2015年07月31日

 デマゴギーとプロパガンダC

 ●安全保障戦略の埒外にある憲法9条
 憲法9条は、アメリカからのおしつけではないという屁理屈が、護憲派陣営あたりから聞こえてくる。
 論拠に、日本側が、マッカーサー案を自主的にうけいれ、日本が独立を回復した1951年(サンフランシスコ講和条約)および改憲が可能だった1955年以降、積極的に改憲運動を展開してこなかったことを挙げる。
 日本国民が、平和憲法をうけいれた証拠で、だから、憲法9条を尊重して、国防も安全保障も放棄しろというのである。
 安全保障問題の本質を見ない薄っぺらな見解である。
 改憲派と護憲派の憲法議論には、根本的な誤りがあるので、指摘しておこう。
 1952年のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効および60年の安保改正によって、日本の安全保障は、GHQ支配体制から、憲法をとびこえて、安保条約体制へ軸足が移った。
 この段階で、9条は、国防概念から外された。
 9条は、この時点で、安全保障戦略の埒外に捨てさられたのである。

 したがって、日本の安全保障の憲法議論を挟み込むと、話が空中分解する。
 それが顕著にあらわれたのが、今回、衆議院憲法審議会で3人の学者が安保法制を違憲とした判断で、違憲もなにも、日本の安全保障は、憲法を外野席に追い出したところに成立しているのである。
 本来なら、GHQの撤退後、交戦権と国軍の保有を禁じた憲法を改正して、国軍を創設し、国土防衛にあたるべきところだった。
 戦後憲法は、戦勝国が敗戦国の手足を縛る属国法で、国家主権(交戦権)や軍隊の保有を禁じている。
 日本が戦争に負けて、アメリカが主権を奪ったわけだから、属国憲法をおしつけるのは、当然といえば当然である。
 したがって、独立後、まっさきに憲法を改正して、国家を防衛してはならぬなどという属国条項を削除しなければならなかった。

 それができなかったのは、日本を社会主義化するGHQの政策によって、論壇もマスコミも、真っ赤に染まっていたからだった。
 GHQによって、日の目を見たマルキストや社会主義者は、GHQ憲法を見て、小躍りした。
 国家主権や国家防衛が否定されたGHQ憲法は、血の革命闘争をとおして、勝ち取らねばならないものが、天から降ってきたようなものだったからである。
 サンフランシスコ条約締結時に、憲法改正をしなかったのは、吉田茂に左翼とたたかう気概がそなわっていなかったからで、新憲法も講和条約も、警察予備隊の創設も、日本みずからのものではなく、GHQ指令によるものだった。
 左翼にとって天賦の革命綱領というべき新憲法はともかく、講和条約や警察予備隊の創設が国会にゆだねられていたら、再軍備反対と非武装中立の旧社会党と大新聞の反対運動によって、血のメーデー事件(1952年)や60年安保に先立って、大騒動になっていたろう。

 左翼の大躍進によって、憲法改正が困難になったどころか、サンフランシスコ講和条約さえ、薄氷を踏む思いだった。
 東大の南原繁総長以下、学者や文化人、論壇・教育界・新聞マスコミが、こぞって、アメリカとの単独講和条約に反対するなど、日本の左翼の勢いは、当時、とどまるところを知らなかった。
 全面講和は、中国、ソ連をふくめた連合国すべての国々とまとめて講和条約を結ぶべしというもので、そうでなければ、アメリカとの単独講和に反対するというのである。
 左翼が実現不可能な「全面講和」を主張したのは、アメリカとの単独講和を妨害して、ソ連の属国になろうというもので、当時、労組幹部は、ソ連がアメリカを追い出して、革命が成功したら、ハンドー(保守系)やケーエー(資本家)はみなギロチンにかけると公言したものである。
 なにしろ、革命熱に浮かれていた当時の左翼は、アメリカの核は汚い核、ソ連や中国の核はきれいな核などと叫んだほどである。

 サンフランシスコ講和条約締結にあたって、国防上の問題が浮上してきた。
 GHQが引き揚げても、在日米軍は残るが、アメリカは、日本防衛の義務を負っていない。
 サンフランシスコ講和条約とGHQの占領停止によって、日本は、独立どころか、却って、国土防衛が手薄になってしまうのである。
 鳩山一郎が改憲に情熱を傾け、岸信介が安保の日本防衛条約化に執着したのは、日本は、米・ソいずれかに属国になるか、中国の支配をうけるか、韓国からも脅かされる弱小国になるしかなかったからだった。
 1952年の李承晩ラインによって、拿捕された日本の漁船は328隻、抑留された船員は3929人、死傷者は44人に上ったが、軍隊・沿岸警備隊・警察をもたない日本は、手も足もでなかった。
 韓国に竹島や領海を略奪され、日本国民の財産や生命を奪われても、巡視船すらだすことができない丸腰では、日本が、アジアの紛争地帯になってしまいかねない。
 アメリカが、米ソ冷戦の激化と中国共産党革命、朝鮮戦争勃発によって、日本を永遠に武装解除して、基地の提供国にすぎない属国にとどめおくという当初の計画を変更したのは当然だった。

 GHQ指令で、警察予備隊ができたのが、1950年で、保安隊に再編されたのが52年、自衛隊に昇格したのが54年である。
 しかし、国土防衛を禁じる憲法9条は、現在なお、改正できていない。
 96条に三分の二条項があるためで、日本は、70年前、アメリカが憲法に仕込んだ利敵条項(交戦権の放棄)≠ゥら永遠に逃れられない。
 だが、この憲法は、占領中の相手国に法を強要してはならないというハーグ陸戦条約違反なので、国際法上、無効で、国家安全保障戦略からも外れている。
 交戦権の否定は、武装解除の一種で、戦争行為にあたる。
 敗戦国の領土を占領して、国家主権(交戦権)を奪うのが、戦争の最終目的である。

 戦争の第一段階は、戦場のおける勝敗、第二段階が敵国の占領、第三段階が武装解除である。
 したがって、憲法9条は、戦争行為の一環だったことになる。
 ポツダム宣言を受諾した時点で、戦時体制は終了しているので、ハーグ陸戦条約は適用できないなどというのは寝言にすぎない。
 GHQが撤退するとき、主権を奪われていた被占領時に国法を制定したのは、ハーグ陸戦条約違反だったとでも言い残しておいてくれれば、現在の憲法論議も、もっとマシなものになっていたろう。
 もともと、国防は、自然権で、憲法に記されるべきものではない。
 アメリカが日本国憲法に国防禁止条項を盛り込んだのは、属国法だったからで、アメリカは、日本を米軍基地の使用場所にすぎない属国にとどめおくため、憲法を利用したのである。
 国家防衛を禁じる属国憲法が、革命勢力の手にわたって、レーニンのいう敗戦革命の武器に使われることになった。
 日本共産党は、憲法をまもれと宣伝カーでわめきちらし、民主党は憲法を安全保障に優先させる。
だが、憲法(9条)は、とっくに、死んでいるのだ。
 左翼が9条をまもれと叫ぶとき、原爆を落として日本の属国化をはかったアメリカと旧ソ連や中国の共産主義革命を夢見た旧左翼の亡霊が見えるのである。
posted by office YM at 16:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする