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<真相レポート〉調布 小型機墜落“お気楽遊覧飛行”の代償 ファッション関係の遊び仲間が…

 投稿者:東京新報  投稿日:2015年 7月30日(木)08時40分53秒
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  <真相レポート〉調布 小型機墜落“お気楽遊覧飛行”の代償
ファッション関係の遊び仲間が…


 機体が民家に突き刺さり、火柱を噴き上げて燃え、休日の住宅街は一瞬にして黒煙に包まれた。
 七月二十六日、調布飛行場から伊豆大島に向けて飛び立った小型プロペラ機は、離陸からわずか数十秒で墜落し、三人が死亡するという悪夢のような惨劇を引き起こした。

 事故現場に駆け付けた近所の男性が語る。
「家で寛(くつろ)いでいたら、急にドーンという音がして、慌てて外に出たんです。みんなが『燃えている』と指さしている方へ駆け寄ると、屋根に男性が二人いて、もう一人の男性が地面を這うように出てくるところでした。僕はその男性を引っ張り上げ、近くの駐車場に運んで、救急車が来るまで付き添っていました。中年の男性でしたが、寝そべっているとコンクリートに触れている部分が熱いらしく、『熱い、熱い』と辛そうなので近所から毛布やマットレスを持ってきてその上に寝かせてあげたのです」
 六人乗りの小型機には機長の川村泰史(たいし)さん(36)を含め五人が搭乗していたが、川村さんと前部座席にいた全日空社員の早川充さん(36)が焼死した。
「後部座席の三人は奇跡的に一命は取り留めたものの、病院で手術を受け、当面は集中治療室での治療が必要な人もいます。シートベルトが有効だった反面、シートベルトによって内臓などに損傷を受けていた。今回のフライトは最年長者の田村康之さん(51)が仲間に声を掛けたようです。彼は雑誌やCMなどのコーディネイトを仕事とし、三種類の名刺を持っていました。アパレル会社に勤務する花房剛さん(35)や雑誌『GQ JAPAN』の編集者、森口徳昭さん(36)などファッション関係の人脈が中心でした」(社会部記者)

川村機長の事業と会員制クラブ

 森口氏の友人が語る。
「森口氏はファッションエディターとして業界では有名な存在。松田翔太似のイケメンです。甲南大を卒業して、雑誌『LEON』で編集者として活躍。奇抜なファッションをすることで知られていました。二年間のロンドン留学から帰国後は様々な雑誌から誘いの声が掛かり、今の編集部でもエースと目されている。最近結婚したばかりですし、事故の一報には驚きました」
 五人が乗り合わせた小型機にはフライトレコーダーやボイスレコーダーが搭載されておらず、今後は生存者三人の証言が事故原因の解明の鍵を握ることになる。
 フライトに先立ち、東京都に出した届出書の飛行目的は、操縦技術を維持するための「慣熟飛行」。だが、実態は調布飛行場では禁じられた「遊覧飛行」だったのではないかと見られている。田村さんは、過去に調布飛行場から伊豆大島に撮影に出かけていたという。
「警視庁は業務上過失致死傷の疑いで捜査本部を設置し、五十人態勢で捜査に乗り出しました。今後はエンジントラブルや川村機長の操縦ミスの可能性も視野に入れ、責任の所在を追及していくことになります」(前出・社会部記者)
 川村機長は両親とも航空会社に勤務経験があり、姉も航空関係の仕事に就くなど、“航空一家”に育った。
 父親の元部下が振り返る。
「彼の父親は日本エアシステム(JAS)の部長職時代、JALとJASの合併にともなうシステム統合という大仕事を担当した功労者でした。退職後は関連会社の北海道エアーサービスの社長も務めていました。奥さんは当時“レインボーアテンダント”と呼ばれた契約社員で、二人は社内結婚。息子さんがパイロットを目指したのも仕事熱心だったお父さんに憧れていたからでしょうね」
 川村さんは駒沢大学卒業後に渡米し、パイロット免許を取得。その後、日本でも操縦士免許を取り、今回墜落した小型機の整備・管理をしていた日本エアロテックに入社している。
 そして操縦教官の国家資格、操縦教育証明の免許を手に入れ、一三年に操縦訓練を行なう会社「シップ・アビエーション」を設立して独立。日本エアロテックの施設内に間借りする形で事業をスタートさせた。
 川村一家を知る近所の住人が語る。
「彼は『パイロットを養成する会社を立ち上げたんだ。頑張らないと』と、とても前向きでした。明るい穏やかな好青年で、二年ほど前の大雪の日に雪かきをやって、夜に一緒に居酒屋で飲んだことを覚えています。休日には愛車を洗車してピカピカに磨きあげていました。親公認の彼女も出入りしていて、一年ほど前に『結婚する』と挨拶に来て実家から独立して行きました。幸せそうでした」
 川村さんの会社には父親も取締役として名を連ねており、家族からも支援を受けていた様子が窺える。だが、このビジネスモデルは航空法に抵触しかねない“危うさ”も内包していた。
「操縦士の養成事業を営む場合には国土交通大臣から『航空機使用事業』の許可を受けることが必要ですが、川村さんは許可を受けていなかった。会社のHPにも“弊社が実施している飛行訓練は、『クラブ運営方式』であり、『航空機使用事業』ではありません”と謳っており、本人も承知の上だったはず」(国交省担当記者)
 しかも、彼は国交省に提出する書類には自己申告で総飛行時間を千五百時間としていたが、エアロテックは「六百時間~七百時間」と説明しており、ここにも大きな開きがある。
「事故機の所有者はレジャー関連会社『ベル・ハンド・クラブ』で、同社はエアロテックの大株主でもある。会員制クラブを運営し、会員になれば高級車や小型機、クルーザーなどを利用できる特典があるとされ、過去には事実上のオーナーが問題を起こし、新聞沙汰になったこともあります。川村さんは小型機を時間貸しでレンタルし、事業に使っていましたが、彼の事業と会員制クラブとの関係にも関心が集まっている」(前出・社会部記者)
 エアロテックは記者会見で、遊覧飛行に関する質問が飛ぶと、途端に歯切れが悪くなり、川村機長の事業とは一線を画していたと強調した。
 元機長で、航空評論家の杉江弘氏が指摘する。
「事故原因はエンジントラブルの可能性よりも、当日の気温上昇や滑走路の長さを勘案して離陸の加速状況を見極める判断にミスがあった可能性がある。また今回のフライトについて遊覧目的で料金を徴収していたのであれば、これも問題です。パイロット不足を好機とばかりに操縦教育で利益を上げようとするベンチャー起業家は今後も現れると思いますが、認識の甘さは命取りになりかねない」
 今回の事故で墜落の巻き添えとなった鈴木希望(のぞみ)さん(34)は今月母親と引っ越して来たばかりだった。トリマーだった彼女は燃え盛る炎の中でも愛犬たちを逃がそうと必死だったという。
 奪われた命の代償は、途方もなく重い。

「週刊文春」2015年8月6日号

 
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