2015-07-27 「ご飯をつくって待ってくれているお母さん」の何が悪いのか
一部界隈で使われている「へサヨ」という言葉を私はあまり使いたくないのですが、「右からの」と同様に多く見られる「左からのSEALDs批判」を見ると、戦争法案の問題はどうでもいいと思ってるのではないかと苛立ちを覚える限りであります。挙句、極左暴力集団・中核派の運動タダ乗りにまで無批判と来た日には安倍の悪政を側面からサポートしているのではないかと思わざるを得ません。
最近でも曲解に基づく横槍が武蔵学園専任講師の北村紗衣氏(id:saebou)によってなされております。
■国会前抗議に行ってきた(Commentarius Saevus)より
しかしながら、最後のスピーチにははっきり言ってちょっと引いた。国会議員や高橋哲哉先生、また関西のSADLの人のスピーチなどの最後にSEALDSの女性のスピーチがあったのだが、この「安倍首相への手紙」というスピーチはかなり稚拙なものだったと思う。私が一番「これは全然ダメだ…」と思ったのは、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」がいることを平和な世界の象徴として訴えていたところである。これは自分の経験に基づいているのだろうが、全体的にものすごく家庭を守る母(「両親」ではない)とその子どもというイメージに依拠しており、はっきり言ってこのスピーチで提示されている「平和な家族像」というのはむしろ首相とその一派が推し進めているものに近い、母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った。首相への手紙という形式なので、わざと首相が喜びそうな家庭モデルを持ってきているのか、それともあまり何も考えないで経験を書いているのかはわからないのだが、こういう安倍的家庭観を前面に出して「安倍を倒せ」とか、全然コンセプトが通ってなくてスピーチとしては稚拙にすぎると思うし、女性性とか母性がしばしば政治活動でプロパガンダに利用されることを経験してイヤになっているほうからすると聞いていて本当にうんざりする。
私はけっこう、デモに行く前はSEALDSの人たちではなくその周りで「美人もたくさん参加してる」ことを売りのように言う人たちに問題があり、学生は若いからそういうことがよくわからなくても仕方がないだろうと思っていたのだが、このスピーチを聞くと、人目を引くことを目的に安易に「女性性」をアピールしてしまう土壌はSEALDSのほうにもあるんじゃないかと疑ってしまった。まあ、これは私の考えで、実際にそうなるとしてもまだまだ遠い先の話だろうが、たぶんSEALDSを組織してるような学生から将来、国会や地方自治体の議員なども出ることもあると思うので(『グローリー』や『パレードへようこそ』なんかでも描かれているし、日本でもそういう事例はあるが、市民運動は未来の政治家を育てる学校である)、もっと性差別とかスピーチのコンセプトの重要性とか、そういうことを今のうちに学んでほしいと思う。私は来週の金曜日は学者の会に行く予定で、この時は学生と一緒に行動するらしいので、そのへん誰かと意見交換できたらいいのだが…
追記:私が批判したスピーチの全文書き起こしがアップされたようだ
普通に読んで、スピーチした女性のみならずそのご家族に対してものすごい失礼な事言ってるのだが。重箱の隅をつつくを地で行く、屁理屈の塊としか言いようのないこの記事に好意的なはてブが少なからず見られるのも愕然とさせられますが、これに対する詳細な反論が 「文筆家/音楽制作者 OTOTOYプロデューサー レーベル&スタジオ Memory Lab主宰。」の高橋健太郎様からなされております。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625473728307027968
kentarotakahashi
@kentarotakahash 国会前抗議に行ってきた - http://d.hatena.ne.jp/saebou/20150725/p1
読んでみたが、まず、この人の
OUR MPS
WILL NOT BE WARLOADS
Feminist Against Tyranny
というプラカードって、一体、何人に理解されるのだろう?と思った。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625473728307027968
kentarotakahashi
@kentarotakahash 国会前抗議に行ってきた - http://d.hatena.ne.jp/saebou/20150725/p1 …
で、この人が国会前に行って持ち帰ってきたのは、SEALDsの女性のスピーチで「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」がいることを平和な世界の象徴として訴えていた」ことへの違和感であると。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625474250749538304
kentarotakahashi
@kentarotakahash なるほど、それはフェミニズムの立場からすると、そうかもしれないと思いつつ読んだのだが、しかし、こういう場合は原文に当たらないで判断するのは良くない。ので、スピーチの書き起しも見に行ってみた。これがそれ→ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/254835
■ 【スピーチ全文掲載】女子大生から安倍総理へ手紙「あなたの一切の言動に、知性や思いやりのかけらを感じたことがないし、一国民としてナメられている気がしてなりません」SEALDs芝田万奈さん (IWJ Independent Web Journal )
「あなたの一切の言動に、知性や思いやりのかけらを感じたことがないし、一国民としてナメられている気がしてなりません」――。
