初聖体リーダー用テキスト

目次

1、聖体は肉なのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

2、聖体拝領としての秘蹟・・・・・・・・・・・・・・・・・8

3、母の陰膳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

4、手・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

5、オルゴールとマフラー・・・・・・・・・・・・・・・・18

6、イエスキリストのパン・・・・・・・・・・・・・・・・21

7、しその種・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

8、パン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

9、体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

10、結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

11、北風と太陽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

12、ゆるしの秘蹟の準備・・・・・・・・・・・・・・・・・34

13、ゆるしの秘蹟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35

14、拝領の仕方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37

15、初聖体申し込み書・・・・・・・・・・・・・・・・・・39

16、初聖体儀式書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41

 

 

 

 

 

 

 

1 . 聖 体 は 肉 な の か

 

 イエズス様が神さまだということは、どうにかキリスト者でない人に納得して

もらおうと思えば、納得してくれるかもしれないけれど、この聖体ということに

ついては、ほとんど、不可能に近いといえる。もし今、用いているあのウエハー

スのようなパンがキリストの肉なのだと言ったら、いったい誰が信じるだろうか。

神さまがいるということを信じるよりも、あれがイエズス様の肉だと信じること

の方がむしろずっと難しいのではないかと思う。何故なら、あれはどうみてもパ

ンだからだ。あれがキリストの肉だとはとても信じられないという人はなにもキ

リスト信者でない人ばかりではない。カトリックの洗礼を受けている人のおそら

くほとんどが、あれをイエズス様の肉だとは考えていないにちがいない。しかし

私がこういうと多くの所で人々が、何ということをいうのか、聖体という尊いも

のに対して、そんな不敬な態度をとるなんてもってのほかだ。それでもカトリッ

ク信者かといって、教会に来ることを禁止したり、神父の職務を停止させたりす

るのかもしれない。だけど、それでも、そういって、断罪する人々が本当にあれ

をイエズス様の肉だと考えているとはとうてい考えられない。彼らがそういうの

は、本当は肉には見えないし、肉ではないのではないかと思っていたのに、そう

いう信じることの難しい事をあえてどうにか信じ続けて、やっと今のところ尊ん

だり、敬ったりできるまでになったのを、ここに来てこんなことを言われて、本

当は肉ではないのではないかと質問をつきつけられて、今まで信じてきたことが

くずれ去るのが怖いのかあるいは、せっかくの難関を突破して努力してその努力

を捨てて、また以前の自分に舞い戻ってしまうのが嫌なのか、または、そんなこ

とを考えもせずに、今までそういうものだと教えられ、疑問に思うこともなかっ

たものだから、突然そういうことを言われてとまどっているのかなのだろう。

教会という所にはそういう特殊な事とか用語が多すぎるように思う。教会の中で

は信者は普通に聖体とか三位一体とか、恵みとか、原罪とか、共同体とか処女だ

とか、主、聖霊、キリストの再臨、堅信、などなど、そうした特殊用語をつかっ

ているけれど、これは教会の内部でしか通用しないものがほとんどだ。自分たち

の集団の内部だけで通用していて、外の人々には全く意味の通じない言葉なのだ。

宣教とか世界に開かれた教会ということをスローガンにしていながら、どうもむ

やみにそういう単語を使い過ぎるのではないかと思う。まるで自分ひとりの内で

