徹子の部屋 岩崎恭子 2015.07.27


手を骨折するなどケガをしました。
さらに、東成区や守口市でも高齢女性がカバンを奪われ被害は2時間ほどの間で合わせて4件にのぼりました。
東成区と守口市の事件では黒っぽい服を着た男が目撃されていて、警察は同一犯の可能性もあるとみて捜査しています。
(岩崎)「今まで生きてた中で一番幸せです」
(黒柳)さあ今日のお客様ですけど23年前のたまたま今日14歳で金メダルをお取りになった時の可愛いVTRでございました。
その後お写真にあったように結婚もなさって今お母さんでいらっしゃるんですけど。
本当に今も可愛らしい岩崎恭子さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたします。
どうもよろしくお願いします。
あの頃は本当にもうあなたが挨拶なすったあとも「可愛い」「可愛い」って言われて大変だったでしょ?そうですね。
大変なこともありましたけどでもまあこうして徹子さんにもお会いできて今日は非常にうれしいです。
そうですか。
よかったです。
あの時本当に…まだあなたは14歳でいらっしゃるのに「今まで生きてきた中で」って言ったんでみんながすごく可愛いと思ったのね。
まだ14歳しか生きてないのにその中でねそんな…。
あなたはでもその時そうお思いになったんでしょ?自分で。
そうなんです。
でも本当に素直に「今まで生きてきた中で一番幸せです」って言った言葉が一人歩きをしてしまいまして。
「まだ14歳なのに」とかねよくテレビで…。
そうなの?そうなんです。
言われたんですよ。
「14年間しか生きてきてないだろ」とかって。
あっそう。
でも私はその時に…大体テレビのコメンテーターの方とかがね仰ってたりとかだったんですけど。
大人ってひどいなって思いまして。
14年間しか生きてきてなくたって…今娘4歳ですけど4歳の中でも絶対うれしいこととかねそう思ったことはあるって思ってたんですよ。
なのでそういう大人だけにはならないようにしようってその時。
そうですってね。
その時随分傷ついちゃったことあるんですってね?あんな可愛いことを仰ったのにね。
もう一回その時のVTRちょっとあんまり可愛いのでもう一度14歳です。
ちょうど23年前の今日です。
(実況)「それでは決勝レースを注目いたしましょう」「14歳になったばかり…」「あっ今映ってますねお父さんとお母さんが」「4コース世界記録保持者のアメリカのアニタ・ノール」「5コース沼津第五中学2年生の岩崎恭子」
(場内アナウンス)「キョウコイワサキ」「
(拍手と歓声)」もう手を振るのも恥ずかしくてですね…。
「メダルに向かってスタートしました岩崎」「さあ岩崎にもチャンスが出てくる」「岩崎にもチャンスが出てきました」「さあノールを捉えるかあと25メーターの勝負!」「25メーターの勝負!日本の岩崎にチャンスがある!」「チャンスがある!並んだ!並んだ!」「アニタ・ノールちょっとくたびれた。
ちょっと疲れた」「あと10メーター。
並んだ!並んだ並んだ」「ピッチが上がった!ピッチが上がりました!」「さあチャンスだ。
さあチャンスだ。
もうメダルは間違いない」「メダルは間違いない」「さあどうだ!逆転した。
逆転した!逆転した!」
(解説)「やった!」
(実況)「勝った!」「岩崎恭子金メダル!」「14歳の日本の岩崎恭子金メダル」「
(拍手)」「タイムは2分26秒65」「オリンピック新記録」可愛い。
フフフ…。
「14歳になったばかりの岩崎恭子」「ああお母さんが涙ぐんでますね」「金メダルを獲得しました」「今回のバルセロナオリンピックの日本選手団の金メダル第1号は岩崎恭子」「インタビューをお聞きください」
(インタビュアー)「今どんな気持ちがしますか?」「今まで生きてた中で一番幸せです」フフフ…。
とても正直な気持ちだと思いますよね。
そうだったんです。
何歳であろうとね。
はい。
でもさまだ14歳だったのにみんなその短い人生でってね思ったんだけどあなたにとっては一番うれしかったんでしょうね。
本当に幸せだなって…。
あの時お稽古の段階なんかから5秒ぐらい速かったんですって?あなた。
そうなんです。
持ちタイムがその当時は2分31秒だったんですね。
なので2分26秒で泳いだのでまあ5秒近くあったんですけれども。
よく…5秒縮めるっていうことはあんまりないことなんですけれども。
でもよく…なのでそのあとにそんなに急激に出てきてあんまり苦労もしないでメダルを取ったとかも言われたりすることもあって。
そんなこと…。
