*5332文字
まず溢れるエリオの可愛さを見ておきましょう。(にこ!)
「こんなこと何の意味があったの」 「理由とか動機とか必要か?」 「とぅ……ぜん」 「みんななかよく!」 「ぇ」 「人間の理想だよ。とりあえずこれ目指すといろいろ迷わず済む」「うそくさー……」
――電波女と青春男
1)個人の体験と一般化
通常、他人の体験談なんて何の得にはなりません。だってよくよく考えてみれば自分へと還元できるもの"何一つ"としてないですからね。*1
その人がどんな経験をしてその結果何かを得られようが―――それはその人の倫理、文化、民族、環境、思想、嗜好、精神性……といった複雑に絡まる諸要素の中で生まれたもの*2。その中で生まれたものはその人に"だけ"価値があり、生きづいていくもの。
故に本質的に他者には還元できないものですし何の関わりもありませんし、関わることもできないのです。「アドバイス罪」という言葉もそこらへんから来ているのでしょう。
だからこそ人は個人的な体験を敷衍して「一般化」します。
「一日12時間勉強して分かったこと」
「3人子どもを生んで得られたモノ」
「家が燃えた時やっておけば良かったこと」etc
本来こういった個々人の体験なんて役立たないけれど、そこから他者にも分かるように再構築することで(あるいは偽装することで)価値あるものと変えるわけです(見せかけるわけですね)。*3
もしくは私達は誰かの個人的な体験談を自分にとって役立つものは何かないか?と自分に還元(一般化)して読む場合もあるでしょう。一般化してない個人的な体験談でも、一般化して読んでしまうということがありえます。(今回はここは置いておきます)
♪♬♪
誰かと会話しているとしましょう。あるトピックについて。そうですね「虚無思想を持っている人は死ぬしかないMacro的に」という話題だったとします。議論ではなく日常的な会話の延長線上、雑多な立ち話、そんなシチュエーションです。*4
この会話の中、相手は個人的な体験を話さず「一般化」した会話ばかりを話し始めます。
「どうして不満を持っている人が嘲笑の対象にされないといけないんだ」
「そういった風潮には危惧する」
「何故あなたはそういうことを言うの?」
相手の発言にはいつだって"自分"という要素が欠けていました。どれもこれも一般化したもので自分ではないどこかの誰かのお話へと意図的に偽装されています。*5
これがガチな議論だったらば、自分という要素がなくてもいいかもしれません。しかし相手と蜜な関係を構築するという観点ならばこれはどうしても必要になってくるでしょう。*6
『電波女と青春男』のように。
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私にとって興味があるのは、前述の話題の是非ではなく「みんななかよく」という胡散臭い理想についてです。青春男が掲げ、電波女が首を傾げたあれです。*7
―――今まで気づかずにやってきてやり返されてきたけれど、誰かと仲良くなるには「個人的な体験の共有」が大事なのではないか?すら*8
先の会話で言えば、ある事象を一般化したままで話しても誰とも仲良くはなれません。もし他人と"なかよく"なりたいならば、自分は過去にこういうことがあってこう思って、こう感じて、だから今こういう結論に至ってこんな意見を推し進めているんだよと、語らなければいけない。*9
言葉を繰り返し繰り返し繰り返しては相手に自分の具体的な過去体験を共有させていく。じゃないと「何を考えているのか分からない」「不気味な人」「あの人いい人だけどそれだけだよね」と言われるかもしれません。*10だって「どう感じて」「こう思った」って言ってくれないと何考えてるか分かりませんもの。
その意見に行き着いた過程こそが重要であり、その過程をアイコンタクトと空気で察して?みたいなのいりません。*11
こういった「察っする」こと(他者の視点を想像すること)って大事だけれど、行き過ぎれば脳内で造り出した「想像した相手」とコミュニケーションするだけなのですれ違いかなり大きくなってきて後々破綻さえしますものね。*12
♪♬♪
一般化された会話"のみ"で話す人に抱く気持ちは、「それってあなたのことですか?」というもの。*13
マナーを振りかざして喋ってるけどそれってあなたが気に食わないということでしょ? 「みんな」を隠れ蓑にして自分の気持ちをすり替えてるだけなんでしょ? 世間、世論、社会、会社が、事件の被害者、他の人などあやふやなものに置き換えて発言の責任を回避して自分のことだと思われたくないんでしょ? *14
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗、冷汗」
と言って笑っただけでした。
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
――人間失格
こう指摘すると十中八九キレられます。「内面の忖度をするな」「人の気持ちを想像して決め付けるな」と言われます。*15
