英有力紙 日経傘下の衝撃
7月28日 17時50分
今月23日、イギリスの有力経済紙、「フィナンシャル・タイムズ(FT)」が日本経済新聞社に売却されるというニュースは世界を駆け巡り、とりわけイギリスに大きな衝撃を与えました。
伝統あるクオリティー・ペーパーとして知られるFTが、なぜ売却されることになったのか。その背景やねらい、それに今後の課題について、ロンドン支局の下村記者と経済部の新井記者が解説します。
イギリスで衝撃が広がる
「ガーディアンは、イギリスにあり、イギリスが保有する、あなたのクオリティー・ペーパーです」。
イギリスの高級紙、「ガーディアン」が、FT売却発表の翌日、1面に載せた見出しです。伝統ある新聞が外国メディアに売却される。イギリスの人たちに与えた動揺と衝撃が伝わってきます。
このニュースは、新聞だけでなく、公共放送のBBCなど、イギリスの多くのメディアが大々的に伝えました。
ニュースを受けて、ロンドンにある国際的な金融センター、シティーの複数の金融マンに話を聞きましたが、みな一様に「ショックだ」とか、「寂しい」などと力なく話し、人々からは、まるでイギリスの誇りが失われてしまったかのような印象すら受けました。
「シティーのバイブル」
独特な高級感を醸し出すサーンモンピンクの紙面。ひと目でそれと分かるデザインはFTの特徴で、シティーの金融マンに欠かせないアイテムです。
1888年に銀行家が創刊したFTは、その信頼性の高さから、「シティーのバイブル」とも呼ばれてきました。1957年、現在の親会社であるイギリスのメディア大手、ピアソンに買収され、以来、半世紀余りにわたって、その傘下で活動してきました。
経済紙として、経済や金融の情報を中心としつつも、政治、社会、文化、国際など幅広い分野の記事も掲載。高級感ある紙面や記事の正確さとともに、「NoFT,No Comment」(FTがなければ、コメントできない)といったうたい文句で、そのブランドはイギリスだけでなく、世界の知識層の心をつかんできました。
なぜ売却?
世界的なブランドであるFTを親会社のピアソンはなぜ手放すことにしたのか。
ピアソンは、世界80か国以上で、英語の能力試験や参考書の販売などを展開していて、こうした教育事業がビジネスの柱です。しかし、先進国での事業が伸び悩み、業績が低迷するなか、事業の選択と集中を迫られていました。
売却の理由について、ピアソンのジョン・ファロンCEOは、「デジタル化が進み、モバイルとソーシャルが中心となったいま、メディアは転換点を迎えている」と述べるとともに、「FTのジャーナリズムやビジネス上の成功にとって最善なのは、グローバルなデジタルニュース企業の一員になることだ」と述べました。
活字離れが進み、インターネットが普及したことで、新聞というメディアの在り方が大きく変わるなか、ピアソンは、FTを売却し、教育事業に経営資源を集中させることを決断したのです。
加速するメディア再編
活字離れとインターネットの普及。その急速な流れは、新聞業界の再編を促しています。
イギリスでは、夕刊紙の「イブニング・スタンダード」が、2009年にロシア人の富豪に買収され、広告と事業収入を柱にしたフリーペーパーになったほか、その翌年には、高級紙「インディペンデント」も同じ富豪に買収されました。
アメリカでは、おととし、有力紙「ワシントン・ポスト」がIT企業のアマゾン・ドット・コムのCEOに買収されたほか、「ニューヨーク・タイムズ」の傘下にあった「ボストン・グローブ」もアメリカの実業家に買収されています。
FTは生き残りを図るため、ネットへの対応をいち早く進めてきました。現在の73万7000の発行部数のうち、実に70%がオンラインによる購読者で、5年前の3倍近くの伸びです。FTは、ネットへの転換に成功しつつあるとみられていました。
受け継がれるかFTの精神
こうしたなかでの突然の売却発表に、FTの本社編集部は騒然となったといいます。最も懸念されたのが、編集権の独立の問題でした。実際、FTのジョン・リディング会長は、日経新聞との交渉について、「編集権の独立の問題が重要な位置を占めた」と話しています。
FTは、みずからの紙面でも売却の事実を報じています。このうち、24日付けの記事は、「新たなオーナーが編集権の独立を守るかどうかが試される」ということばで締めくくりました。
さらに、25日には、「Without fear and without favour(恐れず、偏らず)」という社是をタイトルにした異例の社説を掲載。
そこにも「FTのこれまでの評価は、編集権の独立によって保たれてきた」と記しました。
企業や政府に遠慮することなく、果敢に報じてきたFTの精神は受け継がれるのか。時に企業寄りだと指摘されることもある日経新聞の姿勢が、今後、厳しく問われることになりそうです。
異例の社説は、こう結んでいます。
「日経ファミリーとして、名誉ある歴史に次の章を書き込んでいくことを楽しみにしている」。
日経の狙いはデジタルとグローバル
一方、日本経済新聞社が買収を決断した背景には、日本のメディア、特に新聞業界を取り巻く厳しい経営環境があります。全国の日刊紙や業界紙の新聞広告費は去年1年間で6057億円。この15年ほどで半分にまで落ち込んでいます。さらにインターネットの普及で、部数も減少しています。「日本経済新聞」の朝刊販売部数は、ことし6月時点で273万部余り。この3年間でおよそ23万部減っています。
これに代わる収益源となってきたのが、「電子版の有料会員」=デジタルへの移行です。買収を発表した翌日の今月24日、喜多恒雄会長も「日経が成長を続けているためには、『デジタル』と『グローバル』の2つを中心にやっていかなくてはならない」と強い危機感を口にしました。
そして、もう1つのカギが「グローバル化」です。少子高齢化で国内市場の一層の縮小が見込まれる中、日経はここ数年、アジア地域で記者を増員し、英語による経済・企業報道に力を入れてきました。日経としては、FTを買収することで、グローバルな報道を充実できるとしています。
編集権の独立はどうなる
日経にとってはプラス材料が目立つように見える今回の買収ですが、懸念材料もあります。
それが「フィナンシャル・タイムズ」の「編集権の独立」です。喜多会長は24日の会見の冒頭、経営戦略と同じくらい、この問題に時間を割きました。
喜多会長は「報道機関にとって最も大事な編集権の独立はこれまでと変わることなく維持される」「フィナンシャル・タイムズの経営や報道のスタイルを変えたいとは思っていない」などと繰り返し述べました。
それにもかかわらず、外資系メディアを中心に「日経の経営陣が現場に介入しないという保証はあるのか」という質問が相次いで投げかけられたのは、「日経が企業に寄りすぎているのではないか」と感じているからだと聞きます。
日経の経営陣は、会見でこうした見方を否定しましたが、両社の企業報道などを巡る姿勢や企業カルチャーが異なるという指摘が根強いのも事実です。
「日本経済新聞」と「フィナンシャル・タイムズ」という2つの媒体が、グローバル化、デジタル化がますます進む時代に、どう「相乗効果」をあげて、新たな道を切り開くのか。ともに難しい課題に直面しています。