橋下市長は、12月の任期満了で引退を表明しているため、区長の最終選考は次期市長に委ねる意向だということです。
自民党市議団幹部は「問題が相次いだ以上、外部の人数や選考方法は再検討が必要」としていて次期市長が
(黒柳)さあ大変元気のいい…よさそうなお子様ですけどもお父様とご一緒の…。
お顔を見たらもうお父様おわかりだと思いますけれども。
この可愛い子が今日の…。
そしてお父様とご一緒に…成長して出てくださった21歳の時のが前の写真で。
今日は現在の坂東巳之助さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたします。
よくいらしてくださいました。
歌舞伎の若手ホープとして今大活躍でいらっしゃいます。
(拍手)お父様の坂東三津五郎さんが大変残念なんですけどこの2月にお亡くなりになりましてまだお悲しみも癒えないところだと思いますけれども歌舞伎はどんどん始まっているのでこれからもすぐお帰りになって出なくちゃいけないというそういうふうなところで色んなお話を伺わせていただくわけでございますけれども。
坂東巳之助さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたしますあらためまして。
お父様はお城が好きで。
はい。
随分ほうぼう旅をなさったお話はねしてくださいましたけど。
国内のお城が殊に好きでございましたんで。
日本のお城が好き。
これ今出てるのは21歳の時でいらっしゃいますが。
そうですね。
5年前ぐらいですかね。
お父様今ご覧になった皆さん…大変お元気な方だったんですけどそんな早くお亡くなりになるとは思わなかったんですけど。
今年の2月に59歳でお亡くなりになってね。
あの時はね本当にみんな悲しかったんですけども。
でも割とぎりぎりまで仕事をしていらしたんですって?そうですね。
2月の21日が命日でございますけども2月の頭ぐらいまではちょっとテレビのお仕事ですとかそれからうちの坂東流の日本舞踊に関する家元の仕事やなんかっていうのはぎりぎりまで本当にしておりまして。
そうなの…えー。
病院のお医者様のほうから外出許可という形でいただいて自宅に帰ってまいりましてそこでいわゆる名取試験というものがございますけどもそれをしたりとかですね。
家元でいらっしゃるとそういうこともあったのでね歌舞伎以外にね。
はい。
お忙しくもあったと思いますけども。
そうですね。
でもまあその時はかなり元気というかかなりこう…明るく振る舞っていたので最後に父のそういう姿が見られたのはすごくよかったなと思いますけども。
でも本当に私たちにとっては本当に急なことだったんでびっくりしましたね。
そうですよね。
我々身内としてはやはりずっとそばで見ておったわけですからそろそろかなというような覚悟を決めている部分はあったんですがやっぱり世間様にはなかなかそういうお話をさせていただく機会もなかったものですから。
急で皆様びっくりされたろうなというふうには思っておりましたんですが。
亡くなった時はあなたはお芝居に出ていらした?はい。
芝居に出ておりましたんですが深夜に父は亡くなりまして。
そう…。
じゃあお帰りになってから。
そばにいさせてもらうことができたんですけども。
そうですか…。
なかなか歌舞伎の俳優…まあその他俳優はなかなかそういった親の死に目に会えないとかって…。
会えないっていうのがね…。
言いますけれども。
じゃあ待っててくださったっていう感じがしますかね。
お父様はどういう方でした?そうですねやっぱり役者としては本当に誰よりも尊敬してますし本当にまあちょっと…葬儀の際のご挨拶もさせていただいてその際にもちょっと申し上げたんですけども。
その時…そのままの言葉になってしまうんですが本当に誰にでもできるような小さな努力を誰にもまねできないほど積み重ねた結果が父の芸だったと僕も生意気ながら思ってるんですけども。
やっぱりそういう小さな小さな積み重ねをすごく大事にする人だったなという部分がやっぱり大きいのでそこは見習っていきたいですしなんかこう勇気にもなるというか決して才能ですとか自分自身のセンスっていうのももちろんあったとは思うんですけどもそれに頼らずに本当に小さな努力の積み重ねをしてきた人だったので…。
