(店員)皆さんいかがですか?当店手作りごま団子に豚まんいかがですか?唐揚げごま団子いかがでしょうか?
(ナレーション)
この町が今日米同盟の最前線になろうとしています
(音楽隊の演奏「軍艦マーチ」)
武器の輸出が解禁されました
神戸は日本で唯一潜水艦を建造できる場所です
この港から日本を遠く離れた海外に送られ他国の戦争に使用されるかもしれません
(音楽隊の演奏「軍艦マーチ」)
神戸には自衛隊の機雷掃海隊の基地もあります
専守防衛に徹してきた自衛隊は新たな安保法制によって活動が一気に世界中に広がる可能性が出てきました
(村上さん)国を守るということまあそれは裏を返せば危険の多い仕事だとも思うんですけども危険の多い仕事だからこそ我々がやらなきゃいけない。
今日本は大きな岐路に立っています
日米同盟はもはやアジア太平洋地域のみならず世界の平和と安定になくてはならない。
戦後70年を迎えるなか安倍政権は平和国家の根幹を支えてきた憲法の解釈変更に踏み切りました
積極的平和主義として米軍への武器弾薬の提供や燃料補給など後方支援の拡大を推し進め日本とアメリカの軍事的な一体化を目指しています
関西でも着実に既成事実が積み重ねられています
米軍の後ろ盾が核兵器です
日本で使用されて70年たった今も廃絶されずアメリカは国家の存立を担う抑止力として開発をやめません
神戸も核と無縁ではいられませんでした
戦後米軍基地が造られ艦船が次々に寄港し神戸は出撃拠点になりました
そして核兵器も持ち込まれていたのです
しかしこの40年間アメリカの艦船は一度も姿を見せていません
それは神戸市の議会が非核神戸方式を作ったからです
入港する外国の艦船に非核証明書を求めるもので事実上神戸がアメリカの核戦略に巻き込まれないための歯止めとなってきたのです
ところが日米同盟が強化される今非核神戸方式は存続の危機を迎えています
安全保障に揺れる日本はどこを目指すのか
神戸からの検証です
六甲山が海に迫る世界へ開かれた国際貿易の町神戸
古くから港を中心とした町づくりがなされてきました
しかし平和な港町の役割が大きく変わりそうな動きが出ているのです
今年日米防衛協力の指針が改定され米軍への後方支援が大幅に拡大されました
平和国家として自粛してきた武器輸出が解禁され神戸でしか建造できない潜水艦もオーストラリアへの技術供与が決まりました
戦前から造船など重厚長大産業が栄えた神戸では多くの防衛装備が造られています
尖閣諸島など離島防衛の要となる救難飛行艇も開発され輸出が検討されています
機雷の除去を担う海上自衛隊の掃海隊の基地もあります
安倍総理は石油の輸送経路になっているホルムズ海峡での機雷を除去する掃海活動に強い意欲を示しています
水の中にあるのでまかれたという情報があると確認できないかぎりは機雷があるんだなというふうに非常に恐怖感を感じますから心理的な効果が大きいと。
それは除去しないかぎりはその脅威が継続します。
今回特別に取材が許可されました
大阪湾の入り口紀伊水道です
石油などを輸送するタンカーもひっきりなしに通過する物流の大動脈です
資源に乏しい日本にとって海の安全は最も重要です
機雷の中には金属に反応するものがあるため掃海艇は木造です
乗員はおよそ40人
訓練は年間を通して続けられています
海面の機雷への目視は欠かせません
世界中にはですねいろんな機雷がありまして船の磁気に反応する機雷とか音に反応する機雷あるいは海底からチェーンとかワイヤーでつながっていて船がぶつかったその衝撃で発火する機雷。
そういったいろいろな機雷がございます。
ソーナーという装備です
海中の人工物を探知し機雷かどうか分析し爆薬を設置して処分します
一瞬たりとも気を抜くと大きな事故につながります
掃海活動は地道で大きな緊張が伴います
戦後瀬戸内海は死の海と呼ばれていました
今も頻繁に戦時中にアメリカの設置した機雷や不発弾が見つかります
