社説:道徳教科書 不安、疑問がぬぐえない

毎日新聞 2015年07月26日 02時32分

 「規格品」が並んでは何にもならない。「読む道徳」から「考え、議論する道徳」への転換をうたうのだから、初の教科書もお仕着せではなく、それぞれに創意工夫を生かしたものでありたい。

 「教科外の活動」である小中学校の道徳が「特別の教科 道徳」として教科に「格上げ」され、検定にパスした教科書が授業で使われる。

 文部科学省は「教科用図書検定調査審議会」の報告を受け、検定基準案を示した。

 意見公募を経て正式に決定後、申請された教科書の検定が行われ、小学校は2018年度、中学校は19年度から初の検定教科書が使われる。

 基準案は、生命の尊厳、自然、伝統と文化、先人の伝記、情報化への対応など、学習指導要領に即すテーマを挙げるとともに、意見を交わす討論など「言語活動」や「問題解決型学習」ができる構成を求める。

 一方的な偏りがない多面的な考え方を重視するのは賛成だ。だが、その多様性を確かなものにするため、実践の積み重ねが必要だろう。

 懸念も少なくない。例えば、道徳は他の数学や理科、社会などといった一般教科のように、客観的な学術知識で正誤をみることは難しい。

 文科省は、これまでの道徳教育で蓄積のある教員らを教科書の調査に充てることも考えるという。しかし主観が大きく作用する面はないか。

 また先人の伝記などに学ぶ場合、時代や地域、国によって見方が大きく異なるといった例にも留意が必要だ、という指摘もある。

 教科化について、さらに不安や疑問がぬぐえないのは、子供たちへの「評価」という難題だ。

 「内面の多感な思いや変化と、表の態度が異なるのは子供にはよくある。それをどうとらえるか」

 一線の先生からは、そんな戸惑いや苦悩の声を聞く。

 文科省は、道徳に点数化するような評価はなじまないとし、その記述手法や観点について専門家会議で論議をし、年内に結論を得るという。

 物差しを当てるような評価は、ともすれば「どう言えば高く評価されるか」に関心が傾き、率直な意見や独自の見方を抑制しかねない。

 「考え、議論する道徳」のはずが「正解をうかがい、合わせる道徳」になっては元も子もない。

 言うまでもなく、教科書も特定の価値を刷り込むものではなく、幅広い着想と、互いの「違い」を尊ぶものであってほしい。

 ただ、本来教科書は授業を支える「手段」である。多様な人材を育てる大学の教員養成課程や研修制の改革・充実など、人的なサポート体制の充実を怠ってはならない。

最新写真特集