2015年7月24日(金)、安倍政権に退陣を求める市民ら7万人が国会周辺に押し寄せた。学生有志「SEALDs」の大学三年生・芝田万奈さんは国会正面で安倍総理に向けた手紙を読み上げ、怒りを表明した。
「この場から見えるこの景色が、私に希望を与えてくれます。安倍さん、あなたにもここに立って見てほしい。本気でこの国の未来を思い、行動する人たちの顔は、きっとあなたが永田町で毎日合わせる顔の何十倍も強さと希望にあふれているということを」
以下、スピーチの動画と、全文書き起こしを掲載する。(原佑介)
「こんばんは。大学3年の芝田万奈です。今日は安倍晋三さんに手紙を書いてきたので読ませていただきます。
安倍晋三さん。私は、あなたに底知れない怒りと絶望を感じています。
先週、衆院安全保障特別委員会で、安保法制がクーデターとも言われるかたちで強行採決されました。沖縄では、県民同士を争わせ、新たな基地建設が進められています。鹿児島では、安全対策も説明も不十分なまま、川内原発を再稼働させようとしています。
一方で、東北には、仮設住宅暮らしを4年以上続けている人は、まだたくさんいらっしゃいます。あなたはこの状況が、美しい国・日本のあるべき姿だと言えますか?
アメリカは、「自由と民主主義」のためとして、世界中に基地をかまえて、紛争地域を占領し、市民の生活を脅かし、そして9.11のあとに、『対テロ戦争』として、無差別殺人を繰り返してきました。
後藤健二さんが殺害された時、私は、日本がアメリカのような対テロの戦いを始めるんじゃないかと思って、とても怖くなったのを今でも覚えています。
しかし、日本はアメリカと同じ道を辿ってきてないし、これからも辿りません。
被爆国として、軍隊を持たない国として、憲法9条を保持する国として、私たちには、平和について真剣に考え、構築し続ける責任があります。70年前に経験したことを、二度と繰り返さないと、私たちは日本国憲法をもってして誓ったんです。
武力に頼る未来なら私はいりません。人殺しをしている平和を、私は平和と呼びません。いつか私も自分の子どもを産み、育てたいと思っています。だけど、今の社会で子どもを育てられる自信なんかない。
安倍さん、私のこの不安を拭えますか? 子どもを持つ親御さんたちに、安心して子育てができる社会だと言えますか? 福島の子どもたちに、安全で健康な未来を約束することが出来ますか? 沖縄のおじいやおばあに、基地のない島を返すことはできますか?
自分の子どもが生まれた時に、真の平和を求め、世界に広める、そんな日本であってほしいから、私は今ここに立って、こうして声を上げています。未来を想うこと、命を大事にすること、先人の歩みから学ぶこと、そんな当たり前のことを、当たり前に大事にする社会に私はしたいんです。
家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。
憲法を守れないこの国の政府は『この道しかない』とか言って、安倍政治を肯定しようとしています。平気で憲法違反するこの国の政府に、どうしたら国際社会の平和を構築することができるのでしょうか。
国会で野次を飛ばすような稚拙な真似をしてみたり、戦争を近所の火事に例えたり、粛々とあの美しすぎる大浦湾を埋め立てようなんて、私には本当に理解できません。あなたの一切の言動に、知性や思いやりのかけらを感じたことがないし、一国民としてナメられている気がしてなりません。
安倍さん、私はこれ以上、私が生きるこの国の未来を、あなたに任せることはできません。私が願う、一人ひとりが大切にされる、民主的で平和な明日を、あなたと一緒に作りたいとも思わないし、あなたと一緒に作れるとも思いません。
この場から見えるこの景色が、私に希望を与えてくれます。安倍さん、あなたにもここに立って見てほしい。本気でこの国の未来を思い、行動する人たちの顔は、きっとあなたが永田町で毎日合わせる顔の何十倍も強さと希望にあふれているということを。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625476712768237568
kentarotakahashi
@kentarotakahash 読むと、「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せ」はスピーチした芝田万奈さんの帰郷時の「幸せ」経験の描写だと分かる。「仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せ」「好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せ」とも並置されている。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625476960756436992
kentarotakahashi
@kentarotakahash が、その個人の「幸せ」を感じた経験の描写を、件のブログでは「このスピーチで提示されている「平和な家族像」というのは〜首相とその一派が推し進めているものに近い」と断罪し、さらに「人目を引くことを目的に安易に「女性性」をアピールしてしまう土壌はSEALDSのほうにもある」ともする。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625478703309438976
kentarotakahashi
@kentarotakahash 途中の論理がどうなっているのか、よく分からないところがあるが、ともあれ、ここでは「幸せを感じた個人的経験」を語ることも、女性性を使って一目を引く、つまりルッキズムらしきものへの批判材料とされているようだ。
https://twitter.com/kentarotakahash/status/625484748563951616
kentarotakahashi
@kentarotakahash 個人的な幸せの体験を語っただけのことが、周りだけじゃなくSEALDs本体が、「女性性を使って一目を引いている(ルッキズム、セクシズム)」という批判に結びつけられてしまって、芝田万奈さんはどんな思いだろうか?
