9地球ドラマチック「幸せ運ぶ蒸気機関車〜中国・四川省 小さな鉄道と村人たち〜」 2015.07.25


中国・四川省の山深く。
ゆったりとした時間が流れる中を小さな蒸気機関車が走っています。
鉄道模型の世界から飛び出てきたかのような機関車は沿線の人々にとって唯一の交通手段です。
周囲には車が通れる道がないため市場や隣の村へ行くには歩くか鉄道を利用するしかありません。
(汽笛)山や川切り立った崖や棚田。
機関車はいくつもの斜面を上り下りしカーブやトンネルを抜けます。
民家の屋根をかすめるように進む場所もあります。
鉄道の名は「芭石鉄道」。
中国の内陸部四川省を走っています。
運行距離はおよそ20キロ。
これは小さな蒸気機関車と沿線に暮らす人々の物語です。

(汽笛)線路を走るのは機関車…のはずですがここではバイクも走ります。
歩行者も線路の上を歩きます。
山を通る道がないためです。
機関車は頻繁に警笛を鳴らし危険を知らせます。
芭石鉄道の機関士王世平さんが仕事に向かいます。
機関車の車庫の入り口には「仕事は楽しく」「帰り道も元気で」という標語が掲げられています。
同僚と交代した王さんはこれから乗る機関車のエンジンを温め発車に備えます。
現在芭石鉄道では7台の蒸気機関車が稼働しています。
機関車をつなぎ替える作業も動力源は電気ではなく蒸気です。
機関車はどれも古く使われている部品のほとんどは既に予備のものに取り替えられています。
王さんは発車前機関車を必ず丁寧に点検します。
毎回故障が見つかるんですよ。
だから念入りに点検しないと。
機関車を動かす蒸気を生み出すには大量の水が必要です。
水を補充するにも時間がかかります。
たまたま人員を募集していたから機関士になっただけで昔からの夢だった訳じゃありません。
きつい仕事ですよ。
この日王さんはこの路線を1往復する予定です。
機関士は乗客に対して重い責任を負っているし事故があると給料から損失を差し引かれます。
細心の注意が必要です。
(汽笛)王さんは以前は郵便局員でした。
転職後に3か月の訓練を受けて機関士になりました。
芭石鉄道の北の終着駅「石渓」の近くに市場が開かれる日には汽車も混み合います。
沿線の村からやってくる乗客で発車の30分前には満員です。
乗客の他にさまざまな食料や生きたニワトリなども積み込まれます。
機関士の王さんにとっては往復2時間半の乗務の始まりです。
春小さな蒸気機関車は一面の菜の花畑を進みます。
車窓からは四季折々の風景が楽しめます。
途中にある駅では食肉業者の男性が仲間の到着を2時間前から待っています。
芭溝駅まで運ぶ豚がようやく到着しました。
汽車が到着したのは更に1時間後。
芭石鉄道には貨物専用の車両がありません。
豚は客車の中に設置されたケージに入れて運びます。
地元の農家で買った豚を運ぶんです。
普通車両の窓にはガラスがありません。
座席は木製壁はむき出しの金属で家畜が乗り合わせる事もあります。
決して快適な環境とは言えません。
沿線の村から石渓の市場まで買い物に行く人は皆鉄道を利用します。
小さな蒸気機関車がこの地域の物流システムを担っているのです。
汽車は乗客はもちろん自転車や家具家畜まで運びます。
人々にとってなくてはならない存在です。
豚にとってここは文字どおりの終着駅。
食肉として市場に並ぶ運命が待っています。
芭溝の駅前広場には毛沢東の肖像画が飾られた演説ステージが今も残っています。
芭溝の小さな商店街は1940年代に設立された炭鉱会社が作ったものです。
かつてはアヘンを売買する店や遊郭が建ち並んでいました。
今では古い中国の町並みを展示する野外博物館のようです。
(ニワトリの鳴き声)
(犬の鳴き声)芭溝の周辺では山あいの僅かな平地やなだらかな斜面を利用して米や野菜が作られています。
素朴な暮らしぶりはこの数百年間あまり変わっていません。
この村に住む王啓珍さんは朝早くから野菜の収穫に精を出しています。
娘は既に独立し夫と2人で農業を営んでいます。
王さんはこれから石渓の市場まで収穫した野菜を売りにいきます。
野菜でいっぱいのかごは重さ20キロに達する事もありますが芭溝駅まで1時間半以上の道のりを王さん1人で背負って歩きます。
重いかごを悠々と担ぎ田んぼのあぜ道を進みます。
こうして王さんは毎日のように芭溝の市場へ野菜を売りにいきます。
そして週に一度は汽車に乗って石渓の市場まで出かけます。
改装されたばかりの芭溝駅に着きました。