もう毎日泣きながら練習してましたし本当に苦しい練習をずっとやってきてのオリンピックでしたのでなんでそうやって簡単に取れたとか言われちゃうんだなとかそのね…思ったことはたくさんありましたね。
そうね。
大人って嫌ねと思ったことも随分あったと思いますよね。
そうなんですはい。
でもあなた自身は純粋に本当に一生懸命やって。
でもあの時はもうとにかく岩崎恭子さんっていえば大変な人気でしたからね。
とにかく可愛いし速かったし金メダルだった。
しかもオリンピックが始まって3日目に水泳があってそれで一番最初の金メダルだったんですってね。
はいそうなんです。
バルセロナの第1号のメダルでした。
第1号の金メダルだからなおおめでたいということで本当に…。
今でもあの瞬間は覚えていらっしゃる?そうですね。
でもやはり20…今日でねちょうど23年ですけれども。
23年経つと自分の記憶が本当に確かなものなのかって思うことがありまして。
でも本当にまあうれしかったとかっていうのは覚えているんですけれども。
泳いだ感覚とかは…すごくね気持ちよく泳げたんですよ。
でもうれしいから気持ちよくなったのかなとかなんかすごくね本当はどうだったのかなって時々知りたくなりますね。
今も水泳はやっていらっしゃるの?はい。
今子供たちですとか大人の方もレッスンをしてるんですけれども…。
そうなの?あなた首長くて奇麗ね。
本当ですか?あっでも昔から首は長いと言われますね。
長くて奇麗な首。
本当。
ありがとうございます。
本当。
それはやっぱり泳いでいらっしゃるからだと思う。
こうやって泳いでたからですかね?だから長くなったんだと思います。
それで長くてね。
本当に若々しい首で何より。
でもそれにしてもそのあとあなたはご結婚なさって。
はい。
それでご結婚式の写真ちょっとさっきありましたけど奇麗な。
コシノジュンコさんのお洋服なんですって?はい。
ジュンコ先生に…。
可愛い。
ウェディングドレスとそのあとのドレスも…。
お色直しみたいな?お色直しのドレスも作っていただきました。
ご主人は元ラグビー選手で日本代表の齊藤祐也さんでいらっしゃる。
はいそうです。
素敵な旦那様。
そうですね。
いいですね。
見るからに素敵な旦那様。
娘も…。
あっこれもジュンコ先生に。
そうなの?コシノさん。
作っていただいた…。
そうですか。
素敵なね可愛い。
これは父ですね。
お父様。
でもお父様はあれですってねあなたが4歳ぐらいの時に白血病におなりになったのにこの時もお元気で。
はい。
今もすごく元気にしてるんですけれども。
やはり私が4歳ぐらいでしたのでちょうど…。
私3姉妹なんですけれども姉と妹がいまして。
やはり母は本当にもう…生きていられるかわかんないっていう状況だったので…。
ご主人がね。
そうなんです。
だから3人をどうやって食べさせていこうというかそういうふうに思ったみたいなので常々母は「お父さんがいるからねあなたたちはこうやって生活できるのよ」とかっていうのを言われながら…。
なので父のことをね嫌だとか思うことは本当になかったですね。
しかも素敵なのはそのバージンロードを歩く時にお父様とご一緒にねそういうふうに歩けたことお父様もうれしくていらしたでしょうね。
こんなふうですから。
1年前に家族…身内だけで式をやったんですけどその時は三嶋大社で行ったのでバージンロードではなかったのでちょっと披露宴の時は父と歩きたいなというふうに思って。
なかなかやっぱり…新郎新婦で入場していくものじゃないですか。
でも父と入場していきました。
この時にお父様はだって行ってそれで旦那様に渡すんですもんねあなたをね。
はい。
そこでおできになってここで渡されたところの…。
はい。
またそれは随分大きなウェディングケーキですね。
すごい。
でもこのドレスは本当に…コシノさんの洋服素敵なあれね。
波をイメージされたというふうに…。
そうね水泳ですもんね波ね。
本当本当。
ザブンッていうね感じで。
そうですか。
それでこの時ご結婚なさってそれから今お子さんがいらっしゃって。
はい。
今もう4歳に…幼稚園の年中さんなんですけれども。
日々娘にはなんかこう教えてもらうことばかりで…。
あっそう。
はい。
言葉遣いは全部やっぱり私の言葉遣いですし行動も…。
本当に…なんていうんでしょうかね?同じようなことをするので改めなきゃなとか。
そういうやはり…この子を授かれてやっぱり私自身も非常に…なんかこう勉強だしそれこそ幸せだなって思います。
可愛い。
可愛いお嬢さん。
はい。
水泳やってるの?この子。
やってます。
1年ほど前から。
でも…。
よさそう?プールは大好きですね。
あっそう。
じゃあちょっといいかもね。
お嬢さん今お野菜かなんか切ってたの?はい。
