あまり長いようでしたら裾上げしておかれるといいでしょうね。
よかれと思ってやった事が相手に納得してもらえない。
そんな時の知恵ご用意しています。
いやいやいや…あら?せっかく来たのに赤ちょうちん消えてんな。
「本日休業」だって。
あら!でも明かりはついてるよな。
ちょっと入っちゃおうかなこれは。
どうも〜。
あれっ?ちょっとビビるさん今日お休みって書いてあったでしょう?いやいや大将いるじゃないだって。
明かりはついてるし。
これは違うんですよ。
このお店何とかしようと思いまして経営改革のプロ師匠に来て頂いていろいろとノウハウを教わっていたんですよ。
教わるって事は社長さんですか?そうですよ大橋さん。
航空会社の元社長さんで現在は相談役の大橋洋治さんでいらっしゃいます。
ビビる大木と申します。
すいませんこんな店でほんとに。
よろしくお願いします。
こんな店って私の店ですけど。
ちょっとちょっと。
そんな大会社の社長さんに何を教わるの?いろいろと。
何を言ってるんですか。
今は1店ですけれどもこのあと実はね全国チェーン展開そして海外もね実は視野に入れてるんですよ私。
そんな野望があった店長に?ありましたよ。
ですからね今日実はとっておきの先人の知恵があるという事でこんなものを大橋さんから頂いちゃったんですよ。
この人物知ってますか?何?「山田ほうたに」しか僕は読めないですけども。
大橋さん。
これはね…あっあの山田さんね。
知らなかったでしょう。
今から160年以上前の幕末とてつもない経営改革の達人がいました。
その名は山田方谷。
当時日本中の政治家が改革のお手本として憧れたと言われる人物です。
方谷が活躍したのは現在の岡山県。
中国山地の山あいの小さな藩備中松山藩。
藩の財務大臣だった方谷は今に換算して100億円以上の借金を僅か8年で返済。
新たな産業を興し貿易を発展させ近代ビジネスの先駆けのような成功を収めます。
その才能は百戦錬磨の商人からこう呼ばれるほど。
ある時は人々が見守る前でなんと大量のお札を燃やしてしまいます。
これをみんなは納得。
一体なぜ?特産品で大事なマーケット戦略。
一部は遠く江戸まで運んで売ったところ大ヒット。
手間や費用をかけた以上にもうけたその秘策とは?痛みを伴う改革は誰もが不安になるもの。
でも方谷には秘訣がありました。
その名言。
方谷の知恵名言の数々をご紹介。
現代の経営者の心も揺さぶる山田方谷誰もが納得の経営改革術に迫ります。
今宵方谷の知恵を一緒に読み解くのは…社員1万人を超える大手航空会社の元社長で今も相談役として活躍中。
飛行機の整備から人事営業など現場のたたき上げから社長になった大橋さん。
ところが大きな危機に見舞われます。
海外への旅行者は激減し会社は赤字に転落します。
経営改革に乗り出した大橋さんは社員の給料カットを断行。
これに社員が反発します。
この時大橋さんは自ら社員のもとに飛び込んで直接対話を行いました。
その結果痛みを伴う改革を納得してもらう事ができたといいます。
とかく人に恨まれがちな改革という大仕事。
納得できる経営改革を実現した大橋さんと共に山田方谷の改革の知恵をひもといていきましょう。
さあ今宵のテーマはこちらです。
「納得できる経営改革」。
これ「納得できる」っていうのが今夜のみそでございます。
単なる経営改革じゃないと。
そのとおりです。
そこで登場するのが山田方谷という人物なんですが。
私が山田方谷を知ったのは私がまさに…経営改革のお手本とも言える存在なんですね。
「休業」と書いてるけどお店やってるんですか?今日お休みだったんですけどいろいろ事情がありまして。
でもみんないるから私も。
大橋さん東京大学史料編纂所の山本博文先生です。
よろしくお願いします。
ちょうど山田方谷の話してたんですよ。
前に河井継之助の話しましたよね。
河井継之助は長岡藩の家老で藩政改革やってガトリング砲とか仕入れて新政府軍と戦いますよね。
あの人の師匠にあたる人なんですね。
河井の師匠ですか?そうなんです。
大体どこの藩でも幕末は苦しいんですね。