野菜が全部売れれば50元になります。
50元は日本円にしておよそ1,000円。
運賃は往復で10元およそ200円です。
(汽笛)切符は車内で車掌から買う事ができます。
石渓には月に4回ほど行きますが野菜を売るだけでなく買い物もします。
主に野菜の苗を買ってきます。
芭溝から石渓までの距離はおよそ18キロ。
汽車で1時間余りかかります。
芭石鉄道の車庫は北の終点石渓駅にあり毎日念入りに整備が行われています。
朝のミーティングで整備士たちにその日の作業計画が伝えられます。
整備士の1人呂春莉さんはエンジンの整備はもちろん工具や部品まで自分で作ってしまいます。
今は部品を作っています。
機関車に使われる部品には高い精度と頑丈さが求められます。
機関車の運転制御に必要なボルトです。
今日中に4本作らないといけません。
この機関車の部品はもう手に入らないのでこうして自分たちで手作りしているんです。
その方がコストも削減できますから。
呂さんの同僚が出来上がったボルトを検査します。
このボルトはシリンダー内のピストンの動きを車輪に伝えるパーツの一部です。
ピッタリはまりました。
芭石鉄道の蒸気機関車は険しい地形に合わせて小さな車輪が狭い間隔で並んでいます。
安全管理の責任者である師志剛さんは古い機関車の弱点を知り尽くしています。
この路線には短い車両が適しています。
一般的には車両の全長は70メートル余り。
機関車だけでも20メートル以上になりますがそれでは急なカーブを曲がれません。
今走っている機関車はおよそ14メートル。
これなら急なカーブでも曲がる事ができます。
機関車の設計図は長い間失われたと思われていました。
5年前に中国鉱業大学の教授から「機関車の設計図を台湾の図書館で見つけたのでコピーは必要か?」と連絡がありました。
とても貴重なものなのにうかつにも私たちはそれを手に入れようとしなかったんです。
芭石鉄道の機関車の部品は長い年月の間に何度も交換されてきました。
部品は全て設計図がない状態で手作りされたものです。
鉄道の車庫に隣接する石渓の市場はこの沿線では最も大きく月に9回ほど開かれています。
芭溝から野菜を売りにきた王啓珍さんが到着しました。
汽車が遅れたため良い場所はもう残っていません。
何とか空いている場所を見つけ早速商売を始めます。
市場には中国ならではのものから他の国でもよく食べられるものまでさまざまな食材が並んでいます。
整備士の呂春莉さんも買い物にやってきました。
同僚たちと食べる豚のすね肉を買うためです。
あれこれと品定めをして3軒目の店で良い食材を見つけました。
呂さんが作る特製料理は名付けて「豚のすね肉機関車風」。
なんと機関車のかまどを使って調理します。
お待たせ。
まず熱せられた機関車のかまどにすね肉を入れて数分間焼きます。
燻製のような独特の香りが魅力だと機関士の顔淵さんは言います。
豚のすね肉を5分から7分かまどで焼くと風味がグッと増すんですよ。
これをしばらく煮込みます。
冬場によく作る料理です。
工場の中にも調理用の小さなかまどがあります。
熱せられた石炭は機関車が到着するたびに手に入ります。
肉の表面に付いたすすは落としますが香ばしさは残ります。
次にすね肉をぶつ切りにします。
すね肉の煮込みはスタミナがつくので冬によく作ります。
かまどで焼くと皮にとてもいい香りがつくんです。
これを1時間ほど煮込みます。
調理にかかる時間はかまどで焼くところから始めて全部で2時間くらいです。
煮込んでいくうちに工場の中においしそうな香りが漂います。
燻製のような香りだけで十分なアクセントになるので他の香辛料は要りません。
整備士たちはすね肉の煮込みを食べて仕事の疲れを癒やします。
(汽笛)芭石鉄道の沿線の村では人々が線路の周りに落ちている石炭を拾い集める光景が見られます。
機関車からはしばしば石炭の燃えかすが投げ捨てられますがまだ家庭用には使える部分も混じっています。
それを暖房や調理に利用するのです。
芭石鉄道には全線で238メートルの高低差と108のカーブがあります。
村と村をつなぐ道路がないのもこうした険しい地形が理由です。
子どもたちは学校に通うために徒歩かバイクや汽車を利用するしかありません。
菜子には芭石鉄道の沿線で唯一の小学校があります。
この小学校は全部で6クラス。
沿線の村の小学生は皆この学校に通っています。
陳嘉慧さんは勉強熱心な11歳。
授業を担当しているのは彭先生です。
