韓国社会を大きく揺るがせた中東呼吸器症候群(MERS)が徐々に終息へと向かっている。ただその感染拡大のペースが非常に早かっただけに、これが忘却されるスピードも早い。そのためまだ国から終息宣言が出ていないにもかかわらず、国民の間ではMERSはすでに忘れ去られたような雰囲気だ。韓国国民はわずか1年前に旅客船「セウォル号」沈没、20年前には三豊デパート崩壊という悲惨な事故を幾つも経験したが、いずれも今回のMERSと同じく忘れられるスピードは非常に早かった。大きな悲しみや損失を経験したはずなのに、次の惨事が発生する頃になるといつもその記憶はなくなっていたのだ。
事故の発生にはさまざまな原因が考えられる。コントロールタワーとマニュアルの不在、現場の状況に詳しい専門家の不足、ほとんど意味のない訓練、腐敗とずさんな管理で生み出された手抜きのハードウエアなどがそうだろう。事故が発生した直後、われわれはいつも何も知らない白紙の状態からこれら全てを一気に解決しようと考えてきた。直ちに手を加えるべきところと、長い時間をかけて改善すべき点を分けて考えることができなかった。そのため分けて考えればすぐにでも解決できるはずの問題が、常に到底解決不可能な問題へと大きくなっていた。提示される解決策はどれも確かに理想的だが、何か地に足が付いていないためか、本来なら全員の責任であるはずの事故でさえも、後に誰の責任でもなくなった。その間に多くの悲しみや後悔、罪の意識、怒りなどを誰もが味わったはずなのに、これらの感情も変化と改革のパワーとして生かす前に、いつしか忘れ去られてしまっていた。