は統一はとれているのかもしれないが、他人とは全くコミュニケーションの不可

能な精神分裂病の患者さんの単語の用い方と似ている。いわば、集団精神病患者

ともいわれかねないような感じさえする。あるいは、別の言葉で説明が可能なの

に、どんどん新しい単語や新しい存在者を作り出していって複雑にもしている。

天国や地獄ならまだいいのだが、煉獄というものまで作ってしまって余計に話を

難しくしているように思える。

 聖体という単語自体は古いもので、新造語ではないかもしれないが、あれがキ

リスト・イエズスの肉だという言い方は、これらの難解な単語や新しくつくられ

た概念や存在者と同じように、このカトリックという教会の集団の内部でしか通

用しない。いったい私たちは、宣教という今日的な課題を前にして、どのように

人々の前に説明つきのものとしてその単語を提出するのだろうか。とても単に、

“いや、これはキリストの体なんです”と言って、意地をはっているだけでは済

まされないものである。

 ある人々によると、この聖体というのが本当にキリストの肉なのかどうかが問

題になってきたのは、11世紀になってからだと言うのだが、疑い深い私は今で

も、それは信じられない。どうみてもあれはパンだし、第一イエズス様が最後の

晩餐で聖変化をさせた時でさえ、あれはパンだったからだ。始めの1000年間

もやはり、人々は私たちと同じような疑問を持って来たのだろうと私は考える。

実際、神学者とかが、公けにあれがキリストの体なのかどうかという疑問を出し

てきたのは11世紀である。疑問が出てきたというより疑問として公けにできる

ような時代になってきたという方がただしいかもしれない。初めは、ラトラムヌ

スという人が、キリストの体だというのなら、あれはマリア様が産んだあのイエ

ズス・キリストという者の肉とおなじなのかという問題を出した。そこで教会は

あれはイエズス・キリストの肉と同じだと答えた。ところが、100年もしない

うちに、今度はベレンガリウスという人が、聖体は単なるキリストの体の印なの

だと主張し始めたので、ものすごい大きな議論が起きてしまった。そこで教会の

神学者たち、一般の教会といわれる民衆ではなく、学者たちや教皇さまが、特に

グレゴリウス7世などが、“実体変化”というような新しい説明を用いて、聖体

は単なる印ではなく、本当にキリストの体であるのだということを主張した。こ

の時以来、聖体が本当にキリストの体なのかという疑問が浮上してくるたびに、

教会の上層部は、この“実体変化”という考え方に基づいて反論し、人々にもそ

のように教えてきたのだった。今でも、一時代前の神学校で教育を受けた人々は

まるで実体変化という変化によって、パンがキリストの体になっているのだとで

も言いたいかのようにその説明をする。まずは、この“実体変化”ということを

少し説明したい。

 昔、ギリシャにアリストテレスというとても頭のいい人がいて、およそはその

人の考え出したことなのだが、今ここに鉄のかたまりがあるとする。誰か鉄を見

たことのない人が鉄を見せてくれと言った場合に、鉄というものだけを見せるこ

とはできない。鉄は鉄というものと、その鉄が今とっている何らかの形、丸いと

か細長いとか薄っぺらだとかのふたつの要素で成り立っているといえる。鉄を見

せようとしたら必ず、何かの形をしたものを見せるしかないわけだ。全く同じ重

さと形をしていても、それが別の金属であることもありえるのだ。同じように人

間の場合にも、人間というものと人間の体というもののふたつに分けて考えるこ

とができるかもしれない。杉の木の場合でも杉ということ自体とその木の外形と

に分けて考えられる。パンも同じように、人を養って食物と呼ばれるパンそのも

のと、何らかのパンの形、白くてふわふわしていて軽いとか、そういった形など

に分けて考えられる。そこでその物質そのもののことを実体、その外形上のもの、

パンというものを私たちの世界に私たちが見たり、触れたりできるものとして表

現している外形上のものを付体と呼んだのだ。

   パンそのもの−−−−実体(じったい)−−人の養分になる

   パンの形や色など−−付体(ふたい)

 

 昔から、あのパンがどのようにしてキリストのからだ、キリストの肉に変化し

てきたのかを説明する時には、だから、この実体の方が変化したのだと言ってき

たのだ。つまり、パンそのものが、まるで鉄がさびて酸化鉄にでもなっていくよ

うに、しかも付体というパンの形や色はかわらずに、内容(パンの内部ではない)

だけがキリストの体に変化するのだ。これを実体変化という。

 長い間、本当に長い間、こういう説明がなされてきたのだが、この説明の仕方

にはひとつおもしろい背景がある。それは、やっぱり、イエズス様からはじまっ

て、今日にいたるまで、この世に生きていた人全てが、聖変化をおこしたあとの

キリストの体といわれるあのものを、パンとして見てきたという事実であり、ど

う目を見開いても誰に説得させられ、どんなに敬意を表しても、パンにしかみえ

なかったのだ。こどもたちのよく知っている裸の王様みたいなものなのだ。大人

たちは共通して、みえていないのに美しい服だと言われ、心のどこかに本当は嘘

なのではないかと思いながら、群集がみなそういっているし、誰に尋ねるわけに

もいかないので、ああして美しいと賛美していたのだ。ところがこどもが、“裸

だ”と叫んだとたん、大人たちの“悪い人には見えない”という良心の鎖がとれ

て、自分たちは、そういう道徳主義とか王様の権威にしばりつけられていたのだ

ということが判った。

 しかし、こうして実体と付体に分けてしまうことの短所もある。人を養うとい

うパンの内容がキリストの体に変化してしまったのなら、人間の体に入った時に

パンの養分をもらうのか、肉の養分をもらうのか、あるいは、形とか色とかそう

いうもののない実体だけのものなんていうことが、そもそもありえるのか、とい

うような疑問である。

 もうこの話はこの辺でやめにしておこう。こうした実体変化という説明に反対

したもうひとつの大きな出来事はやはり、宗教改革だった。カトリック教会やル

ターは実体変化という変化をそのまま認めた。カルバンは、信仰によっても、聖

体を受けるのだから、あのパンを受ける時、受ける人がこれは本当にキリストの

体なんだと思った時にそれはキリストの体になるのだという。だから、この場合

保存される聖体ということは考えられなくなる。つまり、人間が食べるという時

にのみ聖体なので、とっておいてもただのパンだということなのだ。ツィングリ

の方は、ベレンガリウスと同じくあれは完全にキリストの体の印だと言った。こ

うして、宗教改革の時には、パンとかキリストの体にまつわるいろいろな理解、

説明、理論が生まれ、論争されていたのだった。

 現代は、実体変化という用語への反発やその理論上の欠点などからなのだろう、

あまり、そういうことは言わなくなった。少し前にはそれに変わるものとして意

味変化という説明がなされたこともある。パンがキリストの体だというのは、パ

ンの意味が、私たち人間にとって、食パンのようなパンではなく、キリストの体

という意味をもっているのだというのだ。しかし、この説明だと、ものは何でも

よくなって、チョコレートでも、机でもなんでも神父さんが聖変化させて、これ

はキリストのからだなんだと言えばいいことになる。それに教会は、あれは本当

にイエズス様の体なのだと言っているのだ。最近よく言われるのは、“復活体的

説明”であろう。要するに、復活したイエズス様の体の方ならば、この世にいた

イエズス様の体とちがって、時間にも場所にも、大きさにも色にも、原子にも分

子にも制限されることのない、半ば霊的な体なので、どんな所にも入っていける。

パンということや、その形の一切をそこなうことなく、イエズス様がパンの中に

でも同時に現存できるからなのだ。しかし、やっぱり、イエズス様がいったのは

今から2000年前、私たちと全く同じ肉体を持っている時に、その肉体という

意味をこめて、“これは私の体である”と言ったのだから、今になってそれは復

活した体なのだと言われたって、納得はできない。それに、今までの2000年

の議論はじゃいったいどういうつもりでやってきたのか、それらはすべて失敗だ

ったとでも言うのだろうか。

 聖体が長い間、歴史上でこういう形で議論されてきたのは、聖体の秘跡という

ことのとらえかたにも問題があったのだ。秘跡というのは本来、神さまの人間へ

の働きであって、ものではない。洗礼も堅信も結婚も叙階も病者の塗油もゆるし

もみな、ある動作を示しているのに、聖体だけは、キリストの体といわれて、物

体化して扱われてきたのだ。その辺に大きなあやまりがあるように思う。いわば

a=b.a(パン)=b(キリストの体)という公式が正しいか正しくないかだ

けが問われてきたので、そこに神さまやそのキリストの体を受けとる人のことが

考慮されていない。秘跡がひとつの働きであるというところからいうと、たとえ

ば、

    Y=aX

というような形でひとつの変数として表現される方が相応しいような気がする。

   Y(聖体拝領の恵みや働き)=a(キリスト)X(受ける人)