お手伝いするの?大好きですね。
えー!4つぐらいになるともうそんなことするの?そうですね。
もうね昔からというか本当に…。
あら可愛い。
2歳3歳からもう…。
なので切りやすいように…。
これは子供用の包丁ですので切りにくいんですね。
なのでにんじんなんかも薄く切って。
これはカレーを作ってるところなんですけれども。
なので薄いにんじんのカレーでちょっとあれなんですけど娘は食べやすいですし。
味気がない?でも主人の両親に仕事の時なんか面倒を見てもらうんですけどそういう時にもお義母様が…昨日も餃子をね一緒に作って待っててくれたりとか。
そう。
じゃあうれしいわね。
はい。
お義母様そういうふうにしてくださるとねうれしい…。
でも本当に少女の真っただ中の14歳の時に金メダルをお取りになりましたからみんなから「恭子ちゃん」「恭子ちゃん」「恭子ちゃん」って言われたのでお母様は随分あなたを普通の子に育てようと思って随分苦労をなさったって。
あなたにはやっぱりどうしてもグリーン車なんか…東海道新幹線ですかね?グリーン車の切符がきちゃうと「いいえこの子はまだ自分の力でグリーン車には乗れませんからグリーン車じゃないのにしてください」とか言ってお母様変えたりなんかなすったんですって?そうだったみたいですね。
なんかその…確かに色んな感覚を養えたのはそういう…。
たぶんもしかしたら14歳の時にグリーン車を知ってしまったらねなんか「それしか乗らないわ」とかなってたかもしれないんですけど。
でもそういうふうな感覚じゃないようにしてくれたのは両親のおかげだなというふうに思いますね。
そうですってね。
いつもあなたをそんなふうに…みんなと同じように…世の中に出ていった時にね「14歳で金メダル取ったあの子」っていうふうじゃなく育てたいというふうにお母様…。
あなたのお母様はとても素晴らしい方で今里子をなんか育てていらっしゃるんですって?そうですね。
あの…沼津の実家に帰るとですね今小学校3年生と…の男の子と2歳の女の子が2人いるんですけれども。
なので娘も実家に帰るとですねすごくやはり子供同士ってすごく…。
そうか子供同士。
ああ!ハハハ…。
実家…もう…。
これお母様とその里子の子?そうです。
2歳のね子なんですけれども。
でもお父様お元気そうなのね。
よかった。
とても元気ですね。
いいですね。
フフフ…。
でも本当に…初めて聞いた時は私も里親ということがよくわかってなくてですね。
「えっ!」って。
「もしじゃああなたたちが倒れた時はどうするのよ」っていう話とかを…。
「無責任なことをしないで」っていう話を…。
「でも里親ってそうじゃないんだよ」っていう話とかを聞いたりですとか。
やっぱりあの…父母そろったね恵まれた家庭に育ったっていうふうに私は思っているのでやっぱりそういうことが…。
当たり前と思っちゃうね普通。
そう。
なのであの…やはり両親がそういうふうなことを思ったっていうのはそれぞれやはり父は自分が…何でしょうね大病をしてその時にやっぱり色んな人に助けてもらったから今も東日本大震災ですとか新潟の震災があった時もボランティアに行ったりですとかそういうことをする両親…今もね2人で里親になって育てているので本当になんか…自分の両親のことを立派だなっていうのはいい表現かわかんないんですけども。
いいと思います。
なので本当に尊敬しますね。
本当ね。
そういうふうにあなたをしかも育てたかったって。
あなたのお母様からこれに関してちょっとお母様の感想をいただきましたのでよろしいですか?はい。
お母様のお言葉ですけども。
「これまで娘たちがお世話になった世間の皆様に恩返しをするつもりで里親になり現在8歳と2歳2人の子供たちを育てています」「恭子は僅か14歳で金メダルを取り一躍世間の注目を浴びました」「私たち両親は恭子が強い水泳選手である以前に普通の人間として生きるべきと考えていました」「こんな私たちの考えを多くの方々が理解し支えてくださいました」「また3人の娘たちが幼かった頃夫が白血病になり将来を案じましたがその時も皆様のお力添えで一命を取り留めることができました」「深く感謝をしています」そういうお母様…。
すいません私本当泣き虫でですね…。
すみません…。
ありがとうございます。
泣いちゃう?フフッ。
いや本当にいつも…私も特に…。
元々感謝はしてたんですけれどもやっぱり娘に対してもねこの両親のように…。
…のようにはできないかもしれないけれども近づけるようにしたいなって思うので。
いつになるかわかんないですけど娘がそういうふうにねこの両親でよかったって思ってもらえるように育てていきたいなというふうに…。
