東日本大震災後、すべての原発が止まって、まもなく2年がたつ。冷暖房に電気を多く使う夏も冬も、大規模な停電を引き起こすことなく乗り切った。

 4年前の福島第一原発事故は国家存亡の危機を招き、今も収束していない。原発の怖さを知ったからこそ、不便はあっても原発は止まったままにしたい。各種の世論調査で、半数以上が再稼働に反対しているのは、そんな思いの表れだろう。

 だが、安倍政権は原発に回帰しようとしている。8月には九州電力川内原発(鹿児島県)を再稼働させて、いずれは日本の電源の2割以上を原発でまかなうことを目指している。

 なし崩しの原発回帰に、反対する。国民生活に負担がかかりすぎないよう配慮しつつ、再稼働しない努力を最大限、するべきだ。目指すべきエネルギー社会は、再生可能エネルギーが主軸であり、原発が基本的な電源となる社会ではない。

■避けられた電力不足

 朝日新聞は11年7月に社説で「原発ゼロ社会」を提言した。

 ◆古い原発や危険度の高い原発から閉め、20~30年後をめどにすべてを廃炉にする。稼働させる原発は安全第一で選び、需給からみて必要なものに限る

 ◆節電・省エネ対策を進めつつ、再エネの開発・普及に全力をあげる。当面は火力発電を強化しても、長期的には脱原発と温暖化防止を両立させる

 ◆多様な事業者の新規参入を促す電力改革を進め、消費者側の知恵や選択が生きる分権型のエネルギー社会に転換する

 基本的な考え方は、今も変わらない。しかし、この4年間で状況は変わった。

 最も劇的だったのは、原発による発電がゼロになったことだ。4年前は、全国で原発が動いていた。その後、定期点検のため次々に休止し、一時的に関西電力大飯原発(福井県)が動いたものの、13年9月以降、一つの原発も稼働していない。

 この間、心配された電力不足は起きなかった。緊急電源をかき集めてしのぐ局面もあったが、節電の定着をはじめ、火力の能力を高めたり電力会社の垣根を越えて電力を融通しあったりすることで、まかなえた。

 ただし、原発稼働をゼロのまま定着させる環境が盤石になったとは、まだ言えない。

 大規模発電所から遠方の大消費地に電気を送る集中立地型の供給態勢は、原発事故後もそのまま残る。システムの脆弱(ぜいじゃく)さは克服されていない。電力使用量のピーク時に大きな火力発電所が故障すれば、不測の事態が起きる可能性も消えてはいない。

■システムはなお脆弱

 電力の9割を火力に頼っている現状が持続可能とも言えないだろう。エネルギー源を輸入に頼る以上、為替や価格の変動リスクに常にさらされる。

 電気料金にしても、国民や日本経済が値上げをどの程度まで許容できるのか。詳細な調査もないままに、値上げが生活や経済活動に深刻な影響を与えることは避けなければならない。

 国民生活に深刻な影響を与えるリスクはゼロとなっていない。そう考えれば、最後の手段としての再稼働という選択肢を完全に否定するのは難しい。

 それでも、個々の原発に対する判断は、きわめて慎重でなければならない。「この原発を動かすことで、どんな不利益を回避できるのか」「電力を広域的に融通して電力需要に応えてもなお、再稼働は必要なのか」といった観点から納得のいく説明ができなければならない。

 原発の安全性が立地条件から見ても十分に確保されていることや、周辺の住民が避難できる手段が整っていることは、当然の前提になる。稼働ゼロの実績は、それだけ再稼働へのハードルを高くしている。

 こうした状況のもとで、できるだけ早く再エネを育て、分散型の電力システムへと切り替えていく。そのためには、新たな方向へと誘導する政策努力が欠かせない。

 政府は改革の道筋を立て、送電網の充実、原発のゴミ処分などに資源を集中させる。廃炉を進める態勢づくりや、収益源だった原発を失う立地自治体への支援、原発関連の事業者への経過措置も必要になる。

■原点は福島第一原発

 ところが、安倍政権は逆を行こうとしている。「原発依存度を可能な限り低減する」としながら、原発を維持する方向へ転じて「原子力規制委員会がOKした原発はすべて動かす」と判断を丸投げした。規制委は、発電所に限って物理的な安全性を見るにすぎず、政策全体に責任を負うものではない。

 立地自治体には「国が責任を持つ」といいながら、具体的な中身はない。川内原発の場合でも住民の安全確保や、火山噴火の問題は積み残したままだ。

 原発を考える原点は、福島第一原発の事故にある。今、原発は動いていない。この実績を生かすことを考えるべきである。