私は毎朝芭溝から汽車で通勤しています。
でも帰りは歩かなくてはなりません。
生徒の多くも長い距離を歩いて通学しています。
以前に比べて汽車の本数が減ったためです。
中には片道2時間かけて通う生徒もいます。
子どもたちにとって険しい道を歩いて通学するのは本当に大変です。
夏は雨に降られてびしょぬれになったり強い日ざしの中を歩いたりしなくてはなりません。
場所によっては危険な道を通らざるをえない事もあります。
下校時間がやってきました。
バイクで迎えにきてもらえる生徒もいますがほとんどの子は線路の上を歩いて帰ります。
陳嘉慧さんは南の終点黄村井までおよそ2時間かけて帰ります。
どんな天気の日でも歩かなくてはなりません。
途中には4つのトンネルがあります。
時には汽笛を鳴らさないままトンネルに入ってくる機関車もあるため油断はできません。
ちょっと怖いです。
(汽笛)一番長いトンネルの入り口には保安係が立っていて事故が起きないよう注意しています。
汽車が近づいてきたら誰もトンネルに入れないようにして安全を図るのが私の役目です。
最初の頃はトンネルがとても怖かったです。
暗い中で転んだらどうしようって不安でした。
通学には懐中電灯が欠かせません。
陳さんの家は線路の目の前にあるというのに登下校の時間に合う汽車はありません。
家の壁は汽車のすすで黒ずんでいます。
家に帰ると陳さんはまずごはんを1膳食べそれから宿題に取りかかります。
毎日宿題を1〜2ページやります。
大体全部終わるまでに30分くらいかかります。
黄村井には古いやぐらがあります。
かつてこの村にあった炭鉱の名残です。
1950年代末毛沢東が推し進めた政策によって鉄鋼や石炭の需要が急激に増大しました。
芭石鉄道ももともと炭鉱から石炭を輸送するために造られました。
炭鉱は既に閉鎖されましたが芭石鉄道は今も利用されています。
(汽笛)反対側の終着点石渓駅では一区間だけ電気機関車を使って今も石炭の輸送が行われています。
李志成さんは鉄道建設当時の作業員でした。
この線路は機械を使わず全て人の力だけで造られたんです。
近代的な機械を使えたらはるかに短期間で完成したでしょうねえ。
僅かな区間にレールを敷くにも数百人の作業員が必要でした。
枕木は肩に担いで運ばなくてはならないしボルトを締めるのも全て手作業でした。
バナナの葉で屋根を葺いた粗末な小屋にわらを敷いて寝たり農家の納屋に寝泊まりさせてもらった事もあります。
納屋では豚と一緒でしたよ。
それでも屋根があればいい方で多くの作業員が屋外で毛布をかぶって寝ていました。
とても過酷な状況でしたが当時はそれほど不幸だとは思いませんでした。
鉄道が完成すると李さんは炭鉱で働くようになり長年過酷な肉体労働を続けてきました。
当時作業員には1日200グラムのごはんと僅かなおかずが支給されました。
ただしおかずはほとんどの場合「キャベツのスープと大根」か「大根のスープとキャベツ」そのどちらかです。
いつもおなかを空かせていたので休み時間になると食べられる野草を探しにいきました。
かつて李さんが空腹と闘いながら建設作業にあたった区間は芭溝駅の近く。
この石渓から1時間ほどの距離にあります。
長い間食糧不足に苦しんできた李さんは近代的な集合住宅で暮らすようになった今も多くの食料を備蓄し室内でニワトリを飼っています。
昔の建設現場には一度も行った事はありません。
当時の過酷な労働を思い出したくないからです。
あの辺りの山や村の様子はよく覚えています。
汽車に乗ればすぐにでも行ける距離ですが大変な思いをした場所なのであえて訪ねたいとは思いませんね。
1950年代末には政策の失敗によって中国全土が深刻な食糧不足に陥りました。
芭石鉄道の建設現場も例外ではありませんでした。
1959年に開通した鉄道で初代機関士となった岑正明さんが当時を振り返ります。
開通したばかりの頃は鉄道もひどい状況でした。
何しろたった20キロの距離を走るのに3日もかかったんです。
汽車を走らせると線路が激しく振動し怖くてスピードを出せなかったためです。
あの頃は汽車の中で寝泊まりしていましたよ。
今は川沿いの家で暮らす岑さん。
機関士として炭鉱から石炭を運んでいた頃岑さんの母親は飢えで命を落としました。
岑さん自身は炭鉱から支給される僅かな食べ物でかろうじて命をつなぎ止めました。
機関車の運転席は暑く決して楽な仕事ではありませんでした。