藩政改革をやるんだけどなかなかうまくいかなくて山田方谷は珍しくうまくいってる藩なので河井も教わりに行くわけですね。
興味が湧いてきましたでしょう?今日はすごいですね。
そうですよ。
早速ですが山田方谷が一体どんな人物なのかその生い立ちからひもといていきましょう。
今から210年前山田方谷は備中松山藩現在の岡山県高梁市に生まれました。
方谷の家は農家。
田畑を耕すかたわら菜種油を売って収入を得ていました。
方谷15歳の時父が死去。
家業を継いで家を支える一方方谷は学問にも熱中します。
仕事が終わると夜遅くまで書物を読みふける毎日でした。
14歳で詠んだ漢詩に将来の抱負がつづられています。
「済世の志」。
優れた才能が藩からも期待され方谷は江戸などに遊学。
帰国後32歳で藩士の子弟を教える学校の校長になります。
更に方谷は藩主板倉家のお世継ぎ教育まで任されます。
まさに備中松山藩が誇る学者だったのです。
そのころ備中松山藩は重大な経営危機に直面していました。
10万両現在の100億円以上の借金を抱え財政破綻寸前だったのです。
当時の藩の財政状況です。
藩の重役たちが商人から借りた借金10万両。
これに対して年貢米による収入はおよそ2万8,000両でした。
ここから必要経費を引くと借金返済にあてられるのは僅か1,000両。
しかも実は借金の利子が9,000両もあるため全て支払っても8,000両の赤字。
この赤字分を藩の重役たちは同じ商人から借りてその場をしのぐというまさに悪循環。
しかも劣悪な経営実態を商人に知らせていないというありさまでした。
備中松山の貧しさは参勤交代の時に駕籠かきが「貧乏板倉」と陰口をたたくほどでした。
ふるさとが苦しむ中30代の方谷は国のあるべき姿を模索していました。
古くは古代中国から例をとり政治家はどのように国の経済に取り組むべきかを記した方谷の論文です。
その中の代表的な一文。
政治家はビジョンを明らかにする事が大切で目先の利益にばかりとらわれてはいけない。
利益はビジョンを実現していく中で後からおのずとついてくるものだ。
そして方谷45歳。
自ら教育を施した藩主板倉勝静から重大な任務を命じられます。
元締役。
藩の財政の全権を握るいわば財務大臣です。
借金まみれの財政を立て直すという難題を背負った方谷。
果たして持ち前の経済理念を現場で実現できるのでしょうか?「理財論」の一説に実は大橋さんがお好きな言葉があるという事でちょっとご紹介したいと思います。
こちらです。
この言葉なんですけれども大橋さん説明お願いします。
天下の大きな事をやろうと思えば…山本先生「理財論」の中ではこれどういう文脈の中で書かれているんですか?備中松山藩は慢性的な財政危機にあるわけですね。
そういう改革が必要だという事を言ってるわけなんですね。
なかなか大局的に物事って見られないですよね。
見れないですよ。
ついついそこを見ちゃうじゃないですか。
それじゃ駄目なんですね視野がねもっと全体的に見て。
そこだけだとどうしてもどんどんどんどん小さい方に行っちゃうんですね。
そうじゃなくてもうちょっと大きい視野から見ないとほんとの改革って見えないというそういうお話なんですね。
財政改革に乗り出した方谷。
まず取りかかったのは慢性的な借金体質悪循環を断ち切る対策です。
積もり積もった借金10万両の利子を払うため藩の重役たちが同じ商人から借金を繰り返す現状。
これを止めねばならない。
方谷は自ら多くの貸し主がいた大坂へ向かいます。
集められた商人たちは耳を疑います。
なんと方谷は…方谷以前の借財のしかたというのがですね非常に言葉は悪いですけどいい加減な借り方をしてるわけですね。
財政の実情を隠して高い金利を払うから貸してくれと言ってみたり。
それに大坂商人も乗ってくるわけですよね。
方谷は商人たちに…そのうえ立て直しのビジョンも提示。
数百件もある借金の返済計画を明確に説明しました。
驚いた商人たちは方谷をこう評します。
「常器にあらず」。
新任の元締はただ者ではない。
必ず改革を成し遂げるはずだ。
