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旅をしながら仕事をする~元スペースXの技術者が謳歌する「エンジニア冒険家」という新しい生き方

2015/07/31公開

 

仕事漬けの日々を何とかしたい。時には旅に出たり、好きなことに思いきり時間を使いたい、と思いながら無理と諦めてはいないだろうか?

そんなアナタにぜひ参考にしてほしいのが、「数か月仕事したら数か月旅する」スタイルを実践する、高橋有希氏の生き方だ。

高橋氏の経歴は異色だ。1979年アメリカ生まれの36歳。カリフォルニア大学バークレイ校で物理学の博士号取得→米宇宙企業スペースX社で電子機器エンジニア→旅→プラネットラブズ(超小型衛星ベンチャー)で地上局建設→南極越冬隊で通信技術士→旅→南米チリで望遠鏡運用→旅→グリーンランドで科学技術者。

それぞれの職場もかなり特殊である。最初の2社は「宇宙企業」。その後は南極やグリーンランドのような「極限環境」。なぜか?

高橋氏は12歳ごろから「宇宙に行きたい」という明確な目標を持っていた。自分も含めてできるだけ多くの人を宇宙に運ぶ民間宇宙船を開発したいと考え、宇宙企業に。その一方で、地球上でできるだけ宇宙に近い厳しい環境に身を置けば、「宇宙飛行の模擬訓練」にもなると考え、極限環境での仕事をあえて経験しているという。

仕事で稼いだら旅。旅はヒッチハイクが多く、南米では2日間で80km歩いたこともあった。

高橋氏の経歴で目を引くのが、名門カリフォルニア大学バークレイ校の「博士号」。博士だからどこでも働ける? と思いきや、「あまり関係ない」と高橋氏。実際、これまでの職場に博士はほとんどいなかった。

「博士号を取ると、教授など研究職に進むのが王道です。でも僕は1日中PCに向かってデータを解析し、論文を書くような『学術的な作業』に向いてないことが分かった。その一方で、大学院時代に南極点で望遠鏡建設に関わって自分の手でモノを作り、外で作業をするのが好きと気付いたんですね。その方が、生きている感じがするんです」

そこで高橋氏は「王道」からあえて脇道に出る。

最初に入社したのはスペースX。スペースXと言えば「宇宙開発=国家プロジェクト」という常識を覆し、民間による宇宙開発が可能であることを示した革命児として、世界の注目を集める企業だ。果たしてどのように入社したのか?

博士号を取る過程で得た“現場”で役立つ経験

「大学院では望遠鏡づくりから論文書きまで、ものすごく忙しかったので、卒業後はまず旅をして、その後に民間の宇宙飛行実現に貢献したいと思っていたんです。ところが卒業前の7月、学会でスペースXの人と出会い履歴書を渡したら、面接が次から次へと進んで『2月から働いてほしい、5日以内に返事がほしい』と。本当は他の宇宙企業も受けたかったのですが、スペースXは『すぐに人が必要』と強気で、逆に早く入れないかと言ってきたのです(笑)」

2013年3月から通信技術士として南極越冬隊に参加中の一コマ

2013年3月から通信技術士として南極越冬隊に参加中の一コマ

選考過程では、CEOのイーロン・マスク氏からのアンケートがあったそうだ。「あなたが並はずれた候補者であることを示す例を挙げよ」という質問があり、高橋氏は南極でのクリスマス休暇中、たった1人で望遠鏡を運用した経験を書いたという。

高橋氏は大学院時代に、宇宙の起源を探る望遠鏡を南極点に建設するプロジェクトに参加し、電子回路の設計から基盤製作まで実用的な経験を積み、専門の物理学以外に電子工学や機械などの知識を得ていた。

さらに、極低温の液体ヘリウムなど、危険物質を扱って望遠鏡を運用する仕事も担った。先に「博士号は就職に関係ない」と書いたが、博士号取得の過程で得た、幅広い知識とモノづくりの実践的スキルが、どこで働くにも役に立っているという。

イーロン・マスクも求めた、「学ぶ訓練ができているか」というベーススキル

高橋氏がスペースX社に入社したのは2011年2月。直前の2010年12月に、同社のドラゴン宇宙船が宇宙周回飛行に初めて成功し、次はいよいよ国際宇宙ステーションへの初ドッキングに挑戦だ!と会社全体が活気に満ちあふれていた時期である。

「大部屋でエンジンからロケットの機体、ドラゴン宇宙船2~6号機まですべてが作られていて、製造ペースがすごく早い。毎日のようにモノづくりが進む様子をワクワクしながら見ていました。1200人の社員は平均年齢30歳ぐらい。僕以外博士号を持っている人はほとんどいなかった。出勤時間は決まってないし、生産的でない会議はいつ抜けてもいいと言われ自由でしたが、他社より勤務時間が長くて給料も低い。それでも働きたいという人材を集めていた」

結果的に、NASAや大組織に慣れていない、新卒を多く採っていたようだ。

スペースX社で働いていたころ。有人宇宙船ドラゴンの実験模型の中で。宇宙へ行きたいという目標は今もぶれない

スペースX社で働いていたころ。有人宇宙船ドラゴンの実験模型の中で。宇宙へ行きたいという目標は今もぶれない

急ピッチで開発が進む現場は、新人も研修者も宇宙に実際に行く部品の開発ができる一方、退職者も多かった。イーロン・マスクCEOの期待に応えられなければ、解雇される。「1年持てばいい方」だという。

刺激的だが過酷な職場で、高橋氏はどのように仕事をこなしていったのか?