それでも芭石鉄道に対する私の愛情が消える事は絶対にないでしょう。
あの小さな蒸気機関車は永遠に私の心の中に生き続けます。
今でも時々機関車を運転する夢を見ます。
おとといも見たばかりです。
さまざまな準備をして機関車を発進させる夢でした。
今は私の孫弟子に当たる人たちが機関士を務めています。
みんな私の顔を知っていて車庫を訪ねると「先生一緒に写真を撮って下さい」と頼まれるんですよ。
芭溝駅や黄村井駅の周辺には毛沢東時代の雰囲気が今も色濃く残っています。
最近では中国各地から多くの観光客が当時の雰囲気を求めて訪れるようになりました。
そのため沿線の村として初めて車が走れる道もできましたが走れるのは観光用の車に限られています。
芭石鉄道を走る観光用の汽車はルートこそ同じですが車両には窓があり空調もついていて乗り心地ははるかに快適です。
観光用の列車は運賃が高いので地元の人々はほとんど乗りません。
利用者の大半は昔懐かしい風景を見にやってきた都会の人々です。
新たに導入された観光列車の収入が芭石鉄道を支えています。
芭石鉄道は一時経営が悪化しもう少しで廃線になるところでした。
運営コストがかさみ芭石鉄道は1990年代に多額の負債を抱えました。
芭石鉄道を経営する会社は一度は路線の廃止を決定します。
鉄道を廃止しその代わりに道路を整備して公共バスが走れるようにする計画でした。
そうすれば沿線住民の足も確保されます。
計画を実現するための資金まで準備していました。
ところが住民から反対の声が上がりました。
気持ちは分かりますがそのまま存続させても赤字が増えるだけです。
住民の足としての役割だけでは先の見込みはありません。
そこで列車に設備投資をして新たな観光収入を得られるようにしたんです。
計画は成功し芭石鉄道は息を吹き返しました。
地元の人々にとって芭石鉄道は単なる交通手段ではなく人生の一部になっています。
(張莉)私はこの鉄道とともに大きくなりました。
子どもの頃汽笛の音が聞こえてくるとみんなで駅前広場に走っていきました。
そして「機関車が来た!」って大騒ぎしたんです。
張莉さんは芭溝駅では初となる小さなホテルを経営しています。
トイレやインターネットが完備されたホテルは数年前なら考えられませんでした。
観光客だけでなく地元の人々にとっても憩いの場になっています。
芭石鉄道は私にとって友達であり大切なパートナーのような存在でもあります。
子どもの頃はうちが貧しかったのであまりおもちゃを買ってもらえませんでした。
だからその頃の私にとっては鉄道がおもちゃのようなものでした。
今も昔も大切な存在です。
翌日は祖先の霊を忍ぶ「清明節」です。
雨が降っていますが前日の雨は涙雨を意味し幸運を呼ぶと言われています。
祖先の供養をする際に必要な品物は村の至る所で売られています。
まず必要なのは「あの世で使うお金」。
竹の繊維でできた紙を札束のようにして使います。
忘れてならないのが「爆竹」。
中国では死者は大きな音を好むと言われています。
金額の大きな天国だけで使える紙幣と線香も必要です。
必要なものは全てそろいました。
翌日張さんは山の中にある父親の墓参りに行きます。

(ヤギの鳴き声)王啓珍さんは持っていった野菜を石渓の市場で全て売り芭溝の自宅に戻ってきました。
ついでに買ってきたのがトウガラシの苗です。
トウガラシは四川料理には欠かせません。
早速畑に植えて育てます。
トウガラシはたった2か月で収穫できます。
そうしたらまた市場に売りにいきます。
王さんの夫が台所のかまどに竹をくべて火をおこします。
かまどの上には大きな中華鍋の他に鳥のミイラのようなものがあります。
大きな中華鍋は豚の餌を調理するのに使います。
前は10匹以上飼っていました。
今はもう2匹しかいません。
干からびた鳥は一体何に使うのでしょうか?本当はもっと大きな鳥でした。
塩漬けにして更に燻製にしたので保存が利きます。
しょうゆで煮込んだり蒸したりして食べるものです。
私は付け合わせの野菜とアスパラガスのサラダを添える事が多いですね。
王さんたちはニワトリや豚ガチョウヤギなどの家畜を飼い畑で野菜を作り自給自足に近い生活を送っています。
芭溝の山あいにはシダがうっそうと生い茂り恐竜が生きていた時代を思わせる風景が広がっています。
ここには巨大な岩の壁に掘られた墓があります。
清明節の日。
ホテルを経営する張莉さんは彼女がまだ幼い頃に亡くなった父親の墓参りにやってきました。
