安倍政権が安全保障関連法案を強行に推し進め、戦後日本が歩んできた道筋を大きく変えようとしている夏に、鶴見俊輔さんが世を去った。93歳だった。

 リベラルな立場からの発言・執筆で、戦後の思想や文化に大きな影響を与えた哲学者で評論家。反戦平和のために行動する姿勢を貫いた知識人だった。

 雑誌「思想の科学」、60年安保の反対運動から生まれた市民たちの「声なき声の会」、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」、憲法を守る「九条の会」、3・11後の脱原発の動き。鶴見さんは様々な活動で、中心的な役割を担ってきた。

 一貫していたのは、特定の主義や党派によらず、個人として考え、行動する姿勢だ。

 その基底には、戦争の体験と記憶があった。

 米国留学中に日米開戦。戦時交換船で帰国したのち、軍属として南方に赴き、「死」を身近に感じる日常を送った。後々まで、「僕が人を殺さなかったのは偶然」と語り、戦中に反戦の意志を行動で示さなかったことを「負い目」としていた。

 同時に、戦後の知識人への違和感も隠さなかった。

 あの戦争は一部軍閥が指導したものであり、国民に責任はないとする米国の占領政策に大半の知識人がのり、「自分たちがやった戦争だという自覚が育たなかった」ことを批判した。

 戦後の憲法に寄りかかって、民主主義が成立したと考えるのは「はりぼての護憲」だと断じ、民主主義とは「目標としてあるもの」で、そこに向かう運動を担うのは私的な信念であると説いた。

 一部の者が「絶対的な正しさ」で大衆を引っ張ることを警戒し、「烏合(うごう)の衆」に期待をした。違う考えを持つ、バラバラな人々が、そのことを自覚することで、思想的な強さになるのだと。「鉄の団結」は考える力を弱めてゆくとも語っていた。

 10年以上前の発言だが、今の社会状況を考えると、その理念は重みを増している。

 権力を握る政治家たちは、自分たちの「正しさ」ばかりを唱えている。だが、そんな政治に向き合う市民の行動には明らかな変化が見える。

 安保法案に対して、全国で多くの人びとが街頭で抗議行動を繰り広げている。ネットを介して広がる市民のうねりは、かつての安保闘争などと違い、党派性や組織性からは縁遠い。

 一人ひとりが自分の思いで動き、民主主義を渇望する行動の中に、鶴見さんの思想が息づいている。