とでもいえるのかもしれない。キリストという定数aはどこまでもかわることは

ないが、Xという受ける人によって、Yという拝領の効果が変わってくるという

ようなものだ。

 私たちは、どんなに長い歴史上の難しい説明をきいてもあれがキリストの体だ

とは見えないというのが本当だ。イエズス様は、パンがイエズス様の肉なのかど

うかとか実体だとか付体だとかいうむずかしい議論をひきおこすために、この世

に自分の体を残したわけではない。そんな理論を知っていようといまいと、それ

がキリストの体にみえていようといまいと、私たちが何故あれをキリストの体だ

と信じているのか、どこかの田舎の目も耳も悪くなって、ロザリオぐらいしか祈

れないおじいちゃんやおばあちゃんと、大神学者とのキリストの体に対する信仰

がどこにも違いはない、と言えるか言えないかの本当の答えは、イエズス様が、

“これは私の体である・・・・、これは私の血である”と言ったという事実だけ

だ。私が言ったのでも、べつの人間が言ったのでもない。この世にいらした時に

ラザロを死から蘇えらせ、海の上を歩き、パンを増やし、・病人をいやし、罪人

をなぐさめ、死にいたるまで人間を愛してくれて、やがて死をのりこえて復活し

たあの偉大でとてつもないお方が、そういう人格の、そういう過去をもった、そ

ういう人柄のイエズス様が“これは私の体である”と言ったのだから、それは嘘

であるはずがないし、彼ならやろうと思えば、いくらでもできるはずだ。死んだ

のに生きかえった方が、パンという食べ物を肉という食物に変化させられないこ

とはない。石という食べることのできないものからでさえ、パンを作りだすこと

ができるのだから。

 だから、聖体の秘跡とか、聖体拝領の時に重要なのは、あれがキリストの肉な

のかどうかではなく、拝領する時に求められるのは、これは私の体であるといっ

たお方、イエズス様が本当にすごい人で神さまなんだということを、イエズス様

の言ったことや行なったことの全てを、まるごと私たちが信じるかどうかなのだ。

キリストの体であるということを信じるということは、キリストの全体を信じる

ことなのであり、イエズス様の生き方、考え方、なした行為、そのすべてをまる

ごと信じる行為として聖体拝領があるのだろう。だから、かえって、結婚や叙階

というある特別な分野へ向けられた神さまの働きを示す秘跡とは違って、イエズ

ス様の生涯や人生、神であること、などの全体を問題にする秘跡だといえるのだ

し、だからこそ教会も人々も聖体を格別な意味で他の秘跡以上のものとして大切

に取り扱ってきたのだ。それを単に聖体変化という魔術的な動作を通してパンが

肉になったのだ、見えないけれど、本当なのだと理解していたのでは、本当にイ

エズス様のいったことや、“聖体拝領”という秘跡をだいなしにしてしまうかも

しれない。

 

 

 

 2  聖体拝領としての秘跡

 

 このテキストは、初聖体(the first communion)を受けようとする子供の教材としてリーダー用に作られたものである。

 初聖体の儀式や習慣については「初聖体のリーダー用テキスト1」を参照のこと。ここでは初代教会から現代に至るまでの初聖体式の様子が述べられている。そもそも初聖体とは、初めて聖体を受ける時ではあっても、その実態は聖体には向けられてこなかった。聖体とは何かというテーマは初聖体を受けさせる親とか神父とは別に、学者たちが子供たちのほとんどいない所で扱ってきたのであった。一方、初聖体を受ける子供とその周辺の大人たちは聖体を「尊いもの」ぐらいにしか受け取っておらず、もっぱら、それを拝領するにおいて、その子供がふさわしいかどうか、つまり、分別をもっているか、聖体を基本的に理解しているか、いないか、罪をおかすほどの年齢になっているかどうかが問われてきた。

 罪をおかすとは、基本的に理性主義に基づいているので、罪を犯すことができるとは、同時に聖なるものを理解する能力があることを意味している。したがって罪をおかしているのかいないのかがわからない子供は、罪をおかしていないかわりに聖体についての理解もないので、拝領するのはふさわしくないとの判断がある。

 こうした考えは、およそ1000年前からの伝統であって、今もその流れのなかで初聖体が行なわれている。初代教会から数百年の間は、こうした考えにはよらず、聖体のいわば、絶対的な恵みの効力を優先して、共同体の責任において、子供に意識があろうとなかろうと、聖体を与えていたのであった。ここには子供の霊的な救い、すなわち子供の生きている姿は、神の常なる全体に及ぶ恵みと子供をたくされた自分たちの役割によって変わっていくのだとの考えを見てとれる。

 どちらの場合にも共通して言えるのは、初聖体を信じる者たちの集団的行為への参加とみている点である。こうした考え方から言えば、初聖体は、聖体についてだけの知識を伝えるのではなく、信仰にかかわるさまざまな内容を伝えなければならないということになる。初聖体の時に、従来から公教要理といわれていた教義のおよそ全体を勉強することは、そうした意義にあってはいると思う。本人のためにも周囲の大人たちのためにも、そうあっていいかもしれない。

 しかし一方、初聖体という式は、その名からも印象づけられるように、聖体ということに集中しており、洗礼の時に信仰内容を全般的に学んだ、意識的に共同体に入り込む際の儀式とは異なった印象を与える。洗礼式の時は、本人も周囲の者も、これによって自分がキリスト者と呼ばれる集団に入りたいとの自覚があるが、初聖体の時は、意味内容としては同じであっても、聖体を受けるという点に皆の目は集中している。子供たちのほうも、あの「白いパン」をもらえるかもらえないかという望みをもって、日曜日ごとの聖体拝領の行列を見ているにちがいない。

 これは、聖体に対する秘跡としての認識の違いからくると考えられる。結婚、叙階などは、神様の働きによって成立するという見方が一般的で、それは正しい。男と女が神様のおかげで結ばれるからである。ある人が神様のおかげで司祭という道案内人になるからである。しかし、聖体は、こうした文法をあてはめると、神様のおかげでパンがキリストの体に変化するというふうになってしまう。聖体自体が、神様の働きによってキリストの体になることは事実であっても、もしその聖体が人間に拝領されないものであるなら、何の意味もなくなってしまう。パンが聖体に変化するのは、その聖体が人の口に入るから、つまり拝領されるからである。そういう意味では、聖体の秘跡というよりは聖体拝領の秘跡というのがふさわしいかもしれない。

 聖体とはラテン語でcommunioという。コムニオとは「交わり」の意味であり、平たく言えば「交流」である。日本と韓国の文化交流とか、電気などの+と−の交互に変化する場合に用いられるものと同じである。典礼文のなかでは「諸聖人の通交」の通交でもある。肉体を持って生きている私たちと、肉体を持たずに生きている死者とが、共に、生きている者の神であり、その神様に今も ずっと生かされていて、生きている者同志が交流することをいう。祈り合うこと、生きている者も死んだ者も、互いに信頼し合うことを意味する。コムニオとはそんな交流なので、聖体拝領も同じ様にとらえられなければならない。聖体の秘跡とは、パン変化であるよりも、聖体拝領の秘跡であり、初聖体拝領とは、キリスト者として、主を中心にしたキリスト者間の交流の場に入ることを意味している。このように考えてくると、歴史上、聖体拝領の年齢や資格、そのための全信仰内容の勉強に対する考えや行為は、学者たちが問題にしてきた「聖変化」ではなくて、正確に「聖体拝領による交流」という点で正しかったと考えられる。

 こうして当然のことながら、子供たち自身が、「皆がもらっているのに私だけもらえない」と考えているのは、単純な子供のやっかみとか望みとして終らせるのではなく、共同体への参加の子供自身からのきっかけとして大切に考えなければならない。子供たちの「私も皆のようにもらいたい」という意識には、その周囲の人々の勧めや教育によっては、充分一人前のキリスト者となるという可能性をはらんでいる。さらに、親たちや教会学校のリーダー、神父などの「あの子にも、聖体拝領させてあげたい」という望みと同一線上に捉えられると思う。子供に初聖体を受けてもらいたいという意識は、式を無事に終らせるという意識であってはならず、第二回目以後の拝領においてもキリスト者としての充全な扱いとある種の任務をまかせるという意識(アフター・ケア)がなければならない。

