教育のあり方は地域ごとに多様であっていい。でも、これは容認するわけにいかない。

 毎年春の全国学力調査(今年は3教科)の結果を、大阪府教委が高校入試の内申評価に使う件だ。以前から懸念表明している文部科学省は「原則として認めない」との方針を示した。

 だが府教委は方針転換するつもりはなく、近く教育長が文科省に説明に行くという。松井一郎知事は「従う義務はない。僕らペットじゃないんで」とまでいい、けんか腰の様相だ。

 なぜ容認できないか。

 それは学力調査の目的が施策の成果や課題を検証することにあり、個人を選抜するためのものではないことに尽きる。

 入試は個人の成績を競うものだ。結果を生徒の利害にかかわる内申点に流用すれば、教育政策のモニタリングという調査の趣旨が変わってしまう。

 入試の公平性を担保するための「統一的なモノサシ」として学力調査の結果を活用したい。それが府教委の主張だ。

 公平な評価の仕組みは必要としても、なぜ学力調査でなければならないのか。内申書は、ふだんの学習態度や頑張り度合いを学校が評価し、高校に提出する書類だ。通常は先生が教科の基準に照らして校内試験の成績などを基につけている。

 府には先生の主観で高い評点に偏る学校が出るという疑念がある。だがそれでは教師をはなから信用していないに等しい。何より、大半の都道府県は学校の判断で内申書をつけている。

 学力調査には苦い過去があることを忘れてはならない。

 1960年代、学校や自治体間の競争が激化し、教師が答えを指さしながら教室を回ったり、成績の悪い子を休ませたりする不正が相次いだ。

 弊害の大きさに当時の文部省が中止を決めた経緯がある。

 8年前、43年ぶりに調査が復活した際には、60年代の過ちを繰り返してはならないとの共通理解があったはずだ。

 実際に大阪府では新方式の導入をにらみ、今春の調査の直前、過去の問題を集中的に解かせた中学校が複数あった。

 今後、通常の授業を犠牲にしてでも学力調査の点数アップに血道を上げる中学校が続出することは、想像に難くない。

 この問題は今月開かれた文科省の全国学力調査専門家会議でも議題となり、テスト結果の向上に指導が偏ってしまうといった批判が相次いだ。

 文科省は来月にも正式な結論を出す。府教委は考えを改め、方針を撤回すべきだ。