自分もそれを見習えばそういうふうになれるんじゃないかっていうすごく勇気をもらえるような芸への取り組み方だったので…。
ご家庭でのお父様としてはどうです?これは本当にもうね何と言ったらいいか…。
そんなにこう破天荒でもなければかといってすごくいいお父さんというわけでもなく何というか…。
すごくいいお父さんではないというのは悪い意味ではなくやっぱり楽しい人でしたけども。
そんなにこう…何かテレビでお話しさせていただくようなエピソードがあるような人でもなかったので…。
若い頃はね亡くなっちゃった勘三郎さんだった勘九郎ちゃんと一緒にね旅した話とか随分色々面白い話ねしてくださいました。
お城を見にいらした話とかしてくださいましたけど。
大人になってからはね本当にもう芝居と…また家元もやっていらしたんだからもう本当に大変だったろうと思いますよね。
でもいわゆるその…皆様の中にあるであろう父のイメージの…何というかこう…シュッとしたというかクールな印象の人ではやっぱり普段家にいる時はなかったですね。
そう。
どっちかっていうと…。
面白い?自分の父親のことをこう言うのもあれですけどなんか可愛らしい部分のあるような人だったので…。
色んなことに興味持っていらしてね。
はい。
そうだと思います。
ところで…今日あなたがいらっしゃる…こちらにいらっしゃるっていうことでとてもあなたのことが心配と仰る先輩の方がですねあなたにメッセージをくださったんですよ。
もうその方は皆さんもよくご存じの毛利元就なんかをテレビでなさいました…大河でおやりになったあの方なんですけどちょっとご覧ください。
はい。
「とても…」「とてもアンテナの広い方でいらっしゃいましたよね」「どうかね黒柳さんもね今日テレビをご覧になってる皆様もどうかどうか…」ありがとうございます。
ありがとうございます。
そういうことでございますって。
驚きました。
知らなかったでしょ?毎日お会いしてるんですけどそんな話一切なさらないから…。
そうでしょ。
でも優しいですよね。
本当に優しくしていただいて…。
甥ではないのね?甥ではないですはい。
親戚ではないんですけど。
でもやっぱりね歌舞伎の先輩方っていうのは本当にもう僕が生まれた頃から知っててくださっているので本当に親戚のおじさんというかお兄さんというかそういうようなふうにして…。
あなたミックンって言われて本名も光寿さんって仰るから本名もミックンなんですってね。
そうなんです。
結局坂東巳之助であろうとも本名守田光寿であろうとも結局ミックンなので身の回りの人間はみんな僕のことをミックンって呼ぶんですよね。
どうぞくれぐれもよろしく。
とても喜んでいたと…。
残念なんですけど今年の2月にお亡くなりになりましたあなたのお父様の三津五郎さん。
昔八十助さんと仰いましたけど。
『徹子の部屋』にも6回出ていただいております。
本当にお世話になってましたね6回も。
何回も出ていただいて。
一番最初に今のミックンとほとんど同じ歳の24歳の時。
だからあなたよりも1歳…?1歳年下になりますね。
下の時に出ていただいてとてもねリクエストが多かったので。
これを見たいっていう方が多かったのでちょっと見せていただきます。
三津五郎さんです。
「なんかカツラ事件っていうのがあるんでそれをちょっと短めに」「あるんです」「たまたま勘三郎のおじさんが『お祭り』というものを…踊りをお出しになって」「僕は若い者で絡んでとんぼを返るところがあったわけです」「それで初日の日に危ないから幕が開く前に一回返ったんですね。
ちょっとこの辺が上羽二重が緩んだような気がしたんですけども見てもらったら“大丈夫ですよ”って言うんで…」「実際は緩んでたわけですね。
それでいよいよ幕が開いてそこへ来てポンッと返ったら…」「パッとこう着きましたらねカツラからその羽二重から1セット全部後ろへボンッと飛んでフッと着いたらこの頭だったんです全部」「白く塗ってるのに。
もうお客さんがワーッと沸きましてね。
それでその時はすぐ引っ込みまして。
その時はよかったんですけどもまた出なきゃなんないわけなんですよ舞台へ」「この2度目に出る時はもう恥ずかしかったですね」「“さっきの人”って言われるのが?」「もうね笑いと拍手が入り交じってね」「あれは恥ずかしかったですね」「それでその晩飲みに…初日で」「これからがお話で。
はい」「連れていってくれた方がありましてね」「カウンターになってまして。
それでたまたまそのカウンターの中の女の方が初日の舞台をご覧になったわけです。
ただ僕はお化粧してるから僕が八十助だっていうことがわかんないわけですね」「“今日初日を見せていただいてもうね八十助はんっていう役者はんがカツラ飛ばしはってもうどんだけおかしかったか”“八十助はんってどんな方です?”って聞かれたんですよね」「一瞬考えてね。
どうしようかな?」「でもこのまま帰ってねあとからわかったらその方傷つけちゃうからやっぱりこれはもう正直に言うしかない」「“申し訳ありません。
僕です”って言ったら今度その方が真っ赤になってね。
カウンターの中入っちゃって」「フフフッ。
そういうことが」「一躍初日の晩には京都の街で八十助という名前が広まったというね…」フフフ…。
フフフ…。
ほとんどあなたと同じ歳の時でいらっしゃる。
実はついこの間5月の舞台で私もカツラを飛ばしまして…。
えっ本当に?カツラ羽二重と1セットで。
どういう状況で?『め組の喧嘩』という舞台に出させていただいてて乱戦といって人が入り乱れて立ち回りをするような場面がございまして。
そんな中で色んなことをやっておりますうちに僕も同じようにだんだんカツラと羽二重が緩んでまいりまして丸ごと飛んでいって僕も父と全く一緒です。
この状態になってしまうという…。
そしたら皆さんにもわかっちゃったの?それは。
幸い父と違って…この時の父と違って乱れてたのであれは結局誰だったんだろうっていうのはわからないまま終われたのでよかったんですが。
それは何?それで走っていって取って引っ込んだの?はい。
僕と立ち回りをしてた相手の方がそれを取ってくださってカツラを取ってきてくださって。
そのまま盆が回って回り舞台で回っていって裏へ僕らいなくなっていくという場面だったのであまり目立たずその時ご覧になってた方は頭飛ばした人がいたなと思っていらっしゃると思うんですがあれは私でございます。
なんか同じ話をしてたのでびっくりしました今。
同じぐらいの歳に。
はい。
さてさてあなたは…巳之助さんの初舞台は何歳?初舞台の時は僕は6歳でございまして初お目見得というのがその前に本名で出させていただいたのが2歳の時になりますね。
そうですってね。
もう2歳になる時でね。
2歳っていったら普通もう本当に赤ちゃんみたいなもんですよね。
この写真を撮る時にもう大変だったんですってね。
ワーワー泣くんでみんながね「ピーヒャラピーヒャラおどるポンポコリン」とかいうのをみんなでやってそれで…一瞬。
1枚…1枚だけですって。
その1枚撮れたのが今のこれですって。
それがやっと撮った1枚がこれですってね。
それでも口は開いているという…。
でも可愛いですよね。
可愛いですね。
本当に可愛いですよ。
それでおじい様…あなたその時おじい様の三津五郎さんと唐子の役でおやりになったんですけどね。
その話をお父様がしていらっしゃるVTRがありますのでちょっとそこご覧いただきます。
「この坊ちゃんが今度明日から初舞台」「これが本当の初舞台で6歳でいらっしゃるのね」「だけど初お目見得ってなんか…わけもわからないちっちゃい時に皆さんお出になるのね舞台にね」「まあね出たり出なかったりするんです」「たまたま自分がですね…」「これは息子のほうなんですね」「これ可愛いね。
あなたの坊ちゃん。
お名前が?」「光寿」「光る寿と書いて光寿君」「これは『傀儡師』という踊りで唐子の役で…唐子人形の役で」「抱いていらっしゃる方が?」「うちの父です」「お父様ね。
三津五郎さんでいらっしゃるんですが」「その可愛いの…。
可愛い。
本当に唐子のようなんですけど」「可愛いのはあなたの坊ちゃんが舞台に出るのを嫌がってここまでこうやって…こうやってずっとくわえてて」「これ離したら…家で離したらとても泣くんですって?」「そうなんです。
