花房吾早子
2015年7月27日14時30分
米軍は広島と長崎に原爆を投下する前後、49発の模擬原爆を試していた。使われたのは通常の爆薬だったが、400人余りが犠牲になった。「核攻撃につながる非道な実験を風化させない」。被害地の人たちは手をたずさえ、継承していこうとしている。
■全国の被害地、初めて交流
「日本各地にパンプキン爆弾(模擬原爆)が落とされたのをあなたは知っていますか?」。大阪市中央区で今月中旬、こう名づけられた集会が開かれた。参加したのは、模擬原爆が投下された地域で活動する人たち約100人。各被害地の人たちがこうした交流を持つのは初めてだ。
被害を受けた49カ所は18都府県におよぶ。参加者がそれぞれの被害状況や継承の取り組みを報告し合う様子を、「春日井の戦争を記録する会」(愛知県春日井市)の三浦秀夫さん(75)は感慨深い表情で見つめていた。
春日井の戦争を記録する会が1991年、国立国会図書館(東京)に保管された米軍資料から模擬原爆の投下場所の一覧表や地図を見つけた。それまで模擬原爆について詳細に調べた資料などはなく、同会のメンバーは一覧表にもとづいて各地へ。被害地に住む人たちの多くが「小さな街の空襲が広島、長崎への核攻撃と結びついていたなんて」と驚いたという。
その後、被害の実態を調べる取り組みは各地に少しずつ広がる。「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」(東京都西東京市)は10年ほどかけ、米軍の投下部隊の飛行から着弾(45年7月29日朝)までの経緯を調べたり、被災者らの証言を集めたりした。
今春、その結果をまとめた冊子を作成。集会に参加した同会世話人代表の都丸哲也さん(94)は「幅広く市民に知ってもらい、寄付金で記念碑を建てることができれば」とも話す。
西東京の9日前に模擬原爆を投下され、4人が亡くなった新潟県長岡市。7月に実物大模型(直径1・52メートル、長さ3・25メートル)をつくり、8月31日まで長岡戦災資料館に展示することにしている。市の担当者は「今年は被害から70年の節目。目で見て伝わる物を残したかった」としている。
西東京と同じ45年7月29日に投下され、97人が亡くなった京都府舞鶴市では、昨年7月に初めて慰霊祭が開かれた。主催団体の関本長三郎さん(71)は「当時を知る人は高齢になるばかり。体験者を見つけたら、記録に残すための協力を得たい」と力を込める。
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