さて、昨日のブログの続きです。
昨日の私のブログを読んでいないと、今日のブログの意味がよく分からないと思います。
そこでまず昨日のブログ、できれば数日前からの私のブログを読んでください。
それから今日のブログに入ってください。
しかし皆さん、安心して下さい。
私はそれらすべての現実を、良くないこととは決して言いません。
多少怪しげでも、日本はこと経済活動やお金儲けにはわりと大目に見てくれて、自由です。
しかし「朗読」を「検定」しようという協会の考えだけは、世間や役所に、巧みに言いつくろってごまかせても、私には通用しません。
もう一度申し上げます。
「検定」とは、大勢の人を対象に、人間を「合格!」「不合格!」と効率よく区分けする方法なのですよ。
「朗読」は、この方法にはなじみません。
朗読は、もともと、もっと人をおおらかに受け入れる愛情深いものです。
私は朗読を研究し、愛するがゆえに、人を選別するこの冷たい方法だけは、どうしても朗読に適用してほしくないのです。
協会や審査にあたる関係者は、朗読の「原点」をどこに見い出すか、お考えになったことはありますか?私が協会に最初にした質問はこれでした。
私は自分の主催する朗読教室で、
「朗読の原点はこれですよ」と常に指摘しています。
これを知らなければ、朗読をやる意味がありません。
ここでは詳しく申し上げませんが、朗読とは慈しみの心。愛情なのです。
だから私は、これについて、協会や関係者と「公開」で真摯に議論したかったのです。
しかし、協会は、どうやら朗読に対する深い考察のないまま、組織作りを急ぎ、組織が拡大することを唯一の楽しみに、お金儲けに専念している・・・。
そんな協会の皆様の姿が、私にはよく見えます。
そして私と公開で話し合うことすら拒否したのです。
日本朗読検定協会。
「朗読」を「検定」する協会・・・
そもそも、この名称自体、矛盾を含んでいませんか?
私にはそう思えてならないのです。
そこで私の提案です。
協会が理念として掲げている
「広く一般の人に、もっと朗読に親しんで、楽しいものと思っていただきたい・・・」
協会が、これを理念として本当に信奉しているのなら、検定も、協会のあらゆる活動も、経費はすべて協会持ち。
一般からは、一切お金をいただかない。
すべてをタダで、無料で、ボランティアでやる決意を固めてはどうですか?
協会が、そこまでしてでも、一般の方達に、朗読の楽しさや普及に尽力したいとおっしゃるのなら、私は、はじめて協会の活動と理念を信じましょう。
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