「僕は電子機器担当で宇宙環境やISSドッキング時の電流ショックに宇宙船が耐えられるかなどの責任者になりました。知らないことばかりだけど、チームの6人は自分の仕事で精いっぱいで教わる時間なんてない。そこで自分で勉強を始めたんです。

過去の実験レポートを読みこんで、次に実際に道具を触ってみる。そして自分で実験を計画して実施し、1人で習得していったのです」

ここに、高橋氏流の「エンジニア冒険家人生」で重要という1つ目のスキルがある。

それは「学ぶ訓練ができていること」。実は高橋氏が希望したのは別の部門だった。だが、電子機器部門を勧められ、現場で自ら訓練を積みながら責任ある仕事をこなしていった。

短期間に物事を習得することについては、大学(カリフォルニア工科大学)時代にトレーニングを積んだ。

「毎日宿題が出て、ものすごい勢いで勉強して2日に一度しか寝ないこともありましたね。その時に勉強した内容は全然覚えていないのですが、『限られた時間に、新しいことを、できるだけ早く学ぶことに慣れるのが重要だ』と教わったんです」

高校から単身アメリカにわたり、英語で苦労した高橋氏は、もともと学ぶのがそれほど早いわけではなかったという。しかし、トレーニングによって、学ぶスキルを身に付けることができた。

専門外の知識を学ぶことについては、CEOのイーロン・マスク氏も「天才」と呼ばれていた。もともとマスク氏の専門は電気系だが、起業の際ロケットや宇宙船に必要な知識を学んだ。社員が期待に応えられないと解雇し、社員の仕事を自分でやってしまうほどだという。

「エンジニア冒険家」という人生を可能にするのは「人との関係」

2012年5月、ドラゴン宇宙船は民間宇宙船で初めてISSにドッキングするという快挙を達成した。

「今も思い出すと涙が出そう」なほど達成感を得た高橋氏だが、翌月、同社を去る。会社や仕事に不満があったわけではないし、将来は戻りたいというが、退職の理由は「旅をしたかった。ドラゴンの成功を見守るまでは頑張ろうと期間を決めていた」と潔い。

高橋さんが旅と仕事の両立に目覚めたのは、大学時代のある出会いがきっかけだ。望遠鏡建設のため南極に4年間通ったとき、夏の4カ月だけ働いて、残り8カ月は旅をしたり、自分の船で航海したりしている人たちがいた。

「これは理想的だ!僕もそうしたい」と強烈に思ったという。

当時の南極基地には大工や電気関係、通信担当などテクニシャンが多かった。確かな技術を持って旅と仕事を両立している人たちを目の当たりにして、高橋氏は自分の生き方を決めた。

「エンジニア冒険家」の人生を実現するための必須スキルの1つ目は「学ぶ訓練ができていること」と書いた。そして、2つ目に高橋氏は「人との関係」を挙げる。

「一緒に働いている仲間や上司と良い関係を保つこと。アメリカでは転職する際に前の職場の上司に、どういう人だったかをヒアリングされます。その時に良い言葉を言ってもらえる関係を築いておくのが大事です」

2015年2月から6月までグリーンランドの基地で実験科学者として、様々な実験や観測を行った。写真はオーロラの下で気象観測中

2015年2月から6月までグリーンランドの基地で実験科学者として、さまざまな実験や観測を行った。写真はオーロラの下で気象観測中

具体例として挙げてくれたのが、グリーンランドでの経験だ。

標高3300mでブリザード(嵐)が吹き、最低温度マイナス60度以下になる極限環境で、6人が4か月間滞在し、科学者から依頼された実験や観測を行う。

「チームに僕と同じように博士号を持った人がいました。優秀だけど競争心むき出しで僕のアイデアを否定したり欠点を指摘したり。でも僕はあえてポジティブに笑顔で接するようにしました」

理不尽な態度にも冷静に接した結果、良好な関係を保つことができた。

また、退職時も喧嘩別れにならないよう誠意を尽くす。スペースX退職時には、上司からも慰留されたが、一緒に山登りした際「人生で仕事を一生懸命頑張るのもいいが、仕事以外にもたくさん楽しむことがある」と話し合ったことを思い出してもらったそうだ。

だから高橋氏は職探しに苦労しない。昔の指導教官や、大学時代の仲間(宇宙ベンチャーに知り合いがたくさんいる)、かつての同僚たちから仕事の声が掛かる。応募する際は、希望した職種に就けなくても、他の仕事を勧められれば柔軟に挑戦し、学び取っていく。

宇宙から地球を見返す目標に向けて

職を転々としながらも、宇宙を目指す高橋氏の方向性はぶれることがない。

「一番興味があることは宇宙から地球を見返すことです。大勢の人にそういう機会を持ってほしい。宇宙に限らず、裏山から自分の街を見るだけでも日ごろの問題が小さく感じられるし、あんな汚染された空気の中に住んでいたのかと気付くこともある。宇宙から地球を見ることは平和や環境について、また他の人種や動物を大事にしようと意識にもつながると思う」

一般人の宇宙旅行を実現するため、今後は宇宙企業で働くことも考えているという。もちろん旅も続ける。宇宙から見た時、地球のあちこちを知っている方が意味のある経験になるはずだから。

筆者は今まで多くの宇宙飛行士やエンジニアを取材してきたけれど、高橋氏のように知識も技術も持ちつつ、柔軟で軽やかな人は初めてだった。こういう人が、民間宇宙旅行時代の新しい扉を開いてくれるのだろう。

取材・文/林 公代 編集/長瀬光弘(東京ピストル) 写真/本人提供


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