道らしい道はなく墓のある場所まで登るのにおよそ1時間かかります。
ここに来たら最初にやるのは紙でできた旗を掲げること。
お墓参りに来た事をご先祖様に伝えるためです。
あの世のためのお金はあとで使います。
清明節では墓の掃除だけでなくあの世で使うためのお金線香爆竹祈りの言葉で先祖の霊を満足させる事が重要です。
お墓参りに来たら祈りを捧げて自分を生んでくれた親への感謝と敬意を表すんです。
幼い頃は親戚がここまで連れてきてくれました。
今は大人になったので1人で来られます。
天国の父にあの世だけで使えるお金を送ります。
竹の繊維でできた紙幣は燃やして煙にする事であの世にいる祖先に届けられます。
最後に爆竹に火をつけ山あいに大きな音を響かせます。
(爆竹の爆発音)芭石鉄道の初代機関士岑正明さんと元建設作業員の李志成さんは新しくできた観光列車用の駅にやってきました。
李さんは観光用の切符がいくらするのかに関心があります。
料金には炭鉱での採掘体験も含まれています。
観光用の切符です。
それが?往復でいくらになります?切符は往復で150元日本円でおよそ3,000円です。
李さんには手が届きませんがいずれにせよ昔苦労した炭鉱にまた入る気はありません。
李さんは蒸気機関車について岑さんにガイドしてもらいました。
岑先生のお名前は昔から知っていました。
でも実際にお目にかかるのは今日が初めてです。
岑先生は地上で機関車を運転し私は地下で石炭を掘っていましたから会った事がなくても不思議はありません。
今日は先生から機関車の運転について教えてもらいました。
水を入れる場所事故が起きた時の対応など熱心に教えて下さいました。
運転席に入るのも初めてです。
客車にしか乗った事がありませんでしたから感無量ですよ。
私を教え子にして下さい。
いいですよ。
うれしいなあ。
一生懸命勉強します。
この日の最終列車が石渓駅に到着しました。
車庫の中ではいつもどおり機関車の整備が続いています。
緩んだボルトを締め問題がある部分を溶接したりハンマーでたたいたりします。
古い蒸気機関車なので戻ってくるたびに念入りな整備が必要です。
機関士の王世平さんは乗務を終えると翌日の準備に取りかかります。
石炭の燃えかすを捨てると近所の人たちがすかさず拾っていきます。
何事もなく安全に乗務を終えられた日は最高の気分です。
このあとのシフトによって家に帰るか宿舎に泊まるかを決めます。
向こうに機関士が寝泊まりできる古い宿舎があるんですよ。
3階建ての簡素な宿舎は炭鉱での石炭採掘が盛んだった頃に建てられたものです。
現在は石炭の輸送ではなく観光収入が芭石鉄道を支えています。
観光路線としての成功によって鉄道は廃線の危機を免れました。
再び活気を取り戻した芭石鉄道。
これからも多くの人々を運び続ける事でしょう。
この日の乗務を終えた王さんは宿舎で休憩します。
古い宿舎にはシャワーさえありませんが王さんは不平を言いません。
間もなく妻と息子が待つ我が家に帰れるからです。
目覚ましい経済発展を遂げ都市化が進む中国。
それでも四川省の山奥を走る時代遅れの小さな蒸気機関車はいつまでも人々の暮らしに寄り添い愛され続ける事でしょう。
すごい勢い。
2015/07/25(土) 19:00〜19:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「幸せ運ぶ蒸気機関車〜中国・四川省 小さな鉄道と村人たち〜」[二][字]

中国の山岳地帯を進む小さな蒸気機関車。50年以上変わらぬ光景だ。近隣の住民にとってなくてはならない存在。機関車を愛してやまない人々と鉄道と共にある暮らしを伝える

詳細情報
番組内容
中国・四川省の山岳地帯に敷かれた芭石鉄道。全長20キロを1時間余りかけて走る。今では珍しくなった古い蒸気機関車。2両程度しかない車両には地元の人や豚などの家畜が乗り込む。市場に野菜を売りに行くために利用する年配の女性、貧しい生活の中で、機関車がおもちゃ代わりだったという若者…。機関車の部品を手作りする工員や郵便局員から転向した運転手も登場。多くの人に愛され続ける理由とは?(2014年ドイツ・中国)
出演者
【語り】渡辺徹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:19485(0x4C1D)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: