仏つくって魂入れず。

 安倍政権下での物事の決まり方を見ていると、見てくれは立派だが魂の入っていないうつろな仏が、ごろごろと転がっているような印象を受ける。

 決定の正当性や公正性を確保するためには、各界各層の幅広い意見を聴き、それを十分に考慮したというプロセスこそが重要だ。そのための仕組みは、現にさまざま用意されている。

 一般から広く意見を募るパブリックコメント。学識経験者らの意見を聴く、国会の公聴会や参考人質疑……。だがその多くは、政権がやりたいことをやるための「通過儀礼」や「アリバイづくり」と化している。

 経済産業省は今月、2030年度に原発の割合を約2割にする電源構成を原案通り決めた。しかし、2千件以上寄せられたパブコメの賛否の割合などは分析せず、公表したのは「概要」だけ。「2030年代原発ゼロ」を打ち出した民主党政権時代は約8万9千件のパブコメをすべて公表し、賛否などの分析結果もまとめていた。

 安全保障関連法案をめぐっては、衆院憲法審査会に招かれた3人の憲法学者全員が「違憲」と断じ、世論を大きく動かした。一方で、衆院特別委員会の地方での参考人質疑や中央公聴会で出された意見が法案に採り入れられた例は、全くない。

 衆院特別委での法案審議は116時間半。自民、公明の与党はこの数字をもって「議論は尽くされた」と主張したが、内実が伴っていないことは、安倍首相自身が委員会採決直前に「国民の理解が進んでいる状況ではない」と答弁したことからも明らかだろう。

 さらに言えば、集団的自衛権の行使容認は、首相の私的懇談会が出した報告書を受けて閣議決定されたが、メンバーに反対派は一人もいなかった。

 圧倒的な議席を有するがゆえか、安倍政権下、結論は最初から決まっているのだから、定められた手順を踏み、一定の時間を費やして外見を整えればそれでいい――そう言わんばかりの態度が目につく。

 しかし、そのような統治のあり方は、実に不安定だ。

 民主的なプロセスを軽視すれば、民主的に選ばれたはずの自らの基盤も揺らぐ。できるだけ多くの意見を聴き、納得をえたうえで物事を進めることは、一見遠回りなようだが、政権の正当性を高め、足腰を強くする。このことに安倍政権が思いを致すことができるか。

 あすから、参院で安保関連法案の審議が始まる。