太平の世が訪れた江戸時代戦の代わりにお殿様たちが始めたのは…大名行列は世の中に藩の力をPRする絶好の機会!お家の威信とプライドを懸けて豪華絢爛な行列を競いました。
参勤交代を支えるのはたくさんの家臣たち。
お殿様が快適に旅できるよう鷹狩りの担当者に…更には風呂おけまで用意。
まさに…しかしふるさとの国元から江戸へ向かうその旅路は…更には借金取りまで?お殿様を守ろうと家臣たちは必死です。
今回旅するのは俳優の渡辺大さん。
古都・金沢を出発し加賀百万石の参勤交代のルートをたどります。
北陸の過酷な大自然を乗り越えるワイルドなお殿様の旅へと皆さんをご案内します。
当時の加賀藩を治めた大名前田家のおひざもとです。
この地には加賀藩の家老が書き記した参勤交代の「旅日記」が残されています。
「加賀百万石」として知られる加賀藩は徳川家に次ぐ広大な領地を持つ大大名。
大名行列の規模も日本一。
人数は平均2,000人に上りました。
「旅日記」には家老が遭遇した旅先でのさまざまな事件が記録されています。
この日記をもとに参勤交代試練の旅路をたどりましょう。
江戸時代大名たちは1年ごとに江戸と国元の間を往復していました。
例えば春に国元から江戸へ出て将軍に挨拶。
1年間江戸で暮らし翌年の春が来ると国元へ戻り1年間領主の務めを果たす。
その繰り返しです。
そのため参勤交代の行列は大勢の家臣たちを引き連れてまるで城ごと引っ越しするような様子となりました。
大人数の長旅をトラブルなく進める事は並大抵の苦労ではありません。
その重責を担ったのが旅の総責任者供家老。
今回の旅日記の執筆者です。
出発は卯月四日。
御方様お見送りのあとすぐに出発じゃ。
はっ。
供家老の仕事は旅の半年近く前から始まります。
まずはスケジュールを決定。
宿場と交渉しながら宿泊計画を立てるのですがこれが一苦労。
そこで考え出されたのがこちら!金沢から江戸まで全ての宿場が記された移動距離一覧表です。
例えば金沢から1つ目の宿場「津幡」まで二里半。
2つ目の宿場「今石動」まで六里余り。
3つ目の宿場「高岡」まで十里余り。
どの宿場町に泊まったとしてもその次の日に泊まる可能性がある全ての宿場町までの距離が一目で分かるように出来ているんです。
(供家老)榊の次は沓掛まで足を延ばすか。
十二里半。
御家老様沓掛の宿は既に松代の真田家が押さえておるというよし。
真田めが?素早いのう。
はっさすがにござりまする。
感心している場合ではないわ!では追分に当たってみよ。
はっ。
こうして金沢から江戸まで13泊14日で踏破する旅のスケジュールが出来上がりました。
さて準備を終えていよいよ参勤交代の旅へ出発!今回お殿様の代わりに旅をするのは俳優の渡辺大さんです。
それでは参勤交代と同じルートを車ではありますが行ってみたいと思います。
出発しま〜す。
お願いします。
日記によると寛政10年4月4日加賀藩一行は金沢城を出発しました。
旅の最初の目的地は金沢城からおよそ2kmほど街道沿いに行った地点です。
この辺りはかつて金沢の町外れだった場所。
ここがずっと街道になっていて…。
松の木の下に何やら立て札が立っていますが…。
ここには城下町に出入りする門があったようです。
「藩主をはじめ他国大名の通行旅行の武士などは松門を入ればその行装を立て直し松門を出れば行装を崩す慣例なりき」。
実は皆さんご存じの派手な大名行列は城下町の人々に殿様の権威を見せつける…町外れに到着すると人数は半減。
歩きやすい旅姿に改めてここから本格的に旅を始めました。
だからここまでが城下町でしっかり参勤交代をしてますよってアピールを城下町の皆々に伝えてここから先はしっかりと旅支度を整えてここからスタートしてるわけですね。
城下町を出た行列は国境の峠で休息し越中の国今の富山県に入りました。
