堂で虫干しされていたのだという。その素晴らしさに目を奪われた町内のひとりの人物が、これは町おこしの種になる、とひらめき、先代の住職に働きかけたのがきっかけだった。

 野池幸三さん。全生庵前の三崎坂(さんさきざか)を少し下ったところで寿司店「すし乃池」を営む。穴子の握りが有名な谷中の名店だ。当時、開発でどんどん谷中らしい町並みが失われ、外から人がやって来なくなっている事に危機感を抱いていた。何か町おこしの目玉になる「宝」はないか。そう思っていたところに、幽霊画との出会いがあったのだ。

 野池さんは89歳になった今も谷中地区町会連合会会長など町の顔役を務めている。自らのアイデアで始まった「谷中圓朝まつり」の実行委員長も長年にわたって務めてきた。「まつり」の形や規模は毎年姿を変えながらも30年にわたって続いてきた。

 今年は圓朝まつりに合わせて、地元にある東京芸術大学の大学美術館で幽霊画の展覧会が開かれることになっている。題して、「『うらめしや〜、冥途のみやげ』展」。全生庵・三遊亭圓朝幽霊画コレクションを中心に、という副題が付いている。

 全生庵が所蔵する幽霊画の中から鰭崎英朋の『蚊帳の前の幽霊』など一部が場所を変えて展示される。

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最終更新:7月31日(金)17時5分

Wedge

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