仕事を辞めてもらう側になって。Il va démissionner de son travail.

Jpegこちらでは、自分のboyfriendが、girlfriendが…と話す人、沢山います。何かイベントがあるとパートナーを連れていくのは当たり前ですし、自分の人生を考える際に、パートナーとともに過ごすことというのは多くの人にとって高い優先順位を持っていて、それが自然なことであるようです。そこで仕事の中身や継続性に関して妥協する必要がある場合に、たとえば性別によって偏りが大きいのかは、今のところはっきりとはわかりません。全体的には、日本と同じく女性側が歩みを緩めているのではないかという気がするのですが、私が今いる研究チームやグループには女性がとても多く、彼女たちは現時点では仕事に関して妥協をしているようには見えません。

ここに来るにあたって、家族をどうするか、ということは考えずにはいられないことでした。
私が来ることに迷いはありませんでしたし、子どもたちも連れてこようと思っていました。我が家では、名目上は子どもを育てるのは父親の役割なので(母親=私が産んだので。役割分担です)、母親のみと子どもが暮らすという選択には大いに抵抗がありましたが、それでも、連れて出てくるつもりでした。そして夫に関しても、そもそもは、一緒に来るつもりでした。彼は現勤め先に入社した当初から、妻が学位を取得したら海外に行くので辞めます、と職場でも公言していました。

しかし、実際にその時になってみると。あれ、私はこの人に仕事を辞めさせるのか、という、漠然とした罪悪感のようなものが浮上してきました。本人が仕事が嫌で嫌ですぐにでも辞めたい、と言っていたのならばまた違ったかもしれませんが、そうではなく。希望の会社に入って、楽ではありませんでしたけれど、希望の仕事をして、実績を築いてきたわけです。手放すには惜しいものでしょう。それでも、出てくることは彼にとってもプラスだろう、と考えてはいました。ただ、私から、その方が良いからぜひ一緒に行きましょう、というのも、言い難い気がしました。言っても、言わなくても、結局無責任だったかもしれませんが、彼の人生を私が引き受けられるわけではありません。

でも、ふと見渡せば、国内外にかかわらず、妻が仕事を辞めてついてきた男性というのはたくさんいるわけです。そして、ついていった側が引き受けるデメリットに関してはあちこちで議論されているのを見ることができます。ところが、ついてきてもらった側が引け目を感じている、という話はそんなに目にした記憶がありません。ただ、そういうことは公にこぼしづらいことであるとも理解できますので、親しい友人たちに、それとなく聞いてみました。しかし、ほんの数人と軽く話したくらいで、なんだか分かり合えた感もなく、そのままわだかまったままでいました。

各個人、カップル、家族の決断というのは多様な条件の下でくだされますので、個別のことについて私が言えることというのはありません。双方が納得できている場合も、そうでない場合もあることでしょう。でもこれまでは、乱暴に言ってしまえば、ついてきてもらう側は気楽だな、くらいに考えていたことを反省しました。私が何かを犠牲にしたかというと、そういうわけではないのですが。

結局彼は7年あまり勤めた会社を退職することにしました。社長は、前から言ってたからな、リヨンか、いいね、というような反応だったようです。いわゆる専業主夫になるわけではありませんので、何をしていくかは検討し、だいたいのめどをつけたところです。

意外と、子どもたちが、父親の仕事がどうなるのかということを注視していたことも最近分かって、なんだかおかしくなりました。私が産まれた時点で、そしてかなり大きくなるまで母は専業主婦でしたので、外での彼女の仕事やキャリアについて、子どもである私の関心ごとであったことはほとんどありませんでした。

なんだかくたびれてしまったのでこの辺で終わりにします。書きたかったことは、それはつまりは私の想像力の貧困さを物語っているのですが、パートナーに辞めてついてきてもらうということで、自分が感じたことは、予想外のものであったということ。この気持ちは誰かと共有できるものなのでしょうか。