ここで加賀藩の参勤ルートを確認しておきましょう。
金沢城を出発して今通った国境の峠はここ。
そこから越中の海岸線に出て日本海沿いを北上。
そして越後の国今の新潟県から海岸を離れて南下。
信濃の国に入り軽井沢を越えて関東へ。
一路江戸を目指します。
参勤交代の旅では幕府に届け出た日までに江戸に到着しなければなりません。
一日平均40kmも進む強行軍。
日があるうちに宿場へ入ろうと行列はひたすら先を急ぎました。
家臣たちが必死に頑張っている間籠の中のお殿様はどうしていたのでしょう?加賀藩のお殿様が実際に使っていた旅行グッズが残されています。
こちらは一見普通の扇子のようですが絵柄は地図になっています。
金沢から江戸までの道中全ての宿場町と名所が描かれています。
これで今どこを進んでいるのか一目瞭然。
こちらも扇子ですが手元についているのは方位磁石。
注目は骨の部分。
籠の中で手紙でも書いていたのでしょうか?そしてこの不思議な物体。
何だか分かりますか?アンテナのようなものは伸び縮み式のストロー。
そう水筒です。
これさえあればわざわざ行列を止めなくてもいつでも好きな時に水が飲めるというわけ。
お殿様はこうした道具を使って窮屈な籠の中でも楽しみを見つけていたのかもしれません。
金沢城を出て4日後。
加賀藩一行は黒部川までやって来ました。
黒部川か。
へえ〜結構流れが急ですね。
黒部川の源は立山連峰。
かつては…旅日記にはこう記されています。
「4月8日黒部川洪水。
人足を大勢集めたが水の勢いが強く渡れず」。
当時黒部川は現在よりはるかに幅広く流れが扇のように広がっていました。
川があふれると流れがつながり海のようになってしまいます。
できればまっすぐ最短距離で進みたいところですがこうなるととても渡れません。
実はこういう事態のために準備しておいた特別な方法があります。
街道から大きく外れて上流に20km遡った地点。
ちょうど扇の要に当たる場所です。
ここに加賀藩が築き上げた参勤交代用の巨大な橋がありました。
ちょうどここが垂直になってますよね。
あとこちらの面もこう。
ところがこの面だけが平らになってるんです。
しかし加賀藩は参勤交代のためにその難題を見事克服しました。
橋を支えているのは両岸の岩盤から張り出した巨大な腕。
太い木材を束ねて一体化したもので長さは30m以上。
その1/3を岩盤に深く埋め込む事で強度を保っています。
綿密な計算と職人たちの卓越した技を駆使して完成させた世界でも類がない工法です。
この橋は明治時代の半ばまで残っていました。
本当にこの橋の上を参勤交代の行列がいろんな槍を持ったりいろんな服装でここを渡ったという姿を想像しただけでもワクワクしますよね。
ロマンがありますね。
街道から外れたこの地で参勤交代のためだけに橋を造ってしまうなんて恐れ入りました。
「いよいよ道中でも一番の難所である」。
それはあまりの険しさから「天下の険」と呼ばれた「親不知」。
親不知一帯は険しい断崖絶壁が十数kmも続いています。
実はこの絶壁の下がかつての街道でした。
これですか?はい。
じゃあずっと続いてたんですね。
ずっと続いてたわけなんです。
それだけの幅が…。
結構幅があったんですね。
しかしひとたび…あぁありますねあそこに何かポツポツポツと。
波が大きくて出れなくて1週間ほど閉じ籠もっていたという話があります。
じゃあもうず〜っとここで我慢してたんですか?波が静かになるのを待っていたと。
なかなか昔の人我慢強いですから。
今のお話は一般の旅人の場合。
波を避けて穴から穴へと移動しながらこの難所を越えました。
では加賀藩一行はどうしたのでしょうか?なんと「波よけ人足」700人を用意。
麻縄を持たせて一列に並ばせ波をブロック。
お殿様を守りながらなんとか通り過ぎたのだそうです。