飢餓作戦というアメリカの機雷による海上封鎖で海の生命線は寸断され近畿への物流は7割も減少しました
神戸でも20隻の民間船舶が撃沈され75人が死亡
戦後も584人もの一般市民が犠牲になったのです
香川県にある海の守り神金刀比羅宮です
戦後日本は船員らが協力して命懸けで機雷を除去しました
そのとき犠牲になった人々を悼む碑です
79人が命を落としました
中には人知れず他国の戦場に派遣され犠牲になった民間人もいたのです
1950年に始まった朝鮮戦争のさなかアメリカによって日本の船乗りが極秘で集められました
そして朝鮮半島に送られ機雷除去を担わされたのです
そこは戦場でした
掃海艇は次々に爆破され中谷さんは北朝鮮の海に沈みました
当時は平和憲法が出来たばかりでした
アメリカにとって中谷さんの死は決して知られてはなりませんでした
その事故があって約1週間ほどたって米軍の将校が2人通訳が1人それから当時の海上保安庁の職員の人が1人で5人でね田舎の…山口県の両親のおる田舎にひょっこり5人が訪ねてきたんですね。
「あなたの息子さんが乗ってた掃海艇に触雷してたった1人あなたの息子さんが実は行方不明になったんだ」と。
「新しい憲法が発令したその憲法の中に戦争放棄いう条項が入ってるんだ。
日本は戦争しないという条項が入ってるんだ。
したがってこれがもし公に知れたら大変なことになる。
だからこれは一切口外しないようにしてほしい」と。
敬礼!
(一同)おお〜!
機雷の除去が危険と隣り合わせなのは今も変わりません
海の中での手作業も必要です
海中で機雷を探し爆薬を設置して処分します
これまで1800人近くの自衛隊員が訓練中などに命を落としています
集団的自衛権の行使容認は神戸の自衛隊をどう変えるのでしょうか
阪神基地隊を率いる佐藤隊司令です
安保法制が定まっていないため仮定の話はしないという前提で取材に応じました
日米同盟というものは我が国の安全保障のみならずこの極東地域ですとかアジア全域ひいては太平洋地域…。
大きな地域の中の一つの阪神神戸大阪というエリアですので決して無関係ではないと。
必ずなんらかの関係が出てくるエリアなんだろうとは思っております。
専守防衛に徹してきましたがこれからは神戸から危険を伴う海外に派遣されるかもしれません
当然当阪神基地隊も掃海艇を抱えておりますのでこの部隊が新たな任務で派遣される可能性もございます。
ひとえに与党政府の判断に懸かっているとこでありますので政府が決定して決められた権限の中で任務が付与されたならばそれに淡々と従うというのが我々のあるべき姿なんだと思っております。
市民生活も集団的自衛権と無関係ではいられません
神戸市は山を削り海を埋め立てて空港を造り物流インフラを整備しながら港を拡張してきました
今医療技術の充実が目を引いています
震災以来経済不振に苦しむ神戸市は最先端医療を生かした町づくりに期待を寄せています
病院や研究機関などが一体となった医療産業都市構想を推し進めています
低迷する神戸空港の活用も目的ですが実はこの構想にはアメリカが深く関与しているのです
アメリカの「ベクテル」社です
世界最大規模の建設コンサルティング会社でアメリカの軍事戦略と密接な関係があります
原発や核兵器製造工場それにミサイル基地などを手がけてきました
国防総省のトップも経営に参加しています
その「ベクテル」社が医療産業都市構想の計画案を作成しました
神戸市はコンサルティング料としては破格の1億円近くを支払っています
なぜ神戸の町づくりに「ベクテル」社が関わるのか
この構想に懸念を抱く元神戸市職員がいます
港湾行政を担当し今は大学で地方自治を研究する池田教授です
医療産業都市と神戸空港は一体となって神戸の町の軍事利用化ということすらですね非常に予測される恐ろしいことです。
米軍から見ると空港を利用して傷ついた兵士をいち早く医療施設に運べます