納得した商人たちは方谷の要望である利子の一時棚上げや返済期限の延長を受け入れます。
痛みを伴う改革に協力していく姿勢を示したのです。
更に藩が発行するお金藩札にも断つべき悪循環がありました。
藩札とは藩の領域内での商取引に使われる紙幣で金貨や銀貨と同じ価値を持つものとされています。
本来藩札を発行するためには額面と同じ貨幣と交換できるよう藩は財源を持っていなければなりません。
しかし備中松山藩はこれまで幕府の公共事業や災害対策など…その結果藩札の価値は大きく下がりお金としての信用を失ってしまいます。
これによって藩内ではまともな経済活動ができなくなるという悪循環に陥っていたのです。
方谷は藩札の信用回復に乗り出します。
鍵となるのは藩札と交換できる財源を確保する事。
方谷は藩の施設を売り払い藩士の給料の一部を削減。
いわゆるコストカットを断行。
こうして得られた財源をもとに…信頼を回復させて健全な商取引ができる環境を整えました。
そのうえでこれまでの旧藩札を捨てて新しい藩札の発行を決定。
健全な経済活動を再開するためのスタートラインに立ったのです。
更に方谷は悪循環を断つためもう一つ駄目押しをします。
ある日城下の河原に山積みとなったのは既に用済みとなった…方谷はそれに火をつけるや燃やし始めたのです。
炎は何時間も上がり続け見守る人々はどぎもを抜かれたといいます。
火を扱いますので至近距離ではないんでしょうけれど大勢の人がですね見物に来たと言われています。
そうする事によって藩札を切り替えるという事をですね視覚的に見て分かる形でですねアピールするという効果があったんではなかろうかと思います。
方谷自身も多分その性格からいうとそういった事を好んでやるタイプではなかったように私は思うんですけれども…悪循環を徹底して断ち切る事で人々を納得させた方谷。
改革の成功に向け第一歩を踏み出しました。
みんなの前で燃やす。
燃やすと。
はあ〜。
徹底してますねこれ随分。
藩札っていうのは信用で成り立ってるわけですよね。
藩札は今までは藩のために藩がもうけるためにどんどん発行したと。
これはやっぱり駄目だから焼いてですね…あと驚いたのが大坂の商人の前に行って包み隠さず藩の財政こんなに苦しいんですっていうのを堂々と話してしまうというのは当時としてはどうだったんですか。
珍しいとは思いますね。
…という部分もあると思うんですが商人の方も方谷の誠実な態度に感じて協力しようっていう事になったんじゃないですかね。
やっぱりうそついちゃいけないんですねこういう時に。
経営においてうそは駄目ですか?うそは駄目です。
うそはついちゃいけません。
それは大橋さん実体験からそういうふうに感じた事が…。
ありますあります。
例えば何かコストカットやる。
ダイレクト・トーク?ええ。
経営危機に直面した大橋さんは全社員の給料カットなど厳しい改革を断行します。
その時社員を説得するために設けた話し合いが…大橋さん自ら毎週のように現場に足を運び会社の危機的な状況を説明し改革の必要性を訴えます。
大橋さんは…それはそうでしょうね。
みんなね大体評判悪いんですね。
ただ「あの人を説得しないと進まないよ話が」という場合は…。
それは納得してもらうように自らとことん話し合う。
相手が納得するまで。
分かってもらうまでって事ですね。
分かってもらうまで。
分かってもらうには正直に話すというのがまず大事であとどんなところが必要だと思いますか?ダイレクト・トークって私が1であったら1対50だけじゃなくてね途中でみんなで分かれてこう…。
例えば私の言ってる事が正しいと思ったら私の方側につくと。
正しくないと思ったらそっちに移ると。
半分半分になったりね私こっちの方が正しいという方が圧倒的に多かったりするわけですよ。
本音を言い合うと。
相手の話聞いてるうちに大橋さんが納得あっなるほどって思う事もじゃあ出てくるんですか?出てきますね。
例えば…やっぱりトイレきれいなのに乗りたがりますよね。
トイレの中にアロマテラピーね芳香性のある。