こうして数々の苦難を乗り越え参勤交代の旅は続きます。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今宵のテーマは「参勤交代」。
加賀藩の旅の様子をご覧頂いていますがこうした旅は江戸時代二百数十年もの間全国で繰り広げられてきました。
こちらは岡山にあった津山藩の行列を描いた絵図。
行列に付き添った人たちが詳しく描かれていますよ。
行列の先頭は…その後ろに…続いて…いろんな道具の入った…殿様専用の米になんと風呂おけまで!更には旅の合間に鷹狩りを楽しめるように鷹匠もいます。
その後ろにやっと本隊。
大勢の家臣たちに囲まれてお殿様の乗った籠が登場。
更に…そして行列のアンカーは坊主。
これは当時の大名行列としては平均的な規模。
旅の日数は各藩さまざま。
一番短い旅は茨城県にあった下妻藩。
古河と粕壁に泊まる2泊3日の旅です。
長い方では九州の南端薩摩藩。
舟に乗って西側を回り瀬戸内海を航行。
途中広島や尾道などに泊まりながら大坂へ。
京都からは東海道を歩いて江戸へ向かいました。
およそ40日の旅です。
こんな旅を毎年繰り返していたのですからお金もかかりますよね。
さてそれでは加賀藩参勤交代の旅へ戻りましょう。
数々の難所を越えた加賀藩一行ですがようやくたどりついた宿場町でも供家老の苦労は続きます。
加賀藩参勤交代の旅。
道中最大の難所親不知を抜けた一行は糸魚川宿という宿場町にたどりつきました。
この地にはお殿様が泊まった宿舎「本陣」を営んでいたお宅が今も残っています。
「加賀の井」。
随分歴史のありそうな建物ですね。
こちらは江戸時代から代々続く酒屋。
本陣として参勤交代でやって来るお殿様の宿泊を受け持ってきました。
ここは酒屋さんというか…。
そうですね。
加賀藩13代藩主より賜ったというこの家の家宝が今に伝わっています。
加賀伝統の大樋焼で作られた黒い茶碗と飴色の水差です。
いずれも加賀藩随一の職人が作った一級品です。
宿泊のお礼として藩主から主人へ直接手渡されたものだそうです。
更にこんなものまでありました。
お殿様がこの家で実際に使ったお箸。
きれいに洗って代々大事に守り伝えてきたそうです。
こちらでは当時お殿様に出したお酒を今も飲む事ができます。
あ…すっきりとして飲みやすいですねこれ。
時を超えて加賀の大名様も愛したお酒がず〜っと長い歴史を継いできて僕らが飲めるっていうのがすごい不思議な気はしますね。
地酒に舌鼓を打ちながらお殿様は宿場で優雅なひとときを過ごしていたようです。
一方家臣たちはというとお殿様を守るために気苦労が絶えませんでした。
それは本陣の建物を見れば分かります。
ちょっと加賀藩の参勤交代から外れますが滋賀県の草津宿をのぞいてみましょう。
こちらには東海道で唯一本陣の建物がそのまま残っています。
中に入るとすぐ見えるのは長い廊下。
一番奥がお殿様が泊まる部屋です。
家臣たちは手前に並んだ部屋に控えています。
万が一敵が侵入した時に備えて気が抜けません。
お殿様が滞在する部屋上段の間にも工夫が。
一段高くなった床の上に畳が積み重ねられています。
お殿様の格式を表すという意味もありますがたとえ床下からくせ者に刀で突かれてもお殿様が傷つかないようにするためでもあるんです。
その他お殿様を守るためのこんな仕事も…。
こちらはお殿様専用のトイレ。
便器の下には木の箱。
お殿様の健康を守りました。
続いてお殿様専用のお風呂をのぞいてみましょう。
広い部屋の真ん中にポツリと湯船が。
入浴中を襲われても刀どころか槍も届かないようにした警備重視の造りです。
湯船はこんな感じ。
火をたくのは危険なので…入浴法も一味違います。
お殿様は湯船につからず…これなら何かあってもすぐ逃げる事ができます。
ようやく就寝の時間。
