ガッチャマンクラウズInsight4話『2:6:2』では―――ガッチャマンメンバーは互いに意見を主張し「累くんを助ける必要があったか」「命より大事なものはあるのか」など疑問を投げかけていく回であった。
この一連の過程を、一ノ瀬はじめは「バチバチーッ、キラキラーッ」と言い表す。
はじめ「そんなに争いってダメっすかね?」
ゲル「え?」
つばさ「何言っているんですか先輩!ダメに決まってるじゃないですか!」
はじめ「必要な時もあるんじゃないっすか?」
つばさ「それって人を傷つけていいってことですか」
はじめ「そうじゃないっすけど、バラバラだからこそバチバチーッてなってキラキラーッてなるんすよ」
つばさ「え、よくわかんないんですけど」
――ガッチャマンクラウズInsight4話(累君救出後、ハチ公前?にて)
はじめちゃんが言っていることにピンときた。
すなわちそれは「対話(ダイアローグ)」の必要性であり、人間に多様性があるからこそ話し合うことで何かしらの『知』が表出する可能性があることを言っているのではないか。
そして彼女は、複数の違う価値観を有している人間が、互いに意見をぶつけ合わせることも好んでいるのかなとも思う。それが「争いは必要な時もあるんじゃないっすかね?」という言葉に現れているのではないだろうか。
ここはゲルの「みんなひとつになればいいのに」とは違う価値観で、「人間はひとつになる必要なんてないんすよ」と彼女は言っているようでさえある。
今回の4話ではそういった「複数の価値観がぶつかる(=バチバチーッキラキラーッ)」の場面がかなり多かった。
例えば、累君を助けるべきか否か?の議題では、「はじめは累の信念を尊重し」ているのだが、「つばさは自分の信念を優先」するところが現れていたりする。
そしてつばさは自分の信念が全くこれっぽっちも間違っていないと思っているどころか、累の信念を(危なかしく)踏みにじっている。「命より大切なものなんてない」と豪語するのは、裏返せば累の信念を否定しているのだが……そのことに気づいていない。
さらに、はじめを冷たい人間だと非難するのである。
つばさ「私は累先輩を見殺しになんてできません、命より大切なものなんて無いんです」
はじめ「本当っすかね?」
はじめ「命より大切なものなんてないんすかね?」
つばさ「当たり前です! 命を守ってこそのヒーローでしょう」
はじめ「でも累くんはそう思ってるかどうか分かんないっすよねー」
つばさ「じゃあ黙って累先輩を死なせれば良かったっていうんですか」
はじめ「そんな事はないですけど、もうちょっと累くんに時間をあげてもよかったかもしれないっすよ」
つばさ「累先輩ぼろぼろになってたんですよ。見てられるわけないですよ」
つばさ「争いが必要とか、累先輩を助けないとか、はじめ先輩って冷たい人ですね」
はじめ「そーっすか? 僕冷たいっすか?」
――ガッチャマンクラウズインサイト4話
(私がはじめちゃんを好きなのは、彼女が他者の価値観に"共振"しない性質を持っているからだ。今回のように若干の嫌悪と非難を後輩から受けても「そーっすか?僕冷たいっすか?」と流せる感じ、この誰にも彼女を塗り替えられないその"無機"さは素敵すぎる)
前回の3話から、はじめとつばさのスタンスは根本的に違うところを見受けられたが(累の叫びにはじめは足を止め、つばさは前進した)4話ではさらにその差異が明確になっている。
他には菅山首相がクビを賭けた一手に、ガッチャマンメンバーが各々の意見をぶつけあっているところも皆のスタンスが見受けられておもしろい。
丈「俺はクラウズの是非に、自分の首を賭けるのは得策ではないと思うな」
清音「そうですか? なし崩しにクラウズを廃止されるよりは国民に直接問えるんだから悪い手ではないと思いますけど」
パイ「クラウズ程度のことで揉めるとは、つくづく低レベルな星だ。これでは子どもたちが安心して暮らせないじゃないか」
丈「クラウズの危険性は世に知らしめられてしまった。スズキリズムは上手くやったよ。もう誰も安心してクラウズを使うことはできない」
O・D「それはどうかしら、暴走運転があったからって車を全部なくそうと言っているものじゃあなぁい?」
丈「クラウズは車より遥かに危険だ。あれは人類に早すぎる道具だったんだ」
パイ「全くこんな事だから、いつまでたっても保護観察なのだ」
O・D「人助けとか、上手に使えてる人もいるじゃなあい」
丈「2:6:2の法則だよ」
清音「それって人が集団化すると、必ず2割が賢く、6割が普通で、2割が愚かって比率になるのっていうのですよね」
丈「今クラウズを使いこなせている者は、その2割だ。その普通の6割が感化されたとき、物事は馴染んでいくんだ」