 さて、初聖体拝領にかかわる人々の望みから、その準備として、信仰のすべての内容を伝えることになるという結果とは別に、聖体そのものが持つ本体的な性格から、聖体について、子供たちに伝えることは、キリストの全内容を伝えるということにもなってくる。聖体はすべての他の秘跡の中心であるともいわれるし、聖体が信仰生活の力の源であるともいわれる。また、主イエス・キリストの別れの食事のかたどりであるミサも、聖体があってこそ成立する。主自身、たとえ話の中で、いくども会合や宴について話しているように、共に特別な食事をすることをこの世においてもあの世においても信仰者のしるしとみて説明している。それは、聖体拝領ということが、あのパンの形色を受け取るだけでなく、そこに現存するイエス・キリストの全体、主が言ったみ言葉、その行為、その思いの全体を、信じますと言って受け取る行為だからである。信仰のうちに行なう一種の信仰告白である。主が貧しさの中で生まれ、人間として育ち、旧約の人々が何千年もの間預言し、待ちこがれた人であ り、多くの病人を癒し、信じられないほどの業を行ない、十字架にかかって死に、復活して多くの人々に会った人であるという信仰宣言のすべてを信じて、あの聖体を受け取るからである。その主が旧約のどんな偉大な人々よりももっと偉大で、この地上で罪人として最悪の扱いを受けた神であるということを信じながらである。その方が実は複雑な原子や分子の世界や、多様な動植物の生存や、偉大な人間たちや未知なる宇宙のすべてを創った神であることを信じての拝領である。

 そこで、子供たちに信仰内容の全体を伝える時には、洗礼の時に行なわれる、全体的な、公教要理のような信仰内容よりも、聖体ということにすべての信仰内容を集中した形のほうが、初聖体の儀式が子供たちの意識に合致しているのではないかと思う。初聖体の儀式が、ほとんど洗礼の時の儀式から取られているという歴史的な事情は、その時に伝えられるべき内容そのものが全体的な信仰内容であることを示してはいるが、「初聖体」という言葉や「私ももらいたい」という子供の意識や、ミサの中でも信仰者としての生活の中でも、すべてを聖体に集中して考えてきたという歴史的傾向からも、子供の準備は常に聖体を意識させながらのほうがふさわしいように思う。ただし、ここで注意しなければいけないのは、キリストのいる所が聖体だけなのだと教えることではないという点である。主はいたる所、あらゆる事情の中にいてくださると信じる。それらすべては、いつも主が別れの食事の時に言った「これはあなたがたのために渡される私の体である」という主の思いの充満した言葉に集約されるという意味である。

 インドで働いているマザー・テレサは、1日に2回、聖体拝領をするという。1回目は通常の朝のミサで主に出会い、主を信じ、信じることによって力を得る。そして2回目は、死を待つ人々の家 で、死にかけた人々の中にいる主と出会うという。主との出会いは聖体拝領の時だけではない。大自然の花や木々や星、風や雲、朝や夕の光り、また病床での体験を通して、結婚や再会などの喜びの中で、静けさのうちに行なわれる祈りを通して出会うことができる。この世の存在のすべて、この世の事象のすべては、見えざる神の視覚と聴覚だからである。その主が「これを私の記念として行ないなさい」と言っておられ、その時には間違いなく主がともにいることを、主と出会えることを、主ご自身がミサのなかで保証している。

 

 

 3  母のかげ膳

 

 私は1年間、インドに行った。今は外国に行くなんてことは当たり前で、国内を旅行するのとほとんど変わらない。そして、1年して日本に戻ってきた。東京から母の所に、今戻ったという電話を入れはしたものの、私はゆっくりと日本各地を回り、数週間してからやっと実家に帰った。帰った次の日に、近くに住んでいた姉が来た。ちょうどその時、母は用があって出かけていて家にいなかったのだが、姉は「あんたがインドに発ったその日から、今までずっとかげ膳してたのよ」とポツリと私に言った。母は昔の人なので、外国と聞いただけで、どこも同じぐらい遠くて危険な所だと考えている。一昔前は、ヨーロッパに1週間ほど行って戻ってくるだけで「〜さんは立派になって帰ってきた」と言われたぐらいである。以前、インドについて少し写真かスライドを見せたことがあったように思う。あんな汚くて危ない所によくもまあ、という感じなのだろう。母は、テレビにインドの町並みが映ると、「私がいないかどうか」見つめる。