神戸には防衛産業もあり後方支援の条件は整っていると池田さんは指摘します
神戸港にですねアメリカの艦船が寄港する。
そしてそこからですね例えば…。
戦闘地に行くようなことになれば神戸は敵国にとって完全に標的になりうる。
アメリカは日本の国市民の命を守ることよりも自国の安全を優先してるということは周知の事実です。
あくまでこれはアメリカにとっては利用するだけのものでありまして神戸市民の命や暮らしを守るために米国艦船が寄港するということではないと思います。
実際米軍は神戸の軍事的価値を認めていました
日本の主な港湾を調査した報告書です
港の規模や燃料補給や艦船修理能力そして医療体制を調べたうえで世界最高の港と高く評価していました
そしてドラッグの使用など市民生活への不安を禁じえないことまで調べていました
先の戦争では神戸はアメリカによって徹底的に破壊されました
兵器製造の拠点だった神戸は日本海軍の切り札とされた戦闘機の開発も担ったため重点的に爆撃されたのです
アメリカの原爆攻撃目標委員会の極秘資料です
日本の戦争を支えた神戸への原爆の使用が検討されていました
戦後神戸には米軍基地が造られました
艦船が次々に寄港し燃料や食料そして武器弾薬を補給しました
朝鮮戦争やベトナム戦争では神戸は出撃拠点になり結果的に後方からアメリカの戦争を支えたのです
米軍は最大の軍事力として核兵器開発に力を入れました
そして神戸にも持ち込まれていたのです
生涯を懸けて核持ち込みの真相を明らかにしてきた研究者を訪ねました
新原昭二さんです
アメリカの機密文書を調べてきました
(新原さん)これは1954年の1月の23日に核爆弾を積んだ空母Oriskany。
これは戦後神戸にやってきた最初のアメリカの空母でもあったんですがそれが核爆弾を積んでた。
核兵器を搭載した空母Oriskanyが神戸に寄港したときの写真
背後に六甲山が見えています
機密解除された軍事行動報告書です
神戸への入港は物資補給が主な目的でしたが朝鮮戦争はあくまでも休戦でありいつ軍事衝突がないともかぎりません
空母は臨戦態勢のまま昼夜を問わず作戦会議が開かれ実戦を想定した訓練で事故も起きていました
原爆だけでなく水爆も持ち込まれていたと見られています
そのA−4スカイホーク機がたまたまなんかのミスが起きて甲板から落っこちるんですね。
核爆弾を積んでる。
ウェブスター中尉も乗っかってる。
ところがそれもろとも全部海の中に落っこちるんです。
長らく機密とされてきたアメリカの核兵器事故報告書です
32件の大事故の中に日本での記録がありました
ベトナム戦争中に日本へ向かう空母から水爆を搭載した攻撃機が沖縄の海に沈みました
そのときの空母が神戸に寄港していました
唯一の被爆国日本は核にどう向き合ってきたのでしょうか
1971年政府は「核を作らない持たない持ち込ませない」という非核三原則を国是としました
この非核政策によって時の佐藤総理はノーベル平和賞も受賞しました
神戸市の議会は非核三原則にのっとり1975年入港する艦船に核を搭載していないという証明書を求める非核神戸方式を議決しました
今回撮影が特別に認められた証明書です
イギリスなど7か国の軍艦20隻が入港し非核を証明していました
戦後アメリカの艦船は400隻以上入港してきましたが核の配備は否定も肯定もしない戦略で提出を拒み神戸に入港しなくなったのです
では日本政府はどう見ているのでしょうか
防衛大臣は取材には応じませんでしたが外務省が書面で回答しました
「外交や防衛は国の専管事項であり地方自治体がアメリカの軍事戦略を事実上制約する非核神戸方式は許されない」としています
地方自治体は外交や防衛に関して国に何も言えないのでしょうか
基地を巡って大きく揺れた山口県岩国市を訪ねました
ここに本州最大の米軍海兵隊の基地があります