自分で買ってそこに備え付けて終わったら自分で持って帰ると。
キャビンアテンダントさんがつまり自腹でアロマを買ってフライトの時に置いてやってたわけですか?そうそうそう。
私はそれは会社で買うからねもう全部そういう事は自分でそんな事はやっちゃいかんと。
全部会社がやるんだと。
そしたらそれが成立するわけですね。
そうするとねみんな喜びだすんですね。
相手が納得して一緒にやろうという気持ちにさせないと駄目なんですよね企業の経営というのは。
藩政改革もそうですけどね。
やっぱり人間ですからねやっぱり人間を大切にしなきゃいかん。
そういう人間関係もやっぱり大事になってきたという…。
更に改革を推し進めるために方谷は具体的な解決策を次々と打ち出していきます。
そこにはどんな知恵があったのか続いてご賞味下さい。
財政改革を進めるうえで次の課題。
それはどうやって収入を増やすかです。
方谷が着手したのは…当時備中松山藩では年貢で得た米を大坂まで運びそこで売りさばいて現金収入に換えていました。
大坂には「蔵屋敷」と呼ばれる米の貯蔵施設を兼ねた営業所がありそこで…大坂の商人は全国の米相場に詳しく商売上手。
収入の一定額は商人が持っていきますが武士たちが行うより確実にもうかるため多くの藩がこの方法を使っていました。
しかし方谷は…そのかわり備中松山でとれた米は現地に留め置き産地直送で売りさばけば蔵屋敷の維持費も商人への委託費もコストカットできると考えたのです。
問題は商売のプロの力を借りずに米商いができるのか。
実は方谷には勝算がありました。
米の取り引きに方谷自らが携わった事が分かる記録が残されています。
この資料は山田方谷が自分の部下である山瀬助一郎に送ったものです。
部下とのやり取りからは方谷自身が相場を分析しながら米の売買を指示していた事がうかがえます。
(竹原)関東筋においては存外に豊作だったと。
という事はたくさん出来たら価格は上がらない。
上がりにくいだろうという事が書いてあるんですね。
どうも方谷はそういうものの相場ですとかそういう情報が常に入ってるようでそれを踏まえたうえで有利な場所で売って…。
あるいは大坂とか兵庫の辺りで売ってというような事もどうもやっていたようですね。
方谷には…彼らと連絡を取り合う事で方谷は各地の米の相場を把握していたのではないかと考えられています。
その結果余計なコストをかけずにより効率よく収益を上げる事に成功していたのです。
続いて目をつけたのが…備中地方は古くから良質な砂鉄がとれる場所です。
そこで方谷は藩で鉱山を開発し鉄の産業を発展させようと考えました。
そのうえで方谷が目をつけたのがマーケティング戦略です。
方谷は大都市江戸に注目します。
当時人口が100万人を超えていたと言われる江戸の町。
その生活を支える農産物を生み出す農民が関東には大勢暮らしていました。
方谷はこの農民たちを顧客としたのです。
当時使いやすさで定評のあった備中鍬の大量生産と販売です。
やっぱり売るのはマーケティングね。
ちゃんと頭の中にあれしてねらうのは農民だと。
江戸への商品の輸送も藩の直営。
大坂に立ち寄らず紀伊半島を迂回して運びました。
販売拠点は日本橋にあった藩の中屋敷。
当時の藩邸の地図です。
ここで「産物方」という専門の役人が鍬などの特産品を売っていました。
全てを備中松山藩によって行うという合理的なシステムを確立したのです。
この時もう既に山田方谷は自分の国備中松山藩という小さな国ですけれどもここで実現する事を宣言した。
こうした改革の結果方谷が元締役を務めた8年間で借金10万両を見事返済。
そのうえ黒字財政への転換に成功しました。
この財政改革は幕府にも評価され藩主板倉勝静は幕閣に起用され老中まで務めます。
貧乏藩と罵られていた備中松山藩方谷の改革によって財政だけでなく藩の誇りまでも取り戻したのです。
皆さんのお手元にはゆべしを用意しました。
かつての備中松山藩岡山県高梁市の名物お菓子です。
召し上がって下さいどうぞ。
餅米にたっぷりと柚子を混ぜてこねた餅菓子です。
おいしい!柚子の香りがまたいいですよね。
