リチャード・クー氏:麻生財務相が失脚しなければ安倍政権は大丈夫

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23日に開催された講演会で、野村総合研究所主席研究員リチャード・クー氏が不況からの脱却について語った。
アベノミクスの要諦は財政政策と構造改革であり、金融政策は無意味かつ危険と評した。

バランス・シート不況では金融緩和でも民間信用が伸びない

クー氏は1990年前後の日本のバブル崩壊、2007-08年のサブプライム危機・リーマン危機、2010年からの欧州債務危機を「バランスシート不況」と表現する。
急速な信用拡大で腫れ上がった民間のB/Sがバブル崩壊からデレバレッジに向かう現象を指す。
B/S不況では民間信用が低迷するため、当該国の中央銀行は回復を狙って莫大なベース・マネー供給を行う。
しかし、そもそもこの期間、民間(企業・家計)はデレバレッジで財務の建て直しを行っている。
結果、中銀の金融緩和の効果は実りにくいという。

バブル後の日本の財政支出は極めて効果的だった

クー氏は現在の日本の政府債務の原因となった財政政策に一定の評価をしている。
バブル崩壊は、株式・不動産だけで日本の国富を1,500兆円ほども減少させた悲惨なものであった。
このため1990-2005年に積極的な財政政策がとられ、それにより追加的な財政赤字が315兆円ほども積みあがったと推定。
一方で、この財政政策で維持されたGDPは累積で2,000兆円にも上るという。
日本はバブル崩壊後、深刻なストック(国富)の減少を経験したが、フロー(GDP)は減っていない。
この時期の財政政策≒財政赤字は、実に効率のよい支出であったとクー氏は語った。

10年ほど前の米国では金融政策「万能論」が

話は米国の大恐慌に飛ぶ。
クー氏によれば10年ほど前までの米国では、大恐慌についての歴史認識を書き換えようという動きがあったという。
これを主導したのはベン・バーナンキやポール・クルーグマンらであった。
大恐慌から米国を救ったのは財政出動を骨子とするニュー・ディールではなく、金融緩和による信用拡大であったという見方だ。
これは、まさに衆院選挙の頃に語られた旧アベノミクスを支えた理論であった。
クー氏はこの考えを「大きな間違い」と切って捨てる。

バランス・シート不況では財政出動が必須

米国は大恐慌によって悲惨な信用収縮を経験した。
この対症療法のために金融緩和策が取られたのは事実だ。
しかし、その中身が重要だというのがクー氏の主張だ。
金融緩和で拡大したB/Sの中身は民間信用ではなく公的部門向け信用であったのだ。
このファクトの意味するところは、金融政策では民間信用の回復を実現できなかったこと。
金融政策は、むしろ財政政策を支えるための手段であったこと。
今では、歴史の書き換えは誤りであったことが、欧米でも浸透しているという。

日本がバブル崩壊後、「大恐慌」を向かえずに済んだのは積極的な財政政策のおかげとクー氏は言う。
逆に、97年の橋本政権の消費税引き上げ実施を例に取り、不況時に財政再建を試みてはいけないと主張する。

日本国債は大丈夫

日米英などリスク・オフ時の流入先の国債は空前の低金利だ。
しかし、クー氏は、これらの国債はバブルではないと言う。
スペインやポルトガルで国債利回りが上昇したのは、このような国の投資家が自国国債以外に自国通貨建て国債の選択肢を持っていたためと分析する。
つまり、スペインやポルトガルの人たちは、自国通貨建てのリスク・フリー資産を買いたければ、自国国債ではなくドイツ国債を買うことができたからだとする。
煎じ詰めれば、クー氏の主張はホーム・カントリー・バイアスならぬホーム・カレンシー・バイアスが有効ということか。

この見方については、やや楽観的すぎるとの印象を持った。
クー氏のこの説明だけを聞いてしまうと、独自の自国通貨を有する国の国債はデフォルトしないとの結論になるが、そうではない。
日本はその中で先進国であり、豊かな国富を備えているから例外なのだとは思う。
そうなのであれば、具体的に何が日本国債のリスク・フリーを担保するのかの説明がいる。
なにしろ、今は100年に1度の危機なのかも知れないのだから。

アベノミクスの成否は麻生財務相にかかる

以上の論点から引き出されるクー氏のアベノミクスへの評価はこうなる。
3本の矢のうち重要なのは財政政策と構造改革。
1本目の金融緩和、特に日銀へのプレッシャーは意味の無いスタンド・プレーと評し、一歩間違えば、要らぬシステム崩壊を引き起こすと批判した。

クー氏によれば、安倍政権のキー・パーソンは麻生財務相。
「麻生さんが失言でもして失脚しない限り大丈夫」
と語り、場内の笑いを誘った。

筆者もかねてから同じ見方をしてきた。
現政権を支えるのは内閣にあっては麻生氏、与党にあっては石破氏だ。
安倍首相はおそらくとても純粋な人であり、自分の能力もよく心得ているのだろう。
だから、人を探し、その人に全幅の信頼を寄せるのではないか。
一方、自分は小泉元首相のように「演技」に徹する。
本気ではないのに、中国にコワモテの対応をしてみたり、日銀批判を繰り返してみたりしているのであろう。
それがポーズであるうちは、この政権はそこそこやるのかも知れない。

円安を他国から批判されるいわれはない

クー氏は、日本が貿易赤字を経験する中、現状の円安が許容されるはずと言う。
そもそも近年の円高は、他国が為替介入の裏道、量的緩和によって起こったもの。
現在の日本を責める筋はなく、日本発の円高には振れにくいと述べた。

財政再建は企業がお金を借り出してから

クー氏は、財政再建については民間セクター、とりわけ企業の資金需要が高まることが条件とする。
その条件が揃わない中での再建は、むしろ日本を危機に引き戻してしまうと警告した。

幸田真音氏は「長期金利上昇に気をつけろ」

この日の講演会では、もうひとかた、作家の幸田真音氏も講演をした。
幸田氏の主たるメッセージは、
 長期金利の上昇に注意しろ
というもの。
換言すれば、
 国債急落の可能性はゼロではない
ということだろう。

立場が変われば国債への評価も変わる

語り手によって、日本国債への評価は割れる。
クー氏はニューヨーク連銀から野村総研に転じた。
政策当局でスタートを切り、現在は日本のナショナル・フラッグの証券会社を源流とするシンクタンクのエコノミストだ。
一方、幸田氏は米銀の市場部門でキャリアをはじめ、後に作家となった。
市場の現場に向き合う仕事を続け、そしてストーリー・テラーになった人だ。

立場からしてクー氏から日本国債市場の破綻の話がでるはずもない。
一方、変化のシナリオを好む市場関係者であった幸田氏が、テール・リスクをファットに見るのも自然な話だ。
市場は理にかなわないオーバー・シュート/アンダー・シュートを繰り返している。

金融緩和「万能論」という奇説

このような話は先述の「歴史の書き換え」にも言える話だ。
グリーンスパン時代に、米国の金融当局はFRBのみならず金融産業との距離を縮める。
それは、グリーンスパン・プットやバーナンキ・プットにも現れている。
グリーン・スパンの時期、金融政策「万能論」が語られたのも一つのブームだろう。

「万能論」は衆院選挙時の旧アベノミクスのように奇説にすぎない。
 量的緩和を進めれば問題がすべて解決するとか
 デフレは貨幣現象にすぎないとか
こんな話は、自分の金銭的・政治的リターンを高めたいという愚策であり、ポピュリズムの極みである。

経済理論にも与えるポピュリズム

米国で言うなら、金融緩和というのは金融資本主義(共和党)流のポピュリズムだ。
資本家をポピュリストと呼ぶほど、世界経済は金融のウェイトが増したのだ。
一方、財政出動は国家社会主義的(民主党)流のポピュリズム。
その間を行き来するのが米国の政治であり、経済理論なのだろう。

今、日本は双方のポピュリズムの餌食になりかねない状況にある。
アベノミクスの矢のうち、1本(金融緩和)は確実にある種のポピュリズムだ。
もう1本(財政政策)も、内容を誤ればポピュリズムの餌食となる。
最後の1本には即効性はない。

消費増税の可否

最後に、消費税率の引き上げに言及せざるを得ない。
安倍政権がスタートしたのは年末。
その本格的な結果が来年までに表出する可能性は極めて低い。
その中で消費増税にせよ歳出削減にせよ、財政再建に手をつけるべきか。

消費増税
 最悪シナリオでは、税収が増えず景気が冷える
 最善シナリオでは、うまくいくが若干の長期金利上昇がある
となる。
この短い期間で最善シナリオに賭けるのはあまりにも危険すぎる。

小沢一郎氏は今や国賊のような扱いを受けている。
しかし、消費税の議論で唯一妥当なことを主張し続けたのは小沢氏のグループだった。
(みんなの党も増税には反対だったが、理由が間違っていた。)
みんなの党も生活の党も、国政に大きな影響を及ぼすほどの勢力はない。

消費増税の是非は双方意見があろう。
筆者は懐疑的だが、しかし、国会で決めたことである。
条件つきにせよ、増税すると決めたのだ。
今は、何が何でも増税を実施すべきと思う。

安倍首相はどう判断するのだろう。
何が何でも条件を満たし、増税をするのだと予想する。
 条件を満たすまでの財政出動
 少々無茶な金融緩和
である。
目的は是とするが、必ず反動がある。

日本人は、これから起こることを喜んではいけない。
しっかり見定め、海外投資家に損を押し付けるぐらいのしたたかさを持ちたい。