自衛隊の基地もあり今年初めて日米合同での航空ショーが開催されました
民間機も乗り入れていて米軍自衛隊そして市民生活の一体化が進んでいます
広さは甲子園球場150個分
米軍はここを拠点に世界規模で作戦を展開しています
基地機能が強化され沖縄から空中給油機が移設されました
極東アジア最大の航空基地になりつつあり核攻撃能力を持つ空母艦載機もやってくる予定です
この米軍に翻弄された元岩国市長です
基地機能の強化に反対すると国に圧力をかけられ市役所建て替えの補助金を打ち切られました
あとから出てきた米軍再編を認めないからといって補助金カットするっていうのは国と地方との信頼関係をぶち壊すものでしたからちょっと信じられなかったですね私は。
そこまでやるのか…というふうに思いまして。
たぶん今まで国と地方自治体の間でもなかったことじゃないかと思う。
それぐらいやっぱり私が邪魔だったんでしょうかね。
米軍基地は市民生活に大きな影響を及ぼしています
岩国でも神戸と同じように山を削っています
市民のための住宅地開発が目的でしたが土砂は基地拡大のための埋め立てに使われました
そして計画は変更され米軍住宅が造られることになったのです
岩国市民は基地機能の拡大反対の意思を示しましたが国には届きませんでした
我々が…岩国市と県が…山口県が自ら米軍の基地として差し出すものになるんですよね。
たぶん日本全国で初めてじゃないかと思うんです。
もうほんとに将来後世にとっては取り返しのつかないもうなんていうか失策をしているなという思いがしてですね将来の市民に対してほんとに申し訳ない思いでいっぱいでですねもう逃げ出したくなるぐらいあの〜なんていうかなんともやりきれない思いはいつもしてます。
はい。
神戸のように地域の拠点となる医療施設が設置されグラウンドなどの整備が着々と進められていました
地方の発展の名の下に国民の税金で米軍に使い勝手のいい町づくりが進められています
井原さんは今こそ非核神戸方式には大きな意義があると言います
我々の考えていかなきゃいけないことを先取りをしてるすばらしい制度だと私は思いますけどね。
ただこれからいろいろ試練に…いろんな障害に出くわしていくんじゃないかっていうふうに思いますから瀬戸際に立たされるときがきっと来ると思うんですよね。
そこで住民がいかに考え行動するかだと思いますね。
非核神戸方式を導入しようとした自治体もあります
元高知県知事が取材に応じました
1997年新しい港の開設をきっかけに高知県で非核神戸方式を適用すべく条例化を提案しました
非核三原則というのは国の国是なんだからそれを地方の立場で更に後押ししていくというのは非常に理にかなったことなので前向きに取り組んでみたいというお答えをしたのがきっかけですね。
しかし政府や自民党は現在の防衛大臣中谷氏を通して圧力をかけました
そのときは中谷さんに「じゃあその国是たる非核三原則ってなんですか?」と。
「それを国も守ろうとしてるんじゃないんですか?」と言ったら「それを守ろうとしてるんです」と。
であればそのことを地方単位でもきちんと担保をしていく。
まあ例えば艦船が入ってくるときに「核は持ってませんよ」と「積んでませんよ」ということを証明書を出してもらうというようなことが国の国是とどう折り合わない点があるのか言ってみてくださいって言ったら答えられないわけなんです。
答えられないんだけど「いやいやそれは国の立場としてどうのこうの」ということを言うだけで…。
プレッシャーというよりも大変中谷さんには失礼な言い方だけども子供の使いのような印象でしたし。
非核神戸方式の導入を目指す全国の動きはすべて断念に追い込まれました
被爆国でありながらアメリカの核の傘に頼る日本
その核戦略に巻き込まれないための歯止めとなってきた非核神戸方式は揺れています
では最大の当事者アメリカはどう捉えているのでしょうか
在日米軍総司令部が書面で取材に応じました