お幸せよねでもあなたはねこういう素晴らしいお母様お父様がいらっしゃって。
これお渡ししておきますので大事に取っといてください。
すみません。
あなたバルセロナオリンピックで金メダルをお取りになったんだけど。
それから色んなことがあってなんか大人って嫌だなとか色々あってなんだか落ち込んで。
2年ぐらい経ってよしもう一回やってみようって思って2年ぐらいかけて練習して次のアトランタオリンピックにお出になって。
その時のことをあんまりみんなよく知らないんだそうですけどその時やってみてどうでした?そうですねやはり…アトランタオリンピックは自分がやはりどうしても出たくて真剣にやっぱり向かっていったオリンピックでしたので…。
もちろんバルセロナの時も真剣なんですけどもやっぱり正直わからないままっていうのが少し…。
14歳。
そうですね。
あったので。
それと…やはり4年経っていたことともちろん金メダルを取ったことで変わった環境ですとかあったんですけれども。
やはり私はバルセロナで取ったことが嫌だ嫌だって思っていたことっていうのは違うなって気付いてアトランタに向かったので。
結果は10位だったんですね。
10位。
まあ競技者としては負けでしたがやはりその時に…泳いでる時それこそもうすごい苦しくて体が重くてっていう状態だったんですけど。
本当タッチした瞬間にスーッて楽になれたんですよね。
その時に…まあ正直競技者としては駄目だったんですけど4年間…実質2年間ですけれども真剣に向き合えて頑張れたことっていうのは人間として成長できたんじゃないかなっていうふうにその時…。
それはようございましたよね。
思いました。
それからやっぱり14歳と18歳っていうのは随分違いますものね。
そうですねはい。
その間に成長したり悩んだり苦しんだり色んなことがあったのはやっぱりあなたにとってはよかった…例えば10位であってもね。
そうですね。
あなたの満足のいくものだったと思います…。
3人姉妹?そうですそうです。
可愛いわね。
妹の誕生日ですね。
あなたが…?一番手前の…。
手前の笑ってる子?可愛いわね。
無邪気ね。
これは妹が生まれた時に…。
でもこれあれね。
これ3人なんだけど歳の差ってこのぐらいになると一番よくわかるわね。
こんなに妹さんちっちゃかったんだもんね。
はい。
ちょうど学年的には3歳と2歳なんですけれども。
大体…まあ姉は早生まれの2歳違いなんですけど。
でもこれなんか見てもね…へえー。
あの一番後ろから来るのがあなたなの?そうですねはい。
随分こうやって見ると…。
今はもうほとんど差はないでしょ?いや姉は昔から背が高くてですね私と10センチ違うんです。
えー!あっそう。
そうなんです。
私は母も背が高いので…私は母より背が小さいんですよ。
あんまり最近では聞かないですよね。
娘さんのほうが大きくなるじゃないですか。
でも母方のほうで姉はたぶんなったのかなと思って。
10センチ違いますので。
随分大きいわねお母様もね。
妹は私と一緒なんですけれども。
そう。
でも水泳は何かあります?背高いほうがいいとかそんなの別にないの?でももちろん背が高ければリーチもね長くてしっかりかけるというのもあると思うんですけど。
平泳ぎに関しては日本のお家芸というふうにいわれているのでやはりパワーだけじゃない。
テクニックでかなうっていうのがあるので平泳ぎの場合はそんなにすごく背が高いとか…。
でもパワーがあって技術があればそれはかなわないんですけど。
でもあなたの最後のところ勝っていくところ初めちょっと後ろに下がってるのかなと思ったけどあそこなんだかワワワワワワワワ…って出ていきましたよね。
そうですね。
すごい勢いで。
あそこが…金メダルって。
そうですね。
やっぱり当たり前ですけど金メダルと銀メダルと随分ね差があるでしょうから。
14歳で金メダルってね。
はい。
私は本当にメダルを取って今ね色んな仕事もできてますしそれこそ母が手紙でくれた恩返し…っていう…ことだとすごくとても偉そうなんですけど。
でもそういうつもりで水泳も教えたりですとか水泳に関わっていきたいなって思ってまして。
両親が私たちのための恩返しで里親をっていうのを…というふうな気持ちでやはり色んなボランティアの精神ですとかそうした里親のことっていうのは両親から教えてもらったので。
そういうことを私もたくさんね広めていくことも一つのやることかなっていうふうに思いますね。
あなたはみんなに着衣泳という不思議な…。
洋服を着たまんま泳ぐっていう…。
そうですね。
その表現がいいのかわかんないんですけど。
「着衣を着たまま泳ぐ」っていうふうに書くんですけれども。
身を守るための水上安全法なんですね。
今これはペットボトルを持ってペットボトルを持つと浮くんだよっていうことですとかあと洋服を着たままやっぱり川ですとか海とかで溺れたりすることが多いじゃないですか。
その時に無駄に脱いでしまうと体力がやはり持たなかったりですとか…。
なんか運動靴とかって…スニーカーっていうのは結構浮くんですって?そうなんです。
それがよく…「川とか海とか行く時にはスニーカーで行ってね」ってやはりたくさん言ってるんですけど。
下に空気が入ってるので浮くんですよね。
そうなの?じゃああれはもうむしろつかまって泳ぐぐらいの…。
そうです…。
でも足がフーッと浮くと…やはり足から沈んできてしまうので呼吸をしっかり確保できるんですよね。
足が上がってるとね。
そうです。
今すごい夏の時期ですので…。
そうですよね。
もしもの時は…。
そうなんです。
落ち着いてねそういうのが…。
それを教えていらっしゃる。
そうです。
そういうことをたくさん広めていきたい…。
あの子供たちもみんな一生懸命やってますよね。
そうですね。
今の子たちは結構体験してる子が多いんですけども私はやってないんですよねそういう学校で授業を。
ですのでその両親の世代がやはりちゃんと知ってることっていう…備えるということがすごく大事だなというふうに思います。
こんなことできるのとできないのとじゃ随分違うと思いますもんね。
そうですね。
私一応ちょっとそんなことを言うのも何ですが水中ヨガっていうのができるんですけど。
すごいですよね。
そうなの。
みんな「できない」って言うんですけど。
足をこう組んで…。
こうやって組んでそれでただこういうふうに手組んで。
こんなことしてこのまま水中に浮いていくらでも…何時間でも浮いていられるし喋って大きい声で叫んで…。
みんながね「できない」って言うの。
今度一緒に行っていただきたいです。
一緒にプールに…。
いつでもいつでも…。
よろしいですか?お見せしますよ。
さてさてちょっと世界水泳が現在行われています。
ロシアでなんですけども。
7月の25日から昨日…一昨日ぐらいからね。
それから8月の9日までやってるんですけれども。
その中であの…えーと…競泳?はい。
競泳は…。
競泳が2日からなんですって。
そうです。
8月2日からです。
そこで金メダルとか取るとリオのオリンピックに出ることができる?そうなんです。
日本で作ったルールなんですけれども世界水泳で金メダルを獲得した選手は来年のリオオリンピックに内定というようなことになるので。
もちろんオリンピックの1年前ですので世界中でしっかり戦っていくっていうのは重要なんですけれども。
やはりオリンピックに出るために調整を…。
大体4月に…来年の4月にリオオリンピックの選考会あるんですけれどそれに調整しなくていいっていうのはすごく大きなことなんですね。
いいですよね。
そしてやっぱり世界大会ですので競泳8月2日からですのでぜひぜひたくさんの皆さんに見ていただきたいなというふうに思います。
なるほどね。
参加もしてくださればと思いますよね。
あれ…水中ヨガ。
はいぜひ。
よろしくお願いいたします。
お会いできてよかったわ。
本当にね本当にお可愛らしいですよね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』です。
どうぞご覧ください。
2015/07/27(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 岩崎恭子[字]

〜14歳の金メダルから23年…母となった今〜岩崎恭子さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
1992年バルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎ・金メダリストの岩崎恭子さんがゲスト。
◇番組内容
23年前の今日は、バルセロナ五輪で平泳ぎ200mに出場した岩崎さんが、中学2年生で金メダルを獲得した日!ほぼ無名だった14歳の快挙を更に大きなフィーバーに変えたのは、メダル獲得直後の名言…。「今まで生きてきた中で一番幸せです」この懐かしいフレーズと共に、注目の名場面を振り返る。また、元ラグビー日本代表・齊藤祐也さんと結婚し、4歳の愛娘を育てている彼女が私生活を語る。ほか、敬愛する母からメッセージが届き…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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