確かに内面の忖度は場合を弁えないと嫌われる行為です。相手の心を勝手に想像して好き勝手に妄想されるのは誰だって嫌です。押し付けがましい。けれど親しみを感じ好意を覚える相手に対しても内面の忖度を怖がってる場合じゃない。キレてる場合じゃない。*16
逆に言えば、内面の忖度を毛嫌いしている人は「相手に自分を理解させる気がない」と言っていいんじゃないかとすら思いますよ。もちろんどうでもいい他人や嫌いなやつだったらムカつきます。でも親密さを感じている人にさえそこを拒絶してしまえばもうラストオーダーですよ。さよならです。 *17
いつだって、いつでもどこでも「個人の体験を共有」できない人と仲良くなりたいと思う人はいません。そして、もし、特定の誰かと仲良くなりたかったらあるいは誰かを理解したかったら自分を理解させたかったらありったけに内面をさらけ出して相手に内面に踏み込んでもらって忖度させまくって誤解させて誤解を紐解いて理解して理解させようとしないといけない。こんなの当たり前の事なんだけど言語化されるとあーそうだねーって。*18
でも痛い。当然。もちろん。内蔵を晒しているんだもの痛みしか無い。でもそこを乗り越えないとダメなんだよ。ってこれ2年前の私が出した結論じゃーん! ぐるぐる回ってまたここに戻ってきてしまったか!*19
「こんなこと何の意味があったの」
「理由とか動機とか必要か?」
「とぅ……ぜん」
「みんななかよく!」
「ぇ」
「人間の理想だよ。とりあえずこれ目指すといろいろ迷わず済む」
「うそくさー……」
「仲良くなるどころか、すっげー傷ついた!拠り所もぶち壊されて悪寒するし、いとこの勝ち誇った顔がすごい宇宙協定違反だし」
「一回も傷つけ合わずに、円満なまま終わる関係なんて絶対ないだろ」「意味分かんないし」
「つーかなにも始まってないし」
――電波女と青春男
「内面の忖度をしない」なんて行為がいくら正しくても、その正しさが良い結果に繋がるわけじゃない。*20
相手に踏み込む勇気も、自分に踏み込ませる勇気もない人と親しい関係なんて築けられるわけないんですよ。*21
みんななかよくという胡散臭い理想を貫きたければ、まずは自分のオープン化が前提だ、というのが今までのお話だと思ってくれていいです。
2)解釈の共有がなされていなければ全てが一般化する
今までの文章はある個人的な体験に基いて書いています。更にそこに『電波女と青春男』のお話も含まれているんですけど、おそらくそれらを知っているのと知らないのとでは書かれている文字の「伝達されるべき意味」の"ズレ"の度合いが違うはず。
個人的な体験談の共有がなされていないほど、意味はズレていき伝えた事が伝わなくなっていく。大枠の字面通りの意味でしか伝達さりえない。
しかし、今回はあやふやにしか記述していないので、この記事は「一般化」した内容でしか伝わらないでしょう。もちろんわざとそう細工しているわけですが。
「解釈の共有(=私はこう思った、感じた)」がされていないと、相手の言いたいことが上手く掴めません。だから掴めない言葉を一度平坦にし一般化して、分からない意味をとりあえず自分が分かる意味にエンコードしちゃいます。こうすることで一応理解可能になるわけです。*22
「月が綺麗ですね」という意味を知らないと「そうね、今日の月は綺麗だねー」って文面通りに取るしかありません。
でも「月が綺麗ですね」というその言葉に相手が込めるであろう"意味"を知っていれば「にゃにいいい?!////」という受け取り方になります。*23
◆
逆に言えば「一般化したお話」は、ほぼすべて「個人的な体験・記憶」に基いていると言ってもいいかもしれません。
「お酒は美味しい」という時も、ある個人的なエピソード、具体的な銘柄、ある一つの商品を思いながら言っているのではないですかね? しかしそれは様々な理由に基いて隠蔽され一般化へと偽装された結果が「お酒(というカテゴリ)は美味しい」となってしまう。
この記事もまたそんな自己文脈に基いて書かれていますが、それら全てを記述すると10倍以上の文量になるのでやめています。
ただ1つ1つの文章には何かしらの文脈に則って書いている場合が多い、ということを伝えたいです。脚注をご覧あれ。そしてこれまた偽装である。
◆
こういうのって物語なら別にいいんだけどね。*24けれど現実での関係はそうではないし相手の意図(文脈)を汲もうという意志がないと簡単に壊れちゃう場合多い……気がします。
つまり、自己文脈を相手と共有することを拒絶してしまったら"一般化した関係"しか築けないはずというお話ですね。だから内面を開けっぴろげにしている人には人が集まりますし、逆に"人間が閉じて"いる人は独りぼっちな場合が多いんじゃないかなとさえ思いますよ。
――次回予告(今日17時)
「今更ながらにSchool Rumble読んだよ!」
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