「非核神戸方式は日本政府と地方自治体の取り決めであり回答する立場にない」との答えでした
広島長崎で被爆され今までに亡くなられた方々のご冥福と今なお後遺症で苦しんでおられる方々の一日も早い回復をお祈りして黙とうをささげたいと思います。
黙とう。
原爆が投下されて70年
神戸市で暮らす被爆者の会が開かれました
会員は600人ほどですがほとんどの人が被爆したことを知られたくないと言います
差別を恐れ仕事を引退するまで参加できなかった人もいます
(スタッフ)やはりあまり被爆したということは公にはしたくなかった…。
そういうこともありましたね。
もうそうですね…やっぱり就職のときなんかにねいろいろ関わったような気がしたもんですからねそういうことはありましたね。
この年になってそういうことも…そういうしがらみみたいなものがなくなって。
70年近く過去を封印してきた女性がこの国の行方への不安から取材に応じました
(スタッフ)静かな海ですね。
うんほんまに久しぶりでね気持ちいいわ。
海も穏やかやし。
貞清百合子さん77歳です
これまで被爆者であることを隠してきました
港を見るとここに来た頃を思い出します
広島から神戸来たときは神戸港がすごく…。
であの〜大きなお船がね泊まってるのがねよく主人と見に来てました。
でもなんか希望が持てる町やなと。
ちょっと広島から来るときは広島に失望してたので。
21歳で神戸に来ました
被爆者として非核神戸方式に強い思い入れがあります
もし戦争なんかにね使われる港になっては困るんです。
絶対私はもう嫌ですね。
だからできたら日本中が神戸方式の港になってほしい。
そしたら…それは無理なんですかね。
思いますね。
生まれ育った故郷を捨てたのは被爆者への差別からでした
被爆した友人が二十歳で自殺しました
忌まわしい過去から逃れたいと神戸に移り住みました
広島捨てましたそのときに。
もう捨てようと思って。
いろんなこともありながら自分の身の上もありながらそういうことの中で神戸だったら暮らしよい…。
黙ってたら分からんからね。
貞清さんが7歳のとき原爆が落とされました
爆心地から1.5キロ
よく晴れた夏の朝でした
「わあ〜飛行機や」って言ったらキラキラ…青空に銀の翼はっきり見えて「わあ〜きれい」と思ったのよ。
途端にもう光が先か爆発が先かもうすっごいあれで…吹っ飛ばされて縁側の横にいたのが縁側の中に…部屋に放り込まれて。
あとお寺が潰れて下敷きになって気絶して。
何分間か気絶したみたいで。
でふっと見たらパカッと明るい穴があるからはい出したらもう外はさっきと全然違う真っ暗で暗い中に火がちらちら見えていて。
辺りは手足がちぎれた死体だらけでした
貞清さんは奇跡的に助かったものの鼻血と下血が止まらなくなりました
妹は焼け死に母は急性放射線障害で突然全身から出血し亡くなりました
父も大量の血を吐いて命を落とし家族全員を失ったのです
被爆の苦しみは今も終わりません
貞清さんは毎月検診を受けています
被爆者医療を続けている郷地医師です
20年近く貞清さんを見守ってきました
これ全然上がれへんやろ?これがもう神経やられてんねん。
ああそうなん?これ上がれへん。
神経に異常があり足の感覚がありません
60歳を越えてから頻繁に腫瘍が首や内臓に出来るため定期的な検査が欠かせません
大腸がんも…ポリープ2回取ってるけどあれももうほとんどがんになりかけてるから2つとも。
この…成形の手術の前に先生に取ってもらった。
2回とも大腸がんになりかけてるやつやったから。
幾種類ものがんが次々に見つかり手術を繰り返しています
流産と死産も6回経験しました
原爆を落としたアメリカとの関わりが現在も続いています
被爆してからアメリカによる健康調査を受けてきました
今もアンケートが送られてきます
当時5歳から18歳ぐらいの子供がね4千何百人か被爆…当時選ばれてずっと検査に…「ABCC」に連れていかれてたんです。
連れていかれてるいうのはねもう親たちは原爆に遭わされてそのうえにアメリカ人にモルモットみたいに検査されて治療もしてくれへんのに行きんさんな言うんですけど私たち子供は学校に直接ね「ジープ」が来たりして迎えに来るのでね半分は喜ぶ言うたらおかしいですけど子供ですから。
アメリカは決して治療はせず70年間たっても調査結果を教えようとはしません
いちばん知りたいのはちっちゃい…原爆の直後。
自分がまだ下血しながら鼻血出しながらの状態の頃に検査に行ってますよねABCCに。
広島にいましたからねもちろん。
そのころの調査なんかどういうふうなん書かれてるんかなと知りたいんですけど。
この研究所を訪ねました
広島市を見下ろす丘にある放射線影響研究所です
アメリカが被爆者の福祉のためとして設立したABCC・原爆傷害調査委員会がルーツです
10万人規模の被爆者の追跡調査を行い放射線の人体への影響を調べてきました
がん発症率など人類史上例のないデータの蓄積は世界で最も重要とされ原発事故の避難の際の被爆基準の策定にも使われました
被爆者の犠牲で成り立った研究だと批判する声もあります
(高橋さん)これはアメリカの核実験の写真なんですけれども。
アメリカの核開発を調べてきた研究者です
広島や長崎太平洋などでの核実験の被爆者の調査は軍事目的にも利用されたと指摘します
少なくとも結果的にはアメリカの実験当局者はこの放射線の人体への影響に関するデータを大変欲しがっておりましたのでまあ調査対象としてこうやって見ているわけです。
人体実験そのものだと私は思います。
ABCCは核兵器開発にも関わっていました
米軍が最重要と位置づけたICHIBANプロジェクト
原爆の威力を確認するためABCCは極秘で日本の木造家屋の資材をアメリカの核実験場に送っていたのです
先月貞清さんのもとに初めて研究所から調査結果が送られてきました
(スタッフ)こんにちは。
いらっしゃいませ。
どうぞ。
ABCCからやっと来たね。
貞清さんは今年何度も結果を見せてほしいと研究所に連絡していました
70年たってようやくアメリカに何を調べられていたのか明らかになります
すごいたくさん。
うわっすごいすごい。
んん〜。
え〜っと「放射線影響研究所保管研究資料送付について」。
回答来ました。
どんな家で被爆したのか座っていたのか立っていたのかという被爆状況が記録されていました
下痢などの症状や身長や体重の変化といった成長の軌跡そして神戸に来てからの生理の周期や流産や死産今も頻発する病の数々が記されていました
これまで背を向けてきた広島での日々がよみがえりました
なんか私あのときまだ…あのころ生きていて両親が死んでいちばん悲しい時期ですねこれ。
それに会えて…。
つらいときでした。
涙…ごめんなさい。
感慨深い…なんか自分に会えた気がする。
1516の…。
両親が死んでおじに引き取られてそのときも検査に行ったんですね。
すみませんちょっと涙もろくなっちゃった。
私のいちばんね最悪の気持ちのときだったからねこの時分は。
でちっさいときのが出てこないんですけど小学生のとき行ってるんですよね。
いちばん苦しみそれゆえ最も知りたかった頃の記録は明らかにされませんでした
今日核兵器の持ち込みを拒否する非核神戸方式は40周年を迎えました。
非核神戸方式は国是とされる非核三原則を厳格に実行してきました。
今年非核神戸方式は40年を迎えました
神戸市も後援する記念集会が開かれました
しかし今神戸市民の間でも非核神戸方式はあまり知られていません
この日参加したのも高齢者が大半でした
被爆者も貞清さん1人だけで核の拒否は続くのか不安が募ります
今後非核神戸方式はどうなるのでしょうか
日米同盟が強化されるなか当の神戸市はどう考えるのか市長に聞きました