なお同様の芝田さんへの言いがかりは、朝鮮語翻訳家の米津篤八氏(id:mujige)からもなされており、これに対して元自衛隊員の泥憲和様が厳しく批判しておられます。
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《引用ここから》
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「今日は安倍晋三さんに手紙を書いてきたので読ませていただきます。私はあなたに底知れない絶望と怒りを感じています。沖縄の新基地建設や、東北の仮設に住む人達、あなたはこの状況が目指すべき美しい国だと言えますか」
「私は帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さんがいて、仕送りしてくれたおじいちゃんおばあちゃんに『ありがとう』って電話して、好きな人に教えてもらった曲を聞きながら帰る。この日常を平和と呼びたい」
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次に、それに対しての私(どろ註 この「私」は批判者自身を指す)の批判です。
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SEALDsの学生のスピーチ、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さんがいて」という日常を守るために戦争する、という理屈も成り立つよね。実際、日本軍の兵士たちもそう考えてたと思うよ。
実際、そうしたいまの<私たちの幸せな日常>は、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの累々たる屍の上に築かれているものなわけで、それを守りたいというのは、すなわち<戦争を必要とする世界>を肯定する言説でしかないわけで。
日本が深く関与した朝鮮・ベトナム戦争を無視して<日常の平和>を謳う姿勢は、SEALDsの言う「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本」という誤った歴史観から必然的に導かれるものであり、侵略への反省を欠いた平和運動の限界を示すものだろう。
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《引用ここまで》
https://www.facebook.com/tokuya.yonezu/posts/948731098502615
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《泥の意見ここから》
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その感情は正しいものであると私は肯定します。
強烈な感情であるだけに、権力がその願いを悪用することがあります。
批判者が述べるとおり、日常を守るために戦えといった論理が用いられます。
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しかしそれは権力側の悪用なのであって、平凡な日常を願う感情それ自体が間違っているわけではありません。
ここでは「家族のために侵略戦争を戦え」という権力のデマカセこそが批判対象であるはずであり、矛先をSEALDsに向けるのは羅針盤を見失っていると思います。
SEALDsのスピーチをした女性が朝鮮戦争やベトナム戦争被害者を無視するわけないじゃないですか。
きっと彼女は朝鮮やベトナムの民衆が平凡な日常を奪われた歴史についても深く悲しみ、それらの戦争に強い憤りを持つ、そういう感性の持ち主だと私は思います。
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なぜこのような見当違いに至るのかといえば、相手の言説を裏返して見せることで、相手が言ってもいないことを言ったように描き出して批判するという詭弁を用いているからです。
ツイッターで批判者に寄せられた反批判は「SEALDs批判への反批判」というよりも、批判者のそうした論理的誤謬に対する批判だととらえる方が理に適っているのではないでしょうか。
正直に言っちゃえば、私はこういった小理屈を弄ぶタイプが大嫌いです。
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誤解されないためにつけたします。
泥氏の「小理屈」に対する批判、北村氏にもバッチリ当てはまります。
米津、北村両氏は、芝田さんによると思われる以下ツイートをとくとご覧になるべし。
https://twitter.com/manalulu0/status/625165475635302401
@manalulu0 自分が恵まれてるのは痛いほど承知してる。家に帰ったらお母さんがいる家庭なんて今はかなりマイノリティーですよね。
だけど、お母さんが死ぬほど働いてるのに子どもはカップラーメンしか食べれない家庭がある現実のなかで、その子どもに戦争行かせて、一体どんな幸せが守れるの?