クローズアップ現代「もう一度咲かせたい 福島のバラ」 2015.07.22


バラの花言葉、それは愛。
今、世界中の人々が復活を願う福島のバラ園。
4年前の原発事故ですべてが失われました。
震災4年を機に英語で出版された1冊の写真集。
原発事故の知られざる悲劇に世界中の人々が衝撃を受けています。
長年福島の大地に根を下ろし人々に愛されてきたバラ。
被災し、ふるさとを追われた人は特別な思いで見つめています。
原発事故から4年4か月。
朽ち果てたバラは何を訴えているのか。
バラ園再建に懸ける人々の今を見つめます。
こんばんは。
「クローズアップ現代」です。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は多くの人々が人生の長い時間をかけて育んできた生活基盤を奪いました。
事故から4年4か月。
今なお、8万人近い人々が避難を余儀なくされています。
掛けがえのないものを奪われた喪失感。
苦しみの声は、時間とともに聞こえにくくなってきています。
ご覧いただいている風景は福島第一原子力発電所から8キロの所にある事故で放置せざるをえなくなったバラ園の今の姿です。
バラ園があるのは福島県双葉町。
双葉町のほとんどが帰還困難区域に指定されています。
いまだに除染の方針が決まっておらず当然のことながら帰還のメドも立っていません。
人の手が入らなくなり無残な姿を見せるバラ園。
かつては、7000株のバラが咲き誇る美しい個性的なバラ園でした。
福島の双葉バラ園を半世紀近くかけて作り上げたのが岡田勝秀さん、71歳です。
家族と共に人生のほぼすべてをかけて作り上げたバラ園を失った岡田さん。
何に直面し、どうしたら前を向いて進んでいけるのか。
枯れたバラの姿に自分の心を見る被災者の思いを追いました。
福島県双葉町。
いまだ放射線量が高く立ち入りが厳しく制限されています。
バラ園の園主、岡田勝秀さんです。
東京電力福島第一原子力発電所から僅か8キロの所に岡田さんのバラ園はあります。
震災以降バラ園の状態を確かめるために4か月に1度は訪れています。
放置せざるをえなかった4年間。
バラは朽ち果て雑草に覆われてしまいました。
震災前のバラ園の広さは6ヘクタール。
個人経営としては国内最大規模でした。
750種類7000株ものバラが咲き誇り年間5万人が訪れる双葉町最大の観光スポットでした。
栽培が難しいオールドローズ。
鮮やかなピンク色の花を咲かせています。
風雨にさらされても花びらが崩れることなくりんと咲くモダンローズ。
岡田さんはバラをより美しく見せたいと庭園のデザインにも力を注ぎました。
野バラをアーチ状に飾ったトンネル。
くぐり抜けると、色とりどりのバラが飛び込んできます。
辺り一面バラに囲まれた幻想的な風景。
長年かけて築かれた庭園の美しさが評価されバラの国際会議で日本を代表するバラ園にも選ばれました。
しかし、原発事故でその姿は一変。
この日岡田さんが目にしたのは…。
双葉町からおよそ200キロ離れた茨城県つくば市。
岡田さんは震災の5か月後からここで避難生活を続けています。
妻の和子さんと2人町が用意した住宅で仮住まいをしています。
仕事を失い、家に閉じこもりがちになっています。
バラ園は、岡田さんの一家で運営していました。
しかし震災後跡を継ぐはずだった2人の息子は別の仕事に就かざるをえず家族は離れ離れになりました。
双葉でのバラ園再開は諦めざるをえません。
岡田さんの気持ちは今も沈んだままです。
この日、岡田さんのもとに知人の女性が訪ねてきました。
こんにちはお久しぶりです、でもないか。
バラ園を通して岡田さんと知り合い、応援してきたこの女性。
別の土地を探してもう一度バラ園を始めてみないかと持ちかけました。
バラ園を再建するためには新たな土地に移るしかありません。
しかし岡田さんはまだ具体的には考えられないといいます。
その理由は東京電力との賠償交渉が進まず再建のための資金にメドが立たないためです。
岡田さんのようなバラ園の賠償は前例がありません。
東京電力の基準ではヒノキやスギなどを植えた人工林と同じ扱いになります。
しかし岡田さんは、そのことに納得がいかないといいます。
岡田さんがバラに出会ったのは17歳のとき。
あでやかな姿に一瞬で心を奪われました。
バラはデリケートな植物。
せんていや消毒は一日たりとも欠かせません。
それでも病気になってしまったりうまく育たないこともありました。
試行錯誤を繰り返すこと40年余り。
バラは岡田さんにとって娘のような存在になっていったといいます。
こうしたバラ園の価値を金額に換算するのは極めて難しいと感じています。
一向に先の見えない日々。
震災から4年がたったことし岡田さんに思いがけない依頼が舞い込みます。
どうもどうもおはようございます。
ボランティア団体から頼まれ養護施設の子どもたちにバラの育て方を教えることになったのです。
当初は気乗りがしませんでしたがあまりの熱意に引き受けることにしました。
子どもたちからバラ博士と呼ばれていました。
作業着に身を包みバラの苗を植えるのは久しぶりのことです。
岡田さんは花が咲くまでここに通い子どもたちと共に世話をすることになりました。
さらに岡田さんのバラ園を巡って新しい動きも起きていました。
バラ園に通っていた愛好家たちが各地で写真展を開きました。
震災前と震災後の姿を写真で対比。
バラ園で起きた現実を広く知ってもらい支援の輪を広げようと考えたのです。
写真展のあと岡田さんのもとに寄せられたメッセージ。
中でも多かったのが同じように被災した福島の人たちからでした。
「涙が出ます。
またいつか見られる日が来るのを信じて一日一日を頑張って生きていきます」。
「あの花壇の無残な姿。
それはバラばかりでなく双葉町民の心も表しているようにも感じられます」。
メッセージにバラの姿が双葉町民の心も表していると書いた西内隆夫さんです。
南相馬市で避難生活を送っています。
双葉町で生まれ育った西内さん。
開園当初から岡田さんのバラ園に通い趣味のカメラで写真を撮りためてきました。
双葉で小学校の教師として働いてきた西内さん。
退職後もイベントを企画するなど地元の盛り上げ役として力を尽くしてきました。
しかし震災で地域はばらばらになり活躍の場を失ってしまいました。
そんな自分の姿を、岡田さんのバラと重ね合わせています。
人々のバラ園への思いに触れた岡田さん。
ほかの土地で再びバラ園を始めたいと考えるようになりました。
岡田さんが養護施設の子どもたちと取り組んできたバラ作り。
始めてから半年余り。
複雑な家庭環境に育った子どもたちにバラ作りを通して何かを感じてもらいたい。
一緒にバラの世話をすることが楽しみになっていました。
今月初め子どもたちから岡田さんにメッセージが送られました。
ありがとう。
涙が出る。
賠償交渉はまだ先が見えません。
でも、困難を乗り越えいつかはバラ園を再建したい。
岡田さんは今その思いを強くしています。
岡田さんと子どもたちが育てたバラは大きく花を開きました。
バラの品種は、ノックアウト。
一緒に困難を克服していこう。
バラに込めた岡田さんの願いです。
今夜のゲストは、福島県いわき市のご出身で、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員の開沼博さんです。
被災者の方々への聞き取り調査をずっと続けていらっしゃいますけれども、岡田さん、子どもたちと触れ合う中で、本当に表情がこう、明るくなっていたのがとても印象的だったんですけれども、それだけに、失われたものの大きさっていうのを改めて実感しますね。
私たちが、震災や原発事故によって、何が失われたかっていいますともちろん亡くなった方の数であるとか、あるいは賠償金の額であるとか、そういった数字に表されるものというのは、分かりやすいんですけれども、そこにはなかなか見えてこないようなものというのがあるんではないか、それは例えば、その人が社会的に担っていた役割とか、生きがい、あるいはもちろん仕事もそうです。
そして、未来を切断されてしまったということが、今でもおもしになってる。
そしてそれは外からなかなか見えにくいんですね。
そこをどういうふうに再建していくのかということが、非常に重要になっていると思います。
バラ園のバラは枯れてしまった、それを見ながら、もう誰も見てくれないところで朽ちていく、バラが枯れたのと同じだという気持ちを、西内さんが表現されていましたけど、そのことば、どのように聞かれましたか?
そうですね、やはり今、一番被災地、被災者と呼ばれる方たちを、襲っているものって何かっていうと、信頼が失われたんじゃないかというふうに思います。
信頼?
2つ意味があると思っていて、1つは社会的な信頼です。
政治とか行政、あるいはメディアとか研究者とかが、なかなか自分が思うようなことをやってくれないとかですね。
そこじゃないんだよなという、隔靴掻痒感があると、もう1つは自己信頼です。
自分自身が、こういうことができるんだとか、自分自身が未来に向けてこういう取り組みをしていたんだ、自分にはこういう仲間がいるんだ、そういう感覚が失われてしまった。
そうなってしまうと、自分に何がやっていいのか、自分に何ができるのかという不安感、不満感が常にある。
そういう中で、なかなか立ち直れないで、今でもいるという方は多いと思います。
それを想像すると、その孤独感というのは、非常に深いものがあるのではないかと、胸が痛みますけれども、同時に今のVTRで、自分が手塩にかけてきて、娘のように感じると、岡田さんおっしゃっていましたけれども、そのことに対して、価値をつけなければいけない、値段をつけなければ、賠償交渉において、その自分にとっては額を付けられないものに対して、どう評価していくのか。
その思いに応えてくれない、そんな思いを持ってらっしゃる方々は、非常に多いんではないですか?
そうですね。
もうかなうならば、失われたものが元に戻ってほしい、多くの方がそういうふうに思っています。
一方で、なかなかその思いというのはかなわない。
失われてしまったものをどうすればいいのかと思っている方が多いです。
そこに対して、1つは、いわゆる公助、公に行政とか東電とかが補償、賠償などをするということがあります。
ただそれだけでは足りない部分というのがあるわけですね。
VTRの中でもありましたとおり、なかなかお金に換算できない価値というのがある。
そして、それを換算するということ自体がつらいというのは、本当に現実を象徴したことばだというふうに思っています。
やっぱり重要なのは、そういう賠償、補償などだけではカバーしきれない部分というのをいかに立て直していくか。
ここで重要になってくるのは承認というキーワードだというふうに思っています。
これ、承認っていうのは、まず1対1の関係で、あなたはそこにいていいんだと、分かりやすくいうなら、そういう感覚だと思います。
そして自分自身がここにいて、こういうことをやっていいんだという感覚。
それが失われているわけですね。
これをどういうふうに立て直すか、もちろん公助はまだまだ必要ですけれども、いわゆる自助、共助といわれる、つまり自分たちの身の回りで、あなたがこういうふうに必要なんだよと、ここにいてと。
あるいは自分たちと一緒に何かやってくださいと。
まさに外国の方が写真展をやって、このことはすごい価値があるんだというふうに分かってくれる、養護施設の子どもたちが博士って言って、本当に必要としてくれる、そういう感覚の中で立ち直っていく、復興していくという状況が、今、VTRでよく分かりました。
そういったその価値に換算されないその思い、思いにどう寄り添うのか、震災から4年余りたって、今その被災者の置かれているフェーズというのは、変わりつつあると感じてらっしゃいますか?
そうですね。
最初はやはり物資が足りない、物資を送ろうとか、がれきがある、それをどういうふうに片づけるか、そういう目に見えやすい復興が求められていました。
しかし、4年たってみたら、がれきや、そういう人の列というのはない。
ただそこに問題がなくなったわけでは決してありません。
どういうふうに見えない問題を考えていくのかということが、重要になっています。
それは恐らく、私たちがこの問題につながっているということを感じることだと思うんですね。
やはりあの美しいバラを見て、そしてそれが失われてしまった。
しかし、そこでまた立ち直ろうとしている方がいるということを見たときに、ただ私たち自身が、別に福島に関係なくても、何か身の回りにある大切なものであるとか、身の回りにある人のつながりの価値とか、美しい自然とか、そういったものを再び見直すきっかけになるんじゃないでしょうか。
そういったものを感じたときにきっと、本当の意味で、福島とつながっていく、あるいはこの被災地、被災者の方から、いろいろなことをあるいは学び、そして自立にもつながっていくんではないかと。
その自立を本当にどう後押ししていくのか、気持ちの変化をどう促すかというのは、これやっぱり、頑張ってっていうことでは、なかなか難しいですよね。
おっしゃるとおりですね。
2015/07/22(水) 19:30〜19:56
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「もう一度咲かせたい 福島のバラ」[字]

日本で最も美しいと称賛された福島県の「双葉ばら園」。原発事故で荒れ野と化したが、今その復活を願う声が世界中で広がっている。ばら園の物語から福島のいまを見つめる。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員…開沼博,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員…開沼博,【キャスター】国谷裕子

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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