Archive | February 2014

人はいつでも家路を辿る

記憶、

僕らはそんなものの上を歩きながら日常を渡り歩いている。

 

例えば、僕は何も知らない異国の街に足を踏み入れる。

立ち並ぶ家々、通りや人々の姿、匂い、音。

全てが目新しく新鮮なはずなのに、いつかここに来たことがあるかもしれないと思い始めている。

目の前の物を見つめながら、その裏側には別の物がいつでも映っている。

 

ある物音がする。

その弾みで、僕の内側から飛び出してくるものがある。

その物音が、僕を自宅のピアノの前へと連れ去っていく。

何も変わらずに、かつての僕が自分の中で呼吸をしている。

 

僕は意地になって、この「記憶」というものが追いつかないような場所を目指していく。

なるべく遠くに、なるべくおかしな所へと。

しかしそれは結局、僕を余計に記憶の底へと押し込んでいくだけなのかもしれないと、最近思うようになってきた。

 

僕は何処かへ行く。

しかし、何処へも行くことは出来ない。

あちこちに散らばる記憶の欠片と欠片。

過去というものは、一列に行儀良く並んでいるわけではない。

いつでもこちらの想像を超えて、そこかしこに満ちている。

 

家路。

僕はずっとその周りを何度も繰り返し回り続けている。

黄泉のハナ

自分の深い部分、核へと歩み、 言葉なく、何度も繰り返し傷を撫でる。

するとそこからゆっくりと流れててくる感情、それを少しずつ手のひらの上で受け止めていく。

 

どうやら、彼方にあった「死」の記憶が、今でも僕を動かし続けていたみたいだ。

 

幼い頃に、幾度も独り息をひそめて歩いていた道がある。

山を越えていくのです。

決して振り返ってはいけません。

敷かれた石の上を、一歩ずつ確かに踏みしめてゆく。

小さな手の中には大切に握りしめられた捧げ物があるのです。

 

僕は自らを、「不毛」と呼ばれている側へと誘っていく。

そちらからの、見晴らしを確かめるために。

何故ならば、そこに行かなければ見えてこないものがあるはずだからだ。

果てには空漠のみが広がるのならば、どうして今があるのかと、絶えず僕は考えてきたのです。

 

枯れ果てていた地の底からこみ上げてくる、 太古の涙。

その源泉に触れたとき、

「ごめんなさい」と僕は夢中で叫んでいた。

僕はそこに黄泉のハナの咲き誇るのを目にする。

Vision Quest

人はそれぞれどのようにして生き方を見いだしていくものなのか。

僕には長い間ずっと、それが不思議でたまらなかった。

気がつけばいつの間にか20歳半ばを過ぎ、30という齢に近づいている。
幾つものかけがえのない経験を通して、かつては想像もすることのなかった世界に接している。

自分の中に見ていた世界が溶け出していく。もはやそれはどんな形をしていたものだったかもわからない。

何かを知れば知る程、物事が絡まり合い、互いの色彩が滲み合っていく。そして僕は言葉を失い、立ち尽くす。

しかしそれは誰もが経験をし、通り過ぎてゆくものなのかもしれない。
物事は何も自分の思った通りにはいくものじゃないのだから。
その認識に何度も打ちひしがれていくことだろう。嘆くことではないはずだ。

全身に流れる苦み、焦燥感、そして次第に浮かび上がってくる自分の存在というもの。
世界と対極に位置するもの、それが自分というものかもしれない。

行くはずだった道が消えた。けれどそこに微塵の後悔もないし、むしろ胸に溜まっていた不純物が、すっと流れていったように思える。

孤独。そんな名前のしたヤツをしばらくの間見続けている。

それは一見すれば暗く、行き場のないようでいるが、しっかりと見つめてやればそこには少々の灯が差し込んでいる。

寂しさを無理に埋め尽くそうとしても上手くいかない。

数は少なくとも、独りの人間と人間が歩み寄る、交感を大切にする。

これからまた僕は多くのものから離れていくだろう。しかしそこに不安も、恐怖も必要ない、そんな声が響いてくる。

「自分はなにものなのか」ということが、つまりはその人の生き方なのだろう、と今この時点で僕は思っている。

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