このご時世、水物の本業だけで生きていくのは大変だ。
まあ、衣食住だけでいいのなら何とかやっていける。
そうして始めたスーパーのアルバイトも、板についてかれこれ数ヶ月が経つ。
慣れてくると余裕も出てきて、その余裕は欲へと変換される。
これは先日、店長に時給を上げてもらうよう交渉してみることにした話。
僕の怪しい敬語も、開き直ってからだいぶ板についてきたものだ。
「ああ、何や」
店長の手作りなのか、それとも嫁さんが不器用なのかは分からないが、無骨な弁当だったことは覚えている。
僕が店長に話しかけたのは時給を上げてもらうためで、弁当の中身を覗くためではない。
遠まわしに、それとなく話題を振る。
「僕、最近どうですかね」
店長は弁当を食べることに集中し始め、会話が途切れそうになった。
さすがに遠まわしすぎたか。もう少し攻めてみる。
「う、うん……『頑張ってます』とか、君にしては言葉選びが随分とシンプルやね」
店長もスーパー経営をしているような人だ、そんな僕を見て意図を汲み取る。
「……ああ! 時給上げて欲しいんか」
「まあ、そんなところです」
とりあえず意図は伝わったようだが、そのあと店長はしばらく黙っていた。
それを2、3回ほど続けて弁当を食べ終える。
「『頑張ってます』って言うてたけど、具体的には何かアピールポイントある?」
店長もそのことを分かっているはずだが、そのときの僕はそこまで気が回らなかった。
「えーと、色々ありますが、一番の理由はレジスター関連の仕事だと思っています」
「そうやなあ。うちのスーパーでも頭一つ抜けている。間違いなく貢献してるやろうね」
「じゃあ、時給上げてくれます?」
「……うちのA崎さんは知っとるよね」
「同じスーパーで働いていますからもちろん知っていますが……なぜこのタイミングでA崎さんの話を?」
「まあ……普通だと思います。別に大きなミスをするわけでも、かといって要領がいいってわけでもなく」
「つまり君は、そのA崎さんと同じ時給であることが不服なわけや」
「……店長」
「すまん、すまん。今の言い方はイジワルやったわ。君にそんなつもりがないのは分かっとる。そういう側面も出てくる、って話をしただけや」
「実力や貢献の度合いに比例した評価を、賃金に反映して欲しいという僕の主張って、そんなにおかしいでしょうか」
「言い分は分かるんやけど……でも、その『貢献』なんやけどさ、君の言う『貢献』って何?」
「そりゃあ、生産性のあること等です」
「他の貢献は?」
「例えば、A崎さんは人当たりのよさ、愛嬌で皆に貢献しとる。そのおかげで、君の生産性が間接的に上がっとるかもしれん」
「そんで、そのA崎さんのコミュニケーション能力、なんならルックスも加味し、相応の額の給料を払うべきやと君は思うか?」
「それは……難しいと思います。公平に評価する方法も思いつきませんし」
「せやろ。言っとくけど、A崎さんのはあくまで例で、そういう『貢献しているけれど評価しにくい要素』は他の従業員にもたくさんあるで」
「まあ、イーブンとは言わんよ。でも、それらを全て正確に推し量るのは無理や。評価するのが人間な以上な」
「仮に評価できるとしてもや。市場価値がある才能や実力を全て賃金に反映させたら、そうじゃない人は大きく割を食うやろ。富は有限やぞ」
「それは別に間違っていないのでは。正当な評価をした結果でしょ」
「才能や実力がないだけで衣食住もままならん人間がいる世の中が、正当やとワシは思わん。豊かさっちゅうのは、水準が高いからこそや。才能や実力に自信がある君にはピンと来うへんかもしれんが」
「……」
「あ~……ちゃうちゃう。ちゃうねん。嫌味を言うつもりやなかってん。自信があって、それが伴っていること自体はええことや。才能や実力のある人が報われるべきやとワシも思う。でも、それを全て賃金と直結させるってのもどないやねん、っていう」
「……そうですね。才能や実力の評価が、イコール給料というのは我ながら短絡的でした。それに、他人の才能や実力に支えられているという点を僕は無視していましたし」
「おお、君なら分かってくれる思たわ」
「まあ、それは社会全体の話で、いま僕が話しているのは個々の問題ですが。時給アップお願いします」
「……うまいこといなしたと思たんやけど、駄目やったか……。しゃあない、ちょっとだけやぞ?」
「さっすが~、店長は話がわかるッ!」
こうして僕の時給は900円になったのであった。
他の従業員の給料も増やしたらしく、みんなちょっと喜んでいたことは今でも覚えている。
めでたし、めでたし。ということで。