丈「だがそれを待つ前に、クラウズの力は社会に破壊的なダメージを与える可能性が高い」
つばさ「あの、あたしは2なんですか?6なんですか?」
つばさ「皆さんそうやって偉そうに色々言ってますけど、そんなふうに人を分けて考えて楽しいんですか」
清音「いやいや、翼ちゃん。楽しいとかそういうことじゃないよ」
つばさ「これってガッチャマンで話し合うことなんですか? ヒーローなんだから目の前で困っている人を助けていくことが一番大切なんじゃないですか?」
はじめ「イイっすね、翼ちゃん。これがバチバチーッのキラキラーッすよ」
つばさ「はあ?」
はじめ「ここんところ皆、んー、って感じなんですけど翼ちゃんはバーッ!って感じなんすよ!」
はじめ「だから翼ちゃんは今のガッチャマンに必要なんじゃないっすかね」
つばさ「よく分かんないですけど、そんなこと考えないといけないんですか」
はじめ「いけないかどうか、わかんないんっすけど。僕は考えちゃうっすねぇ」
――ガッチャマンクラウズインサイト4話
つばさは「こんなこと話し合う必要があるんですか?」と言うが、ガッチャマン(=ヒーロー)に関係なく社会にかかわっている全ての人間が頭を働かし各々の答えを見つけたほうがいいとは思う。
じゃないと、知らない間に知らない法案が通っていたり、知らない間に気づかぬままに搾取されていたりするかもしれないし、自分達の国を自分達がどういう方向性にしたいかくらいは思い描いていないと衆愚になりかねないのかなあとも思う。
一期はクラウズという「物理的な力」でヒーローとはいかに?と突きつけたが、二期では「政治(社会)に参加する」「自分の意見を持つ」「誰かと対話することで自分の意見を探っていく」ことがヒーローになるためのキーなのかもしれない。
一ノ瀬はじめに、おすすめするギャングスタ・リパブリカ
そして、一ノ瀬はじめが「複数の価値観の衝突」がお好みならば、それを前面に押し出した『ギャングスタ・リパブリカ』という作品を気に入ってくれるだろう。
2013年にWHITESOFTから発売された本作品は、「悪は世界を救う」をもっとーにヒロインが別ヒロインに自分の価値観を衝突させていくノベルゲームだ。
このヒロイン達は一人一人異なった価値観を有しており、例えば「救世主になる」だとか、「情より理論だ」とか、いやいや「ルールより人の心を優先にすべき」とか「そんなことどーでもよくない?」と言ってのける女の子達である。
彼女たちはひとりづつ個性的な面々であるが、ただ共通しているのは自分の価値観を信じ、貫くこと。
この「信じ、貫くこと」それ故に、他ヒロインと価値観がぶつかろうと躊躇いなく思うところを言うし、時には敵対行為、喧嘩になると分かっていても気持ちを吐き出すことさえある。
『ギャングスタ・リパブリカ』には協調主義も同調圧力もない―――ただただ己の「そのようにしか生きられない」部分を互いにかち合わせることでバチバチーッと火花と散らし自分を(あるいは)他者を追求していくのだ。
一例をあげよう。
禊「叶のことがわかるなんて、とても傲慢」
禊「そもそも、長い時間いっしょにいたからといって、わかるものじゃない」
禊「私は救世主として生きてきた。叶は悪として生きてきた。だから共鳴するところがある」
禊「だけど、こおりは違う」禊「学生の鑑として、優等生として、一般人として、ふつうの人として、常識人として生きてきた」
禊「……私たちとは、生き方が違う」
禊「生き方が違う人間にはわからないことがある。 同じ生き方をする人間にしかわかりあえないことがある」
こおり「……あんた、ほんとに傲慢ね! 他人のこと見下して、自分だけ救世主面で」
――ギャングスタ・リパブリカ
こんなふうに思う所は言うし、言ってほしくないこと、触れてほしくないことも彼女たちは互いに踏み入っていく。
『ギャングスタ・リパブリカ』は哲学あり、深淵あり、ワクワクドキドキな要素を持つゲームなので、いわゆる「キャラゲー(=キャラは濃いがストーリーは薄い)」 とは縁遠い作品である。
しかし、一部のファンから――キャラクターの思想観の強度が高すぎるという意味において――これぞまさしくキャラゲー!、なんて言われたりもしている。
それくらいに登場人物の存在強度が素晴らしすぎるのだ。ああシャールカ先輩><!!!
―――そして、一ノ瀬はじめがこの作品に出会ったらとおもうと夜も眠れない。
きっと彼女は「パイパイ!これっすよこれがバチバチーッのキラキラーッなんすよ!!!」と周囲にリパブリカをアジっていくだろう。そんな未来が見える(妄想案件)
<参考>
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