その当時ずっと飲んでましてね取ると泣いてたんですよね」「舞台出る前ちょうどそれを飲みだしましてこれ取ったらたぶん泣きだすんじゃないかなと思って恐る恐る手伸ばしたらふっと渡したんですよ彼が」「それがすごいですよね」「歌舞伎のお家に…」「びっくりしましたね僕も」うーんすごい。
全然覚えてないですけどね。
これはもうみんな僕の姉やらいとこやら総出でございまして。
この場合には女の子も出てもいいわけね。
みんな唐子で。
小さい頃は…はい。
何かセリフ言ったりなんかするんでしょ?僕はもうさすがにあれですけど周りのいとこたちは…はい。
ふーん。
でもあなた可愛いじゃありませんかね。
ちょっと毛が出ちゃって。
フフッ。
でもああいうの頭にカツラかぶるのは別に嫌じゃなかったんですかね?いや…どうだったんでしょうね?フフフ…。
全然この時のことは…何となくぼんやりこう舞台のこと以外のことでは覚えてる部分はあるんですがその舞台の今の状況になってっていうことに関しては…。
でもすごいですよねこの写真を見る限りやっぱりちゃんとカツラを着けていらしてそれなりにちゃんと抱かれているっていう。
おとなしくはしてた様子ですね。
そうそう。
ぐずったりしていないっていうね。
おじい様がああやって見得切ってらっしゃるんですか?ああいう時にちゃんとねきちっとしているっていうところがやっぱりすごいなと思いますが。
逆に言えばだから歌舞伎ってすごいですよね。
よく出しますよねこんな子供を。
そうですよ。
それでしかも1日じゃないんですから。
1カ月毎日毎日ですからね。
でもその時間になるとみんなで寄ってたかって…。
そう寄ってたかってね。
「ポンポコピー」とか何とか言いながらとにかく…。
気分をもり立ててね。
頭にかぶせてですからね…。
あれは大変だと思います。
唐子の衣装を着せてですからねすごいの。
でもそういう2歳弱の時にあれをおやりになったっていうのやっぱり今になるとねよくやったってね…。
本当ですね。
自分のことを褒めてあげたいですね。
本当。
褒めてあげたいと思います。
おじい様もお喜びだったでしょうさだめし。
あなたがお小さい時お好きだったのが『仮面ライダー』で。
はい。
『仮面ライダー』だったら何でもご存じなんですってね。
そうですね。
いまだに好きです『仮面ライダー』。
前回5年前におじゃまさせていただいた時も『仮面ライダー』のお話させていただいたんですけど。
お父様がね『仮面ライダー』の話していらっしゃるVTR…ご一緒の時ね。
ちょっとご覧ください。
「私はその…子供の時からお芝居のまねしたりそれから遊園地行くよりも歌舞伎座に行くほうが好きな子供だったものですから」「当然自分の子供もそうだろうと思ってしまってた部分はあるんですけどね」「やっぱり親子でも違うもので彼はあまり好きじゃなかったですね」「何が好きだったの?他に」「子供の頃は『仮面ライダー』とか」「それは子供の頃だけじゃないだろう」「いまだに好きですけども」「いまだに日曜日早く起きて『仮面ライダー』見てますからね」「朝起きて…。
すいませんですいつも」「日曜日の朝起こしちゃって申し訳ないです」「そうですか…」「はい」フフフ…。
でもお父様優しいね。
日曜日の朝さ『仮面ライダー』見てるだろうってよくご存じだったのね。
父のほうが基本的には早起きですからね。
僕が早起きしてくるのが珍しいわけですよ父からすると。
そうか。
じゃあ『仮面ライダー』見るんだなって…。
ふと気づくとあっ今日は日曜日かってたぶん父は思ってたんだと思うんです。
でも本当ここでこうやって『仮面ライダー』のお話をさせていただいてあれから…私事ですけども『仮面ライダー』出させていただきましてですね。
そうなの?うれしかったでしょ。
すごくうれしかったです。
よかったですね。
あなたが『仮面ライダー』好きっていうのが評判になって…。
でもあの時ちょっと仰っていらしたんですけど実はあの辺りであなたは歌舞伎にいくかそれともいかないかっていうことで随分お悩みになって…。
そうですね。
「一年間考えなさい」ってお父様仰った時期があったっていうこと…。
あの時の…だからあの時が5年前で二十歳ですのでその…まあ18〜19ぐらいの頃だったと思いますけども。
やっぱり歌舞伎を生業としてやっていくっていうことに対する覚悟が自分の中で決まってなかったのでそのままずるずるずるずるやっていってもしょうがないだろうなというふうに思っておりましたんで。
なかなかね…ただ非常にこれ誤解されがちなんですけども歌舞伎自体が嫌だったことっていうのは僕一度もなくて。
そうなの?歌舞伎はすごく好きだったんですけどもそれを自分自身がやるってなった時にやっぱり今ねVTRの中で父も言ってましたけど周りが小さい頃から歌舞伎が大好きで自分にとってのヒーローといえばお父さんとかっていうような方々が…。
何の役がやりたいとかね。
多い中で自分が果たしてそこまでのモチベーションを持って歌舞伎に…。
『仮面ライダー』なんて言ってるんだからね。
向き合えるのかなっていうふうに自分の中では思っていて。
このまま何も考えずに歌舞伎の道に進むっていうのはすごく自分の中でやっちゃいけないことなんじゃないかなっていうのを…。
小さい時からお稽古はずっとしていらしたの?したりしなかったりしてましたけども。
そういう気持ちがやっぱりあったので一度きちんと父と話をした上で時間をもらおうかなというふうに。
父もそれを…長い時間はかかりましたけれどわかってもらうのにね。
1年ぐらいとにかく時間あげるから考えてごらんなさいと仰ったんですってね。
言ってくれたので。
それであらためて自分の中で色々と消化して自分自身の意思で歌舞伎をやりたいというふうに決めて…。
なんか半年ぐらいで決まったんですって?そうですね。
結局1年時間をもらって半年ぐらいで決まっちゃって…。
すごいですね。
お父様どうした…?そしたらお喜び?いやでもだから…本当に父が喜ぶというかそのまま「そうかよかった」って言うかと思ったんですけども…。
それまでの父でしたら絶対にそういうふうになっていてそこからもうすぐに厳しく稽古が始まるような感じだったと思うんですが。
1年時間をやるっていうふうに言ってくれて…。
それから…僕の口からやらせてくださいっていうふうにお話をした時は「本当にそれでいいのか?」っていうふうに父のほうから聞いてきてくれて…。
あっそう。
すぐにその場で喜ぶっていうようなことではなくて本当にそれでいいんだったらわかったっていうふうにあらためて聞き返してきてくれたので…。
お父様考え深い方だったんですねやっぱりね。
色々と考えてくれてたんだろうとは思います。
それがましてや三津五郎にお父様がおなりになったりするとその三津五郎っていう名前もあなたの前に立ちはだかるっていうことになるわけですからね。
やっぱりなかなか…大変ミックンは。
ミックンって…ありがとうございます。
ミックンは悩んだことと思います。
お父様ミックンって呼んでたの?あなたのこと。
そうですね。
「ミックン」「光寿」…なんかあらたまった時は「巳之助さん」とか。
「巳之助さん」って言う時もあったんですか?かなりわざとらしい時ですけどね。
そうですね。
「巳之助さん」…「巳之助さん」って言われると何か言われるんだなっていう感じがちょっとありましたかね?「はい何でしょうか」っていう…。
ちょっとコマーシャルありますので。
コマーシャルです。
さて巳之助さんはこれから八月の納涼歌舞伎にお出になるので色々大変っていうことで。
そこで『芋掘長者』という芋を掘る…。
芋を掘る人の作品でございます。
それをですね先ほどの…橋之助のおじ様が解説してくださってます。
ちょっとご覧ください。
すごいですよ。
ありがたい。
フフッ。
「今度ね八月の納涼歌舞伎で…第三部で三津五郎のお兄様に捧ぐということで『芋掘長者』という大変コミカルなコメディーの踊りをやらせていただくんですけど」「この作品は実を申しますとね音しか残ってなかったんですよ」「それを三津五郎のお兄様が一生懸命試行錯誤色々考えてお作りになった」「その初演の時から僕は一緒に出させていただいておりまして…」「八月の納涼歌舞伎の時に“おい幸二。