各地にゆべしあるんですけれども備中松山にもかつてからあったんですね。
それを特産品として奨励して作らせたのが方谷と言われているんですね。
それだけじゃなくて餅米は地元産そして柚子は藩の農民に作らせて農民の現金収入にしたんですね買って。
それをゆべしを売って藩の収入にもなった。
農民にも藩にも収入になったという事なんですよ。
悪い話が一個もないですね。
みんなで潤っていくという。
そうです。
すごいわその発想が。
しかも「自前の強みを活かせ」という知恵鉄に目をつけたんですね。
そうですね。
これはもう中国地方の特産なんで備中鍬っていうのは農地を深く耕す事ができるんですね。
それで開墾もできるしどんどん収穫も上がるしっていうんで非常に優れものの日本近世の農業の道具でも最大の発見…発明って言ってもいいんですね。
それこそそうやっていくとね鍬とかは僕は逆にあれいいねってなったらまねする人日本中に出てこないんですか?まねはしますけどただ鉄がきちんととれるとこじゃないと安い値段で出来ないわけですよね。
コストを安くできないしやっぱり…大橋さん自前の強み自社の強みに目をつけて経営戦略に軌道を乗せていったという例ありますか?そんなに昔じゃないんですけどねお客様を乗せる飛行機は一生懸命お客様を増やそうと思いますけど貨物はね余力で乗せてたような昔はそうだった。
ところがそうじゃなくて…何年か前からなんです。
大橋さんの会社が貨物部門を強化するために活用したのが…国内の各地から沖縄へ貨物を輸送そこからアジア各地へと結ぶ輸送網を新たに整備して収益アップにつなげたのです。
お客さんが乗ってなくてもね貨物だけで十分成り立っていけるわけですよ。
今でもねそういう流通というのは非常に重要だっていう事今気付かれてるわけだけど方谷はその時点で自前の船で江戸まで持っていくわけだからほんとに流通というのをきちんと認識してたって事ですよね。
あれはすごいですね。
大坂の蔵屋敷を廃止するというのはこれかなり英断…。
これはなかなか大変なんですね。
やっぱり武士は商売にはたけてないんでどうしても商人に委託するわけですよね。
その事務所が大坂の蔵屋敷なんですがそこを廃止するともうどこで売っていいか分かんないんですね。
ただ山田方谷はいろんな所から米の豊作の情報だとか凶作の情報というのを集めて一番高く売れる所に運ぶというそういう方策をやったっていう事ですからよっぽど情報網があってなおかつやっぱり農民出身だけに米とかそういう値段についての事には敏感だったんでしょうね。
それでやる事ができたわけですね。
そして結果として方谷は8年間で10万両今でいう100億の借金を見事に返済したわけですけどこの手腕たるやすごいですね。
それはすごいですよね。
上杉鷹山なんかはそういう借財は返済考えますけどなかなか簡単には実現しないんで殖産興業とか何とかってかなり時間かかりますよね。
薩摩藩とか長州藩っていうのは手っとり早く踏み倒しちゃいますからね。
あ〜怖い。
怖い怖い!日本中の商人たちで騒がれたでしょうね。
あそこほんとに返してくれた。
薩摩長州はあんな体なのにと。
すごい!で貯蓄もできたっていってね。
方谷は更に人々の暮らしにも改革を求めていくんです。
そこでどうやって納得してもらう改革を進めたのか?更なる知恵を味わって頂きます。
財政改革と言えば江戸時代盛んに行われたのが倹約。
方谷も例外ではありません。
それは9か条からなる倹約令。
日常生活の細かい事まで制限しています。
でも方谷が庶民に求めた倹約は単なる息苦しい締めつけだけではありません。
方谷の倹約令にはちょっと変わった条文もありました。
これは役人たちにまん延していた接待や賄賂を禁じたもの。
倹約で無駄を省く一方で弱い立場の人々を不正から守り負担を減らす事も目指したのです。
更に方谷は庶民たちの地道な倹約から生み出した蓄えを庶民の暮らしのために役立てます。
これが巨瀬の村の三浦家にある郷倉でございます。
方谷の時代に建てられた米専用の貯蔵庫郷倉です。