市民の代表である市会が決議をされたことですのでそれを誠実に運用するということが歴代の市長の任務であったし私もそういう考え方で対応してきたということですからこの決議の考え方に沿って核兵器が持ち込まれていないというそういう事実が積み重ねられてきたということだと思います。
神戸市会が全会一致で議決したことで非核神戸方式は出来ました
市長は市民の代表である市会の判断を尊重するといいます
私たちは議長に取材を申し込みました
私はですねあの〜今議長をやらせていただいてますけど自民党の議員であります。
ですからまあ国の…政府の考え方に近いというふうに思っていただいたらいいと思うんですが確かに最近のですね中国の行動を見てるとですね非常に危惧を実は私自身も覚えてはおります。
政府は非核神戸方式は許されないとしています
この点を議長に問いました
私…個人的に私のところへあれはもういいんじゃないかというような声も頂いてますけどそれがまあ今のところ一部の意見であって大きなうねりみたいなことには私はなっていないというふうに思いますので今すぐにどうこうするっていうことは私は思ってはいないんですけれども。
議長は核を後ろ盾とする米軍も非核神戸方式を尊重すべきだと言います
それはやはりこの非核神戸方式が生きてる以上はですねそれを守っていただいたらええと私は思いますけれど。
(スタッフ)非核証明書も提出しろと?はい。
だからそれまでにあの…これがね時代に合わないということで市民の多くの皆さん方からもお声を頂いたなかで変えていくっていうのでは別ですけれどもこれが生きてるかぎりはですねそうしろということを言ってるわけですから守っていただいたらいいというふうには思いますけれども。
非核神戸方式の今後は市民に委ねられました
被爆した貞清さんは差別を恐れこれまで声を上げることができませんでした
しかし日本の安全保障政策が大きく変えられようとする今核廃絶や非核神戸方式の意義を呼びかけています
(貞清さん)ありがとうございます。
ちょっと待ってね。
ありがとうございます。
(貞清さん)核兵器怖いからね。
おばあちゃんね7歳のとき原爆に遭ってるのよ。
この兵器使われてね広島に落ちたの。
7歳だったけどどうにか元気で生きてきて。
でもこれ怖いからねこの爆弾ね。
核兵器廃絶の署名お願いいたします。
日米同盟の強化は市民生活と無関係ではありません
戦争に長らく翻弄されてきた港町神戸
その今後が日本の未来を映し出そうとしています
2015/07/27(月) 01:35〜02:35
MBS毎日放送
映像’15「よみがえる最前線〜神戸と核と日米同盟〜」[字]
戦後70年を迎えた今年ー。被爆国でありながらアメリカの核の傘に頼ってきた日本は今後、どこに向かおうとしているのか、知られざる神戸の歴史から検証する。
詳細情報
番組内容
戦後70年を迎えた今年、日本は安全保障法制(安保法制)を巡って大きく揺れている。集団的自衛権の行使は市民の暮らしにどんな影響を及ぼすのか。
戦後、神戸港には米軍基地が作られ、朝鮮戦争やベトナム戦争では核を搭載した空母が寄港した。
番組内容2
日米両政府が軍事的な結びつきを強める中、日本で唯一潜水艦の製造と修理が出来、機雷掃海を担う部隊がある海上自衛隊の基地も存在する神戸港は、安保法制の議論次第では米軍の後方支援の拠点として利用される可能性は否定できない。被爆国でありながらアメリカの核の傘に頼ってきた日本は今後、どこに向かおうとしているのか、知られざる神戸の歴史から検証する。
出演者
【ナレーター】
宮城さつき
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ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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