『芋掘長者』面白いからお前いつかは『芋掘長者』やってくれよ”ということを仰っていてまさかねこんな形でやらせていただくというのはなんか不思議な感じがいたします」「暑い盛りではございますがまあ若い力…あんまり若くはないんですけどね」「みんな若い力で頑張って力を合わせて納涼歌舞伎やっておりますんで黒柳さんも見にいらしてくださいね」「お待ちしております。
失礼いたします」どうもありがとうございました解説もしていただいて。
ありがとうございます。
そして今度もう一つ『棒しばり』っていうのをやるんですけどこの『棒しばり』もまた因縁のものでね。
因縁というか…はい本当に。
あなたのお父様と…。
はい。
亡くなった勘九郎ちゃんだった勘三郎さんと長いことやっていらしたんだけど勘三郎さんが亡くなってしまったので息子の勘九郎さんとお父様がおやりになるっていうことでずっと一緒に長いこと…。
あれ気が合わないとできないものなんでね一緒にやってたんだけども。
…って言ってる時にお父様お亡くなりになって。
今度あなたと勘九郎さんとおやりになるんだそうでそれもまた見ものだと思いますけれども。
今度は勘九郎ちゃんがあなたに教えるっていうことになったんですけど。
実はあなたとお父様とが青山学院で…。
そうなんです。
実は一度だけ父と…この写真ですけども『棒しばり』させていただいたことがございまして。
歌舞伎の舞台ではなかったんですが。
でもこれこしらえてこういう…。
しっかりさせていただいて。
青山学院に青学講堂というホールがございますのでそこで緑窓会といって青山学院の同窓会ですねでさせていただいて。
これ後ろの山台でお囃子をやって…。
大皮を打ってるのが次女の幸奈です。
あなたのお姉様。
私の姉でございます。
端に写っている鼓はこれが長女の菜生でございまして。
そうですか。
じゃあ皆様ご一緒でおやりになって…。
お父様もいらっしゃってね本当に幸せな…。
そうですね。
本当に幸せだった時の…。
でも本当にたった1日でしたけどもこの『棒しばり』っていうのはやっぱり大事なものだったので父と一緒にさせてもらえた経験が今後ね…。
よかったですよね。
まず早速八月納涼歌舞伎でということですけども生かせればというふうに思っております。
そうですよね。
勘九郎さんとおやりになるということで。
お父様が仰ったように不思議な因縁で巡り回って…。
巡り巡って…っていうのが。
そうですよね。
教え合って教え合って次にといったお芝居…。
これ狂言でもやるものですけども面白いものですよねすごくね。
そうですね。
すごくコミカルで。
古典なんですけども。
どうぞ八月の納涼歌舞伎も皆様たくさんお出になるのでぜひおいでくださいますようにお願いいたします。
でも本当にお父様2月に亡くなったばかりだから…。
はいミックンです。
頑張っていただきましょう。
ミックンでした。
はいミックンです。
巳之助さん。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
皆様どうぞチャンネルはそのままで。
2015/07/22(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 坂東巳之助[解][字]
〜59歳で逝った父・坂東三津五郎〜坂東巳之助さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
歌舞伎俳優・坂東巳之助さんがゲスト。
◇番組内容
今年2月に父で歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんを亡くした一人息子の巳之助さん。三津五郎さんは一昨年9月に膵臓がんの手術を受けた。その後一進一退、今年に入り一時外出で回復に向かっていると思われていたが、“家族の間では覚悟をしていた”と当時の心境を明かす。今日は、巳之助さんが2歳で舞台に出た時の写真や親子共演の写真、父・三津五郎さんが『徹子の部屋』に出演した時の貴重な映像と共に、父親との想い出を語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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