鳥取と島根、徳島と高知をそれぞれ「合区」するなどして、参院の定数を「10増10減」する改正公職選挙法が成立した。都道府県単位の選挙区が統合されるのは、参院選が始まって以来初めてのことだ。

 最高裁に「違憲状態」だと指摘されたまま、来年夏の参院選に突入する愚だけはかろうじて避けられた。しかし、参院本会議での採決は、賛成131、反対103という小差。合区対象となる4県選出の自民党議員6人は退席した。

 2年近くかけて議論してきたにもかかわらず、である。

 議論を尽くし、意見の違いを調整して、公共の利益にかなう結論を出す。それが民主主義的手続きの基本である。とりわけ代表民主制の基礎となる選挙制度は、党派を超えた幅広い合意のうえで決めるのが筋だ。

 それなのに、際だったのは議論を主導すべき自民党の怠慢である。最大格差が4倍を上回る「6増6減」案を示すなど、場当たり的な対応を重ねたあげく、来年の参院選が約1年後に迫るなか、維新の党など野党4党が出した「10増10減」の「助け舟」にしぶしぶ乗った。

 それでも一票の最大格差は、2・97倍もある。憲法が求める「投票価値の平等」にこたえ得るか、深刻な疑問符がつく。

 一方、民主、公明両党などが共同提出した「10合区」案は、最大格差が1・95倍。一票の不平等を正すという点では自民党案よりはましである。少なくとも来年の参院選はこちらで行うべきだったが、国会ではほとんど議論されなかった。主権者である国民は考える機会も材料も与えられないまま、結論だけが押しつけられた形だ。

 今回、改正法の付則にはこんな一文が盛り込まれた。「選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い、必ず結論を得るものとする」。しかしこれは3年前、「4増4減」して現行制度に改めた時の付則に「必ず」が加わっただけだ。

 合区が最善かには議論の余地がある。日本の人口減少と都市への人口集中が進めば、今後も同じような小手先の数字合わせが繰り返され、ずるずる合区を重ねる事態になりかねない。

 それでいいのか? その答えを探るためにも、「参院の役割とは何か」を根本から議論する必要がある。

 ところが毎回、答えを出せないまま、弥縫(びほう)策でお茶を濁す。その繰り返しが、自らの正統性と「良識の府」の看板をどれだけ傷つけてきたか、参院議員はいつになったら気づくのか。