中田絢子
2015年7月30日15時16分
■継ぐ記憶:1
「どこも想像以上に生々しくて。戦争は歴史じゃないぞってことを学んだ」。俳優の松坂桃李さん(26)はうなずきながら振り返る。
71年前、旧日本軍が米軍と死闘を繰り広げた南洋パラオ・ペリリュー島。この戦いから奇跡的に生還した福岡県筑後市の土田喜代一さん(95)とともに5月末、この島を訪れた。
むっとした熱気や突然降り注ぐスコールの中、島を巡った。日本兵が潜伏した洞窟には排便に使われたとみられる容器がころがり、旧司令部の建物跡には無数の弾痕が残っていた。
海岸で、当時、敵情視察した土田さんが水平線から押し寄せる米国の大艦隊を目にした話を聞いた。松坂さんがその時の心境を尋ねると、土田さんはこう答えたという。「99・9%、勝てないと思ったねえ」
それでも旧日本軍は戦い、玉砕した。
◇
記者(30)も2月と4月、パラオを訪ね、現地入りしていた土田さんや地元の人から悲惨な戦いについて取材した。今やダイビングスポットとして知られる美しい島の、悲しい一面を思い知った。松坂さんに尋ねた。「同世代と戦争について話し合うことはありますか。私はないです」。松坂さんも「ないですねえ」。
これまで戦争は「教科書で習った歴史の一ページ」。それが、かつての戦場に立ち、土田さんの体験を聞いて、「70年前の出来事との距離がすごく縮まって、本当に怖くなった。戦争は人の命の重さを簡単に変えてしまう。感覚を狂わせてしまうんだと」。
今は穏やかな土田さんが当時は、どれだけ撃ったかもわからないほど引き金を引き続けたというのだ。
松坂さんは思い切って尋ねた。「殺してやりたい、憎いという気持ちはあったのですか」。土田さんの答えは、「やらなかったら、やられていた」。
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