 私は母や姉たちのことを考えはしたが、別に母が私についてどのように思って心配しているかなんて、考えたこともなかった。私の考えていたのは、インドという気候と修練院という生活の中で、自分自身の体力や社会や死んでいく人々のことであった。

 私は、母が自分のためにしてくれていたかげ膳とその思いを、やっと1年たって帰ってきた時に感じたのだった。何も知らなかった私自身を恥ずかしいと思った。

 

(ヨハネ.13,1−5)

 過ぎ越の祭りの前のことであった。イエスはこの世から父のもとへ移る自分の時が来たのを悟って、この世にいる弟子たちを愛し、限りない愛をお示しになった。

 夕食の時、−−悪魔は、すでに、シモンの子ユダ・イスカリオテにイエスを裏切らせよう、という考えを心に抱いていた。−−イエスは、父がすべてを自分の手に与えたこと、また、自分がから出た者であり、神のもとへ帰ろうとしていることを知っておられた。イエスは席をたって、上着を脱ぎ、布を取って腰に巻いた。それから、たらいに水をとり、弟子たちの足を洗っては、腰の布でふき始められた。シモン・ペトロのところへ来ると、ペトロは「主よ、わたくしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「私のしていることは、今あなたには、わからないが、後になればわかるであろう」と仰せになった。ペトロは、「けっしてわたくしの足を洗わないでください」と言った。イエスは、「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしとなんのかかわりもなくなる」と答えられた。すると、シモン・ペトロは、「主よ、では、足だけではなく、手も頭もお願いします」と言った。イエスは「すでに体を洗った者は、全身きれいだから、足だけ洗えばよい。あなたたちはきれいだが、みんながきれいなのではない」と言われた。イエスは自分を裏切ろうとしているのが、だれであるかを知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と仰せになったのである。

 イエスは足を洗い終ると、上着を着て再び食卓につかれた。そして、こう仰せになった。「わたしがあなたたちにしたことがわかるか。あなたたちはわたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。それは正しい。そのとおりである。主であり、先生であるわたしが、あなたたちの足を洗ったのだから、あなたたちも互いに足を洗い合わなければならない。あなたたちがわたしのしたとおりにするように、わたしは模範を示したのである。

 この話の中で、ペトロは「けっしてわたしの足を洗わないでください」と主に言う。しかし、この時ペトロは、主イエスの気持をわかっていなかったのだと思う。主は「そんなこと言わないでくれ。もし、それをさせてくれないのなら、大切に思っているおまえとわたしとは、もうこれからは何の関係もない、ということになってしまう。せっかく一緒に生活してきたこの3年間がだいなしになってしまう。ペトロ、おまえはわたしと湖のほとりで出会った時のことを忘れたのか。すべてを捨てて、わたしについてきてくれた。それから、おまえが一晩中、漁をして魚が取れないで戻ってきた朝に、わたしともう一度出かけて大漁だった時のこと、わたしがモーゼとエリアと山で出会った時に、純白の雲の中で恐れて身を伏せ、わたしに社を作るのだと言ったのを忘れたのか。それからせむしの女性に道で出会った時のこと、一緒にザアカイの家に行って食事をしたこと、罪の女がわたしの足に香油を塗ってくれた時にわたしがお前に語ったことを覚えてはいないのか」

 イエスは自分が十字架にかけられて殺され、愛する弟子たちと遠く離れてしまうことを感じていた。そして、自分の気持を表現できる最大のことを死ぬ前にしたかったのだと思う。最後の食事と足を洗うこと。

 主イエスはさらに、今はわからないが、後になったらわかるという。別れていくその時まで、できるだけのことをさせたいと、主は思ったにちがいない。そうすれば、主はペトロたちと繋がっていられると考えたのだろう。

 この箇所を読む時、それも、主イエスの側から弟子たちへの気持として読む時、私は、どんなに遠く離れていても、自分の思いの伝わる方法はないのか、その方法があればそれで繋がっていたいと願った母のことが思い出される。足を洗うというのは、大切な弟子への主の思いの表現であり、行為であった。そして、この行為は弟子たちにとって忘れることのできない、主イエス・キリストからの形見の思い出となった。

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