あたかも殿様が起きているかのように装い…いやはやお殿様を守るためとはいえ家臣の皆さん大変ですね!さて宿で一泊したら出発前に忘れてはならないのが宿代の支払いです。
加賀藩の場合一行2千人が1泊するだけで1千万円以上。
宿泊料の総額は2億円に上りました。
宿場にとっては大名行列の宿代は年収の大半を占める大口収入。
なくてはならない収入源として当てにされていました。
供家老の日記には宿代をめぐるこんなトラブルが記されています。
親不知の難所をどうにか越えた加賀藩一行。
しかし既に日が暮れてしまいました。
「親不知で時を費やしたゆえ本日の能生宿での宿泊は取りやめる。
殿には糸魚川にお泊まり頂く」。
一行は予定を変更して能生宿の1つ手前糸魚川宿に泊まりました。
これから先は道を急いで遅れを取り戻さねばならぬ。
はっ。
はっ。
宿を押さえておりまする能生宿はいかがいたしまするか?能生宿に泊まっている暇はないわ。
荒井宿へ飛脚を飛ばせ!はっ。
翌日一行は能生宿でちょっと休憩しただけで先に進みました。
結局能生宿には宿泊費の3/325両しか支払いませんでした。
皆の衆このまま泣き寝入りなんてできるものか!
(一同)そうだ!これにおさまらなかったのは能生宿の宿屋の主たち。
既に食材を買い集め畳も張り替え道には砂をまき準備万端整っていたのです。
彼らは話し合いの末加賀藩の行列を追いかけて談判する事にしました。
荒井宿で加賀藩一行に追いつきます。
恐れながらこのままでは手前どもの大損にございます。
それは迷惑をかけたのう。
どうかご宿泊なされた場合と同様の金子をお支払い頂きたく。
お願いいたします。
お願いいたします。
できぬ!お願いいたします!供家老は心を鬼にして拒絶しました。
もし払ってしまえばそれが前例となり以後同じ事が起きる度に支払わなければならなくなるからです。
「この件については江戸到着の後詮議を行うと言って聞かせた」。
供家老はなんとかその場を収め能生宿の代表に帰ってもらったのだとか。
その後も行列は道を急ぎました。
ここは越後の国境。
かつて関川の関所があった場所です。
この橋を渡ると信濃の国です。
ここから先は信濃の山々の間を抜け一路江戸へ。
出発してから19日目。
一行は板橋に到着。
江戸入り前最後の宿場町です。
板橋には加賀藩の下屋敷がありました。
ここで供家老最後の大仕事が待っています。
一行は下屋敷で再び立派な衣装に着替え大勢の人足を雇いひときわ華やかな行列を仕立て上げます。
そうして加賀百万石のご威光を江戸っ子たちに見せつけながら加賀藩の大行列は悠々と江戸に入っていきました。
かくして波乱万丈の参勤交代の旅が終わったのです。
無事江戸に到着したお殿様はつつがなく将軍に拝謁する事ができました。
はあ〜。
供家老の旅日記はこんな言葉で締めくくられています。
「長い道中ではあったがその方が怠りなく務めを果たしたことはひときわ感じ入ったと殿様よりお褒めの言葉を頂いた。
ありがたい事だ」。
はあ〜。
参勤交代が無事行われたのは供家老をはじめ多くの家臣たちが必死にそれぞれの務めを果たしたからです。
従ってその旅の大半は家臣たちにとって過酷なものだったのですがそれでも楽しみを見つけていたようです。
昨年そんな様子をかいま見る事のできる史料が発見されました。
こちら参勤交代にお供した紀州藩の武士が後進のため書き著した旅のガイドブックです。
中をのぞいてみると…。
「大津では三井寺を見なさい」。
「愛知川では近江晒を買いなさい」。
「鳴海の名物は梨」。
「浜名湖の近くの新居では焼鰻を食べなさい」。
富士山らしき山の挿絵まで。
…とまあこんなふうに道中の名所名物お土産が詳しく記されているんです。
ちなみに先ほどご紹介した東海道の宿場町草津宿の名物はこれ。
こちらは鮒のなます。
酢の物です。
そして…宿場近くの琵琶湖で取れる鮒の料理でした。
その土地でしか食べられないものは行列に加わった家臣たちみんなの楽しみだったようです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」最後は参勤交代の行列が消えた街道を江戸時代の終焉を告げる大行列が進んでいった。
そんなお話でお別れです。
新婦は時の天皇の妹和宮。
京の都から江戸へ。
豪華けんらんな嫁入り行列はあらゆる大名行列をしのぐ盛大なものとなりました。
江戸で和宮を迎えたのが…この若きプリンスが二百数十年続いた参勤交代の終焉に深く関わる事になります。
これがきっかけとなり…強大な軍事力を持つ…しかし幕府にも大名にもそれに向けられるような経済的余裕はありませんでした。
まさに国家存亡の危機。
国を守るためどうすればよいのか?幕府はある重大な決断を下します。
それは参勤交代の緩和。
参勤交代の義務を軽減する事によってそれまで大名たちが費やしてきたばく大な金を全国の海岸の防備に充てさせようというアイデアでした。
この決定により…参勤交代でにぎわっていた街道から大名行列が姿を消しました。
参勤交代の緩和という幕府苦肉の策。
しかしこれが思わぬ事態を招きます。
西日本を中心に幕府に反発する動きが広がり始めたのです。
当然それは一方では…元治元年京都で大規模な武力衝突が起こります。
禁門の変です。
反徳川の急先ぽう長州藩が幕府の軍勢にやいばを向けてきたのです。
長州藩を抑えるべく家茂は自ら戦いへ赴く事を決めました。
東海道を上っていく将軍の行列。
かつては江戸にいて全国の大名たちを参勤交代させていた徳川将軍。
それがこの時は自分で動かざるをえない状況になっていました。
この行列はそれまでの大名行列とは全く異質のものでした。
西洋風の軍服を着て背のうを背負った兵士たち。
銃剣を付けた最新式のライフルを担いでいます。
時代が幕府に不利となっていく中それでも家茂はきらびやかな陣羽織をまとい率いる幕府軍の大行列は威風堂々としていました。
それは江戸時代延々と繰り返されてきた形だけの行列ではなく本物の軍隊の行進でした。
ところが戦いのさなか家茂は病に倒れます。
病状は急速に悪化滞在していた大坂城で命を落としました。
その翌年徳川幕府は消滅。
将軍自身が率いた大行列が皮肉にも幕府の幕引きを告げるものとなったのです。
そして世は明治へ。
しかし参勤交代はこの新しい時代に思わぬ果実をもたらします。
日本語の成り立ちを研究している小林千草さん。
…と言います。
途方もない時間と財力をかけて遥かなる旅を続けた大名たち。
その努力は現代を生きる私たちにも大きな礎となっているのです。
2015/07/28(火) 02:50〜03:33
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽参勤交代はつらいよ 加賀百万石 お殿様の遥かな旅[解][字][再]
参勤交代の華やかな大名行列。その影には汗と涙のドラマが…。加賀藩の家老が残した日記をもとにお殿様の旅を追体験。難所越えに借金取りまで!壮絶な旅路が待ち受ける!
詳細情報
番組内容
参勤交代の華やかな大名行列。その影には汗と涙のドラマが…。加賀藩の家老が記した旅日記を元に金沢から江戸まで、お殿様の旅を追体験。行列には料理人、たか狩り担当者、お茶の先生から、殿様専用の風呂おけを担ぐ人まで加わり、お殿様の快適な旅を支えようと大奮闘!しかし黒部川の大洪水や親不知海岸の断崖絶壁など、行くさきざきで難関が待ち受ける。さらには宿場での予約トラブルまで…。苦難の旅路を紀行気分たっぷりで紹介
出演者
【出演】渡辺大,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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