村ごとに一つずつ作り年貢米を貯蔵させ飢きんや災害などいざという時の備えにしました。
方谷は農民が安心して働ける環境を整える事で経済を活性化させる大きな力を生み出そうとしたのです。
この郷倉っていうのがあって常に…いざという時には郷倉があるから大丈夫だという事でせやから村人は安心して農業に励んで生活できると。
だから…藩全体が豊かになった。
もともと農家に生まれ育ち庶民の苦しみもよく理解していた方谷。
庶民が豊かに安心して暮らせる事を目指したからこそその改革に人々は納得したのです。
欲しいな俺も安心が。
えっ安心ないですか?いや安心があると違いますよそりゃ暮らしてて。
安心が大事っていうのはどういう発想からなんですかね?やっぱり将来の事を考えるためにも今が安心でないとなかなかねいろいろと働く気にもきちんと働く気にもならないとなりますよね。
方谷はやっぱり農民出身なんでどこに農民が無駄遣いしてるかとかですねどこを倹約すればいいかってよく分かっててほんとに細かい指示をしてるんですね。
ただ指示をするだけじゃなくてやはりもし飢饉の時にはこれだけ郷倉に米を蓄えてるよというのがあるんで農民もそれなら従ってみようかという事になるわけですね。
従業員の方が安心して働けるモチベーションというのはどうしたら持ってもらえますかね?一般の会社で社員の方従業員の方に安心して働いてもらうためには。
山田方谷にはねもう一つ言葉があるんですよ。
まごころを持っていたみ悲しむ心を持てば人はおのずからついてくるよと山田方谷言ってますが私はそれのとおりだと思いますね。
これは常にね「至誠惻怛」という言葉がついて回るんです。
今日ですね経営改革じっくり見てまいりましたけれども山田方谷の知恵ビビるさんどのようにご覧になりましたか?いろんな歴史の話を聞いてると強引に押さえつけて進んだ結果まあよくはなったとかっていう話も結構あったじゃないですか。
でも何かこう押さえつけたというよりは……みたいなとこがあったんでね何かすごく理想的な改革の話がいっぱいありましたね今日は。
今夜はですね「納得できる経営改革」というテーマで見てきたんですけれども最後にですねその極意を方谷の知恵を踏まえて大橋さんから教えて頂けますか。
やっぱりそれは志ですよ。
もう何かね経営理念と経営ビジョンがなきゃいかん。
「納得できる経営改革」ってその経営改革の中身は理念があってビジョンがないといかん。
これがないと駄目です。
今日はいろいろほんと知恵もらったのでこれで「知恵泉」居酒屋全国展開目指して頑張りますよ。
晴れて全国に支店が出来た時には皆さんにちゃんと「ほうこく」させて頂きますので。
ダジャレで来ましたかまさか最後。
(笑い)困ったなこっちもダジャレで来たら。
帰りますか。
帰りましょうか先生。
2015/07/28(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉▽借金100億から立ち上がれ!山田方谷 納得の経営改革[解][字]
幕末、借金100億の小藩を立て直した学者・山田方谷。痛みを伴う合理化を断行しながらも、誰もが納得した手法とは?航空会社を改革した元社長・大橋洋治さんと共に探る。
詳細情報
番組内容
あなたは、社員から恨まれずに借金100億円の経営再建ができますか?幕末、破綻寸前の小藩を救った学者・山田方谷(ほうこく)。ばく大な借金をわずか8年で返済したうえ収入を飛躍的に高めたみごとな手腕。その秘密は「納得できる改革」。痛みを伴う合理化をしたのに、なぜ藩士から領民までみな安心できたのか?幕末当時から現代まで大勢の経営者があこがれるその知恵を、航空会社を改革した元社長・大橋洋治さんと共に探る。
出演者
【ゲスト】元・全日本空輸取締役会長…大橋洋治,東京大学史料編纂所教授…山本博文,ビビる大木,【司会】近田雄一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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