「1941年、ソウル生まれ」。2013年に「建築のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー建築賞を受賞した建築家、伊東豊雄氏(74)のプロフィールは「ソウル」で始まる。だが、韓国で精力的に活動してきた安藤忠雄氏(73)、坂茂氏(57)らほかの著名な建築家とは違い、これまで韓国で一度も設計を手掛けたことがない。その伊東氏が、韓国で10月に開かれる「2015光州デザインビエンナーレ」のパビリオン(仮設建設物)設計を担うことになった。現場訪問のため先ごろ来韓した同氏に、金浦国際空港で話を聞いた。
-韓国とは特別な縁があるが。
「(日本植民地時代に)父が生糸事業をしており、家族でソウル・南大門のあたりに住んでいた。父は朝鮮白磁の愛好家で、それに関する論文を書いたりもしていた。2歳のときに長野に戻ったため、あまり記憶はない」
-パビリオンはイベントが済んだら撤去される。韓国初のプロジェクトにしては小さいが。
「大きなプロジェクトよりも小さなプロジェクトの方が好きだ。小さな建築を次の建築のための重要なモデルと見なしているためだ。2002年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーに建てたパビリオンも3カ月しか存在しなかったが、その後に手掛けた(外観が似ている)東京のTOD'Sビルのひな型になった。今回は、似ているけれども違う韓日両国の微妙な文化の差を表現したい」
-東日本巨大地震の被災者のための「みんなの家」など、近ごろ社会性の高いプロジェクトを手掛けている。
「震災以前は建築家たちが『自分がものすごいものを作った』と自慢するムードだった。震災で全てが廃墟になり、素晴らしい建物を建てることに何の意味があるのかという自省が生まれた。社会に目を向けるようになったということだ」