特集 戦争の代償と歴史認識

 表現の自由が今、脅かされつつある。

 そう書いて、ふと立ち止まる。

 表現の自由の危機について、周囲の人たちに話しかけて、どれだけの人が敏感に反応してくれるだろうか?

 僕らの危機感は、迫りくる現実に追いついているだろうか?

 言論の自由をおびやかす制約の線は、日頃、目に見える形で存在しているわけではない。目に見えない制止線が張り巡らされ、囲い込まれ、その囲い込んだ領域が次第にせばめられてきている、と僕らは感じている。また、そう感じとることで、僕らは「空気」を読んでしまい、自己規制を強め、隣人にもそれを知らず知らずに押しつけていってしまう。

 自縄自縛である。

 その「見えない制止線」が可視化される出来事が起きた。

■イントロ動画

 今年2月16日、東京都美術館で開かれた「現代日本彫刻作家展」で、彫刻家の中垣克久氏の作品が「政治的な宣伝になりかねない」として、美術館側が作品の撤去を求めるという「事件」が起きた。中垣氏と都美術館は協議の末、作品の表現の一部を削除することで合意し、作品は出展された。

 都美術館は運営要綱で、「特定の政党・宗教を支持、または反対する」場合は、施設の使用を認めないと規定している。中垣氏の作品には、総理の靖国参拝や政府の右傾化を批判する文言が入っており、これが要綱に抵触すると判断されたという。

 規制され、一部を削除された作品は、何に触れ、どうして「アウト」と判定されたのか。その作品の存在によって、浮きぼりになった「制止線」とは何を縛ろうとしているのか。また、作者の中垣克久さんは、どのような意図や思いで作られたのか。お話をうかがうため、神奈川県・海老名にある中垣さんのアトリエにお邪魔した。

「馬鹿な日本人の墓」

 中垣氏のアトリエには、都美術館によって、一部、表現を削除させられた「時代(とき)の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPANICA 円墳」があった。

「時代の肖像」は、全体的にうす黒く塗装された、高さ約1.5mのドーム状の作品だ。「特定秘密保護法」や「日本版NSC」に関する新聞記事の切り抜きや、手書きで「日本病気中」などと書かれた紙が全体に貼られており、ドームの頂上には日章旗が乗せられている。ドームのひび割れた部分から中をのぞくと、中には星条旗が敷かれていた。
    

「『idiot JAPANICA 円墳』という名前のとおり、これは『馬鹿な日本人の墓』なんですよ」――。

 中垣さんは、そう語った。

 作品中の星条旗には、日本が敗戦から今日に至るまでまで、未だに米国から自立できていないという思いから、「日本人は死んだら米国人になる」という皮肉が込められているのだという。

「皮肉なんだからみんな笑ってくれるかと思ったのに、逆に撤去しろって言われちゃって」と、中垣さんは痛切な「皮肉」を口にする。

 中垣さんの作品は、「社会派」でありながらもユーモアにあふれている。アトリエの庭には、「鉄の檻の中入ったキノコ雲」の作品が飾られていた。

       

 日本はかつて過ちを犯し、東京裁判で裁かれたが、米国による「原爆投下」の罪は今も裁かれておらず、決して許されることではない――。

そういった思いを表現するために、キノコ雲を牢屋の中に入れたのだという。今の日本の病理を告発しているだけではない。中垣さんは、米国の欺瞞と人道的犯罪をも痛烈に告発している。

「作品を撤去しろ」と言うほうが政治的判断だ

 撤去させられた作品一部というのが、この紙だ。

 赤い字で、「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して、もっと知的な思慮深い政治を求めよう。国民はもっと賢くならなくてはいけない。国民はもっと勉強しなければならない」と書かれ、青い字で、「アメリカ寄りの外交の愚もよく知ることだ」と書かれている。

 都美術館側は、この「靖国神社参拝の愚」、「現政権の右傾化を阻止」といった文言が、館の運営要綱に抵触する政治的表現だとみなしたという。

 中垣氏は、「時代(とき)の肖像-絶滅危惧種」を、政治的な思いで制作したのだろうか。

「おれの今を表現したい、という思いで作りました。政治的アピールではなく、『思い』が入っているんです」。

 中垣氏は都美術館側の認識を否定し、「作品はみんなそうで、(都美術館は)『思いが間違っているから出してはいけない』、『アートではなく、政治になってしまう』という考えだったんだろうね。日本人の墳墓をかたちにして、日本人がどうあるか、どうあるべきかを表現した作品であって、表現の自由の範囲内ですよ」と主張する。

――美術館は、むしろ作家を守ってくれる立場にいるのではないんですか?

「作家なんて一人ひとりは弱いもんだからね。擁護してくれるものかと思ったら、『出せ、撤去しろ』って言われて、極めて驚いた。こんなことがあるのかと。(展覧会が)終わって1週間経つが、未だに信じられない気持ちですよ。日本の文化行政は何を勉強しているのか。これが本当に民主主義なのか」

――中垣さんの作品が「政治的」であるというならば、「メッセージ性のない作品しか展示できない」ということになるのでしょうか?

「東京都美術館はそういうことなんでしょう。どこが政治性なのか知らないが、排除するという感覚のほうがおかしい。表現の自由は守らなければいけない。彼らのやっていることのほうが政治的ですよ。

 人類は、黒も黄色も褐色も、一緒になって共に共生しなければいけない。同種の群れでしか動かない動物と違って、異質なものをとりこむところに、人間のすばらしさがある。それを今回、こんな小さなことで選別する。ジェンティーレに話し合いをしたかったが、『撤去しなければ閉会!』といった調子でした。弾圧ですよ、一種の。思想統一のようなものだ」

右傾化という大きな流れの中にある日本社会の正体

 近年では、図書館における「はだしのゲン」の撤去騒動や、「アンネの日記」とその関連本が同時多発的に破られるという事件も発生している。中垣氏の作品に対する撤去命令は驚くべきものではあるが、これは偶発的に発生したイレギュラーな「事件」ではなく、社会的潮流によって、必然的にもたらされた、新たな表現規制や思想統制の一例なのではないか。

 安倍政権の右傾化への懸念を表明する中垣氏は、「もちろんそういう要素もあるだろう」と答えつつも、「でも、それを国民が望んでいるのかもしれない」と指摘する。

「そういうことが起こっても、そう大きな反対もないまま、ここまで来ている。国民は、治安維持法もきっと早く作って欲しいと思っているはず。『武器を持って戦っていける国が、国民が望んでいる姿なのか』と感じている。単純に『自民党が悪い』とは思っていなくて、自民党を選んだ国民が、きっと、(意識的にか潜在的にか)どこかでそうしたいんだろうなぁと思う」

「父親は特高警察だった」

 憲法9条を守る必要性や、総理や閣僚による相次ぐ靖国参拝への懸念、右傾化する安倍政権への危惧を作品に込める中垣氏。中垣氏は1944年、敗戦の前の年に岐阜県で生まれた。物心がつく頃には終わっていた「戦争」を、なぜ、これほどまでにテーマにし続けるのか。

 それは、中垣氏の父親が、「特高警察」として働いていたことが影響を与えているのかもしれない。

「おれは特高警察の子どもで、それから、女房の父親は海軍兵学校の生徒だったんですね。軍国色の強い環境で、そのことは今も引きずってる。戦争に対して極めて鋭敏になるのは、そういう理由もある。親たちの間違いを、二度と繰り返さないように。

 もちろん、特高で働く姿を見たわけではないが、アルバムでみたし、いろいろやったとは思う。でも、父親は憲兵に追われたんですよ。『日本は戦争に負ける』と言ったらしい。憲兵に追われる特高警察…喜劇としては面白いけどね(笑)。

 神岡鉱山(岐阜県飛騨市にあった亜鉛・鉛・銀鉱山)の労働者は、ほとんどがイギリス捕虜と韓国人だったらしいが、親父が追放され、お金がなくて困っているときに助けてくれたのが、その韓国人だったらしい。おかげで何とか食べることができた。マイノリティを大事にした、変わった特高だったようです。父親の職業に腹の底から嫌悪感は感じるが、その点では価値あることだった。それ以外のところでは左翼系の人をいろいろリンチしたかもしれない。だから、その贖罪とも思って作品を作っているんです」

戦争は国民の意思で始まる

 キノコ雲を檻に収監し、「時代の肖像」の下に星条旗を敷くことで対米追従する日本の姿勢を皮肉る中垣氏だが、「米国には感謝もしている」という。その上で、自身の見てきた戦後の日本の様子を、次のように振り返った。

「おれたちはユニセフの粉ミルクで育ったから。今でも味を覚えてるよ。それは感謝しなければいけない。でも、樺美智子さんたちが安保闘争で戦ったとき、今ならわかるが、米国一辺倒の偏った外交は、決して日本を自立国にしなかったんです。属国でいることが安全だという神話ができてしまった。第7艦隊に守られ、厚木基地や横須賀には米軍が駐留している。

 50年ほど前、初めてこの辺にきたときは、今とは全然違いましたよ。相模大塚駅を降りると、日本人が入ってはいけないという高級娼婦の家があった。完全にこの辺りはアメリカの街だった。アメリカに負けたんだ、という現実が如実に見えました。米兵もいっぱいいて、まさに『植民地』だった。

 それは今もどこかで続いているから、『死ぬとアメリカ人になります』と皮肉ったけど、笑ってくれなかった。その米国に、今度は日本が怒られてるんだから笑っちゃうよ(笑)。でも、それは安倍さんではなく、国民がそう決めているんだよ。代弁者ですから。安倍さんがどうこうということでない」

――中垣さんはそうおっしゃいますが、自民党に投票した国民の多くは、戦争や改憲を期待して票を入れたのではなく、「経済を立て直してくれるのは自民党かな」と、消去法で判断した人も多いのではないでしょうか。

「80年前の国民もそういう状況にあったんです。経済的に逼迫し、それを打開しようとしたのが戦争の発端だった。だから、あれは国民が求めた戦争だったんですよ。みんなが一生懸命になってやったんです。軍部にだけ責任を押し付けても、反省にはならない。東条さんは、合意のもとでやったつもりだと思いますよ。国民が選んだんだから、国民にも責任がある。戦争をしたのは、少なからず国民の意思が働いたからです」

公立美術館として追及した中立性 〜過去には慰安婦の作品の撤去も

 東京都美術館側は、どのような意図で中垣氏の作品を撤去するよう要請したのか、電話取材した。応じてくれたのは副館長の小室明子さん。中垣氏に対し、直接、撤去するよう要請した人物である。

 撤去の要請は、「表現の自由の弾圧」にあたるとは考えなかったのだろうか。まず、それを尋ねた。(IWJ・原佑介)

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